第179話 考古学者の杖、赤B三枚
翌日の昼過ぎ、私たちは久しぶりに大きな街へ入った。
火山から離れるにつれて赤黒かった地面には草が増え、空気に混じっていた灰の臭いもすっかり薄くなっていた。何日も噴煙と熱気に囲まれていたせいか、石畳の大通りを荷馬車が走り、道の両側に食堂や道具屋が並んでいるだけで妙に安心する。
そして何より、街には食べ物の匂いがあった。串に刺した肉を焼く香ばしい匂いに、鉄板で焼かれている薄いパン。砂糖を絡めた木の実らしきものまで売られている。
『フール、あれ!』
肩にいたメリーが屋台を指した。
「見えてる」
『美味しそう!』
「分かってる」
『買おう!』
「分かって――それは駄目!」
危なかった。
オラクルが横から冷たい目で見ている。
「今、普通に買おうとしただろ」
「してないよ」
「財布出そうとしてたぞ」
「確認しただけ」
「何をだ」
「……入ってるか」
『私も食べたい』
「メリーまで煽るな」
オラクルが頭を押さえ、リリィは笑いながら私とメリーを屋台から遠ざけた。
「先にBを作ろう。食べるなら、そのあと」
「一個くらい……」
「フール」
「はい」
諦めた。
今日の目的は買い食いではなく、スノーリア聖国へ向かうための旅費と装備代を作ることだった。
火山の麓で所持金を確認した結果、今のままでは六人分の防寒装備、雪道用の靴、保存食、宿代を十分に用意できない。そこで旅の途中で増えた物を整理し、今後使う予定のない素材や余った道具を売ることにした。
もちろん、《聖なるマップ》や《幻獣種召喚の本》のような大切な物は最初から売却候補に入れていない。これから必要になる可能性が高い物も残してある。
「まず道具屋だ」
オラクルが大通りの先を指した。
「素材と旅道具を分けて売る。面倒だからって最初の店で全部処分するなよ」
「誰に言ってるの?」
「お前」
即答された。
六人で最初の店へ入ると、扉の上に付いた小さな鐘が鳴った。
店内には縄、水筒、野営道具、金具、布、携帯用の魔法灯まで所狭しと並び、奥には中古品の棚もある。傷の付いた鍋や古い鞄まで積まれていた。
メロウが鍋を見る。
「ほう」
オラクルが即座に言った。
「買わねえぞ」
「まだ何も言っておらん!」
「顔に出てる」
「わしはフールではないぞ!」
「どういう意味!」
私が抗議したところで、店の奥から大きな眼鏡を掛けた中年の男性が出てきた。
「売りか?」
オラクルが袋をカウンターへ置く。
「こいつらを見てくれ」
中身を一つずつ並べた。
未使用の補修金具、余った革紐、火山用に多めに買った灰除け布、使わなかった固定具。そのほか、全員で《今後使う可能性が低い》と判断した旅用品だ。
店主は金具を手に取り、裏表だけでなく接合部分まで細かく確認した。
「未使用だな」
「買っただけで使ってない」
リリィが答える。
次に革紐を軽く引っ張り、傷や乾燥を確かめる。灰除け布は一部が中古扱いになったものの、洗ってあり破れもないので買い取ってもらえるらしい。
私はカウンターへ少し近づいた。
オラクルに額を押し戻される。
「邪魔」
「査定見たい」
「店主の手元へ顔突っ込むな」
店主が笑った。
「別に構わんぞ」
「ほら!」
「じゃあ俺が見えねえだろ」
結局、オラクルの横から見ることにした。
全部を確認し終えた店主が紙へ査定額を書き込む。
銀B二枚と赤B三十六枚。
私は数字を見て、それからオラクルを見る。
「……どう?」
「どうって何だ」
「高いのか安いのか考えてる」
「なら最初に買った額を覚えろ」
覚えていなかった。
「オラクルは?」
「覚えてる」
「すごい」
「普通だ」
私にとっては普通ではない。
オラクルは査定された品を一つずつ確認し、店主と交渉を始めた。
「この金具、もう少しいけるだろ」
「無理だな」
「未使用だぞ」
「店で新品として売れるわけじゃない」
「なら銀B三枚」
「上げすぎだ」
「銀B二枚と赤B六十枚」
「赤B四十枚」
二人の間を数字が飛び交う。
「喧嘩?」
フランが小声で聞いた。
「たぶん違う」
「二人とも楽しそうだよね」
確かに。
最終的には最初の査定より少しだけ高くなった。
「すごいね」
私が言うと、オラクルは受け取ったBを確認しながら答えた。
「少しでも増やしときゃ、六人分なら差が出る」
六人。
その言葉で、改めて人数が増えたことを感じる。
食費も六人。
宿代も六人。
装備も六人分。
メロウが増えたことで旅は賑やかになったけれど、お金も掛かる。
そこで私はメロウを見た。
メロウもこちらを見る。
「何じゃ」
「メロウさん、お金――」
「貸さんぞ」
早かった。
「まだ言ってない!」
「昨日聞いた!」
『ちょっとだけ!』
メリーが参加する。
「精霊に貸してどうやって返ってくるんじゃ!」
『フールが返す』
「何で私!?」
「元はお前さんじゃ!」
店主が私たちを見ながら笑っていた。
そのとき、私の視界へメロウの杖が入った。
鳥の顔が付いた派手な杖。
坑道で会ったときからずっと持っている。
私は少し考えた。
フランと目が合う。
「……何か考えてる?」
「別に」
「その顔、絶対ろくなことじゃない」
「失礼だな」
私はメロウへ近づいた。
「その杖、貸して」
「なぜじゃ」
「いいから」
「嫌な予感しかしないんじゃが」
それでも、まさか本当に売るとは思わなかったのだろう。メロウが杖を渡してきた。
近くで見ると、やっぱり派手だった。先端には鳥の顔が付き、柄にもいくつもの模様が刻まれている。長年使っているせいか細かな傷もあった。
私はそのままカウンターへ置いた。
「これもお願いします」
店内が静かになった。
「おい」
背後からメロウの低い声が聞こえた。
笑ってはいけない。
まだ早い。
店主は杖を見る。
私を見る。
メロウを見る。
もう一度杖へ視線を戻したところで、何かを理解したらしい。
「なるほど」
急に真剣な顔になった。
杖を両手で持ち上げ、先端の鳥を確認し、柄を裏返し、軽く振る。最後にはカウンターへ置き、少し離れた場所から全体まで眺め始めた。
「どう?」
私が尋ねる。
「かなり珍しい品だな」
「じゃろう!」
メロウがすぐ反応した。
「長年、わしと共に数々の遺跡を巡った特注品じゃ! この鳥の意匠にも意味が――」
店主が片手を上げた。
メロウが止まる。
店主は最後に鳥の顔を見つめ、重々しく告げた。
「赤B三枚」
一瞬、誰も喋らなかった。
「……赤B三枚?」
「そうだ」
店主は真顔だった。
「安っ!」
耐えられなかった。
フランは横を向いたものの、肩が震えている。リリィは口元を押さえているけれど完全に笑っていた。
メリーには遠慮がない。
『赤B三枚!』
「繰り返すでないッ!」
メロウの大声が店内へ響く。
「何じゃその査定は! この杖のどこを見ておった!」
店主は冷静だった。
「鳥がな」
「鳥が何じゃ!」
「好みが分かれる」
「そこが一番格好いいんじゃろうが!」
「派手すぎる」
「考古学者としての威厳じゃ!」
「中古だしな」
「長年大切に使った証拠じゃ!」
店主は少し考えた。
「なら赤B二枚」
「下がったぞ!?」
私はカウンターへ突っ伏した。
もう無理だった。
「メロウさん、早く売らないともっと下がるよ!」
「誰が売るか!」
メロウが杖を奪い返す。
店主が追い打ちを掛けた。
「今なら赤B一枚でも引き取るぞ」
「さらに下がった!?」
「処分費込みなら無料でも――」
「もうよい!」
怒って店を出ようとするメロウを、フランが笑いながら止める。
『メロウの杖、私のお菓子より安い?』
「言うな!」
「メリー、それは本当に怒るからやめよう」
そう言いながら、私も笑っていた。
オラクルまでタバコを咥えたまま肩を震わせている。
「爺さん、旅費が足りなくなったら杖売ろうぜ」
「お前まで言うな!」
とうとう店主も耐えられなくなり、カウンターの向こうで笑い始めた。
「悪い悪い。嬢ちゃんが面白そうな顔で持ってきたから乗った」
「最初から冗談!?」
「当たり前だ。まともな魔法杖を赤B三枚で買い取ったら、俺が詐欺師になる」
メロウが止まる。
「……なら本当はいくらじゃ」
「売る気あるのか?」
「ない!」
「なら査定しても意味ないだろ」
「気になるんじゃ!」
私は杖を抱え込むメロウを見た。
「売らない物の値段聞いてどうするの?」
「赤B三枚ではないと確認したい!」
店主は笑いながら首を振った。
「思い入れがある物は売らないほうがいい。値段を付けたところで、持ち主にとっての価値とは別物だからな」
急に少しいい話になった。
メロウも鳥の顔を撫でながら頷く。
「まあ、それはそうじゃな」
『じゃあ赤B四枚?』
「精霊ッ!」
全部壊れた。
店内がまた笑いに包まれた。
火山へ入ってから、こんなに全員で笑ったのは久しぶりだった。
地震。
落石。
崩れた道。
溶岩の川。
向こう側が見えているのに届かなかった悔しさ。
それらが消えたわけではない。
でも、ずっと緊張している必要もない。
次へ進むための準備をしながら、笑えるときには笑っていい。
店を出たあとも、メロウは杖を絶対に私へ渡してくれなかった。
「もう売らないって!」
「信用できん」
「冗談だよ!」
「店へ入るたび査定へ出されてたまるか!」
『次は銀Bまで上がるかな』
「メリーまで!」
フランとリリィがまた笑っている。
次に向かった素材店では、旅の途中で手に入れた不要素材を査定してもらった。こちらは道具より値段が良く、状態のいい素材もあったため、銀Bと赤Bを追加で得ることができた。
オラクルは受け取ったBをその場で数え、現在の所持金と合わせて確認する。
「これなら防寒具は揃えられる」
「本当?」
「ああ。ただし高級品は無理だ。必要な性能を優先する」
『耳付き帽子』
「性能に含まれねえ」
『耳が暖かい!』
「お前の耳どこなんだよ」
また始まった。
次に入った防寒具店には、厚い外套、毛皮の付いた靴、手袋、帽子、首を覆う布などが何列にも並んでいた。火山で使っていた薄手の装備とはまるで違う。
「暖かそう!」
私は外套を一枚手に取り、値札を見た。
静かに戻した。
「高い……」
「六人分だからな。一人だけ高いの買うなよ」
「見ただけ!」
フランは値段より先に動きやすさを確認していた。厚い外套を着た状態で腕を動かし、短剣を抜く動作まで試す。
「これだと袖が引っ掛かる」
店員が別の外套を持ってきた。
「こちらは冒険者向けです。肩周りが動かしやすくなっています」
今度は問題ない。
リリィは雪道での追跡を考えて、靴を重視していた。滑りにくい底を持つものを何足も履き比べている。
メロウはというと、外套の内側ばかり確認していた。
「ここは防水か?」
「ある程度は」
「紙を入れても折れんか?」
「通常の移動なら」
「内側へもう一つ袋を――」
「服買ってるんだよね?」
私が聞く。
「移動書庫を作っとるわけではないぞ」
「そう見える」
「資料を守るのも調査じゃ!」
そしてメリーは、帽子売り場から動かなくなった。
『これ!』
白くてふわふわした帽子。
左右に大きな耳のような飾りが付いている。
メリーが被ると、顔の半分近くまで埋まった。
「かわいい」
『これにする!』
オラクルが値札を確認した。
少し長い沈黙。
「……別のにしろ」
『何で!?』
「高い」
『耳付いてるよ!?』
「耳代に銀Bは出せねえ」
『必要なの!』
「何に!」
私も値札を見て、そっとメリーの肩へ手を置いた。
「もっと安くて暖かいの探そう」
『耳……』
まるで大事な仲間と別れるような顔をされた。
そのとき、別の棚を見ていたリリィが私たちを呼んだ。
「こっちは?」
防寒帽子が何種類も並んでいる棚だった。
その中に、一つだけ変わったものがある。
灰色と茶色が入り混じった縞模様で、頭頂部には二本の長い耳が付き、耳の内側だけ色が薄い。額の部分には小さな白い模様まで入っていた。
「ウサギ?」
私が手に取ると、見た目よりずっと柔らかかった。内側には厚い布が使われ、頭だけではなく耳の周りまで覆えるようになっている。
店員が答えた。
「《キジトラウサギ》を模した防寒帽ですね。北方に生息する小型の魔物で、スノーリア方面では昔から衣服や小物の意匠に使われることがあります」
「キジトラウサギ……」
初めて聞く名前だった。
メリーも白い帽子を脱いで飛んでくる。
『見せて!』
「はい」
メリーが帽子の周りを一周した。
『縞々!』
「本当だね」
『耳長い!』
「ウサギだからじゃない?」
『フール被って』
「何で私?」
『いいから!』
さっきメロウが私に言われていたのと似ている。
少し嫌な予感がしたものの、帽子を被るだけなら問題ない。
頭へ乗せる。
二本の長い耳が立った。
帽子の下から、私の赤いツインテールが左右へ出る。
鏡を見る前に、周囲が静かになった。
「……何?」
フランが口元を押さえている。
「笑ってる?」
「笑ってない」
「絶対笑ってる!」
「いや、似合ってるよ」
「その言い方が怪しい!」
リリィはもっと素直だった。
「可愛いよ。でも、すごく目立つ」
「やっぱり!」
私は鏡を見る。
赤い髪。
灰色と茶色の縞模様。
その上に、長い二本の耳。
確かに目立つ。
というか、かなり目立つ。
「これで雪山歩くの?」
『歩く!』
「何でメリーが決めるの!」
メロウも近づいてきた。
さっきまで杖の査定で散々笑われた仕返しをするつもりなのか、タヌキのフードの下からじっくり私を見る。
「悪くないのう」
「本当?」
「遠くからでも見つけやすい」
「遭難する前提にしないで!」
「わしのフードも同じ理由じゃ」
「メロウさんと一緒にしないでよ!」
「なぜじゃ! タヌキも可愛いじゃろ!」
「鳥も付いてるし!」
「鳥は杖じゃ!」
また店内が騒がしくなる。
オラクルだけは帽子ではなく値札を見ていた。
「さっきのよりは安いな」
「買える?」
「性能がちゃんとしてるならな」
店員が帽子の内側を見せてくれた。
「北方用ですから、防寒具としても使えます。耳の飾りだけの商品ではありません。内側は保温性の高い布で、吹雪のときは横の留め具を使えば首元まで固定できます」
それなら遊びだけではない。
私はもう一度鏡を見る。
変ではある。
でも、少し気に入ってきた。
「これにしようかな」
『しよう!』
メリーが一番嬉しそうだった。
「メリーの帽子探してたんだけど」
『私は普通のでいい』
「さっきまで耳が必要って言ってたじゃん!」
『フールにあるから』
「私が担当なの!?」
いつの間にか、パーティーの耳担当になってしまった。
フランが笑いながら言う。
「いいんじゃない? 雪の中でもフール見失わなそうだし」
「それ、メロウさんと同じこと言ってるよ」
「実際大事だからね」
リリィまで頷く。
「吹雪の中で赤い髪と長い耳なら、かなり見つけやすいと思う」
みんなが実用性を見つけ始めた。
私は諦めた。
「分かった。これ買う」
『やった!』
なぜかメリーが両手を上げる。
私はそのとき、ただ北方で使われている少し変わった帽子を買っただけだと思っていた。
《キジトラウサギ》。
その名前を覚えておこうとすら、特には思わなかった。
帽子の模様になっているくらいだから、スノーリアへ行けば普通に見かける魔物なのだろう。その程度だった。
そこから全員分の装備を決めるのに、思った以上に時間が掛かった。
フランは短剣を扱いやすい外套を選び、厚手の手袋についても剣を握ったときに指が動かせるか何度も確かめた。リリィは滑りにくい雪道用の靴を優先し、オラクルは性能と値段を何度も比べている。
メロウは内側に資料を入れられる場所が多い外套を見つけたものの、さらに収納を増やそうとして店員を困らせていた。
「ここへもう一つ袋を付けられんか?」
「付けられますが、重くなりますよ」
「問題ない」
「問題あるだろ」
オラクルが割り込む。
「雪山で紙何冊持ち歩く気だ」
「必要なものだけじゃ!」
「何冊だ」
メロウが黙る。
「何冊だ?」
「……七冊」
「減らせ」
「研究者へ本を置いていけと言うのか!」
「宿に置けって言ってんだ!」
メロウが本気で悩み始めた。
私は少し笑った。
火山へ入る前は、メロウが旅へ加わったことで何が変わるのか、まだよく分かっていなかった。
今は分かる。
とにかく騒がしくなった。
でも、それだけではない。
古い記録を読む人が増えた。
知らない土地について教えてくれる人が増えた。
危険な場所で、自分の知識を惜しまず使ってくれる人が増えた。
そして、怒ったり笑ったりできる相手が一人増えた。
「フール」
呼ばれて顔を上げる。
オラクルがこちらを見ていた。
「お前も靴選べ」
「帽子だけじゃ駄目?」
「雪国舐めるな」
「はい」
自分の雪道用の靴を選ぶ。
普段の靴より少し重い。
底には滑りにくい加工があり、足首までしっかり覆われている。
歩いてみる。
「重い」
「そのうち慣れるよ」
リリィが言う。
「リリィ平気?」
「追跡で雪山歩いたことあるから」
「先に言ってよ!」
「聞かれてないし」
また一人、知らなかったことが出てきた。
メロウの重力魔法といい、みんな意外と隠している。
「フランも何か隠してない?」
急に聞くと、フランが困った顔をした。
「何で俺?」
「何かすごい魔法とか」
「使えないよ」
「本当に?」
「疑われる理由が分からない」
メリーがフランの周りを飛ぶ。
『飛べる?』
「飛べない」
『透明になれる?』
「なれない」
『火吹ける?』
「俺を何だと思ってるの?」
質問がどんどん変になっていく。
リリィまで笑い出した。
「メリー、それ以上聞いたらフランが幻獣種になるよ」
『じゃあ光る?』
フランが腰の短剣を見る。
「それは……ちょっと光る」
「あるじゃん!」
私が言うと、フランは頭を抱えた。
そんなことをしているうちに、ようやく全員分の防寒装備が決まった。
店員がカウンターで計算を始める。
外套。
靴。
手袋。
帽子。
首元を覆う布。
メリー用の小さな防寒着。
そして私のキジトラウサギ帽子。
オラクルは横で一つずつ値段を確認していた。
店員が合計を告げると、さっきまで笑っていた空気が少しだけ現実へ戻る。
「……結構するね」
私が言う。
「六人分だからな」
オラクルが財布を開く。
今日、道具と素材を売って作った銀Bと赤B。そこへ元から持っていた旅費を合わせて支払う。
銀Bが何枚かカウンターへ置かれ、細かな差額は赤Bで調整された。
私はその様子を見ながら、少しだけ不安になった。
「金Bは使わないの?」
「使わねえ」
オラクルは即答した。
「金B一枚は価値が大きすぎる。こういう日用品や旅装備の買い物で簡単に崩すもんじゃねえ。銀Bと赤Bで足りるなら、その範囲で払う」
「なるほど」
金B一枚。
銀B一枚。
赤B一枚。
同じBでも価値は全然違う。
何となく持っていたときより、実際に旅費を計算するようになってから重みが分かるようになってきた。
支払いを終えても、まだ買い物は残っていた。
保存食。
水。
補修用品。
北方街道で宿へ泊まるためのBも残しておかなければならない。
「お菓子は?」
メリーが聞く。
オラクルが即答する。
「最後」
『忘れない?』
「忘れねえよ」
「私も覚えてるから大丈夫」
『フールは一緒に買う側だよ』
「そうだった」
「お前ら二人で組むな」
店を出たころには、空が夕方の色へ変わっていた。
一日中、売ったり買ったりしていただけなのに、火山を歩いた日とは別の疲れがある。
私は袋からキジトラウサギの帽子を取り出し、もう一度被った。
長い耳が夕方の風に揺れる。
通りすがりの子供がこちらを見た。
もう一人も見る。
「……やっぱり目立つ?」
「かなり」
リリィが即答した。
「やめようかな」
『駄目!』
「何でメリーが決めるの!」
フランも笑っている。
「いいと思うよ。北方なら普通かもしれないし」
「本当に?」
「店員さんもスノーリア方面で使われる意匠だって言ってたでしょ」
それなら少し安心した。
私たちは最後に保存食を扱う店へ向かった。
乾燥肉。
硬いパン。
日持ちする木の実。
水へ入れて煮るだけで食べられる乾燥野菜。
火山へ行くときとは少し内容が違う。
寒い場所では温かいものを食べられるようにしたほうがいいとメロウが言い、鍋の出番が増えそうだと分かった瞬間だけ、本人がものすごく得意そうだった。
「ほれ見ろ。鍋は必要じゃった!」
「一個で足りる」
オラクルが即座に返す。
「二個あれば――」
「一個」
「……一個じゃな」
鍋三個事件をまだ引きずっているらしい。
保存食の代金を銀Bと赤Bで支払い、最後に残ったBをオラクルが確認する。
宿代。
北方街道の途中で必要になる食費。
装備が壊れた場合の予備。
スノーリアへ入ってからの滞在費。
全部を考えても、最低限の余裕は残った。
「これで行ける?」
私は尋ねた。
「ああ。ただし予定外の無駄遣いをしなければな」
「無駄遣いって?」
「高い菓子、意味のない土産、必要以上に高い宿、勢いで買う変な物」
私を見る。
「最後の何?」
「キジトラウサギ帽子は防寒具だから除外してやる」
「やった」
『耳あるしね!』
「耳は性能じゃねえ」
オラクルがため息をついた。
その横でメロウが笑う。
「金の管理は猫に任せておけば安心じゃな」
オラクルが振り返った。
「爺さん、お前もだぞ」
「何がじゃ」
「調査道具だからって勝手に買うな」
「必要なものしか買わん!」
「鍋」
「もう一個でよいと言ったじゃろ!」
全員で笑った。
夜、宿へ戻ると、買った装備をそれぞれの荷物へ分けた。
火山用の荷物はかなり減った。
代わりに、厚い外套や手袋、雪道用の靴が入る。
旅の荷物そのものが、次に向かう土地へ合わせて変わっていく。
私はベッドの上へキジトラウサギの帽子を置いた。
灰色と茶色の縞模様。
二本の長い耳。
「変な帽子」
言いながら、少し笑った。
まだ私は、本物のキジトラウサギを見たことがない。
どんな鳴き声なのかも、どれくらいの大きさなのかも知らない。
スノーリアでは珍しくない魔物なのかもしれないし、実際に出会うことなんてないかもしれない。
今の私にとっては、ただ少し変わった防寒帽子だ。
その隣へ《聖なるマップ》を置く。
火山の奥へ続く印は、今も消えていない。
私たちが離れても、あの場所は残っている。
次に戻るための道も。
「絶対戻るからね」
小さく言った。
そのために、明日から北へ向かう。
目的地はスノーリア聖国。
その地下に残る《氷鏡の地下迷宮》。
複数の年代に残された大規模凍結と、巨大な蛇状生物の目撃。その中心に近い場所で、現在まで残っている巨大な氷の迷宮。
そこに本当に幻獣種がいるとは、まだ決まっていない。
まして、その力で火山の溶岩を凍らせられる保証もない。
それでも、火山で必要になった条件から候補を一つずつ絞った結果、今もっとも調べる価値がある場所がスノーリアだった。
だから行く。
明日の朝。
六人で。
売れるものを売り、自分たちで作ったBで揃えた防寒装備を持って。
火山の熱から遠ざかり、今度は雪と氷の世界へ向かう。
そして、私の荷物には一つだけ、予定になかったものが増えていた。
長い耳の付いた、《キジトラウサギ》の帽子。
この帽子がスノーリアで思いがけない出会いへ繋がることを、このときの私はまだ知らなかった。




