第194話 ティアラより大切なもの
ロロットは《氷結のティアラ》を手放した。
白銀の冠が指先から離れ、青い結晶を煌めかせながら氷床へ落ちる。その瞬間、追いついた鏡像の大剣がロロットの背後を薙いだ。
「ロロットさん!」
身体を前へ投げ出すようにして避けたロロットの外套が、刃先に僅かに裂かれた。あと少し遅ければ、服だけでは済まなかった。
それでもロロットは振り返らない。
ティアラも見ない。
目の前に伸びている帰り道だけを見て、崩れ始めた氷床を蹴った。
「あと少し!」
フランが円の境界から身を乗り出す。
床へ走った亀裂がロロットの足元を追い越し、氷板の一部が暗闇へ落ちていく。ロロットは残った足場を選びながら走り、最後の数歩を一気に跳んだ。
フランが腕を掴む。
今度は私もすぐ外套を掴み、リリィと一緒に引いた。
ロロットの身体が境界を越える。
その直後、背後の氷床が大きく崩れた。
「っ……危なかった」
ロロットは床へ片膝をついたまま、しばらく動かなかった。
私はすぐ外套の裂けた部分を見る。
血はない。
「怪我してない?」
「ああ。掠ったのは服だけだ」
「本当に?」
「ほら」
腕も背中も確認する。
傷はない。
それを見て、ようやく胸の奥へ入っていた力が抜けた。
でもロロットは、ほっとした顔をしなかった。
崩れていく円形の足場を見つめている。
その中央。
落とした《氷結のティアラ》は、崩壊する床の上に残っていた。
「あと少しだったのにな」
悔しさが滲んだ声だった。
誰もすぐに返せなかった。
本当に、あと少しだった。
ロロットはティアラを掴んだ。
境界まで戻ってきた。
私たちからも手が届きそうなところまで来た。
それでも持ち帰れなかった。
「でも、捨ててくれてよかった」
私は言った。
ロロットがこちらを見る。
「ティアラ持ったまま怪我するより、ずっといいよ」
「……そうだな」
悔しそうな顔は残っていたけれど、ロロットも否定しなかった。
床の中央では、鏡像が消え始めていた。
落としたティアラも青白い光へ包まれる。
やがて崩れた氷床が再び形成され、溝も台座も元の位置へ戻っていく。
そして最後には、《氷結のティアラ》まで台座の上へ戻った。
まるで、私たちが何もしていなかったように。
白蛇も同じ場所にいる。
身体を丸め、静かに目を閉じていた。
「二回目も完全に元どおり」
リリィが言う。
「ティアラをどこまで運んでも、持ち出せなければ台座へ戻るみたい」
オラクルは腕を組んだまま、円形の足場を見ている。
「分かったことは増えた。触れた瞬間に影が出る。床が崩れる。ティアラを持ってる間は、本人より影のほうが戦いやすい。しかも円の外へ出る前に間に合わなきゃ全部リセットだ」
「でも、取れないわけじゃない」
フランが言った。
「ロロットは一度ちゃんと台座から持ち上げた。なら、問題は持ち帰る方法だよ」
その言葉で、みんなの視線がもう一度ティアラへ集まった。
二回失敗した。
でも、何も分からない最初とは違う。
一回目は、触れた瞬間に罠が動くことを知った。
二回目は、ティアラを持ち上げること自体はできると分かった。それから、影が現れる位置と、床が完全に崩れるまでの時間もある程度見えた。
「三回目はどうする?」
私が聞く。
すぐには誰も答えなかった。
ロロットの速さだけでは足りなかった。
魔法を使えば、中央の溝が反応する。
外から攻撃して影を止めようにも、何が起こるか分からない。
考えていると、ロロットが台座までの距離を見ながら口を開いた。
「行きと帰りを同じ道にする必要ねえんじゃないか?」
「どういうこと?」
「さっき俺は、ティアラを取ったあと走って戻ろうとした。でも影は俺と同じ速さだ。だったら走って逃げても差がつかねえ」
ロロットは円形の足場を指した。
「最初から戻るんじゃなくて、跳ぶ」
リリィがすぐ意図を理解した。
「ティアラを取ったあと、影が出る前提で、最短距離を一気に飛び越える?」
「ああ。行きもできるだけ跳ぶ。床にいる時間を減らす」
フランも台座と境界の距離を確認する。
「さっきより危険だけど、理屈は分かる。影と戦わず、最初から逃げ切ることだけ考えるんだね」
三回目。
今までより危険になる。
でも、同じことを繰り返すだけでは意味がない。
オラクルはしばらく黙っていた。
「一回だけだ」
ロロットを見る。
「少しでも踏み切りがおかしいと思ったらやめろ。ティアラを掴んだあと、戻れねえと判断したら即座に捨てろ。今度こそ欲張るな」
「分かってる」
「それと、これで駄目なら今日は同じ方法を続けねえ。別の手を考える」
全員が頷いた。
ロロットは外套の裂けた部分を邪魔にならないよう留め直し、大剣も置いたままにする。
私たちは円の外へ下がった。
三回目。
ロロットが深く腰を落とす。
長い耳が後ろへ倒れ、強靭な脚へ力が集まっていくのが分かった。
「行くぞ」
氷床を蹴った。
速かった。
走るのではない。
身体そのものが弾丸のように飛び、円形の足場を大きく越えていく。
一度着地。
そのまま二度目の跳躍。
あっという間に台座へ到達した。
白蛇が目を開く。
青い瞳がロロットを追った。
ロロットは迷わない。
《氷結のティアラ》を掴む。
床が光った。
「来る!」
台座の反対側から、鏡像が現れ始める。
でもロロットは見なかった。
ティアラを抱え、すぐ身体を反転させる。
床に最初の亀裂が走る。
「今!」
ロロットが跳んだ。
鏡像が完全に現れるより早い。
一度目の跳躍で、円の半分近くを越える。
「いける!」
私は思わず叫んだ。
二度目。
ロロットが着地する。
でも、そこへ影が追いついた。
大剣が横から振られる。
ロロットは避けない。
身体を低くし、そのまま三度目の跳躍へ入ろうとする。
刃が帽子の先を掠めた。
「ロロット!」
跳んだ。
境界まであと少し。
今度こそ届く。
そう思った。
その瞬間、ティアラの青い結晶が強く光った。
ロロットの身体が空中で僅かに止まった。
「え?」
見えない何かに引っ張られたようだった。
前へ進んでいた身体が、ほんの一瞬だけ台座側へ引き戻される。
その一瞬で十分だった。
影が追いつく。
ロロットは空中で身体を捻った。
大剣を避ける。
でも着地する場所がずれた。
亀裂の入った床へ足が触れる。
氷が崩れる。
「捨てろ!」
オラクルの声が飛んだ。
今度のロロットは迷わなかった。
《氷結のティアラ》を放す。
その瞬間、身体を後ろへ引いていた力が消えた。
ロロットは残った勢いのまま境界へ飛び込み、フランに受け止められた。
私たちもすぐ二人を引き寄せる。
また失敗。
三回目も。
ティアラは崩れる床の上へ落ち、やがて台座へ戻っていった。
誰もすぐには話さなかった。
ロロットは床へ座り込んで呼吸を整えている。
私は台座を見つめた。
速さでも駄目だった。
影より先に戻ろうとしても、ティアラそのものに引き戻された。
「持って出ようとすると、戻される?」
フランが呟いた。
「そう見えた」
リリィも真剣な顔で頷く。
「ロロットの跳び方がおかしくなったんじゃない。ティアラが光った瞬間だけ、身体ごと後ろへ引かれてた」
「なら、単純に速くすればいい仕掛けじゃねえ」
オラクルの言葉で、みんな黙った。
三回。
方法を変えた。
それでも駄目だった。
私は台座の横を見る。
小さな白蛇がいる。
三回とも、ずっとそこにいた。
一回目も。
二回目も。
三回目も。
ティアラへ触れるたび目を開き、私たちを見ていた。
でも一度も襲ってこなかった。
「ねえ」
私は言った。
「何で、あの子は何もしないんだろう」
オラクルが白蛇を見る。
「分からん」
「ティアラを守ってるなら、もっと攻撃してきてもいいよね?」
「そうとも限らねえ。いるだけで仕掛けの一部って可能性もある」
「うん……」
分からない。
でも気になる。
メリーもずっと白蛇を見ていた。
「メリー?」
『あの子、さっきより変』
「何が?」
メリーは少し迷った。
『冷たいのが強くなった』
「私たちがティアラ取ろうとしたから?」
『分かんない。でも……怒ってる感じじゃない』
メリーは自分の胸へ小さな手を置いた。
『苦しい感じ』
私はもう一度白蛇を見る。
純白の鱗。
小さな身体。
青い瞳。
遠くからでは、それ以上は分からない。
三回失敗した。
オラクルが言ったとおり、ここで同じ方法を続けるべきではない。
「別の方法、考えよう」
私は《幻獣種召喚の本》へ手を置いた。
その瞬間、一つ思いついた。
「シャイニーさんなら?」
みんなが私を見る。
「水でティアラだけこっちへ流してもらえないかな。誰も円の中へ入らなければ、影に追われないかもしれない」
フランが考える。
「魔法に反応するんじゃなかった?」
「シャイニーさん自身に聞いてみる。無理ならやらない」
メロウも頷いた。
「悪くない。わしらの魔法と幻獣種の力で、仕掛けが同じ反応をするとも限らん。それに、シャイニー殿なら水の扱いについてはわしらより遥かに詳しい」
オラクルは少し考えたあと、私を見る。
「呼ぶだけだ。いきなり攻撃させんなよ」
「分かってる」
私は《幻獣種召喚の本》を開いた。
白いページへ光が集まる。
「シャイニーさん!」
召喚陣が広がった。
淡い水色の光の中から、美しい人魚の女王が姿を現す。
長い髪が水の中にいるように揺れ、その周囲へ透明な水滴が浮かんだ。
シャイニーさんは私を見ると、穏やかに微笑んだ。
「お呼びですか、我が小さき主よ」
「うん。お願いしたいことがあるの」
私は台座を指した。
「真ん中にある《氷結のティアラ》を取りたいんだけど、近づくと床が崩れて、自分の影まで出てくるの。だから、シャイニーさんのお水でティアラだけこっちまで流せないかな?」
シャイニーさんはすぐには答えなかった。
私の指した先へ顔を向ける。
最初にティアラを見る。
次に床。
そして――。
台座の横。
小さな白蛇を見た。
その瞬間だった。
シャイニーさんの表情が変わった。
穏やかな微笑みが消える。
目が大きく見開かれた。
息を呑んだのが、私にも分かった。
「シャイニーさん?」
返事がない。
白蛇だけを見ている。
そこにあったのは、敵を見つけたときの警戒ではなかった。
驚き。
戸惑い。
そして、すぐにそれを覆うように浮かんだ、深い悲しみ。
「……そんな」
初めて聞くほど弱い声だった。
シャイニーさんが一歩、前へ出る。
私は驚いた。
いつも落ち着いているシャイニーさんが、私の返事を待たずに動いたからだ。
でも円の境界へ入る直前で、自分から止まった。
「シャイニーさん、あの子を知ってるの?」
私が尋ねる。
シャイニーさんはしばらく答えなかった。
白蛇を見つめる瞳が僅かに揺れている。
まるで、ずっと昔に失った何かを目の前で見つけたようだった。
「我が小さき主よ」
ようやくこちらを見る。
声はいつもの凛としたものへ戻ろうとしていた。
それでも、隠しきれない感情が滲んでいる。
「先ほどの願いは、少しお待ちください」
「どうして?」
シャイニーさんは再び白蛇へ視線を向けた。
そして静かに、けれど強く告げた。
「――あの白蛇に、これ以上強い刺激を与えてはなりません」
ドームの空気が変わったように感じた。
誰も喋らない。
シャイニーさんは、ティアラではなく白蛇を見ていた。
「私は……あの子を知っています」
「え?」
「正確には、あの子自身ではありません。その血を、私は知っているのです」
シャイニーさんの声が僅かに震えた。
「大昔、我が水の眷属と共に世界の海を護っていた聖獣がいました。その名は――《リリアス》」
私は息を呑んだ。
初めて聞く名前。
でもシャイニーさんにとっては違う。
その名を口にした瞬間、懐かしさと悲しみが同時に表情へ浮かんでいた。
「では、あの子は……」
メロウがそこまで言いかけたところで、シャイニーさんは静かに首を横へ振った。
「リリアス本人ではありません。あの子から感じる力は、私が知るものより遥かに小さい。けれど間違えるはずもありません。あの清らかな水の気配と、氷を纏う白き鱗……あの子はリリアスの血を受け継ぐ、最後の子孫です」
「最後の……」
私はもう一度、小さな白蛇を見た。
腕に乗せられそうなほど小さな身体。台座の横で丸まり、私たちが三度もティアラを奪おうとしたのに、一度も襲いかかってこなかった。
今までとは見え方が変わった。
《氷結のティアラ》を守る番人。
そう思っていた。
でも、シャイニーさんの表情を見ていると、それだけではないように思える。
「シャイニーさん、リリアスってどんな子だったの?」
私が尋ねると、シャイニーさんはすぐには答えなかった。
遠い昔を思い出すように目を細め、白蛇を見つめる。その横顔には、私が今まで見たことのない懐かしさが浮かんでいた。
「とても誇り高く、そして優しい聖獣でした。海が荒れればその身をもって流れを鎮め、凍てつく海域で命が失われそうになれば、自らの力で氷を操り道を作った。私たち水に生きる者にとって、リリアスは同じ海を守る大切な友でもありました」
声は穏やかだった。
でも最後の言葉だけ、ほんの僅かに弱くなった。
「長い時が流れました。私が再びこの世界へ呼ばれるまでに、どれほどのものが失われたのか……すべてを知ることはできません。それでも、まさかここで、その血を受け継ぐ子に会えるとは思っていませんでした」
私は何も言えなかった。
シャイニーさんは強い。
初めて会ったときから、いつも落ち着いていた。
大悪魔を前にしても怯まず、アクア・リヴァイアスを従え、私たちが困ったときには迷わず力を貸してくれた。
そんなシャイニーさんが今は、台座の横にいる小さな白蛇を見つめながら、触れることさえ怖がっているように見えた。
『シャイニー……悲しいの?』
メリーが小さく尋ねた。
シャイニーさんは少し驚いたようにメリーを見る。
それから、無理に隠そうとはせず微笑んだ。
「ええ。少しだけ」
その答えが胸へ刺さった。
「ですが、懐かしいのです。悲しいだけではありません。あの血が今も絶えず、こうして目の前に生きている。それは本来、喜ぶべきことでしょう」
そう言いながらも、シャイニーさんの視線は白蛇から離れない。
やがて、その表情が変わった。
懐かしさではない。
何かを見つけた。
「……いいえ」
シャイニーさんが低く呟く。
「どうしたの?」
返事の代わりに、シャイニーさんは白蛇へ向かって手を伸ばした。
触れてはいない。
距離もある。
それでも目を閉じ、何かを感じ取ろうとしているようだった。
周囲に浮いていた水滴が、ゆっくりと白蛇の方向へ流れていく。
円の境界へ近づいた瞬間、床の溝が淡く光った。
「シャイニーさん!」
「分かっています。これ以上は近づけません」
水滴が止まる。
床の光も、それ以上は強くならなかった。
シャイニーさんは目を開いた。
さっきまでとは違う。
その瞳に、はっきりとした痛みが浮かんでいた。
「我が小さき主よ。よく見てください。あの子の鱗を」
「鱗?」
私は目を凝らした。
遠い。
白い身体が周囲の氷と重なり、最初は何も分からなかった。
リリィも目を細める。
フランも台座の横を見る。
「……黒い?」
リリィが最初に気づいた。
言われてから、私にも見えた。
純白だと思っていた鱗の隙間。
身体の側面。
そこに、細い黒い筋が何本も走っている。
模様ではない。
一本の線が途中で枝分かれし、鱗の下へ潜り込んでいる。よく見ると、その周囲から黒い煙のようなものまで僅かに立ち上っていた。
「最初からあった?」
「いや」
オラクルが答えた。
「少なくとも入口からじゃ、白い身体にしか見えなかった。近くで見ねえと分からん程度だ」
メリーが私の肩で身体を強張らせた。
『これ……』
「分かるの?」
『さっき言った苦しい感じ、そこからする』
私は白蛇から目を離せなくなった。
今まで三度。
私たちはティアラを取ろうとした。
そのたびに白蛇は目を開いた。
怒っていたのではない。
メリーはずっと、苦しいと言っていた。
「この子、怪我してるの?」
私が尋ねる。
シャイニーさんの返事はすぐには来なかった。
「怪我……という言葉だけでは足りないでしょう」
静かな声だった。
「肉体だけではありません。あの子の内側へ、異質な力が深く食い込んでいます。本来あるべき清らかな力を侵し、今も傷を広げ続けている」
「治せる?」
自分でも驚くほど早く言葉が出た。
ティアラのことより先だった。
シャイニーさんが私を見る。
「まだ分かりません」
「でも、何かできるんだよね?」
「フール」
オラクルに呼ばれる。
私は振り返った。
「落ち着け。助けるにしても方法を調べる。あそこへ近づけば床が崩れるのは、さっき三回見ただろ」
「……うん」
分かっている。
今すぐ走っていくことはできない。
私が近づいたせいで白蛇をもっと苦しませたら、助けるどころではない。
私は拳を握った。
「シャイニーさん。さっき、強い刺激を与えちゃ駄目って言ったよね」
「ええ」
「私たちがティアラを取ろうとしたとき、床が崩れたのも、この子と関係あるの?」
シャイニーさんは白蛇と床の溝を交互に見た。
「おそらくは」
断定はしなかった。
「この場所の仕掛けすべてを私が知っているわけではありません。しかし、あの子から漏れ出す力と、床へ流れる冷気は繋がっています。あなた方が中央へ力を加えるたび、あの子の中にある異質な力が大きく揺れていた」
メロウが眉を寄せた。
「では、床が崩れるのは侵入者を殺すための罠ではなく……」
「防衛反応である可能性があります」
シャイニーさんの声が少しだけ強くなった。
「痛みに耐えている生き物へ、さらに強い刺激が加わればどうしますか。逃げるか、身を守るでしょう。あの子も同じなのかもしれません」
胸の奥が重くなった。
三回とも。
白蛇は私たちを攻撃しなかった。
ただティアラへ近づいたときに目を開いた。
床が崩れ、影が現れた。
私たちは全部、ティアラを守るための罠だと思っていた。
でも、もし違うなら。
「私たち……この子を苦しませてた?」
口にした途端、罪悪感が押し寄せた。
知らなかった。
それでも三回もやった。
ティアラが欲しくて。
火山へ戻りたくて。
白蛇が何を感じているかなんて考えていなかった。
「我が主」
シャイニーさんが私の前へ来た。
「知らなかったことを悔いるだけでは、この子は救えません」
責める声ではなかった。
むしろ、私が自分を責め始めたことを見抜いたような優しい声だった。
「あなたは今、気づきました。ならば、ここから選ぶことができます」
「選ぶ?」
「ティアラを得ることだけを望むのか。それとも、目の前で苦しむ小さな命を救う道を探すのか」
私は台座を見た。
《氷結のティアラ》。
火山へ戻るために必要かもしれないもの。
あれを探すために、ここまで来た。
そのすぐ横に白蛇がいる。
小さな身体。
黒い傷。
目を閉じ、身体を丸めている。
迷うと思った。
でも、迷わなかった。
「この子を助けたい」
言葉にしてから、自分でも分かった。
ティアラがいらないわけではない。
火山へも戻りたい。
あの溶岩の向こうへ進みたい。
でも、そのために目の前の子を苦しませていいとは思えなかった。
「ティアラはあとでいい。この子を助ける方法を探そう」
メリーがすぐ頷いた。
『私も!』
フランも短剣から手を離した。
「俺も賛成。何回やっても取れなかったのは、そもそも取り方が間違ってたのかもしれない」
リリィも白蛇を見る。
「少なくとも、傷ついてるって分かったのに同じことを続ける理由はないよ」
ロロットは少しだけティアラを見た。
三度も取りに行った本人だから、悔しさは一番大きいはずだ。
それでも最後には大きく息を吐き、頭を掻いた。
「俺もいい。四回目にまた走れって言われても、正直もう嫌だからな」
「怖かった?」
「怖えよ! 床落ちるんだぞ!」
みんなが少し笑った。
メロウだけは白蛇を真剣に観察している。
「治療じゃな」
「できる?」
私が尋ねる。
メロウは鳥の杖を握り直した。
「試せることはある。わしの《アース・ヒール》は肉体の傷や衰弱に働きかける。あの黒いものが何なのかは分からんが、まず状態を見ねば始まらん」
「でも魔法を使ったら反応するよ」
「そこが問題じゃ」
メロウは円形の足場を見る。
中央へ魔力を通せば床の溝が光る。
下手に治療魔法を撃てば、また白蛇を刺激してしまうかもしれない。
シャイニーさんが静かに言った。
「私が力を抑えます」
「できるの?」
「完全に防げるとは申しません。しかし、あの子へ直接強い力を流し込むのではなく、まず私の水で周囲を包み、外から伝わる刺激を和らげます。そのうえで、必要最小限の癒やしを試すのです」
メロウが考え込む。
「なるほど。治療魔法を直接ぶつけるよりはよいかもしれん」
「ただし」
シャイニーさんの表情が厳しくなった。
「少しでもあの子が苦しむようなら、すぐに止めてください」
「もちろんじゃ」
私は二人を見る。
「私にできることは?」
シャイニーさんは少し考えた。
そして微笑んだ。
「見ていてください」
「それだけ?」
「大切なことです。我が主。あの子が何を嫌がり、何に安心するのか、魔法を使う私たちより、あなたのほうが気づけることもあるでしょう」
私は白蛇を見た。
助けたい。
その気持ちだけで触りに行くのではなく、ちゃんと見る。
「分かった」
シャイニーさんが円の境界へ向き直った。
先ほどまでティアラを取るために呼んだ人魚の女王は、もうティアラを見ていなかった。
視線の先にいるのは、小さな白蛇だけ。
その瞳には、長い時を越えて再び出会った古い友の血筋を、今度こそ失いたくないという強い想いが宿っていた。
「待っていてください」
誰に言ったのか、すぐに分かった。
「今度は奪うためではありません。あなたを救うために、私たちはここにいます」
白蛇の青い目が、ゆっくりと開いた。




