第31話 草むらの先の依頼主
掲示板の前でしばらく話し合った末、私たちは《荷物運びの手伝い》を受けることに決めた。
《商会の倉庫から市場まで、大型荷物十五箱の運搬を手伝ってください》
報酬は五銀B。
最初に見たときは十五箱という数に驚いたけれど、改めて考えてみると、今の私たちにはかなり条件のいいQUESTだった。
「五人いるなら、一人で全部運ぶわけじゃないもんね」
「そういうことだ。重さにもよるが、何往復かすりゃ終わるだろ」
オラクルが依頼書を確認しながら答える。
戦う必要がなさそうなのも大きかった。
赤は剣、緑は魔法、黄色は道具を使ったり周囲を見たりすること、オラクルは素早く動いて状況を判断することが得意だけれど、私はまだ自分に何が向いているのかさえ分かっていない。その点、荷物運びなら戦いの経験がほとんどない私でも一緒に働ける。
「これなら私もちゃんと役に立てそう」
「フールちゃんの分が重かったら、俺も持つでぷ!」
赤が胸を張った。
「ありがとう。でも、最初から全部持ってもらったら私がQUESTする意味なくなっちゃうよ」
できるところまでは、自分でやってみたい。
オラクルは依頼書をもう一度確認すると、「それに、こういう仕事から始めるのも悪くねえ」と言った。
「どうして?」
「QUESTをやってりゃ、嫌でもいろんな奴と関わることになる。商人だったり、旅人だったり、別の街から来た奴だったりな。そいつらから聞いた話が、別の場所へ行くきっかけになることもある」
私は少し考えてから頷いた。
今の私は、お父さんとお母さんの顔も名前も知らない。だから誰かに会ったところで、「この人を知りませんか」と似顔絵を見せることも、名前を伝えて尋ねることもできない。
それでも、何もしないよりは旅を続けていろいろな人と出会うほうがいい。知らない土地の話を聞いたり、別の街のことを教えてもらったりしているうちに、今まで知らなかった何かへ辿り着くかもしれない。
それが両親につながるのかは分からない。
今はまだ、何が手掛かりになるのかさえ分からないのだから。
「じゃあ、QUESTをしながらいろんな人の話を聞いていけばいいんだね」
「最初はそれで十分だ。手掛かりがねえなら、まず行ける場所と知ってることを増やせ」
オラクルの言葉は、今の私には分かりやすかった。
いきなりお父さんとお母さんを見つけようとしても、探し方すら分からない。それならQUESTをしながら旅を続け、少しずつこの世界のことを知っていけばいい。
緑も本へ簡単に書き込みながら頷いた。
「危険も少なそうで、報酬も貰えて、いろんな人と関わるきっかけにもなるでぷ。最初のQUESTには良さそうでぷね」
「俺もいっぱい運ぶでぷ!」
赤はすっかりやる気になっている。
ただ、一人だけ未練が残っていた。
黄色だ。
少し離れたところに貼られた《隣国までの護衛――報酬十六銀B》を、まだ見つめている。
「黄色、本当に護衛じゃなくていいの?」
「……十六銀Bでぷ」
「うん」
「荷物運びは五銀Bでぷ」
「うん」
「十一銀Bも違うでぷ」
やっぱり気にはなるらしい。
でも黄色は、以前のように報酬だけを理由に「絶対こっち」とは言わなかった。しばらく二枚の依頼書を見比べたあと、護衛QUESTから自分で目を離した。
「でも、今回は荷物運びにするでぷ」
少し意外だった。
「いいの?」
「お金は欲しいでぷ。でも、死んだら使えないでぷ」
黄色は自分の金袋を大切そうに押さえた。
「TIMEの《1》みたいなのが出てきたら、十六銀Bどころじゃないでぷ」
その言葉で、私たちも少し静かになった。
あのときのことは、みんな覚えている。
TIMEの《1》と遭遇したとき、私たちは本当に死ぬかもしれないと思った。相手が何をしたのかさえまともに理解できず、戦うどころか逃げるだけで精一杯だった。
護衛QUESTを受けたからといってTIMEに遭遇するとは限らない。それでも、さっき掲示板で聞いた話では、TIMEの目撃情報が増えたことで街道を移動する商人たちが護衛を求めるようになり、その結果として報酬まで上がっているらしい。
十六銀Bという高い報酬には、それだけの理由があるのだ。
オラクルも依頼書から目を離した。
「黄色の判断で正解だ。最初から金に釣られて、自分たちじゃ手に負えないかもしれねえ仕事を選ぶ必要はない。QUESTにも慣れてねえんだから、まずは確実にできそうな仕事からだ」
「じゃあ決まりだね」
私はもう一度、《荷物運びの手伝い》を見る。
五人なら協力できるし、私にもできる。危険も少なそうで、報酬は五銀B。QUESTを続けていけば、人や土地について知る機会も増えていく。
今の私たちが最初に受けるQUESTとしては、十分だった。
「これにしよう!」
「決まりでぷ!」
こうして私たちは、いくつも並んだ依頼の中から《荷物運びの手伝い》を選び、依頼書に記されていた場所へ向かうことになった。
◇
依頼主から指定された場所は、アデューの街中ではなかった。
西側の門から街道へ出てしばらく進み、途中から細い脇道へ入る。依頼書には簡単な道順が書かれていたので迷うことはなかったものの、アデューを出て一時間ほど歩いても目的地らしい建物は見えてこなかった。
最初は綺麗に整えられていた道も、脇道へ入ってから少しずつ狭くなり、今では左右から伸びた草が足元へ触れている。
「荷物運びなのに、ずいぶん遠いね」
「本当にこっちで合ってるでぷ?」
赤が心配そうに尋ねると、緑が依頼内容を書き写しておいた本を開いた。
「『西門から街道を進み、三本目の脇道を右。その先の草道を抜けた一軒家』……合ってるでぷ」
「一軒家って書いてあったんだ」
「書いてあるでぷよ」
黄色が呆れたように私を見る。
「フールちゃん、依頼を見るとき報酬ばっかり見てたでぷ?」
「黄色にだけは言われたくないよ」
「俺は報酬も内容も見るでぷ」
そこは妙に自信満々だった。
「……次から私もちゃんと全部読む」
少し反省しながら歩いていると、先頭のオラクルがときどき周囲を確認していることに気づいた。さっきまではいつも通り煙草を咥えていたのに、草むらへ入ってからは吸うのをやめている。
「オラクル、どうしたの?」
「別に。ただ、こういう見通しの悪い場所じゃ周りを見といたほうがいい」
言われて私も辺りを見回した。
背の高い草が風に揺れ、その向こう側はほとんど見えない。鳥の声や虫の鳴き声は聞こえているので、何かがおかしいわけではない。それでも大勢の人が行き交うアデューから一時間歩いただけで、まるで別の場所まで来てしまったような静けさだった。
赤も少し落ち着かないらしく、新しく買った剣へ何度も手を置いている。
「本当に荷物運ぶだけでぷよね?」
「依頼書にはそう書いてあるでぷ」
緑が答えると、赤は「だったら大丈夫でぷ」と自分に言い聞かせるように頷いた。
さらに草道を進んでいくと、先頭にいたオラクルが不意に足を止めた。
「見えたぞ」
私たちはオラクルの横から前を覗き込み、その先にある建物を見て揃って足を止めた。
草むらが途切れた場所に、一軒の家がぽつんと建っている。
「……あれ?」
思っていたものとは、ずいぶん違った。
荷物運びの依頼主なのだから、荷車が置かれていたり、運ぶ箱が外へ積まれていたりする普通の家を想像していた。でも目の前にあるのは、長い間手入れされていないように見える古びた二階建ての家だった。
木造の外壁は雨風に晒されて灰色に変色し、ところどころ板が浮いている。屋根も片側が僅かに沈み、何枚かの屋根板がずれた隙間から黒い下地が覗いていた。
家の前には庭らしき場所があるものの、手入れされた様子はない。膝近くまで伸びた草に覆われ、昔は道だったらしい石畳も半分以上が土と雑草に埋もれている。
「ここ……人住んでるでぷ?」
緑が不安そうに呟いた。
私も同じことを思っていた。
煙突はあるのに煙が出ていない。洗濯物もなければ、薪や農具のような生活道具も見当たらない。家の横には古い荷車が一台傾いた状態で放置され、片方の車輪には蔓が巻きついていた。
それでも完全な空き家ではないらしい。
玄関まで続く草だけは、何度か人が通ったように少し踏み倒されている。
「……誰かは出入りしてるみたい」
私が足元を見ると、オラクルも同じ場所へ視線を向けた。
「ああ。完全に捨てられた家ってわけじゃなさそうだな」
それが分かっても、安心はできなかった。
一階には窓が三つあったけれど、どれもガラスが白っぽく汚れ、内側には厚い布が掛けられている。昼間なのに家の中はほとんど見えず、二階の窓に至っては片方の雨戸が外れかけ、風が吹くたび壁へ小さくぶつかっていた。
カタン……カタン……。
一定ではない音が、静かな草原に響く。
赤が私のすぐ横へ寄ってきた。
「フールちゃん。あれ、お化け屋敷じゃないでぷ?」
「違うよ。……たぶん」
「最後に『たぶん』付いたでぷ!」
赤が私の服を掴んだ。
緑も依頼内容を書き写した本と家を何度も見比べている。
「場所は間違ってないでぷ。草道を抜けた一軒家って、ちゃんと書いてあるでぷ」
「依頼書に『ものすごく古い家』とは書いてなかったの?」
「書いてないでぷ」
「そこも書いておいてほしかったな……」
家の正面には木製の玄関扉があった。下のほうは湿気で黒ずみ、取っ手にも赤茶色の錆が浮いている。扉の上には小さな軒が張り出しているものの、その端からは枯れた蔓が何本も垂れ下がっていた。
黄色は怖がっていないふりをしながら依頼書を確認する。
「ちゃんと五銀B貰えるでぷよね?」
「怖がるところそこなの?」
「働いたのにお金貰えないほうが怖いでぷ」
「まだ働いてないけどね」
オラクルはそんな三匹より先に家の周囲を見回していた。
「……ったく、面倒くせえ場所に呼び出しやがって」
「オラクル、依頼主に聞こえたらどうするの?」
「聞こえてるなら、そろそろ出てきてもいいだろ」
確かに、私たちは家の前でこれだけ喋っている。それなのに扉は開かず、窓の布が動くこともなかった。人の声も聞こえず、耳に入るのは草が風に擦れる音と、外れかけた雨戸が壁を叩く音だけだった。
カタン……。
風が止まり、辺りが妙に静かになった直後、今度は家の中から――ぎい、と長く木が軋む音がした。
「……今の何でぷ?」
赤の声が小さくなる。
「古い家だから、床とか柱が鳴ったんじゃない?」
そう答えたものの、自分でも少し自信がなかった。
依頼書には、ただ《荷物運びの手伝い》と書かれていた。危険な魔物の討伐でもなければ、TIMEが出るかもしれない街道の護衛でもないからこそ、最初のQUESTとして無難だと思って選んだはずだった。
でも、目の前の家を見る限り、とても「荷物を運んで五銀Bを貰って終わり」とは思えない。
「……帰るでぷ?」
赤が小声で聞いてきた。
黄色がすぐに反応する。
「ここまで一時間歩いたでぷ。何もしないで帰ったら一銀Bも貰えないでぷ」
「お化けがいたらどうするでぷ?」
「お化けに報酬払ってもらうでぷ」
「払ってくれないと思うよ」
怖いのか怖くないのか、黄色もよく分からない。
私はもう一度、古びた玄関扉を見た。
誰かが出入りした跡はあるし、依頼書にもこの場所が指定されている。だったら、まずは依頼主に会わなければ何も始まらない。
「……行ってみよう」
オラクルが仕方なさそうに先頭へ立ち、その後ろに私、さらに三匹が固まるようについてくる。
足を進めるたび、伸び放題の草が靴へ絡みついた。近づくほどに、灰色に変色した壁や傾いた屋根、汚れた窓がはっきり見えてくる。
ただの荷物運びのはずなのに、私はなぜか鞄の紐を強く握っていた。
やがて五人で玄関の前まで辿り着く。
目の前には、湿気で黒ずんだ木製の扉。錆びた取っ手の上には細かな傷がいくつも残り、その向こうからは人の気配すら感じられない。
オラクルはしばらく扉を眺めたあと、私たちを振り返った。
「……誰がノックする?」
その瞬間、赤、緑、黄色の三匹が揃って私の後ろへ隠れた。




