第180話 北へ向かう六人
翌朝、街を出た私たちの荷物は、火山へ向かったときとはすっかり変わっていた。
灰除け布や余った固定具は昨日のうちに売り、その代わりに厚い外套や手袋、雪道用の靴、首元を覆う布、それに北方街道を進むための保存食が増えている。六人分ともなればかなりの量だったけれど、自分たちで不要な物を売って作ったBで揃えた装備だと思うと、背中へ掛かる重さも少しだけ違って感じられた。
火山での探索は、まだ終わっていない。
あの巨大な溶岩の川の向こうには、確かに道が続いていた。私たちはそこまで辿り着きながら、目の前を流れる熱を越える方法がなく、一度引き返すしかなかった。
悔しくなかったと言えば嘘になる。それでも、何も分からないまま帰ってきたわけではない。あの場所を突破するには、溶岩を凍らせられるほど強力な氷の力が必要で、その可能性を古い記録から追った結果、《スノーリア聖国》と《氷鏡の地下迷宮》という次の目的地へ辿り着いた。
複数の年代に残された大規模凍結の記録と、その中心付近で目撃されている巨大な蛇状生物。
それが幻獣種なのかは、まだ分からない。
本当に火山の溶岩を凍らせられるのかも分からない。
それでも、今ある手掛かりの中では最も調べる価値がある場所だった。
「フール、帽子は?」
先頭を進んでいたオラクルに聞かれ、私は頭へ手を伸ばした。
何もない。
「あっ、忘れた!」
『ええっ!?』
肩の近くを飛んでいたメリーの声が私以上に大きかったので、本当に宿へ置いてきたのかと思った。慌てて振り返ると、リリィが私の鞄を指差しながら笑っている。
「そこにあるよ。昨日、自分で付けてたでしょ」
鞄の横では、灰色と茶色の縞模様をした二本の長い耳が歩くたびに揺れていた。
昨日買った《キジトラウサギ》の防寒帽子だ。
「なんだ、ちゃんとあるじゃん」
『被ろう!』
「まだそんなに寒くないよ。北へ行ってからでいいでしょ」
メリーは残念そうに長い耳を引っ張ったけれど、今朝は防寒帽子が必要なほど寒くない。私がそう説明していると、後ろを歩いていたメロウが自分のタヌキ顔付きフードを得意そうに持ち上げた。
「ようやくフールも、旅人には一目で分かる特徴が必要だと理解したようじゃな」
「メロウさんみたいになりたくて買ったんじゃないよ!」
「照れるでない。タヌキとウサギ、なかなかよい組み合わせではないか」
「勝手に組み合わせないで!」
そう言い返したところで、メロウが握っている派手な杖が目に入った。先端には相変わらず鳥の顔が付いている。
昨日、道具屋で赤B三枚という冗談の査定を付けられた杖。
思い出しただけで口元が緩んだらしく、メロウがすぐにこちらを睨んだ。
「今、わしの杖の値段を思い出したじゃろ」
「思い出してないよ」
「顔が笑っとる!」
「赤B三枚」
フランが何気なく呟いたせいで、とうとう我慢できなくなった。
「フランまで言うな!」
メロウの大声に、リリィもメリーも笑い出す。オラクルまでタバコを咥えたまま口元を緩めていた。
火山へ入っていた数日間とは、ずいぶん違う。
あの場所では地震や落石を警戒し、崩れた道を越え、最後には巨大な溶岩の川に行く手を阻まれた。緊張する時間が長かったからこそ、こうして普通の街道を六人で歩きながら笑えることが、今は妙にありがたかった。
街から離れるにつれ、周囲には広い草原と畑が増えていった。火山地帯でまとわりついていた灰の臭いはもう完全に消え、風の中には土と草の匂いが混じっている。道を行き交う荷馬車も多く、荷台には食料や布、木材のほか、北方へ運ぶらしい厚手の衣服や毛皮が積まれていた。
北へ向かう旅人たちの姿にも、少しずつ特徴が出ている。
厚い外套を荷物へ括り付けた冒険者や、雪道用らしい幅の広い靴を何足も運ぶ商人。その中には、動物や魔物を模した模様を服や荷車へ描いている人もいた。
一台の荷馬車とすれ違ったとき、私は思わず足を緩めた。
荷台の側面に描かれていたのは、灰色と茶色の縞模様を持つ、小さな動物だった。長い二本の耳まで付いている。
「キジトラウサギ……?」
私が呟くと、リリィも振り返った。
「昨日の帽子とそっくりだったね」
私は鞄の横で揺れている二本の耳を見る。店員から北方で衣服や小物の意匠に使われると聞いていたけれど、本当に土地へ根付いているものらしい。
「メロウさん、本物を見たことある?」
「昔、北方を調査したときに遠目でな。見た目だけなら可愛らしいが、北方に棲むものを何でも愛玩動物だと思わんほうがよいぞ。寒冷地で生き残っとる時点で、それなりの理由がある」
『強いの?』
メリーが興味津々で聞く。
「個体による。生き物なんぞ、全部同じ性格で同じ強さなら研究者も冒険者も苦労せん」
もっと詳しく聞きたかったけれど、メロウ自身も遠くから見ただけらしい。私は鞄の耳を一度触り、それ以上は考えなかった。
今の私にとって《キジトラウサギ》は、まだ昨日買った帽子の模様になっている北方の生き物でしかない。
昼前になると、街道は大きな分岐へ差しかかった。
中央に立つ石造りの道標にはいくつもの地名が刻まれていたが、東へ続く道と比べて北側へ向かう行き先は少ない。
その中に、目的の文字を見つけた。
《北方街道》
そして、その下に、
《スノーリア聖国方面》
と刻まれている。
「こっちだな」
オラクルが地図と道標を照らし合わせた。
「ここから北方街道へ入る。今日中に次の宿場まで進んで、明日以降は天候を見ながら距離を決めるぞ。雪国へ近づいたら、予定どおり進めると思わねえほうがいい」
私は道標の向こうへ伸びる道を眺めた。
まだ雪は見えない。
それでも《スノーリア聖国》という文字を実際に目にすると、火山で立てた次の目標が急に現実になったような気がした。
「寒いの嫌だなあ……」
思わず本音が漏れる。
リリィが呆れたようにこちらを見る。
「昨日はあんなに楽しみにしてたのに?」
「雪を見るのは楽しみ。でも寒いのは別だよ」
『私は雪楽しみ! ふわふわなんでしょ?』
メリーが両腕を広げると、雪山を歩いた経験があるらしいリリィが苦笑した。
「最初は楽しいよ。でも踏み固められた雪は滑るし、吹雪になれば前も見えない。それに靴の中へ雪が入ると最悪」
聞けば聞くほど、私の中にあった綺麗な雪国が大変な場所へ変わっていく。
「帰ろうかな」
「まだ雪すら見てないよ」
フランに笑われた。
「でもフール、火山へ向かったときも暑いの嫌だって言ってたよね」
「あれは本当に暑かったじゃん!」
「スノーリアは本当に寒いと思うよ」
「どっちも嫌!」
『じゃあ春の国に幻獣種がいればよかったね』
メリーが真剣な顔で言うので、また笑ってしまった。
行きたい場所を選ぶことはできても、そこが自分の好きな気候とは限らない。それでも必要なら行くしかない。それも旅なのだろう。
北方街道へ入ってしばらくすると、景色はゆっくりと変わり始めた。
広がっていた農地が少なくなり、道の両側には背の高い針葉樹が増えていく。風も、それまで頬を撫でていたものから少しずつ冷たさを帯びるようになった。まだ外套を着込むほどではないものの、日陰へ入ると腕を擦りたくなる程度には気温が下がっている。
火山では、一歩進むたびに熱くなった。
今度は逆だ。
北へ進むほど、世界から少しずつ熱が抜けていく。
その変化を感じた瞬間、胸の奥へ別の気持ちが浮かんだ。
もし、スノーリアまで行って何も見つからなかったら。
《氷鏡の地下迷宮》に残された大規模凍結の記録も、巨大な蛇状生物の目撃も、私たちが求めている幻獣種とは関係なかったら。
火山へ戻る方法は、また分からなくなる。
私は無意識に《聖なるマップ》が入った鞄へ触れていた。
「フール、また考えてる?」
リリィに気づかれた。
「うん。スノーリアへ行っても、何も見つからなかったらどうしようって」
少し前を歩いていたメロウが足を緩め、私たちと並んだ。
「何も見つからん可能性はあるぞ」
「そこは大丈夫って言ってよ!」
「嘘を言ってどうする。わしらが持っとるのは、複数年代の凍結記録と巨大な蛇状生物の目撃、それから《氷鏡の地下迷宮》という場所じゃ。そこから先は、実際に調べねば分からん」
分かっていたことなのに、改めて言われると少し不安になる。
けれどメロウは、そこで話を終えなかった。
「じゃが、火山へ向かったときも同じじゃったろう。行く前から答えが分かっとったわけではない。それでも実際に歩いたからこそ、溶岩の向こうへ道が続いとることも、今のわしらでは越えられんことも分かった」
オラクルも前を向いたまま続ける。
「外れだったら次を探す。それだけだ。最初から正解だけ選べるなら、冒険なんぞ必要ねえよ」
私は二人の言葉を聞きながら、火山の奥で見た光景を思い出した。
赤く流れる溶岩。
その向こうへ続く道。
届かなかった場所。
あのときは悔しかった。
でも、行かなければ《氷の力が必要》ということさえ分からなかった。
「そっか」
少しだけ肩の力が抜けた。
「外れても、何も残らないわけじゃないんだね」
「そういうことじゃ」
メロウが鳥の顔付きの杖を肩へ乗せる。
「研究なんぞ外れの山じゃぞ。十回調べて一回当たれば、その一回のために九回分の紙が増える」
「それ嬉しいの?」
「最高じゃ」
「やっぱり変な学者だ」
「今さら気づいたのか!」
メリーが笑いながらメロウのタヌキ顔付きフードの周りを飛び、フランとリリィも笑う。
私も笑った。
不安が消えたわけではない。
それでも、不安があるから進めないわけでもない。
夕方が近づくにつれて、空には薄い雲が増えていった。
道の脇には、北方街道を行き来する旅人向けの注意板も見かけるようになる。《防寒具を携帯すること》《吹雪時は無理に進まないこと》《次の宿場以降、夜間の単独移動禁止》。
最後の一文だけが少し気になった。
「夜は何か出るの?」
リリィも同じところを見ていた。
メロウは注意板を確認してから首を傾げる。
「北方は魔物もおるし、天候も急変する。特定の何かを指しとるとは限らんのう」
「じゃあ今は決めない」
私が言うと、オラクルがこちらを見た。
「今日はやけに聞き分けいいな」
「またそれ!」
「成長したね」
フランまで乗ってくる。
『フール、ちょっと大人!』
「昨日からみんなそればっかり!」
六人の声が、静かになり始めた北方街道へ響いた。
やがて前方の森が途切れ、その先に小さな宿場の屋根が見えてきた。今日はあそこで一泊する予定だ。
そのさらに遠くには、雲に隠れた山並みが薄く見えている。
あの向こうが、スノーリアなのだろうか。
私は鞄の横で揺れている《キジトラウサギ》の長い耳を一度だけ握った。
まだ雪はない。
氷鏡の地下迷宮も見えない。
巨大な蛇状生物が本当にいるのかさえ分からない。
それでも、火山で途切れた道の続きを探すための旅は、もう始まっている。
そして私たちはまだ知らなかった。
北方街道をもう少し進んだ先で、この帽子とよく似た長い耳を持ちながら、私の想像とはまるで違う姿で大剣を背負った一人の冒険家と出会うことを。




