第24話 真実のカード
「明日のお昼なら、王宮へ行けると思う」
お姉さんがそう言ってくれたのは、私たちが帰ろうとしたときだった。
弟と妹を家に残していくつもりはないらしく、二人も一緒に連れていくという。私たちは時間を確認すると、必ず王子へ伝えると約束して家を出た。
アデューへ戻るころには、空が夕方の色へ変わり始めていた。
王宮へ着くと、今度は《透明化》のカードを使う必要もなければ、守衛の目を盗む必要もなかった。王子から話が通っていたため、名前を伝えるだけで中へ案内してもらえる。
昨日まで忍び込む方法を必死に考えていたことを思うと、不思議な感じだった。
王子の部屋へ入ると、本人はすぐにこちらを見た。
「どうだった?」
椅子から立ち上がる速さだけで、ずっと結果を気にしていたことが分かった。
私は少しだけ笑った。
「明日のお昼、一度だけ会ってくれるそうです」
王子の目が見開かれた。
「本当か?」
「はい。でも、王宮へ来るって決めたわけじゃないですよ。王子様と直接話して、それから考えるって」
「ああ。それでいい」
王子はすぐに答えた。
もっと喜ぶかと思ったけれど、無理に話を進めようとはしなかった。ただ安心したように息を吐き、「ありがとう」と私たちへ頭を下げる。
「弟さんと妹さんも一緒に来ます」
「そうか。そのほうがいい。私も二人とは直接話したかった」
王子の返事を聞いて、少し安心した。
あとは二人が自分たちで話すことだ。
私たちは翌日の昼にもう一度王宮へ来ることを約束し、その日は王宮をあとにした。
◇
翌日。
昼が近づくころ、私たちは王宮へ向かった。
正門の守衛にはすでに話が伝わっており、今度は止められることなく中へ入る。赤は少し得意そうに歩いていたけれど、黄色が「昨日までは侵入者だったでぷ」と言った途端、大人しくなった。
王子の部屋へ向かう途中、私は何度も後ろを振り返った。
お姉さんたちは、本当に来るだろうか。
昨日は会うと言ってくれたけれど、一晩考えて気持ちが変わっていてもおかしくない。
そんな心配をしていたものの、王子の部屋へ着いてしばらくすると、廊下の向こうから三人の姿が現れた。
「来た……!」
お姉さんだった。
昨日と同じように継ぎ接ぎのある服を着ているけれど、髪はいつもより丁寧にまとめられている。その左右には、幼い弟と妹がぴったりとくっついていた。
二人とも王宮の豪華な廊下に圧倒されているらしい。妹はお姉さんの服の裾を両手で掴み、弟も反対側の袖を離そうとしない。
昨日、土遊びをしながら元気に笑っていた姿とはまるで違った。
「こんにちは」
私が近づくと、二人の表情が少しだけ緩んだ。
「フール!」
男の子が声を上げ、女の子も私たちを見つけると、赤たちへ小さく手を振った。
「来てくれたんですね」
「約束したから」
お姉さんはそう答えたものの、緊張しているのは子供たちだけではなさそうだった。
私は三人と一緒に王子の部屋へ入った。
◇
昨日とは部屋の雰囲気が違っていた。
王子だけではない。
壁際には数人の付き人が立ち、入口の近くには護衛らしい兵士まで控えている。机の上も綺麗に片づけられ、中央にはお姉さんたちのための椅子が用意されていた。
王宮の人たちにとっても、この面会はただの私的な話ではないのだと分かる。
お姉さんが一瞬だけ足を止めた。
妹はさらに強く服を握り、弟もお姉さんの腕へ身体を寄せる。
その様子を見た王子は、三人を急かすことなく立ち上がった。
「来てくれてありがとう」
お姉さんは小さく頭を下げる。
「一度だけ、お話を聞くと約束しましたから」
王子が椅子を勧めると、お姉さんが腰を下ろし、その左右へ弟と妹が並んだ。二人とも椅子へ座ってからも、お姉さんの服を掴んだままだった。
私たち四人は少し離れた場所に座る。
誰もすぐには話し始めなかった。
昨日まで王子は、お姉さんのことを話すだけで少し恥ずかしそうにしていた。でも今は、真っ直ぐ彼女を見ている。
やがて王子が口を開いた。
「改めて、私から頼ませてほしい。君に、王宮へ来てほしい」
お姉さんも王子を見る。
「今すぐ返事をしろとは言わない。だが私は、君と一緒にいたいと思っている」
王子は続いて、弟と妹へ視線を向けた。
「もちろん、二人を置いてこいと言うつもりもない。三人で来ればいい。住む場所も用意するし、食事や生活の心配もさせない。二人が学びたいことを見つけたなら、その機会も作る」
男の子と女の子が話のすべてを理解しているのかは分からない。それでも二人は、お姉さんの服を握ったまま王子をじっと見ていた。
「君だけではない。二人も含めて、三人に幸せに暮らしてほしい」
王子がそう言うと、お姉さんはようやく口を開いた。
「そのお気持ちは、本当に嬉しいです。王宮へ来れば、今よりずっと良い暮らしができることも分かっています」
王子の表情が僅かに緩んだ。
しかし、お姉さんの言葉はそこで終わらなかった。
「だからこそ、怖いんです」
部屋が静かになった。
お姉さんは左右に座る弟と妹へ視線を向けた。
「私一人なら、王子様を信じてここへ来て、もし失敗しても自分で選んだことだと思えます。でも、この子たちは違います。この子たちの生活まで、私の選択で変わってしまうんです」
二人の小さな手は、まだ彼女の服を掴んでいる。
「今より良いものを食べられて、綺麗な服を着られて、勉強だってできるかもしれない。それがこの子たちにとって幸せなら、私だってそうしてあげたいです。でも……本当にずっと大切にしてもらえるんでしょうか」
「約束する」
王子は迷わず答えた。
「君だけではない。二人のことも大切にする。三人とも幸せにする」
お姉さんは、その言葉を聞いて少し悲しそうに笑った。
「王子様。人は、嘘をつくこともあるでしょう?」
王子の表情が止まった。
「あなたが今、嘘をついていると言いたいわけではありません。でも、絶対なんてないと思うんです。今はそう思っていても、いつか気持ちが変わるかもしれない。私たちをよく思わない人もいるでしょうし、この子たちがここで辛い思いをするかもしれません」
壁際に立つ付き人たちの何人かが、僅かに表情を変えた。
お姉さんはそれにも気づいているようだった。
「私は、この子たちを守らなければいけません。だから『幸せにする』と言われただけで、全部を信じてここへ来ることはできないんです」
王子は何も言い返さなかった。
部屋に長い沈黙が落ちる。
私も口を挟めなかった。
昨日、お姉さんから同じ話を聞いた。
王子が本気なのも知っている。
でも、お姉さんが間違っているとも思えない。
人の気持ちがずっと変わらないことを、誰が証明できるのだろう。
赤も緑も黄色も黙っていた。弟と妹も部屋の空気を感じ取ったのか、お姉さんへ身体を寄せている。
王子はしばらく俯いていた。
やがて、何かを決めたように顔を上げる。
「……少し待っていてくれ」
お姉さんが驚いた。
「王子様?」
「すぐ戻る」
王子はそれだけ言うと椅子から立ち上がり、部屋を出ていった。
扉が閉じる。
付き人たちも、王子が何をするつもりなのか知らないらしい。互いに顔を見合わせている。
私は扉を見ながら小声で呟いた。
「どこ行ったんだろう……」
誰も答えられなかった。
お姉さんも不安そうにしている。
しばらくして、廊下から足音が聞こえてきた。
一定の間隔で近づいてきた足音が扉の前で止まり、ゆっくりと扉が開く。
戻ってきた王子は、さっきまでとは表情が違っていた。
迷いが消えている。
その右手には、一枚のカードが握られていた。
「カード……?」
私は思わず呟いた。
王子は答えず、カードを手にしたままお姉さんの前へ歩いていく。
その瞬間だった。
鞄の中で、何かが強く脈打った。
「……え?」
反射的に鞄を押さえる。
もう一度。
今度は、はっきり分かった。
《聖なるマップ》だ。
鞄の布越しに感じるほど強く震えている。
次の瞬間、閉じているはずの鞄の隙間から白い光が漏れ出した。
一本だった光はすぐに何本にも増え、私の服や椅子の端まで白く照らしていく。
「フールちゃん、それ……!」
緑も気づいた。
「しっ……!」
私は慌てて鞄を抱え込み、身体で光を隠そうとした。
今までとは違う。
《幻獣種召喚の本》の名前が現れたときとも、アデューの手前で謎のカードが浮かび上がったときとも違った。
地図そのものが、何かを見つけて騒いでいる。
そんな反応だった。
幸い、王子もお姉さんも互いに向き合っており、付き人たちの視線も王子が持ち帰ったカードへ集まっている。
私は鞄を膝の上へ移し、ほんの少しだけ口を開いた。
眩しい光が隙間から溢れる。
「何これ……」
小さく呟きながら、《聖なるマップ》を数センチだけ引き出した。
紙が震えていた。
そして地図の中央――アデューへ近づいたときに現れ、私たちを王宮まで導いたあのカードの形が、今まで見たことがないほど強く輝いている。
私は息を呑んだ。
王子の右手を見る。
一枚のカード。
地図を見る。
同じ場所で光る、カードの印。
王子が一歩こちらへ近づくと、《聖なるマップ》の光まで強くなった。
「まさか……」
私は地図を鞄から出さないまま、王子の動きを目で追った。
王子がカードを持った手を動かす。
地図の光も揺れる。
もう偶然とは思えなかった。
《聖なるマップ》が反応しているのは、王子ではない。
あのカードだ。
その瞬間、地図に浮かんでいたカードの輪郭から細い光が走った。
一文字ずつ、何かが刻まれていく。
私は顔を近づけた。
最初の文字。
続いて、その次。
光が文字の形を作るたび、胸の鼓動が速くなる。
やがて最後の一文字が浮かび上がり、地図の震えがぴたりと止まった。
そこに現れた名前を見て、私は息を止めた。
《真実のカード》
一瞬、周囲の声が聞こえなくなったような気がした。
アデューへ近づいたとき、《聖なるマップ》から道も街の名前も消え、その代わりに現れた正体不明のカード。
翌朝には街の中心――この王宮を示した。
そして今。
そのカードの名前が、初めて明らかになった。
私はゆっくり顔を上げる。
王子の手には、一枚のカードが握られている。
もう一度、鞄の中へ視線を落とす。
《真実のカード》
地図に刻まれた文字は消えない。
「……これだったんだ」
声に出したつもりはなかった。
それでも隣にいた赤が、私を見た。
「何がでぷ?」
「あとで話す」
私は小声で答え、《聖なるマップ》をそっと鞄の奥へ戻した。
今は王子たちの話を止めたくない。
でも、胸の鼓動はなかなか収まらなかった。
私たちがアデューへ来るきっかけになった、一枚のカード。
その正体が今、目の前にある。
《真実のカード》。
王子はまだ、そのカードを使っていない。
それなのに《聖なるマップ》は、まるでずっと探していたものをようやく見つけたかのように――その名前を私へ示していた。




