第173話 火山に残る獅子の名
翌朝、宿場を出て西へ進むと、昨日まで遠くに見えていた噴煙が、いつの間にか空の景色の一部になっていた。
赤黒い山々のさらに奥から灰色の煙が絶えず立ち上り、上空で風に押されて長く横へ伸びている。街道にも火山の影響が現れ始めていて、道端の草は少しずつ減り、代わりに黒っぽい石が目立つようになっていた。
一つ拾おうとして、私は途中で手を止める。
「メロウさん、これ触って平気?」
前を歩いていたメロウが振り返り、私と石を交互に見た。
「……なぜわしを見る」
「分からないものを勝手に触らないようにしてるの」
「お前さん、昨日まで何をして生きてきたんじゃ?」
「失礼だな!」
『前は触ってたよ』
肩のメリーが即座に裏切った。
オラクルまで笑っている。
「成長したじゃねえか。褒めてやれよ」
「褒めておるわ! 驚きが勝っただけじゃ!」
メロウが確認したところ、道端に転がっていたのは古い火山岩で、触れたところで危険はないらしい。
拾ってみると、見た目より軽かった。黒い表面には無数の小さな穴があり、指でなぞるとざらざらしている。
「これも噴火で?」
「その可能性は高い。ただし、いつの噴火かまでは見ただけでは分からん」
メロウは私から石を受け取り、表面を少し観察してから元の場所へ戻した。
「覚えておけ。火山では《昔ここがどうだったか》と《今ここがどうなっているか》を分けて考えるんじゃ。噴火一つで道が消え、谷が埋まり、溶岩が固まって新しい地面ができる。百年前の記録に《山腹の道》と書かれていても、今そこに道が残っている保証はない」
「だから現地へ来たんだね」
「そういうことじゃ」
大図書館で見つけた記録も、メロウが集めた伝承も、ここまで私たちを連れてきてくれた。
でも、ここから先は紙だけでは進めない。
メロウが火山を本命候補にしたのは、一冊の本に《幻獣種がいる》と書かれていたからではなかった。
年代も記録者も異なる複数の伝承に、この地域で《通常の魔物とは異なる存在》が目撃されたという記述が残っている。さらに近年、火山灰に埋もれた加工石や人工的な切削跡まで報告された。
別々の時代に残された話と、今も現地に残るもの。
その二つが同じ場所で重なった。
だから確かめに来た。
「本当に幻獣種と関係あるかな」
私が遠くの噴煙を見ながら尋ねると、メロウは少しも迷わなかった。
「知らん」
「そこ即答する?」
「知らんから調べるんじゃ。幻獣種と無関係な古代遺構かもしれんし、加工跡と思われたものが自然にできたものという可能性もある。それを確かめず、《きっと幻獣種じゃ》と決めるほうが研究者としては怖い」
リリィが隣で頷いた。
「追跡と同じですね。欲しい答えを先に決めると、痕跡までその答えに見えてくるから」
「そういうことじゃ。お前さんとは話が合いそうじゃな」
「私はメロウさんほど荷物持ちませんけど」
「そこは関係ないじゃろ!」
六人になってから、会話も少し変わった。
メロウはとにかく知りたがる。
リリィは証拠が足りなければ止める。
オラクルはそこへ現実的な問題を持ち込む。
そして私が早く先へ行きたくなると、だいたい三人から止められる。
少し不公平な気もする。
昼前になると、風に混じる灰が目に見えて増え始めた。
道の端だけではない。草の葉にも岩の上にも薄い灰色の粉が積もり、風が強く吹くたびに細かな粒が舞い上がる。
私は言われる前に布を取り出し、鼻と口を覆った。
メリーにも小さな布を渡す。
『これ、喋りにくい』
「灰を吸うよりいいでしょ」
『フールが喋りにくくなる道具を勧めるなんて……』
「私を何だと思ってるの?」
フランが横で笑っている。
「でも、昨日準備しといてよかったね」
「うん」
布だけではない。
水も多めに持ってきた。
靴も火山域へ入ることを考えて選び、縄や金具もすぐ使える場所に入れてある。
以前なら《行きたい》が先にあった。
今は、行きたいからこそ準備する。
そのほうが、もっと遠くまで行ける。
午後に入る少し前、ようやく火山の麓にある集落が見えてきた。
黒と赤茶色の石で造られた低い家々が、緩やかな斜面へ張り付くように並んでいる。屋根はどれも急な角度で、積もった灰が滑り落ちやすい造りになっていた。
グライツとは何もかも違う。
白い石壁も、高い塔もない。
代わりに家の前には水桶が並び、住民たちは頭や口元を布で覆っている。道の端には灰を集めるための大きな木べらまで立て掛けられていた。
集落へ入って最初にしたのは、水の補給だった。
ここから先、火山域では水場を期待しない。
私が予備の容器まで満たそうとすると、フランが一つ持っていった。
「それ、俺が持つ」
「フランも荷物あるじゃん」
「まだ持てる。それに火山へ入ってから疲れて渡されるより、最初から分けたほうがいい」
言われてみれば、その通りだった。
「じゃあ半分お願い」
「うん」
無理に全部持つより、必要なものを全員で運ぶ。
それも準備の一つだ。
水を確保したあと、私たちはすぐ火山へ向かわなかった。
まず、集落で現在の山について聞く。
最初に話を聞いたのは、水場の管理をしていた女性だった。
最近、大きな噴火はない。ただ、小さな地震は何度か起きており、数日前には山側から灰が多く流れてきたらしい。
「奥へ行くなら東側からのほうがいいよ。北の道はもう使えないから」
「古い地図だと北側にも道があります」
メロウが地図を見せる。
女性は一目見るなり首を横へ振った。
「それ、ずいぶん昔のだね。崩れてるよ。何年も前に岩が落ちて、今は人が通れない」
メロウがすぐ地図へ書き込む。
古い記録が一つ、現在の情報によって書き換わった。
次に話を聞いたのは、火山側から石を運んできた男性だった。
荷車には赤黒い石が積まれ、衣服も靴も灰に汚れている。
「山腹までは行ける。ただ、その先はやめとけ」
「何があるんですか?」
私が尋ねる。
「何があるか分からないから行かないんだよ。地面が熱い場所もあるし、噴気孔も増える。昔の道が残ってるところもあるが、途中で溶岩に埋まってる」
「昔の道?」
メロウが食いついた。
「石を並べた跡みたいなのがある。俺たちは使わない。どこへ続いてるかも知らない」
私とメロウが同時に顔を見合わせた。
古い加工石。
人工的な切削跡。
そして今も山腹に残る、石を並べた道のようなもの。
資料だけにあったものが、少しずつ現在の景色へ近づいてくる。
それでも、まだ幻獣種とは繋がらない。
三人目に話を聞いたのは、集落の外れで火山灰を掃いていた年配の男性だった。
私たちが古い山の話を聞いていると知ると、最初は笑われた。
「また物好きが来たな。昔もいたよ。山の奥に宝があるとか言って入ってく連中が」
「宝?」
私が聞く。
「子供向けの昔話さ」
男性は木べらを壁へ立て掛けた。
「火山の奥には、火を飲んだみたいな赤い雫がある。それを手に入れた魔道士は、何倍も強い炎を出せるようになるってな」
メロウの表情が変わった。
「雫は何に入っておる?」
質問が妙に具体的だった。
男性も少し驚いたようにメロウを見る。
「透明な器だったと思うが……何で知ってる?」
今度は私がメロウを見る番だった。
「知ってるの?」
「名前だけじゃ」
メロウは鞄から一冊の小さな手帳を取り出した。
何枚もめくり、古い書き込みを探す。
やがて一か所で指を止めた。
「☆2《紅蓮の雫》」
男性が目を見開く。
「そうだ。それだよ」
偶然、似た話があっただけではない。
名前まで一致した。
メロウは手帳と男性を交互に見ながら説明する。
「わしが以前見つけた古い資料にも名前だけ残っておった。透明な器に入った赤い雫で、火を扱う魔道士や精霊などが飲めば魔力を大きく高めるとされておる。ただし、どこで手に入るのかは記録から抜けていた」
メリーが肩の上で身体を起こした。
『精霊も?』
「火を扱える者なら、という記録じゃ。お前さんが飲めるかどうかは別じゃぞ」
『私、火あんまり使わない』
「なら今は飲むこと考えなくていいよ」
私はそう言いながらも、別のことが気になっていた。
「その《紅蓮の雫》が、この火山にあるって昔話が残ってるんだ」
「そういうことになる。ただし――」
「昔話だけで、本当にあるとは決めない」
私が先に言った。
メロウが満足そうに頷く。
「よし」
オラクルが少し離れたところで笑った。
「教育されてんな」
「元からできるよ!」
男性は私たちのやり取りを見て笑ったあと、ふと何かを思い出したように火山を見た。
「そういや、雫だけじゃなかったな」
「ほかにも?」
「火の獣だよ」
今度は誰も急かさなかった。
男性は昔の記憶を探すように目を細める。
「爺さんから聞かされた話じゃ、山の奥にはでかい獅子がいる。炎を纏ってるとか、鬣そのものが燃えてるとか、話す人によって違ったけどな。《紅蓮の雫》も、そいつと一緒に語られてた」
私は鞄の中にある《幻獣種召喚の本》を意識した。
炎獅子。
六体の幻獣種の一体。
でも、まだ名前は聞いていない。
メロウが静かに尋ねた。
「その獅子に名前は?」
「何だったかな……」
男性はすぐには答えなかった。
だから私たちも待った。
ここで答えを急かせば、相手が私たちの欲しそうな名前へ記憶を寄せてしまうかもしれない。
男性は何度か小さく呟き、途中で首を振る。
「ラル……ラルメ……」
私の胸が高鳴る。
それでも口を挟まない。
やがて男性が顔を上げた。
「ラルメリオン」
風が吹いた。
屋根に積もっていた灰が薄く舞い、私たちの間を流れていく。
《炎の獅子ラルメリオン》。
名前が残っていた。
古い書物の中だけではない。
この火山の麓で暮らしてきた人たちの昔話の中に、今も。
メロウはすぐ喜ばず、男性へ聞き返した。
「《紅蓮の雫》とラルメリオンは、どういう関係だと聞いた?」
「そこが曖昧なんだ。獅子が通ったあとに雫が残るって話もあったし、雫のある場所を獅子が守ってるって話もあった。俺の爺さんだって、そのまた爺さんから聞いた話だろうしな」
内容は一致していない。
でも、それがかえって本物の口伝らしく感じられた。
長い時間を掛けて、人から人へ伝わるうちに形が変わった。
それでも二つの名前は残った。
《紅蓮の雫》。
《ラルメリオン》。
男性へ礼を言って離れたあと、私たちは集落の外れにある石壁のそばで情報を整理した。
リリィが紙へ三本の線を引く。
「最初は大図書館とメロウさんの資料。別々の年代に、この火山地帯で普通の魔物とは違う存在が目撃された記録がある」
次。
「近年、この地域で古い加工石や人工的な切削跡が見つかった。さっき聞いた話では、今も山腹に石を並べた古い道みたいなものが残ってる」
最後。
「そして現地の口伝に《紅蓮の雫》と《ラルメリオン》の名前が残ってる」
三つは別々の情報だった。
どれか一つだけなら、火山の奥へ危険を冒して入る理由としては弱かったかもしれない。
でも今は違う。
古い文献。
現存する人工的な痕跡。
土地の人々が今まで伝えてきた名前。
三つが、同じ火山の奥を指している。
オラクルが紙を見ながら言った。
「これなら調べる価値はある。ただし、ラルメリオンが今もいるって意味じゃねえぞ」
「うん」
私はすぐ頷いた。
「《紅蓮の雫》が残ってるとも限らない」
「そうじゃ」
メロウが続ける。
「じゃが、ここまで独立した痕跡が同じ場所へ重なるなら、わしなら入る。幻獣種がいなくとも、伝承が生まれた理由の一端くらいは残っておる可能性がある」
メロウはそう言って、リリィが整理した三本の線を指で順番に辿った。
何十年、何百年という時間を隔てて残された複数の古い記録。近年になって火山灰の下から確認された加工石や人工的な切削跡。そして今も麓の人々の間で語られている《紅蓮の雫》と《ラルメリオン》。
三つの情報は、最初から一つの資料にまとめられていたわけではない。
書いた人も違う。
残された時代も違う。
現地の人が昔話として伝えてきた内容に至っては、ラルメリオンと《紅蓮の雫》の関係さえ語る人によって変わっている。
それでも、全部が同じ火山の奥へ向いていた。
「行って確かめたい」
私は火山を見上げたまま言った。
ただ、今度はそれだけで終わらせなかった。
「ラルメリオンがいるって決めたからじゃないよ。《紅蓮の雫》を取りに行けば絶対見つかるとも思ってない。でも、ここまで来て、現地に残ってるものを見ないで帰ったら……大図書館で調べた意味も、メロウさんを探した意味も途中で止まっちゃう気がする」
自分で口にして、ようやく今までの旅が一本に繋がった気がした。
グライツの大図書館では、幻獣種について知るために何冊もの本を開いた。第五体から記録が急激に減り、第六体になると追う道そのものが消えていることも知った。
《虹光現象に関する旧記録》を追ったことで第三箱へ辿り着き、その箱がリベル王国へ正式に移管されていたことも分かった。
でも、それだけではない。
メロウを探して本棚の外へ出た。
専門書店。
地図工房。
旅道具屋。
北門。
古道。
採石場。
崩落した旧坑道。
一度進めなくなり、それでも別の坑道を探して迂回し、ようやく本人へ会えた。
そのメロウが持っていた資料と、私たちが大図書館で得た情報を合わせたから、この火山が次の調査先として浮かんだ。
そして実際にここまで来たからこそ、古い資料にはなかった現在の道を知り、今も残る口伝から《紅蓮の雫》と《ラルメリオン》という名前を聞けた。
本だけでも足りなかった。
現地だけでも、きっと足りなかった。
両方を追ったから、今ここにいる。
「俺も行く」
フランが言った。
「火山の奥に何があるのかは分からないけど、少なくとも調べる理由はある。ただし、進めない場所まで無理に突破するのはなし。それはみんな同じでいいよね?」
「もちろん」
私は答えた。
採石場の坑道で、目の前に足跡が続いているのに引き返したことを思い出す。
あのときは悔しかった。
でも別の道を探したから、結局メロウまで辿り着けた。
一つの道を進めないことと、冒険が終わることは同じではない。
リリィは地図へ視線を戻した。
「私は、山腹に残ってる古い道を見たい。今聞いた話だと、現在の採掘や運搬には使われてないんですよね?」
「少なくとも、さっきの男はそう言っておったな」
メロウが答える。
「だったら、いつ作られたのかを確認できるかもしれない。加工石や切削跡と同じ時代のものなら、火山の奥に人が入っていた理由も追える」
メロウの顔が嬉しそうに変わった。
「よいところを見る!」
「近いです」
またリリィが少し後ろへ下がる。
「道がどこへ続いていたか、途中に何が残っているか。それを一つずつ追えばよい。伝承だけ追って《獅子はどこじゃ》と探し回るより、よほど確実じゃ」
「最初からそのつもりです」
「本当に話が合うのう!」
「だから近いって」
二人のやり取りを見ながら、オラクルは呆れたようにタバコを動かした。
「研究馬鹿が二人になったら面倒だな」
「リリィは研究者じゃないよ」
「追い始めたら似たようなもんだろ」
本人から反論が飛んできそうだったけれど、リリィは地図を見るのに夢中で聞いていなかった。
メリーは私の肩で、さっきから珍しく静かだった。
「メリー?」
『ん?』
「どうしたの?」
『《紅蓮の雫》のこと考えてた』
やっぱり気になっていたらしい。
「飲みたい?」
『ちょっとだけ』
メリーは両手の指をほんの少し開いた。
『でも、火を使う精霊とか魔道士が飲むものなんでしょ? 私が飲んでも強くなるか分かんないし』
「そこは試してみる、じゃないからね」
『分かってるよ!』
慌てて答えたあと、メリーは少し考えた。
『でも、本当にあるなら見てみたい』
「私も」
透明な器に入った、火のように赤い雫。
☆2《紅蓮の雫》。
火を扱う魔道士や精霊などが飲めば、魔力をかなり高めるとされるアイテム。
それがどうしてラルメリオンと一緒に語られているのかは分からない。
獅子が通ったあとに生まれる。
獅子が守っている。
二つの話は同じではない。
もしかしたら、どちらも間違っているかもしれない。
でも名前だけは残った。
「そこも調査じゃな」
メロウが言った。
「《紅蓮の雫》が実在するなら、まずどんな場所に存在するのかを確認する。ラルメリオンとの関係も、最初から決めつけん。獅子が作るのか、守るのか、単に同じ土地に存在したことで後世に話が混ざったのか。考えられるものはいくらでもある」
「全部調べる?」
「調べられるならな」
メロウは当然のように答えた。
「使えるものは使うと言ったじゃろ。人の話も、古い記録も、地形も、《聖なるマップ》も、《幻獣種召喚の本》も使う。必要なら灰でも石でも拾って調べる」
「荷物増やすのは禁止な」
オラクルが即座に言った。
「まだ何も拾っておらん!」
「今のうちに言ってんだよ」
「研究資料を捨てろと言うのか!」
「必要な量だけ持てって言ってんだ」
「お前さんは研究者の浪漫というものが――」
「浪漫で水捨てるなら置いてくぞ」
メロウが黙った。
水には勝てなかったらしい。
私は笑いながら、改めて火山を見上げた。
麓まで来ると、その大きさがよく分かる。
山肌には森がほとんどなく、黒い岩と赤茶色の地面がむき出しになっている。ところどころから白い噴気が立ち上り、そのさらに奥では大きな噴煙が空へ伸びていた。
風向きが変わるたび、焦げたような臭いに、鼻の奥を刺激する別の臭いが混ざる。
足元の地面にも薄く灰が積もっている。
ここまでは人が暮らしている。
でも、あの先は違う。
明日からは、整備された街道を歩くだけでは済まない。
「今日は山へ入らねえぞ」
オラクルが念を押す。
「分かってるって」
「なら今日やることは?」
試すように聞かれた。
私は少し考える。
「水と食料の最終確認。火山灰を防ぐ布と靴。今使える道を地元の人からもう少し聞く。それから……帰る時間を決める」
「合格」
「やった!」
『フールが褒められた!』
「そんな珍しいことみたいに言わないで!」
笑い声が上がった。
でもオラクルの確認は大事だった。
私たちはそのあと、集落でさらに二人から山の状況を聞いた。
東側の道は現在も途中まで使える。
古い石道へ入る分岐は、黒い岩が二つ並ぶ場所の近く。
そこから先では地面から熱が上がる場所があり、靴底が傷むこともある。
風が止まった場所では噴気が溜まることがあるため、臭いがおかしいと思ったら近づかない。
夕方までに戻れる地点を決め、それ以上は翌日に回す。
話を聞くたび、火山は地図の上の目的地ではなく、本当に危険のある場所へ変わっていった。
それでも《行かないほうがいい》とは思わなかった。
むしろ逆だった。
危険が具体的になったことで、どうすれば調べられるのかも見えてきた。
日が傾き始めるころには、必要な準備が整った。
六人で集落の宿へ向かう途中、道の向こうで子供たちが遊んでいるのが見えた。
一人の子が木の枝を四本足で地面へ立て、上に赤い布を掛けている。
「何してるの?」
私が尋ねると、子供が笑った。
「火獅子!」
赤い布を揺らしながら、もう一人の子を追いかける。
「捕まったら燃えるぞー!」
「逃げろー!」
子供たちはそのまま走っていった。
私はしばらく、その背中を見送った。
さっきの老人だけではない。
ここでは、火の獅子の話が子供の遊びにまで残っている。
何世代も語られてきたのだろう。
形は変わっている。
細かな内容も失われている。
それでも消えてはいない。
リリィも子供たちを見ていた。
「口伝って、こうやって残るんだね」
「うん」
メロウが静かに頷いた。
「本に残らん歴史もある。むしろ文字を使わぬ者たちの間では、歌や遊びや昔話のほうが長く残ることもある」
「じゃあ、あれも手掛かり?」
私が尋ねる。
「手掛かりではある。ただし証拠ではない」
「分かってる」
今度はすぐ答えられた。
メロウが満足そうに笑う。
「なら明日、自分の目で確かめるぞ」
宿の前で振り返る。
夕暮れの火山は、昼間とは違う色をしていた。
西日を受けた噴煙の縁が赤く染まり、山肌の黒い岩はさらに濃く見える。ところどころから立ち上る白い噴気だけが、薄暗くなり始めた景色の中で妙にはっきり浮かんでいた。
あの奥にラルメリオンがいるのかは分からない。
《紅蓮の雫》が今も残っているのかも分からない。
古い石道の先にあるものが、幻獣種とはまったく関係ない可能性だってある。
それでも、ここまで来る理由は十分に揃った。
何百年も離れた複数の記録。
火山灰の下から見つかった人工的な痕跡。
現在も山腹に残る古い石道。
《紅蓮の雫》という同じ名前。
《炎の獅子ラルメリオン》という、今も土地の人々に残る名前。
そして、火獅子になって遊ぶ子供たち。
どれか一つを信じているわけではない。
全部を重ねたから、確かめる価値があると思えた。
私は隣にいる五人を見る。
オラクル。
メリー。
フラン。
リリィ。
そしてメロウ。
グライツへ来たときより、一人増えた。
明日からは、この六人で火山へ入る。
「楽しみ?」
フランに聞かれた。
「うん」
私は素直に答えた。
「怖いけど、それより見たい」
「俺も」
それだけ言って、フランも火山を見る。
明日の朝。
私たちはあの山へ入る。
伝承の答えを決めるためではない。
そこに何があるのか、自分たちの目で確かめるために。
火山の奥で待っているものが幻獣種なのか、古い遺構なのか、それとも私たちがまだ想像もしていない何かなのか。
今はまだ、誰にも分からない。
だからこそ、行く。
世界一の大図書館で始まった幻獣種の調査は、明日から本当の意味で、本の外へ踏み出す。




