第177話 届かないから、次へ行く
第177話 届かないから、次へ行く
翌朝、目を覚ましたときから、昨日見た溶岩の川が頭から離れなかった。
窓の向こうには火山がある。
集落から見れば、昨日までと何も変わらない山だった。灰色の噴煙が空へ伸び、風に押されてゆっくり形を変えている。
でも私は、あの山の中に何があるのかを知っている。
地図にない古い石道。
《赤き雫》と《獅子》の文字が刻まれた壁画。
その先に広がる巨大な窪地。
向こう岸に見えた石造物と暗い入口。
そして《聖なるマップ》の線も、あそこへ続いている。
ここまで分かっているのに、届かない。
それが悔しかった。
「難しい顔してるね」
後ろから声がして振り返ると、フランがいた。
出発の準備はもう終わっているらしく、腰にはいつもの短剣がある。
「そんな顔してた?」
「してた。火山に喧嘩売ってるみたいな顔」
「そこまで?」
「ちょっとだけ」
フランが笑う。
私はもう一度窓の外を見た。
「向こう側、見えてるんだよ」
「うん」
「マップもあっちだって言ってるみたいなのに、行けない」
口にすると、昨日より悔しくなった。
フランはすぐに励まさなかった。
窓の横へ立ち、同じ火山を見る。
「俺も行きたいよ」
「フランも?」
「当たり前でしょ。あれだけ調べて、やっと見つけた場所だから」
少しだけ安心した。
悔しいのは私だけではない。
「でも、昨日の溶岩見たら無理に渡ろうとは思わない」
「うん。私も」
「じゃあ今日は、無理だって決めるためじゃなくて、まだ道があるか確かめに行こう」
その言い方が、今の私にはちょうどよかった。
最初から諦めるために行くわけではない。
残っている可能性を、自分たちで確かめる。
それでも駄目なら、そのとき初めて次を考える。
「行こう」
「うん」
一階へ降りると、他のみんなも準備を終えていた。
メロウだけは朝食の横に何冊もの古い資料を積み、パンを食べながら読んでいる。
「食べるか読むかどっちかにしろ」
オラクルが呆れていた。
「時間が惜しい」
「紙にパンくず落ちてるぞ」
「どこじゃ!?」
慌てて本を持ち上げる。
メリーが笑った。
『メロウ、本のほうが大事なんだ』
「当然じゃ!」
「飯もちゃんと食え。山で倒れたら置いてくぞ」
「お前さんは昨日からわしの扱いが雑すぎんか?」
そんなやり取りをしながらも、テーブルの中央には昨日描いた地図が広げられていた。
今日調べる場所は決まっている。
昨日、北側で見つけた巨大な亀裂。そのさらに外側へ回り込める道がないか確認する。
次に南側。
巨大な溶岩流がどこまで続いているのかを、無理のない範囲で追う。
「両方駄目なら?」
私は尋ねた。
オラクルは地図から顔を上げた。
「一度引く」
昨日と同じ答え。
今日は少しだけ重く聞こえた。
「分かった」
それでも頷いた。
火山へ入った。
三日目になると、道そのものには少し慣れてきた。
でも、慣れたから安全になったわけではない。
むしろ逆だった。
昨日より灰が少ない。
噴気孔の勢いも弱い。
最初の日なら《今日は安全かも》と思っていたかもしれない。
今は、その考えが危ないことを知っている。
フランが先頭で足場を確認し、リリィが昨日までの目印と現在の地形を比べる。メロウは変色した地面や岩の状態を見ながら進み、オラクルは時間と水の量を管理していた。
私は《聖なるマップ》を確認し、メリーは私たちとは違う感覚で周囲を見ている。
六人それぞれが、自分にできることをしていた。
壁画を越え、細い石道を渡り、窪地まで戻る。
向こう岸の石造物は今日も見えた。
「待っててね」
思わず呟いた。
「遺跡に話しかけてどうする」
オラクルに聞かれてしまった。
「いいじゃん。絶対行くって言ってるの」
「絶対って言うな。行く方法を見つけたら、だ」
「じゃあ……行く方法を見つけて絶対行く」
「結局絶対なんじゃねえか」
少し笑ってから、北へ向かった。
昨日見つけた亀裂まで進む。
幅の広い亀裂からは白い噴気が上がり、底は見えない。
今日はここからさらに山側へ大きく迂回する。
最初の一時間は進めた。
斜面は急だったものの、フランが足場を確認すれば歩ける。ところどころ灰が深く、足首近くまで沈む場所もあったが、致命的ではない。
「これ、行けるんじゃない?」
期待が戻ってくる。
リリィはすぐには答えなかった。
「方向は悪くない。でも、まだ窪地を回り込めてない」
さらに進んだ。
斜面が少しずつ険しくなる。
岩が増え、灰の下に隠れた亀裂も出てきた。
そして突然、前を歩いていたフランが止まった。
「ここまで」
その先には岩壁があった。
見上げても上端が見えないほど高い。
左右へも長く続いている。
「登れない?」
私は尋ねた。
フランが岩肌を見る。
「俺一人なら途中までは行けるかもしれない。でも、全員で装備を持って越える場所じゃない」
メロウも壁へ近づかず、遠くから地層を確認した。
「脆い。表面だけ見れば登れそうじゃが、途中で岩ごと剥がれる可能性がある」
「重力魔法は?」
「わし一人なら越えられる」
昨日と同じだった。
メロウ一人なら。
でも六人ではない。
「この壁の終わりまで回るのは?」
リリィが地図を見る。
メロウも古地図を広げる。
二人でしばらく確認したあと、メロウが首を横へ振った。
「今日中には無理じゃ。しかも、その先で窪地へ戻れる保証もない」
北側。
行き止まり。
完全に道が存在しないと証明できたわけではない。
でも、私たちが安全に使える迂回路ではなかった。
「戻ろう」
今日は私から言えた。
南側がある。
まだ終わりではない。
窪地まで戻り、短い休憩を取った。
水を飲みながら向こう岸を見る。
近い。
距離だけなら、今朝宿からここまで歩いてきた道の何十分の一しかない。
なのに、あそこへ行けない。
距離と《届く》は別なんだと思った。
南側へ向かう。
昨日見つけた巨大な溶岩流まで来ると、熱気が一気に強くなった。
今日は流れの状態も少し違っている。
昨日黒く固まりかけていた場所の一部が崩れ、その下から赤い溶岩が見えていた。
「ここも変わってる」
私は十分に距離を取ったまま見る。
「流れ続けておるからな」
メロウが答える。
「今日はこの川がどこまで続くかを見る。ただし近づきすぎるな」
南へ進む。
溶岩流と一定の距離を保ちながら、その縁を追った。
最初は、どこかで細くなると思っていた。
幅が狭くなれば、フランやメロウの能力を組み合わせて何かできるかもしれない。
でも、進んでも進んでも流れは消えない。
細くなる場所はあった。
ただし、その周囲には噴気孔が集中していた。
別の場所では黒い岩が何個も突き出し、足場にできそうに見えた。
近づいて確認すると、表面が薄く固まっているだけで、下から赤い光が漏れていた。
「乗ったら?」
私が聞く。
フランが即答した。
「割れるかもしれない」
「だよね」
さらに進む。
熱が強くなる。
水の減りも早い。
やがてリリィが地図を見ながら足を止めた。
「これ以上行くと、今日戻れなくなる」
誰も反論できなかった。
目の前には、まだ溶岩流が続いている。
終わりは見えない。
「南も駄目か……」
言葉にすると、胸の中へ重く落ちた。
北。
南。
両方調べた。
簡単な迂回路はない。
昔の石道も、現在は溶岩によって分断されている。
「もう一回、考えよう」
フランが言った。
「ここで?」
「見るだけなら。昨日より分かったこと増えてるから」
少し離れた安全な岩場へ移動した。
六人で溶岩流を見る。
メロウが最初に口を開いた。
「わし一人なら重力魔法で渡れる。それは変わらん。じゃが全員を運ぶのは無理じゃ」
フランも続ける。
「縄は熱と距離の問題がある。向こうに固定できる場所も、この辺りにはない」
リリィは地形を見る。
「橋を作るなら大掛かりすぎる。しかも溶岩の流れが変わったら壊れる可能性がある」
オラクルが水筒を持ち上げる。
「水は論外。この量じゃ足りねえ」
一つずつ消えていく。
私は何かないか考えた。
《聖なるマップ》。
《幻獣種召喚の本》。
今まで旅で手に入れたもの。
でも、今ここで溶岩を越えられるものは思いつかない。
メリーが私の隣で赤い流れを見ていた。
『やっぱり、冷たくするしかないのかな』
昨日も聞いた言葉。
今日は重みが違った。
「メロウさん」
私は尋ねる。
「これを凍らせることって、本当にできるの?」
メロウはすぐには答えなかった。
溶岩を見る。
幅。
流れ。
熱。
周囲の地形。
研究者として考えているのだと思う。
「理屈だけなら、冷やせば固まる」
やがて答えた。
「じゃが、昨日も言ったように普通の水や冷気では足りん。表面だけ固めても、その下から熱が供給されれば再び崩れる。人が渡るなら、少なくとも一定時間は足場として保たねばならん」
「どのくらいの魔法なら?」
「わしにも正確には分からん。ただ――」
メロウが言葉を止めた。
昨日も同じことがあった。
昔の記録を思い出しているような顔。
「何?」
「朝、確認しておった資料がある」
「パンくず落としてたやつ?」
「そこは忘れろ!」
少しだけ空気が緩んだ。
メロウは鞄から一枚の紙を取り出した。
宿から持ってきたものらしい。
「火山へ来る前、六体の幻獣種について話したな」
「うん」
人魚。
雷鳥。
氷蛇。
炎獅子。
光を纏う剣士。
虹色の光を操る人型存在。
全部で六体。
メロウはその中の一つを指した。
《氷蛇》。
「昔の記録に、異常な冷気を伴う存在についての記述がある。地面を凍らせた、湖面を一夜で閉ざした、そういう話じゃ」
私は紙を見る。
「それなら、この溶岩も?」
「待て」
すぐ止められた。
「伝承がどこまで正しいか分からん。そもそも《氷蛇》と呼ばれた存在と、その記録の主が同じものかも確認が必要じゃ。それに、溶岩を凍らせられると書かれているわけでもない」
「でも、調べる価値はある?」
今度はメロウも否定しなかった。
「ある」
その一言で、胸の中に小さな道ができた。
向こう側へ続く道ではない。
一度、火山から離れる道。
でも、それは諦めるためではない。
戻ってくるための道だ。
リリィが尋ねる。
「氷蛇の記録は、どこに多いんですか?」
「寒冷地じゃ。ただし範囲が広い。大図書館で見た資料と、わしの手持ちを照合する必要がある」
「スノーリア?」
その名前を私が言ったわけではなかった。
オラクルだった。
私はオラクルを見る。
「知ってるの?」
「名前くらいはな。北方の雪と氷の国だ」
メロウも頷く。
「スノーリア聖国には古い氷系伝承が多く残っておる。だが、まだそこへ行くと決めるな。まず資料を確認する」
「分かってる」
私は答えた。
以前なら、もう《行こう》と言っていたかもしれない。
今は違う。
まず確かめる。
それでも、心の中ではもう一つの景色が浮かび始めていた。
雪。
氷。
冷たい土地。
今いる場所とは正反対の世界。
そこに、目の前の灼熱を越える方法があるかもしれない。
私は溶岩の向こうを見る。
悔しい。
やっぱり悔しい。
ここまで来たのに。
《聖なるマップ》も向こうを示しているのに。
でも、もう《行けない》だけではなかった。
「一回、戻ろう」
私は言った。
「集落へ?」
フランが聞く。
「うん。それから資料を確認する。もし本当に氷蛇の力が使えるかもしれないなら、それを追いたい」
「火山は?」
「戻ってくる」
迷わず答えた。
「絶対」
今度はオラクルも《絶対って言うな》とは言わなかった。
メロウが溶岩流を見る。
「次に来るときは、あれを越える方法を持って、か」
「うん」
『今度は向こう行ける?』
メリーが聞く。
「そのために行くんだよ」
火山から離れる。
昨日までなら、それを失敗だと思ったかもしれない。
今は違う。
私たちは試した。
北も。
南も。
道具も。
魔法も。
今あるものでは届かないと、自分たちで確かめた。
なら、足りないものを探しに行けばいい。
私は最後に《聖なるマップ》を開いた。
細い線は今日も溶岩の向こうへ続いている。
でも、昨日までとは少し違って見えた。
これは今すぐ進めという命令ではない。
私たちが戻ってくる場所を、忘れないように残してくれている。
そんな気がした。
「待ってて」
今度は向こう岸ではなく、マップの印へ言った。
「次はちゃんと、そっちまで行くから」
私たちは溶岩流へ背を向けた。
熱と灰に覆われた火山で、初めて攻略できない場所にぶつかった。
その言葉を頭の中で考えた瞬間、やっぱり悔しかった。
振り返れば、赤い流れの向こうに目的地がある。大図書館で何日も資料を追い、メロウの足跡を探して街の外まで出て、ようやく本人を見つけた。そのメロウの研究と私たちが集めた情報を重ねたことで、この火山へ辿り着いた。
麓では《紅蓮の雫》と《ラルメリオン》の名前を聞いた。
火山へ入れば、灰に埋もれた古い石道が見つかった。
その先には《赤き雫》と《獅子》の文字が刻まれた壁画があり、《聖なるマップ》にも新しい印が現れた。
さらに石道を追い、ようやく向こう側に石造物まで見つけた。
そこまで来て、進めない。
「……やっぱり悔しい」
自分でも驚くほど素直に言葉が出た。
隣を歩いていたフランがこちらを見る。
「うん」
否定しなかった。
「俺も悔しいよ」
「メロウさんなら一人で渡れるのに」
少し前を歩くタヌキのフードを見る。
メロウが振り返った。
「まだ言うか」
「だって、本当にあとちょっとなんだもん」
「距離だけならな」
メロウは立ち止まらずに答えた。
「じゃが調査というのは、目的地へ着けば終わりではない。見て、調べて、記録して、無事に持ち帰るところまでじゃ。わし一人だけ向こうへ渡り、帰れなくなれば何の意味もない」
「分かってる」
だから止めた。
それでも悔しいものは悔しい。
メロウは少しだけ歩調を緩め、私たちの横まで下がってきた。
「悔しいなら覚えておけ」
「何を?」
「あの景色じゃ」
メロウは振り返らなかった。
それでも何を言っているのか分かった。
赤い溶岩。
熱で揺れる空気。
その向こう側に見えた柱。
暗い入口。
《聖なるマップ》の光。
「一度届かなかった場所は、二度目に届いたとき一番面白い」
私はメロウを見る。
「メロウさんも、そういう場所あった?」
「いくらでもある。三回目で入れた遺跡もあれば、十年経っても入れん場所もある」
「十年!?」
「考古学を何じゃと思っとる」
私は十年後の自分を想像した。
二十歳。
さすがに、この火山へ入るためだけに十年待つのは嫌だ。
「もっと早く戻りたい」
「なら、それだけ本気で方法を探せ」
「うん」
少しだけ気持ちが軽くなった。
撤退することと、諦めることは違う。
その違いが、今なら分かる。
帰路も簡単ではなかった。
昨日まで何度も通った石道でも、火山は同じ姿を保ってくれない。灰の積もり方が変わった場所ではリリィが以前の目印を確認し、フランが先に足場を確かめた。
細い道を渡るときには全員の会話が自然に止まった。
右側は岩壁。
左側は急斜面。
以前、私の足元から落ちた石が何個もの岩を巻き込んで消えていった場所だ。
「フール、次ここ」
フランが示す。
「うん」
今度は下を見ない。
怖くないからではない。
怖いから、必要なところだけを見る。
足を置く。
体重を移す。
次へ進む。
後ろからメリーの声がした。
『ゆっくりでいいよ』
「うん」
少しだけ笑えた。
全員が渡り終えたところで、オラクルが人数を確認する。
六人。
誰も欠けていない。
そのことが、向こう側へ行けなかった悔しさより少しだけ大きく感じられた。
さらに下り、壁画の前まで戻る。
昨日まではここへ来るだけでも大きな発見だった。
今は、この壁画のさらに先まで知っている。
メロウが足を止めた。
「今日は見るだけ」
オラクルが先に言う。
「分かっとる」
メロウは壁画へ近づかず、少し離れた場所から見た。
炎を纏ったような四本脚。
《赤き雫》。
《獅子》。
「次に来るまで残ってるかな」
私が呟く。
メロウは岩壁を見ながら答えた。
「分からん」
火山だから。
地震が起きる。
岩が崩れる。
道も変わる。
次に来たとき、この壁画が今と同じ姿で残っている保証はない。
「だから記録したんじゃ」
メロウが鞄を叩いた。
中には何枚もの写しが入っている。
リリィも地図を持っている。
私の《聖なるマップ》にも印がある。
「場所が変わっても、見つけたことまでは消えん」
その言葉は少し好きだった。
壁画を離れ、さらに下る。
噴気孔。
黄色く変色した地面。
灰の深い斜面。
何日か前には全部初めて見るものだった。
今は危険な場所を知っている。
でも、知っているから安全なのではない。
知っているから、警戒できる。
夕方になる前に集落の屋根が見えた。
「帰ってきた……」
思わず息を吐く。
メリーが鞄から飛び出した。
『やったー!』
「まだ宿まであるよ」
『もう火山じゃないもん!』
確かに、それだけで気持ちはかなり違った。
集落へ入ると、昨日話を聞いた子供たちがまた火獅子の遊びをしていた。
赤い布を被せた木の枝を持った子が、ほかの子を追いかけている。
「火獅子が来たぞー!」
「逃げろー!」
数日前なら、昔話が遊びに残っているだけだと思っていた。
今は違う。
あの山の中には、獅子のようなものが刻まれた壁画が本当にある。
《赤き雫》という文字も残っている。
それでも、ラルメリオンが本当にいるとはまだ言えない。
だから続きを調べたい。
子供たちの横を通り過ぎ、宿へ戻った。
その夜、六人で今日までの記録を全部広げた。
テーブルの中央には、リリィが描いた火山の地図。
北側。
大亀裂。
さらに迂回した先の岩壁。
南側。
巨大な溶岩流。
その向こうにある石造物。
どちらの方向からも、今の私たちが安全に使える道は見つからなかった。
メロウ一人なら《重力魔法》で渡れる。
でも全員は運べない。
縄は熱と距離の問題がある。
橋を作るには規模が大きすぎる。
水では量が足りず、急激な蒸気が発生する危険まである。
「ここまでかな」
私が地図を見ながら言った。
言葉にすると、胸の奥が少し痛んだ。
オラクルがこちらを見る。
「何がだ?」
「今の私たちで火山を進めるのは」
オラクルは何も言わなかった。
否定してほしかったわけではない。
自分で言う必要があった。
「今は、向こうへ行けない」
認める。
でも、そのあとに続けた。
「だから、行けるようになって戻ってくる」
今度は迷わなかった。
メロウが朝から持ち歩いていた資料を開いた。
《氷蛇》。
異常な冷気を伴う幻獣種。
湖面を一夜で閉ざしたという伝承。
地面を広範囲に凍結させたという古い記録。
どこまで事実なのかは分からない。
でも、今の私たちが必要としているものと重なる。
「まず、こいつを調べ直す」
メロウが言った。
「火山へ来る前は、六体の伝承の一つとして見ておった。じゃが今は目的が違う。《溶岩を、人が渡れるほど長く固められる力があるか》という条件で資料を見直せる」
リリィが頷く。
「探すものが具体的になったんですね」
「そうじゃ。調査というのは問いが変われば、同じ資料でも見えるものが変わる」
私は紙に書いた。
《必要なもの》
少し考えて、その下へ続ける。
《溶岩を凍らせられるほど強い氷の力》
文字にすると、無茶なものを探そうとしている気もした。
でも目の前にある溶岩も、それくらい無茶だった。
「スノーリア聖国」
オラクルが言った。
「メロウが言ってた氷系伝承が多い国だな」
「そうじゃ。ただし、明日すぐ出発とはせん」
メロウが先に私を見る。
「何で私を見るの?」
「言い出しそうだからじゃ」
「言わないよ!」
少しだけ言おうとしていた。
「大図書館まで戻る必要は?」
リリィが尋ねる。
「手持ちの資料だけでは足りん。じゃがグライツまで全部戻るかは、まず整理してから決める。麓で確認できる記録もあるかもしれんし、スノーリアへ向かう街道の情報も必要じゃ」
「じゃあ明日は?」
「調査と準備」
私は頷いた。
今度の目的は、火山とは正反対のものだ。
炎ではなく氷。
熱ではなく冷気。
赤黒い岩ではなく、雪と氷に覆われた土地。
まだ行くと確定したわけではない。
それでも、道は見え始めている。
私は最後に《聖なるマップ》を開いた。
火山の奥へ続く線は消えていなかった。
今も、溶岩の向こう側を示している。
「待ってて」
小さく言う。
今度は悔しさだけではなかった。
「次に来るときは、六人で渡るから」
メリーが私の肩へ乗った。
『絶対?』
「絶対」
オラクルが何か言いかけた。
でも、今回は止めなかった。
窓の外では、夜の火山が赤くぼんやりと光っている。
私たちは今日、火山攻略に失敗した。
それでも旅は止まらない。
届かなかったからこそ、次に探すものが決まった。
灼熱の川を越えるために必要なのは、今の私たちにはないほど強大な氷の力。
その手掛かりを追って、次は雪と氷の世界へ。
そしていつか必ず、ここへ戻ってくる。




