第182話 白銀の国境
翌朝、宿場を出て北方街道を進み始めてから一時間もしないうちに、昨日まで地面の隅に残っているだけだった雪が、街道の両側を白く覆うようになった。
最初は踏まないよう避けて歩いていた私も、やがてそんなことはできなくなった。石畳の隙間まで薄い雪に埋まり、森の木々は枝の上に白いものを積もらせている。朝の光が差し込むたび、その表面が細かく輝いて見えた。
火山では、遠くを見るだけで空気が揺れていた。
岩は赤黒く、地面の割れ目から熱気が立ち上り、少し歩けば額に汗が滲んだ。それが今は、息を吐くたび白くなり、手袋をしていても指先へ冷たさが染み込んでくる。
同じ旅の続きなのに、世界そのものが入れ替わったみたいだった。
『フール! 雪!』
メリーが街道脇へ飛んでいく。
「昨日からあるじゃん」
『今日はいっぱい!』
確かに量は全然違う。
メリーは地面すれすれまで降りると、小さな両手で雪を掬おうとした。ところが指先が触れた瞬間、身体を大きく震わせて飛び上がる。
『冷たい!』
「雪だからね」
『こんなに冷たいって聞いてない!』
「リリィが昨日ずっと説明してたよ」
『聞くのと触るのは違うの!』
もっともらしいことを言いながら、メリーはまた雪へ近づいている。
今度は慎重に指先だけで触り、すぐ引っ込める。それを何度も繰り返している姿がおかしくて、私は笑いながら自分の帽子を直した。
《キジトラウサギ》を模した二本の長い耳も、今朝はきちんと立っている。
その少し先では、本物のキジトラウサギ族であるロロットの耳が風に揺れていた。
見比べていると、本人が振り返る。
「また見てるだろ」
「比べてただけ」
「何を?」
「耳」
ロロットは自分の耳へ触れ、それから私の帽子を見る。
「本物と飾りを比べるなよ」
「でも似てる」
「似せて作ってるんだから当たり前だ」
昨日から何度目か分からない会話だった。
ロロットは呆れながらも、本気で怒ってはいない。昨日出会ったばかりなのに、もう前から一緒に歩いていたような気がする。
「ロロットは寒くないの?」
私が聞くと、ロロットは軽装に近い自分の服を見る。
私たちは厚い外套に手袋、雪道用の靴まで履いている。それに比べると、ロロットの装備は明らかに薄い。
「このくらいなら平気」
「本当に?」
「スノーリア育ちだぞ。これで寒がってたら冬を越せない」
「じゃあ雪の上で寝られる?」
「それは寒い」
「寒いんじゃん」
「平気と何でもできるは違うだろ!」
隣を歩いていたフランが笑った。
ロロットと話していると、スノーリアが少しずつ《知らない国》ではなくなっていく。
雪深い土地。
教会。
白銀の鍵。
神の怒りを買ったとされる氷鏡の地下迷宮。
記録だけを読んでいたときには、どれも遠い昔話のように感じていた。
でもロロットにとっては故郷だ。
そこには普通に暮らしている人たちがいて、食べ物があり、家があり、子供のころから聞かされてきた話がある。
そのことに気づくと、私の中でスノーリアの形が少し変わった。
「ロロット」
「今度は何だ?」
「帰るの、楽しみ?」
質問すると、ロロットは少し意外そうな顔をした。
「まあな。しばらく帰ってなかったし」
「家族いる?」
その瞬間、オラクルがこちらを見た。
何かまずいことを聞いたのかと思ったけれど、ロロットは気にした様子もなく肩を竦める。
「いるよ。親もいるし、知り合いもいる。ただ、俺はずっと外を見たかったから冒険家になった」
「スノーリア嫌いだったの?」
「逆だな」
ロロットは前を向いたまま答えた。
「好きだったから、外がどうなってるのか知りたかった。ずっと雪の中にいると、雪がない国ってだけで気になるんだよ。砂しかない土地とか、一年中暖かい島とか、でっかい森の中に街がある国とかさ」
「火山は?」
「一回行った」
「どうだった?」
「二度と行きたくない」
「分かる!」
思わず大きな声が出た。
初めて意見が完全に一致した気がする。
「暑いよね!」
「暑い。剣まで熱くなる」
「水すぐなくなる!」
「足元ずっと熱い!」
「灰も入ってくる!」
「分かる!」
二人で盛り上がっていると、メロウが後ろから割り込んできた。
「火山には火山の良さがあるじゃろう!」
「メロウさんだけだよ、あそこで楽しそうだったの!」
「古い地層! 噴火で露出した遺構! 未知の坑道! あれほど研究者の心を刺激する場所が――」
「溶岩の川で止まったけどね」
私が言うと、メロウが黙った。
ロロットが首を傾げる。
「溶岩の川?」
そこで私は、自分たちがスノーリアを目指している理由をまだ詳しく話していなかったことを思い出した。
昨日、氷鏡の地下迷宮について尋ねたときも、オラクルは《探し物》としか説明していない。
私はオラクルを見る。
「話していい?」
オラクルは少し考えたあと、ロロットへ視線を移した。
「全部じゃなくていい。火山で何があったかくらいならな」
「分かった」
私は歩きながら、火山での出来事を話した。
古い記録を追って火山地帯へ向かったこと。坑道や崩れた道を越え、奥へ進んだこと。そして、ようやく辿り着いた先で巨大な溶岩の川に道を塞がれたこと。
向こう側にはさらに道が続いていた。
でも、今の私たちには渡れなかった。
「だから、溶岩を凍らせられるくらい強い氷の力を探してるの」
説明を聞き終えたロロットは、しばらく黙っていた。
「それで氷鏡の地下迷宮?」
「うん。昔から大きな凍結が何度も起きていて、巨大な蛇みたいな生き物の目撃もあるって分かったから」
ロロットの表情から笑みが消えた。
怖がっているというより、考えている。
「その蛇の話なら、俺も聞いたことある」
私は思わずロロットへ顔を向けた。
「本当に?」
「ああ。ただ、俺が直接見たわけじゃない。子供のころに聞いた話だ」
「どんな?」
「白い大蛇が氷山の中を動く、とか、一晩で湖が凍ったとか。話す奴によって内容が違うから、俺は昔話だと思ってた」
メロウがすぐ近づいてくる。
「年代は!?」
「知らないって!」
「誰から聞いた!」
「村の爺さんとか!」
「その爺さんはまだ生きとるか!?」
「知らない!」
「名前は!?」
「覚えてない!」
メロウの質問が止まらない。
ロロットが本気で困り始めたので、リリィがメロウのローブを後ろから引いた。
「落ち着いて。ロロットが逃げるよ」
「逃げん!」
「ちょっと逃げたい」
「ほら」
メロウは不満そうだったけれど、一度引き下がった。
私はロロットの話を頭の中で整理する。
白い大蛇。
一晩で凍る湖。
大規模凍結。
記録と似ている。
でも、同じ話が長い年月をかけて形を変えただけかもしれない。
「やっぱり行ってみないと分からないね」
私が言うと、ロロットが頷いた。
「ただし、本当に迷宮へ入るなら昨日話した鍵が必要だぞ」
《聖なる白銀の鍵》。
その名前を思い出しただけで、次の問題が頭へ浮かぶ。
鍵はスノーリアの教会が管理している。
しかも教会は氷鏡の地下迷宮を《神の怒りを買った禁忌の場所》として扱っている。
「教会の人、怒るかな」
「何て頼むつもりだ?」
ロロットに聞かれ、私は考えた。
「地下迷宮へ行きたいので鍵を貸してください」
「怒るかどうか以前に断られると思う」
「やっぱり?」
「もう少し考えろ」
オラクルにも言われた。
「じゃあ、どう言えばいいの?」
「言い方の問題じゃねえだろ。まず教会へ行って話を聞く。向こうが何を理由に禁じてるのかも知らねえ状態で交渉なんかできるか」
「なるほど」
「あと、いきなり《鍵を貸せ》から入るな」
「分かってるよ」
「本当か?」
「……たぶん」
「不安しかねえな」
ロロットが笑った。
「俺も一緒に行くよ。地元の人間がいたほうが、いきなり追い返されることはないと思う」
「本当!?」
思わずロロットの手を掴みそうになり、途中で止めた。
昨日、オラクルから《勝手に決める前に確認する》ことを褒められたばかりだ。
「……お願いしていい?」
言い直す。
ロロットは一瞬だけ驚いたあと、笑った。
「いいよ。俺も久しぶりに教会へ顔出すつもりだったし」
「ありがとう!」
また一つ、スノーリアへ着いてからの道が見えた。
昼を過ぎるころには、雪が街道そのものへ積もり始めた。
そこで一度足を止め、昨日買った雪道用の靴を本格的に使うことになった。靴底が雪を噛む感覚は普通の道とは違い、最初は歩幅をどう取ればいいのか分からない。
私は数歩進んだだけで身体が左右へ揺れた。
「歩きにくい」
リリィがすぐ隣へ来る。
「歩幅を少し小さくして。地面を蹴るより、真上から置く感じ」
「こう?」
「そう。急がない」
教えてもらいながら進むと、少しずつ慣れてきた。
フランは私より早く感覚を掴んだらしく、すでに普通に歩いている。メロウは意外にも安定していて、鳥の顔付きの杖を雪へ突きながら進んでいた。
問題はオラクルだった。
雪が深くなるほど、車椅子の車輪が沈みやすくなる。
「大丈夫?」
私が聞くと、オラクルは前輪を確認しながら顔をしかめた。
「まだな。この程度なら進める。ただ、もっと深くなったら考える必要がある」
ロロットが車椅子を見た。
「スノーリアまでずっとこれで来るつもりだったのか?」
「そのつもりだ」
「雪用の橇に変えられるぞ」
「橇?」
私とオラクルの声が重なった。
ロロットは道の先を指した。
「次の宿場に北方用の貸出所がある。車輪の下へ細い橇板を付けるやつもあるし、荷物運び用の雪橇も借りられる。ここから先なら使ったほうが楽だ」
オラクルが珍しくすぐに食いついた。
「料金は?」
「最初に聞くのそこ?」
「重要だろ」
「銀Bで借りられるはず。返却はスノーリア側の指定所でもできる」
「それなら見る価値あるな」
旅の準備をかなりしたつもりだった。
それでも現地へ近づけば、知らないことがいくらでも出てくる。
私はロロットを見る。
「一緒に来てもらってよかったね」
「まだ一日しか一緒にいないけどな」
「でも橇知らなかった」
「地元のことなら任せろ」
ロロットが胸を張った。
その背中では巨大な大剣が揺れている。
頼もしい。
そう思った直後、ロロットの足が雪に隠れていた窪みへ入った。
「うわっ!」
身体が前へ傾く。
大剣の重さまで加わり、そのまま頭から雪へ突っ込んだ。
全員が止まった。
長い耳だけが雪から出ている。
「……ロロット?」
返事がない。
メリーが近づく。
『生きてる?』
雪の中から声がした。
「生きてる……」
私は耐えられず笑った。
フランもリリィも笑い、メロウまで杖を突きながら肩を震わせている。
ロロットが雪から顔を出した。
「笑うな!」
「地元のことなら任せろって言った直後だったから!」
「窪みは地元でも見えない!」
「耳だけ出てた!」
『本物の耳、便利!』
「こういうためじゃない!」
さっきまで教会や迷宮について考えていた緊張が、一気に消えた。
私たちは笑いながらロロットを雪から引っ張り出し、再び北へ向かって歩き始めた。
やがて森が開けた。
その瞬間、私は言葉を失った。
目の前に広がっていたのは、今まで見たどの土地とも違う景色だった。
白い平原。
遠くまで続く雪。
その向こうには巨大な山々が連なり、頂上付近は雲の中へ消えている。山肌には青白い氷が何本もの筋を作り、ところどころ陽の光を反射していた。
そして山々のさらに手前、白い大地の奥に、細い塔のようなものがいくつも見えた。
「あれ……?」
私が目を凝らす。
ロロットが雪を払いながら隣へ立った。
「見えたな」
声が少しだけ変わった。
さっきまでの冒険家ではなく、故郷へ帰ってきた人の声だった。
「あれがスノーリア?」
私が尋ねると、ロロットは白い景色の向こうを見つめたまま頷いた。
「ああ。《スノーリア聖国》だ」
ロロットがそう告げた瞬間、胸の奥が大きく動いた。
火山で行く手を阻まれてから、ずっと探していた次の道がようやく目の前まで来たのだ。
白い平原の向こうには、雪と氷に包まれた街が広がっていた。遠くからでは一つ一つの建物まではよく分からないものの、白い屋根が幾重にも重なり、その間から細長い塔が何本も伸びている。周囲を囲む壁まで雪を被っているせいか、街全体が背後の山々から切り出されたように見えた。
そのさらに奥には、他の建物より高い尖塔が立っていた。
頂上近くには大きな十字の飾りらしいものがあり、陽の光を受けるたび白銀色に輝いている。
「ロロット、あの大きい塔は?」
私が指差すと、ロロットはすぐに答えた。
「教会だよ。俺たちが行くなら、まずあそこになる」
《教会》。
その言葉だけで、綺麗な景色を眺めていた気持ちが少し現実へ引き戻された。
あそこに《聖なる白銀の鍵》がある。
でも、鍵を借りれば終わりではない。
むしろ、そこからが最初の問題だった。
「ねえ、オラクル」
「何だ?」
「やっぱり最初から鍵を貸してくださいって言わないほうがいいよね」
「当たり前だ」
即答された。
「昨日から何度言わせる気だ。向こうにとっちゃ《氷鏡の地下迷宮》は禁忌なんだろ? 理由も聞かずに鍵だけ要求したら、追い返してくださいって頼みに行くようなもんだ」
「そこまで?」
「俺なら追い返す」
厳しい。
でも、今回はオラクルの言うことがよく分かった。
私たちにとって《氷鏡の地下迷宮》は、火山の先へ進むための手掛かりが眠っているかもしれない場所だ。しかしスノーリアで暮らす人たちにとっては、昔から《神の怒りを買った禁忌の場所》として伝えられてきた。
その違いを無視してはいけない。
リリィも遠くの教会を見ながら口を開いた。
「まず、どうして教会が迷宮を封じてるのか聞こうよ。ロロットが知ってるのは昔から伝わってる話までなんでしょ?」
「ああ。俺も子供のころは《近づくな》って教えられただけだからな。教会が持ってる記録まで見たことはない」
「なら、そこからだね」
リリィはそう言ってから私を見る。
「理由を聞いて、それでも行く必要があるなら、こっちの目的も説明する。鍵を借りられるか考えるのは、そのあとでいいと思う」
私は頷いた。
「火山のことも話す?」
「必要ならな」
オラクルが答える。
「俺たちは迷宮荒らしに来たわけじゃねえ。火山で道を塞がれて、その突破方法を探した結果、ここまで来た。その順番をちゃんと話したほうがいい」
メロウも珍しくすぐ同意した。
「それに、大規模凍結と巨大な蛇状生物の記録について教会側が何を知っとるかも重要じゃ。わしらがグライツで見つけた資料より古い記録が残っとる可能性もある」
メロウの目が少しずつ輝き始める。
私は念のため釘を刺した。
「勝手に教会の資料触っちゃ駄目だからね」
「分かっとる!」
「白銀の鍵も」
「分かっとる!」
「本当に?」
「なぜわしだけ信用がないんじゃ!」
ロロットが隣で笑う。
「教会の奥まで勝手に入ったら、本当に怒られるぞ」
「お主まで!」
「地元民の忠告だ」
「むう……」
メロウがようやく大人しくなった。
私たちは再び歩き始めた。
白い平原へ入ると、景色だけではなく音まで変わったように感じた。雪が足音を吸い込み、七人で歩いているのに街道は不思議なくらい静かだった。風が吹けば細かな雪が地面を滑るように流れ、遠くの山から冷たい空気が降りてくる。
火山では、どこにいても地面の奥から何かが動いているような気配があった。
ここには逆の怖さがある。
静かすぎる。
広い白の中へ自分たちだけが取り残されたような感覚。
私は無意識に歩幅を少し速めていた。
「急ぐと滑るよ」
リリィに言われ、慌てて速度を戻す。
「ごめん。街が見えたから、早く行きたくなって」
「逃げないよ」
「分かってるけど」
『私も早く行きたい!』
メリーはずっと前を見ている。
『あの塔、近くで見たい! あと雪いっぱい触りたい!』
「雪はもういっぱいあるじゃん」
『街の雪!』
「違うの?」
『たぶん!』
本人にも分からないらしい。
その横ではロロットが、さっきから何度も街を見ていた。
私は少しだけ歩調を合わせる。
「久しぶりなんだよね?」
「ああ」
「どれくらい?」
ロロットは少し考えた。
「結構長い。出たときは、こんなに長く帰らないつもりじゃなかったんだけどな。次の街まで行ったら面白そうな話を聞いて、その先へ行ったらまた別の場所が気になって……気づいたら随分遠くまで行ってた」
「分かる気がする」
私も両親を探すために旅を始めた。
それなのに途中で、三匹のゴブリンと出会い、オラクルやメリーと出会い、フランやリリィと出会った。幻獣種を追い、メロウを探し、火山へ行き、今は雪の中を歩いている。
最初から全部予定していたわけではない。
一つの出会いが次の場所へ繋がり、そこで見つけたものがまた別の目的を生む。
「冒険って、予定どおりにいかないね」
私が言うと、ロロットは笑った。
「予定どおりにいったら冒険じゃないだろ」
少し格好いい。
そう思った直後、ロロットの足が雪に滑った。
「うわっ!」
今度は転ばなかった。
大剣を地面へ突き立てて踏ん張る。
私は思わず笑った。
「今の言葉、格好よかったのに」
「雪が悪い!」
「地元なんでしょ?」
「地元でも滑るものは滑る!」
台無しだった。
でも、そのほうがロロットらしい気もした。
そこからしばらく進むと、白い平原の途中に石造りの門が見えてきた。
街を囲む城壁とは別のものらしく、街道を跨ぐように二本の白い柱が立ち、その上を銀色の装飾が繋いでいる。柱には雪の結晶と十字を組み合わせたような紋章が刻まれ、門の両側には白い外套を着た兵士が立っていた。
「国境?」
私が尋ねる。
「スノーリアの外門だ。ここから先は聖国領になる」
ロロットの声を聞き、自然と背筋が伸びた。
門へ近づくと、兵士の一人がこちらへ歩いてきた。最初は私たち全員を確認していたけれど、ロロットを見つけた瞬間に表情が変わる。
「……ロロット?」
ロロットの耳が立った。
「久しぶり」
「本当にロロットか!?」
兵士が駆け寄ってくる。
私は驚いて一歩下がった。
兵士はロロットの肩を掴み、顔をじっと確認したあと、大きく息を吐いた。
「何年帰らないつもりだったんだ。お前の親、ずっと心配してたぞ」
「分かってるって」
「分かってる奴は連絡くらい寄越す!」
「途中で送った!」
「最後に届いたのいつだと思ってる!」
ロロットが怒られている。
さっきまで頼もしい案内役だったのに、急に帰省した子供みたいになった。
私はフランへ小声で聞く。
「助ける?」
「家族みたいな話だから、今はやめといたほうがいいんじゃない?」
「そうだね」
ロロットはこちらを振り返った。
「見てないで助けろよ!」
「無理だよ!」
兵士もようやく私たちへ気づいた。
「連れか?」
「街道で会った。スノーリアへ用があるらしいから案内してる」
兵士の視線が一人ずつ私たちを通る。
オラクルの車椅子。
メリー。
フランとリリィ。
派手なメロウ。
そして最後に私の頭で止まった。
長い沈黙。
「……その帽子」
嫌な予感がした。
「観光客向けです」
ロロットが先に言った。
「言わなくていい!」
兵士が笑いを堪えている。
「似合ってるぞ」
「本当?」
「スノーリアへ来た旅人には人気だ」
「やっぱり観光客向けなんだ……」
昨日の店員はそこまで教えてくれなかった。
メリーは私の肩で楽しそうに笑っている。
兵士は簡単な入国目的を確認したあと、私たちを門の内側へ通してくれた。ロロットが一緒だったこともあり、手続きは思っていたより早く終わった。
白い門を越えた瞬間、私は思わず立ち止まりそうになった。
景色そのものは大きく変わっていない。
雪原も、白い山々も、冷たい風も同じだ。
それでも門を越えたことで、ここから先が本当に別の国なのだと感じた。
街道沿いには銀色の小さな標柱が等間隔に立ち、その一つ一つに教会と同じ十字の紋章が刻まれている。遠くに見える街の屋根にも同じ意匠があり、風に揺れる白い旗には銀色の雪の結晶が描かれていた。
《聖国》。
その名前が、ようやく景色と結びついた。
「ようこそ」
ロロットが私たちの前へ回り込んだ。
さっき兵士に怒られていたことなど忘れたように胸を張る。
「スノーリア聖国へ」
『着いたー!』
メリーが真っ先に飛び上がった。
私も嬉しくなった。
火山で一度道を失い、グライツの記録を調べ直し、メロウと相談して、旅費を作り、防寒装備を揃え、北方街道を歩いてきた。
ようやく着いた。
でも、ここが目的地ではない。
本当に行きたい場所は、この国のさらに奥にある。
私は遠くにそびえる教会の尖塔を見た。
「あそこへ行くんだよね」
ロロットも同じ方向を見る。
「ああ。ただ、今日は街まで入って宿を取ったほうがいい。教会へ行くなら明日の朝がいいと思う」
「何で?」
「話をするなら、落ち着いてる時間のほうがいい。それに、お前らが何を知りたいのかも整理しといたほうがいいだろ」
オラクルがすぐ頷いた。
「それがいいな。フール、今夜もう一回確認するぞ」
「何を?」
「教会で聞く順番だ。お前、放っといたら最初に『白銀の鍵貸してください』って言うだろ」
「言わないよ!」
全員の視線が集まった。
「……たぶん」
「ほらな」
笑われた。
でも、オラクルの言うとおりだった。
鍵だけが目的になってはいけない。
なぜ《氷鏡の地下迷宮》が禁忌なのか。
教会は何を知っているのか。
過去に何があったのか。
巨大な蛇状生物と大規模凍結について、何か記録が残っているのか。
それを聞いたうえで、私たちが火山で何を見て、なぜ迷宮へ行かなければならないのかを伝える。
それでも必要だと判断したら、そのとき初めて《聖なる白銀の鍵》を貸してほしいと頼む。
私は頭の中で順番を整理してから、もう一度教会を見た。
「まず、話を聞く」
「そうだ」
オラクルが答える。
「その次に、俺たちの事情を話す」
「うん」
「それで向こうが何を言うか聞く。鍵の話は最後だ」
「分かった」
今度は迷わず答えられた。
メロウも鳥の顔が付いた杖を握り直す。
「わしは迷宮の古い記録について聞きたいのう。教会が禁忌と呼ぶ以上、何か根拠となる記録があるはずじゃ」
「勝手に奥へ入らないでね」
リリィが念を押す。
「入らん!」
「鍵触らないでね」
私も続ける。
「触らん!」
ロロットが笑った。
「本当に大丈夫か、この爺さん」
「大丈夫じゃ!」
大丈夫かどうかは、まだ少し不安だった。
それでも、七人で笑いながら街へ向かって歩き始める。
白い屋根が少しずつ大きくなり、教会の尖塔も近づいてくる。その向こうには、さらに巨大な氷山が青白くそびえていた。
あの山々のどこかに《永久凍土の氷門》がある。
その扉の向こうに《氷鏡の地下迷宮》がある。
そして、そこへ入るために必要な《聖なる白銀の鍵》は、今目の前に見えている教会の奥で守られている。
火山で途切れた道は、ようやくここまで繋がった。
けれど、鍵を手に入れるために私たちが最初にしなければならないのは、扉を開けることでも、教会を説得することでもない。
この国が、どうして何百年もの間《氷鏡の地下迷宮》を閉ざし続けてきたのか。
まず、その理由を知ることだった。




