第193話 最深部のティアラ
地下第三階へ続く階段は、これまで通ってきた二つの階層よりも長かった。
左右には青白く光る小さな花のようなものが点々と生えており、その淡い光だけで足元を見ることができる。近くで確認すると花弁に見えた部分まで薄い氷でできていて、中心に閉じ込められた小さな光が一定の間隔で明滅していた。
「本物の花じゃないんだ」
私は屈みそうになり、途中でやめた。
触らない。
地下第一階から何度も繰り返してきたことだ。
メロウも気になっているらしく、鳥の顔付きの杖を握りながら横目で見ている。
「調べたい?」
「……帰りにな」
「すごい。我慢した」
「お前さんはわしを何だと思っとるんじゃ!」
声が階段の奥へ反響した。
地下第二階で音を奪われたあとだから、自分たちの声が聞こえることが少し嬉しい。でも、響いた声が何度も下から返ってくると、そこに誰かがいるようにも聞こえた。
メリーは私の肩から階段の先を見つめたままだった。
「さっき言ってたの、まだ感じる?」
『うん』
いつもの元気な声より少し小さい。
『下にいる。動いてる感じはしないけど、いなくなってない』
「大きい?」
『分かんない。感じるのは小さい。でも……冷たいのは大きい』
意味は完全には分からなかった。
小さな何かがいる。
なのに、そこから感じる冷たさだけは広い。
昨日、大教会から盗まれた保管品が異常を起こしたときとも違うらしい。
「嫌な感じは?」
オラクルが尋ねた。
メリーは少し考えた。
『怖い。でも、昨日の箱みたいな怖さじゃない』
「なら、それ以上は近づいてから判断だな」
私たちは速度を落とした。
先頭はロロット。すぐ後ろでリリィが階段と壁を確認し、私はメリーと中央を歩く。フラン、メロウ、オラクルも離れすぎない距離で続いていた。
地下第二階で使った縄も、まだ外していない。
もう音は聞こえるし、氷壁に仲間の姿が何重にも映ることもなくなった。それでも、外す必要があると判断できるまでは残しておくことにした。
「前、明るくなってる」
フランが言った。
階段の終わりが近い。
青白い花の数が少しずつ増え、その先からもっと強い光が差し込んでいた。
ロロットが最後の数段を下り、そこで止まった。
「どうしたの?」
返事がない。
でも地下第二階とは違う。
聞こえていないのではなく、何かを見ている。
リリィもロロットの横まで進み、同じように足を止めた。
私も続いた。
そして、息を呑んだ。
「……すごい」
階段の先には、巨大な円形の空間が広がっていた。
天井は丸く湾曲し、巨大な氷のドームのようになっている。壁から床まで透明度の高い青い氷で覆われ、その内部を細い白銀の光が何本も走っていた。
地下なのに暗くない。
むしろ、これまで通ってきたどの場所より明るかった。
中央には円形の足場がある。
そこだけ床が一段高くなり、周囲には細い溝が何重にも刻まれていた。雪の結晶にも見えるし、大きな魔法陣にも見える。
そして、その中心。
氷で作られた台座の上に――それはあった。
「ティアラ……?」
誰かに聞いたわけではなかった。
透き通るような白銀の冠。
細い氷を編み上げたような形をしているのに、溶けたり欠けたりした様子はない。正面には大きな青い結晶が一つ嵌め込まれ、その周囲を小さな結晶が雪の結晶のように取り囲んでいた。
台座から離れているのに、冷気が頬へ届く。
メロウが一歩出そうとして、自分で止まった。
「……あれが《氷結のティアラ》かもしれん」
「分かるの?」
「グライツで見つけた古い記録にあった意匠と似とる。断定はまだできんが、少なくとも普通の装飾品ではなさそうじゃ」
胸が高鳴った。
火山の奥で溶岩の川に阻まれてから、ずっと探してきた。
あの熱を越えられるほど強い氷の力。
その手掛かりを求めてグライツで記録を調べ、スノーリアまで来た。
《聖なる白銀の鍵》を手に入れ、地下第一階と第二階を越え、ようやく最深部まで来た。
もし、あれが探していたものなら。
「取れたら、火山に戻れるかな」
私は小さく呟いた。
「待て」
オラクルの声がすぐ飛んでくる。
「分かってるよ。取りに行かない」
「ならいい」
以前ならもう数歩進んでいたかもしれない。
でも、ここまで何もなく置かれていることのほうがおかしい。
地下第一階には罠があった。
第二階は音と視界を狂わせた。
それを越えた最深部の中央に、目的らしいものがそのまま置かれている。
簡単に取れるとは思えなかった。
「まず周囲」
リリィが言った。
全員で入口付近からドームを観察する。
円形の空間には、中央の台座以外にもいくつか気になるものがあった。
壁際には古い石柱が六本。
それぞれの表面には、氷門でも見た細長い生き物の模様が刻まれている。床にある何重もの溝は石柱の根元まで続き、中央の台座と繋がっていた。
「床、全部仕掛けになってそう」
フランが言う。
「わしもそう思う」
メロウは杖を構えた。
「いつものように先へ力を掛けてみるぞい。全員、入口から出るでないぞ」
重力魔法が中央へ向かって伸びる。
まず一歩先。
何も起きない。
さらに奥。
変化なし。
円形の足場へ入る直前。
それでも何もない。
「罠ない?」
私が尋ねる。
「そう簡単に決めるでない」
メロウがさらに力を移動させる。
中央の台座まであと数歩。
その瞬間だった。
床へ刻まれていた溝の一本が青白く光った。
「止めて!」
メロウがすぐ魔法を解除する。
光も消えた。
全員が黙って床を見る。
「反応したね」
リリィがしゃがみ込む。
「重さじゃなくて、魔力に反応した可能性もある」
「なるほどのう」
メロウはもう一度、今度は少し離れた位置へ弱い重力魔法を掛けた。
反応なし。
中央へ近づける。
また溝が光った。
魔法を止めると消える。
「一定の範囲へ魔法が入ると反応する?」
フランが尋ねる。
「可能性はある。まだ二回じゃから確定はできんが」
私は台座を見る。
ティアラは変わらずそこにある。
「じゃあ魔法を使わず歩けばいい?」
「そう思わせる罠かもしれねえぞ」
オラクルが言う。
「一個分かっただけで正解だと思うな」
「分かってるって」
そう答えながら、もう一度ドーム全体を見る。
そこで初めて気づいた。
台座の横。
少し離れた場所に、白いものがある。
最初は氷の塊だと思った。
周囲が全部白と青だから、完全に景色へ溶け込んでいた。
でも、形がおかしい。
細長い。
少し曲がっている。
「ねえ」
私は目を細めた。
「台座の横、何かいない?」
全員の視線が集まる。
リリィが最初に見つけた。
「いる」
フランも気づく。
「蛇……?」
小さかった。
氷門へ刻まれていた巨大な蛇の模様とは比べものにならない。
腕に乗せられそうなくらいの、小さな白蛇。
純白の身体を丸め、台座の少し横でじっとしている。
動かない。
でも死んではいない。
ときどき身体が僅かに上下している。
呼吸している。
「メリーが感じてたの、あの子?」
『たぶん』
メリーが私の肩から白蛇を見つめる。
『あの子からする』
「冷たい感じ?」
『うん。でも……』
メリーはそこで黙った。
「どうしたの?」
『分かんない』
珍しく、本当に困った顔をしている。
『あの子が冷たいのか、あの子の周りが冷たいのか、混ざってて分かんない』
私は白蛇を見る。
向こうも私たちに気づいているのだろうか。
目を閉じているように見える。
襲ってくる様子はない。
ティアラを守っている?
そう考えた。
台座のすぐ近くにいる。
この最深部にいる生き物。
何か関係があってもおかしくない。
「近づくなよ」
オラクルが言う。
「分かってる」
「特に蛇にもな」
「何で?」
「正体不明だからだ。可愛いとか小さいとかで近づくな」
言われて黙った。
ちょっとだけ、近くで見たいと思っていた。
「……分かった」
リリィが私を見る。
「今、図星だったでしょ」
「違うよ」
「間があった」
「ちゃんと行かないって言ったじゃん!」
白蛇はそんな私たちの会話にも反応しなかった。
まずはティアラ。
そして、この部屋の仕掛け。
白蛇の正体を考えるのは、それからでも遅くない。
メロウが別の角度から魔法を試す。
今度は重力そのものを台座へ近づけず、床の外側だけへ掛ける。
反応なし。
中央へ近づけると、やっぱり溝が光る。
「範囲はだいたい分かってきたぞい」
メロウが床を指した。
「中央の円。あの内側へ魔法を通すと反応する可能性が高い」
「反応したら何が起こるの?」
「まだ分からん」
それが一番怖い。
今は光るだけ。
でも、その先があるはずだ。
ロロットが腕を組んだ。
「だったら俺が行くか?」
全員が見る。
「魔法使わねえし、走って取って戻るだけなら俺が一番速い」
筋は通っている。
ロロットは身体能力が高い。
大剣を置いていけばさらに動きやすい。
「でも最初からティアラまで行くのは危なくない?」
私が言う。
「ああ。だから最初は円の中へ一歩だけ入る」
ロロットも無茶をするつもりではなかった。
オラクルが少し考える。
「悪くねえ。ただし、一歩入って何か起きたら即戻れ。ティアラが見えてても進むな」
「分かってる」
ロロットが背中の大剣を下ろした。
身軽になる。
リリィが床を確認する。
メロウも魔法を解除した。
全員が入口付近へ下がる。
「行くぞ」
ロロットが円形の足場へ近づいた。
境界の直前で止まる。
片足を出す。
氷床へ置く。
何も起きない。
もう片方は外。
数秒待つ。
変化なし。
「大丈夫そうだ」
ロロットが振り返る。
「まだ一歩だけね」
私が言う。
「分かってるって」
今度は身体全体を円の内側へ入れる。
床の溝は光らない。
魔法に反応するという予想は、かなり当たっていそうだった。
ロロットがもう一歩進む。
何もない。
さらに一歩。
台座まで、まだ距離がある。
白蛇も動かない。
「行けるか?」
フランが呟く。
ロロットが少しずつ進む。
半分。
もう少し。
床は静かなまま。
「本当に魔法だけ?」
私も期待し始めた。
そのときだった。
白蛇が目を開いた。
青い。
氷よりも淡い青色の目。
ロロットを見る。
でも、襲わない。
威嚇もしない。
ただ見ている。
ロロットも気づいた。
一瞬だけ足を止める。
「戻る?」
私が尋ねる。
ロロットは白蛇を見たまま、首を横へ振った。
まだ何も起きていない。
もう一歩。
台座まであと数歩。
ティアラが近い。
青い結晶の光がロロットの顔へ反射している。
「届くぞ」
ロロットが手を伸ばす。
私は無意識に息を止めた。
あと少し。
指先がティアラへ触れる。
その瞬間。
床の溝がすべて青白く輝いた。
「ロロット、戻って!」
私が叫ぶ。
ロロットもすぐ手を引いた。
でも遅かった。
台座の周囲から、冷気が爆発するように広がった。
同時に、ロロットの足元の氷が透明になった。
その下。
何かがいる。
黒い影。
「下!」
ロロットが跳ぶ。
直後、透明な床の中から腕が伸びた。
氷をすり抜けるように現れたその腕は、ロロットと同じ手袋を着けていた。
「また俺かよ!」
床から現れたのは、ロロット自身だった。
地下第一階で戦った鏡像と同じ顔。
同じ身体。
ただし今度は、鏡からではなく氷床の下から這い出してくる。
さらに嫌な音がした。
ミシッ。
「床!」
リリィが叫ぶ。
円形の足場へ亀裂が走っていた。
一本。
二本。
中央から外側へ。
「戻れ!」
オラクルの声が響く。
ロロットはティアラを見た。
ほんの一瞬。
手を伸ばせば届く距離。
でも、すぐ背を向けた。
「分かってる!」
ティアラを捨て、こちらへ走る。
鏡像のロロットが追う。
本物が一歩進むたび、床の亀裂が増える。
台座の周囲から氷が崩れ始めた。
「あと少し!」
フランが入口から手を伸ばす。
ロロットが円の境界へ飛ぶ。
鏡像も追って跳んだ。
本物の手をフランが掴む。
その瞬間、中央の床が大きく崩れた。
「引け!」
フランと私、リリィまで加わってロロットの腕を引いた。
ロロット自身も残った足場を強く蹴り、円形の足場から身体を投げ出すように跳ぶ。その背後では鏡像がほとんど同じ動きで追いすがり、さらに中央から広がった亀裂が、台座を囲む床を次々と割っていた。
「もう少し!」
ロロットの上半身が境界を越える。
フランが腕を引き、私は厚い外套を掴んだ。リリィも腰へ手を回し、三人で一気に引き寄せる。
次の瞬間、ロロットの足元に残っていた氷が崩れた。
身体が沈みかける。
「うおっ!」
「離さないで!」
私たちはそのまま後ろへ倒れ込んだ。
ロロットの身体も引きずられるように円の外へ滑り出し、最後には全員が折り重なって床へ転がった。
「重い!」
「助けてもらって最初にそれ言うのかよ!」
「だって本当に重いんだもん!」
「大剣置いてきただろ!」
「本人が重いの!」
「喧嘩はあと!」
リリィに怒られた。
でも、その声を聞いたことでロロットが無事だと分かり、胸の奥に詰まっていた息がようやく抜けた。
すぐ身体を起こす。
「ロロット、怪我は?」
「ねえ。服が少し擦れただけだ」
ロロットは腕と脚を確認してから立ち上がった。
フランもすぐ右腕の状態を確かめ、リリィは私の右足まで見ている。
「私は大丈夫」
「まだ聞いてない」
「どうせ聞くでしょ?」
「聞くけど」
それなら先に答えて正解だったと思う。
オラクルの声が飛んできた。
「安心するのはまだ早え。中央見ろ」
私たちは一斉に振り返った。
円形の足場は、さっきまでとはまるで違う姿になっていた。
中央から放射状に亀裂が走り、何枚もの巨大な氷板へ分かれている。その隙間からは底の見えない暗闇が覗き、崩れた氷が次々と落ちていくのに、いつまで待っても底へぶつかる音が聞こえなかった。
台座だけが残っている。
《氷結のティアラ》も、その上から動いていない。
そして小さな白蛇も、台座のすぐ横にいた。
あれだけ床が崩れたのに逃げていない。
身体を丸めたまま、青い目でこちらを見ている。
その手前では、もう一人のロロットが立っていた。
「影、残ってる」
私が呟く。
鏡像のロロットは追ってこない。
円の境界ぎりぎりで止まり、本物のロロットを見ている。
「何で来ないんだ?」
ロロットが一歩前へ出ようとする。
「待って」
今度は自分で止まった。
「……いや、行かねえよ。確認しただけだ」
少し成長した。
口には出さなかった。
ロロットが怒りそうだから。
メロウが鳥の杖を構えた。
「試すぞい」
「何を?」
「影が円の外へ出られるかじゃ。直接攻撃はせん」
メロウは鏡像の少し手前へ重力を掛けた。
影が反応する。
本物のロロットと同じように大剣を構え、こちらを警戒した。
でも境界は越えない。
メロウが力を少しずらす。
影も位置を変える。
それでも円の内側だけ。
「出られない?」
フランが言う。
「あるいは、出る必要がないと判断しとるかじゃな。まだ決めつけんほうがよい」
メロウはすぐ魔法を解除した。
すると、床の溝が青白く光った。
「また!」
今度は何が起きるのか分かっている。
全員が円からさらに距離を取った。
光が台座へ集まる。
崩れた床の断面が白く輝き始めた。
「え?」
割れた氷が動いている。
落ちたはずの破片が戻ってくるのではない。
亀裂の内側から、新しい氷が生まれていた。
薄い膜のような氷が暗闇を覆い、それが何層も重なりながら厚くなっていく。
一本の亀裂が塞がる。
次。
また次。
ほんの少し前まで崩れ落ちていた床が、目の前で元の形へ戻っていった。
鏡像のロロットの身体も薄くなる。
足から光の粒へ変わり、腰、胸、最後には顔まで消えていく。
完全に消滅したとき、円形の足場は最初に見た状態へ戻っていた。
傷一つない。
台座。
ティアラ。
白蛇。
全部同じ。
「……戻った」
私は目の前の光景を見つめた。
「床まで?」
リリィが境界の外から確認する。
「さっきの亀裂がない」
フランも床を見る。
「落ちた氷が戻ったわけじゃないよね?」
「ああ」
メロウが興味深そうに目を細めた。
「新しく凍結したように見えた。しかし、それにしては復元が正確すぎる。溝の位置まで同じじゃ」
「リセット……?」
私が言う。
オラクルが頷いた。
「そう考えるのが自然だろうな。一定の条件を満たすと罠が動いて、最後には最初の状態へ戻る」
それなら、今起きたことを整理できる。
ロロットは魔法を使わず円へ入った。
途中までは何も起こらなかった。
ティアラへ触れた瞬間、床の溝が光った。
ロロットの鏡像が現れた。
同時に床が崩れ始めた。
ロロットが円の外へ逃げると、しばらくして足場も影も元へ戻った。
「ティアラに触ったのが始まり?」
私が聞く。
「可能性は高い」
リリィが答えた。
「少なくとも、ロロットが歩いて近づいている間は何も起きなかった。手がティアラに触れた直後に全部始まってる」
「じゃあ、掴んですぐ戻れば取れる?」
ロロットが言った。
私はティアラまでの距離を見る。
円の境界から台座まで、それなりに離れている。
ロロットだから短時間で近づけた。
でも、帰りは鏡像が追ってくる。
さらに床まで崩れる。
「さっきは触っただけで戻ったよね?」
「そうだな」
「今度は取って走る?」
「待て」
オラクルが止める。
「同じことやって結果だけ変わると思うな。まず何が失敗だったか考えろ」
ロロットも反論しなかった。
私は台座を見る。
ティアラ。
白蛇。
円形の足場。
鏡像。
崩れる床。
全部が一つの仕掛けなのだろうか。
「ねえ、メロウさん」
「何じゃ?」
「さっき魔法を近づけたときも床が光ったよね」
「うむ」
「でも崩れなかった」
「そうじゃな。あのときは光っただけで、わしが魔法を止めれば消えた」
「じゃあ、魔法に反応する仕掛けと、ティアラに触ったときの仕掛けは別?」
メロウは少し考えた。
「その可能性は高いのう。あるいは同じ仕掛けでも、反応の段階が違うのかもしれん。中央へ魔力が入れば警告、ティアラへ触れれば本格的に作動、といった具合にな」
なるほど。
一つ分かった。
でも、まだ取る方法は分からない。
「俺がもう一回行こうか?」
ロロットが言う。
オラクルはすぐ否定しなかった。
「同じやり方じゃ駄目だ。次に行くなら、一回目で分かったことを使う」
「影への対策?」
フランが尋ねる。
「ああ。それと床だ。ティアラに触れてから完全に崩れるまで時間があった。正確に測ってねえが、数秒で全部落ちたわけじゃない」
リリィが頷く。
「私も見てた。最初の亀裂が出てから、中央が大きく崩れるまで少し間があった」
ロロットが台座を見る。
「なら、取った瞬間に戻れば――」
「影が邪魔する」
私が言う。
「さっきはロロットさんと同じ速さだった」
「そうなんだよな」
本人と同じ身体能力を持つ影。
逃げるだけでは追いつかれる。
地下第一階では、本人と同じ力を持つ鏡像をシャイニーさんという《本人には含まれない力》で突破した。
でも、ここでは状況が違う。
鏡像は一人。
そして床そのものに時間制限がある。
「影を誰かが止めれば?」
フランが言った。
全員がフランを見る。
「ロロットがティアラを取る。影が出たら、俺たちの誰かが相手をする。その間にロロットだけ戻る」
「円の中へ入る必要があるぞ」
オラクルが言う。
「それに、二人目が入ったとき何が起きるか分からねえ」
「じゃあ外から?」
私は考える。
「フランの技って届かない?」
「短剣の攻撃は無理だね。光を飛ばす技なら届くかもしれないけど……」
メロウが首を横へ振った。
「魔法に反応する場所じゃ。外から力を入れた瞬間、別の仕掛けが動く可能性がある」
簡単ではない。
でも、それが少し楽しくもなってきた。
地下第一階と同じだ。
最初から答えが分かっているわけではない。
試して。
失敗して。
起きたことを覚えて。
次の方法を考える。
ただし、失敗してもいいという意味ではない。
一歩間違えば、本当に戻れなくなる。
「今日は何回まで試す?」
私が聞いた。
みんながこちらを見る。
「何で回数決めるんだ?」
ロロットが尋ねる。
「ずっと失敗してたら疲れるでしょ。疲れてるのに『次はいける』って続けたら危ないと思う」
オラクルが少し笑った。
「珍しくまともなこと言うな」
「珍しくいらない!」
でも、反対する人はいなかった。
メロウの魔力。
ロロットやフランの体力。
私たち全員の集中力。
迷宮から帰る分まで残しておかなければならない。
オラクルが決めた。
「あと二回。合計三回試して駄目なら、一度ここを出るか、少なくとも長く休む。その時点で判断する」
「分かった」
二回目の方法を考える。
ロロットがもう一度取りに行く。
でも今回は、触れる前に戻る道を確認する。
鏡像が出る位置も、さっきと同じとは限らない。
リリィが床の溝を観察し、フランが影の出現位置を警戒する。
私は全体を見る。
メロウは魔法を使わない。
オラクルが時間を数える。
「白蛇は?」
私が聞く。
みんなが台座の横を見る。
小さな白蛇は、また目を閉じていた。
さっきの騒ぎが嘘だったように、身体を丸めている。
「今のところ、直接何かした様子はない」
リリィが言う。
「ロロットが近づいたとき目を開けたくらい」
「ティアラの番人じゃないの?」
「可能性はある。でも、まだ分からない」
白蛇は襲ってこなかった。
ロロットの邪魔もしなかった。
ただ見ていた。
私は少し気になったけれど、今は答えを作らない。
「じゃあ二回目、行くぞ」
ロロットが大剣を置く。
さっきより身体を軽くするため、外套の留め具まで確認した。
フランが声を掛ける。
「無理だと思ったらティアラ捨てて戻って」
「分かってる」
「絶対ね」
今度は私も言う。
ロロットが笑った。
「お前ら、俺を何だと思ってんだよ」
「目の前に欲しいものがあると取りたくなる人」
「それお前だろ!」
否定できなかった。
少し笑ったあと、全員の表情が戻る。
二回目。
ロロットが円へ入った。
一歩。
二歩。
何も起きない。
さっきと同じ。
台座へ近づく。
白蛇が目を開いた。
やっぱりロロットを見る。
でも動かない。
あと三歩。
二歩。
一歩。
ロロットがティアラへ手を伸ばした。
「取るぞ!」
指が白銀の冠を掴む。
床の溝が一斉に光った。
今度はロロットも迷わない。
ティアラを台座から持ち上げる。
「取れた!」
私が叫んだ。
でも、その瞬間。
台座の反対側の床が盛り上がった。
影のロロットが現れる。
さっきより早い。
本物が振り返る前に、鏡像が大剣を振り抜いた。
「危ない!」
ロロットはティアラを抱えたまま身体を沈めた。
刃が頭上を通過する。
その直後、床へ最初の亀裂が走った。
「戻れ!」
オラクルが叫ぶ。
ロロットが走る。
ティアラを持っている。
あと半分。
鏡像が追う。
同じ速さ。
でも本物は片手にティアラを持っている。
その分だけ、大剣を持つ影より動きが悪い。
「追いつかれる!」
フランが叫んだ。
ロロットが一度だけ後ろを見る。
影の大剣が迫っていた。
避ければ時間を失う。
受ければティアラを落とすかもしれない。
そして足元の亀裂は、すでにロロットの前まで伸びている。
「ロロットさん、ティアラ捨てて!」
私は叫んだ。
ロロットが一瞬だけ顔を歪めた。
あと少し。
手を伸ばせば私たちまで届きそうな距離。
それでも。
「くそっ!」
ロロットは《氷結のティアラ》を手放した。




