第172話 六人目の旅人
翌朝、目を覚まして最初に目へ入ったのは、窓の向こうにそびえる大図書館の中央塔だった。
朝日に照らされた白い塔は昨日までと何も変わらない。それなのに、机の上には本や記録用紙ではなく、水筒、保存食、縄、厚手の布、携帯用の魔法灯が並んでいる。
ここ数日は、宿を出れば大図書館へ向かい、閉館の鐘が鳴るまで古い資料を追う生活が続いていた。
今日は違う。
グライツで見つけた手掛かりを持って、外へ出る準備をする日だ。
昨日、メロウと互いの調査結果を照らし合わせた。
第六体《虹色の光を操る人型存在》へ繋がる可能性がある《虹光現象に関する旧記録》。それを最後に長時間閲覧していた研究者は、何らかの《既知の召喚媒体》との照合を行い、調査内容の一部を第三箱へ移そうとしていた。
その第三箱は、大図書館へ確実に寄贈されたあと、《古代召喚媒体関連資料との比較調査》のため正式にリベル王国へ移管されている。
第六体を追う道は、そこで一度グライツの外へ出た。
一方、メロウが長年集めてきた別の記録から、今すぐ現地で調べられる場所も浮かび上がった。
火山地帯。
そこに幻獣種がいると決まったわけではない。
古い伝承と、近年見つかった人工的な加工跡が同じ地域へ重なっただけだ。
だからこそ、実際に行って確かめる。
私は最後の水筒を鞄へ入れた。
「よし」
そのとき、扉が勢いよく開いた。
『フール、大変!』
メリーが飛び込んでくる。
「どうしたの?」
『下がいっぱい!』
「何が?」
『メロウ!』
意味が分からない。
急いで一階へ降りると、今度は意味が分かった。
宿の食堂の隅が、荷物で埋まっていた。
縄。
保存食。
水筒。
携帯用魔法灯。
厚手の布。
小さな槌。
採取用らしい金具。
紙束。
筒へ入れられた地図。
箱。
袋。
さらに用途の分からない道具まで並んでいる。
その中央で、タヌキの顔が付いたフードを被ったメロウが腕を組んでいた。
「遅いぞ!」
「何これ!?」
「調査道具じゃ」
「全部持っていくの?」
「当然じゃ!」
横ではオラクルが頭を抱えていた。
「当然じゃねえ。朝から増やし続けてんだよ、この爺さん」
「必要なものしか選んでおらん!」
「鍋三つのどこが必要なんだ」
「大、中、小で用途が違う」
「火山へ料理しに行くんじゃねえぞ」
「湯を沸かす、飯を作る、採取物を――」
「最後の鍋は置いてけ」
「まだ最後まで言っとらん!」
私は笑いそうになりながら荷物へ近づいた。
昨日、坑道で会ったときにも思ったけれど、メロウは大図書館で想像していた学者とは全然違う。
静かな部屋で一日中本を読んでいる人ではない。
本も読む。
古文書も追う。
でも必要なら山へ入り、廃坑へ潜り、自分の目で岩壁を確かめる。
だから、この荷物なのだろう。
……鍋三つが必要かは分からないけれど。
「これ何?」
私は細長い金属棒を持ち上げた。
「地層確認用じゃ。岩の隙間や灰の深さを見る」
「これは?」
「採取用の小槌」
「こっちの瓶は?」
「土、灰、細かい石片を分けて入れる」
今度は本当に必要そうだった。
「全部持っていくつもりだったんだ」
「調査へ行くのに、何も持たず何を調べる」
メロウは当然のように言う。
それから、私の鞄へ視線を向けた。
「お前さんも《幻獣種召喚の本》を持っていくんじゃろ?」
「もちろん」
「《聖なるマップ》も?」
「持ってるよ」
「ならよい」
何がいいのか分からず首を傾げると、メロウは鳥の顔が付いた杖を肩へ乗せた。
「使えるものは全部使う」
声から冗談が消えた。
「わしは長年、六体の幻獣種を追ってきた。じゃが一人で調べられることには限界がある。古文書を読めても、崩れた道を安全に進めるとは限らん。地層を見られても、魔物相手に戦えるわけでもない。第六種に至っては、わしが何年追っても《追跡不能》から先へ進めなんだ」
メロウが私を見る。
「そこへ、お前さんらが現れた」
私は黙って聞いた。
「わしが知らなかった第三箱の移管先を突き止め、実物の《幻獣種召喚の本》まで持っておる。しかも、そこの娘は人の足跡だけでなく記録まで追える」
リリィを見る。
「この男は危険な場所で前へ出られる」
今度はフラン。
「猫は金と情報と現実を見る」
「猫は余計だ」
「猫じゃろ」
「見りゃ分かること言うな」
メロウは気にせず、メリーへ視線を移した。
「精霊は人間と違うものを感じ取ることがある。そしてフール、お前さんはその全部を連れて歩いておる」
「連れてるっていうか、一緒に旅してるんだけど」
「同じことじゃ」
「ちょっと違うよ」
そこだけは譲りたくなかった。
メロウは一瞬黙り、それから鼻を鳴らす。
「なら、一緒に使えばよい」
「使う?」
「調べるためにな」
メロウはテーブルへ火山の地図を広げた。
「わしは考古学者じゃ。未知のものを調べるために使える手段が目の前にあるのに、《自分一人で調べたい》などというくだらん意地で捨てるつもりはない」
地図の上へ一本ずつ指を置く。
「《幻獣種召喚の本》も使う。《聖なるマップ》も使う。リリィの追跡も、フランの剣も、オラクルの情報も、メリーの感覚も使う。必要ならわしの持つ資料も知識も全部使わせる」
「俺たちを調査道具みたいに言うな」
オラクルが呆れる。
「道具より役に立つじゃろ?」
「褒めてんのか、それ」
「最大級にな」
私は少し笑った。
変な言い方だけれど、メロウらしいと思った。
メロウは私たちを便利な護衛として雇いたいわけではない。
自分だけが答えを持つ案内役になるつもりでもない。
自分が持っているものと、私たちが持っているもの。
全部合わせて、今まで辿り着けなかった場所へ行こうとしている。
「じゃあメロウさんも、これから一緒に旅するんだよね?」
私が尋ねると、メロウはきょとんとした。
「そのつもりで荷造りしとるんじゃが」
「火山だけじゃなくて?」
「お前さん、わしの話を聞いておったか?」
杖の鳥頭が私へ向く。
「第三箱はリベルへ行った。第六種の道はまだ続いとる。第五種も残っとるし、他の幻獣種も調査は終わっておらん。それなのに火山だけ見て、わし一人グライツへ戻って何をする」
言われてみれば、その通りだった。
メロウの旅は火山で終わらない。
私たちの旅も終わらない。
なら、同じものを追うあいだ一緒に歩くのは自然なことなのかもしれない。
『仲間増えた!』
メリーが嬉しそうに飛び回る。
「待て待て、勝手に――」
メロウが言いかける。
私はじっと見る。
メリーも見る。
フランまで少し笑いながら見ている。
メロウはしばらく黙り、やがて諦めたように鳥の杖を床へ突いた。
「……好きに呼べ」
『やった!』
メリーがメロウのタヌキフードへ飛びついた。
「そこへ乗るな!」
『ふわふわ!』
「わしの調査装束じゃぞ!」
「遭難したとき見つけてもらうための?」
私が聞くと、フランが吹き出した。
「覚えておったのか……」
「忘れないよ、そんな理由」
朝から騒がしい。
でも、悪くなかった。
旅を始めたころ、私はこんなに人数が増えるなんて考えていなかった。
出会って。
一緒に歩いて。
別れる人もいて。
別の場所へ残る人もいる。
そして今度は、タヌキのフードを被った考古学者が増えた。
理由は《調査に使えるものは全部使う》らしいけれど、それでもいい。
一緒に旅をする理由なんて、最初から綺麗でなくてもいいのだと思う。
そのあと私たちは、メロウの荷物を本当に必要なものだけへ減らした。
鍋は一つ。
調査用の小槌と金属棒は残す。
採取瓶も必要最低限。
紙は濡れないよう布で包み、地図は筒へ入れる。
水と保存食は一人へ偏らないよう分ける。
オラクルが現実的な量を決め、フランは重量を確認し、リリィは火山までの道を最新の情報と照らし合わせた。
準備を終えたところで、私はメリーと一緒に大図書館へ向かった。
出発前に一度だけ行っておきたかった。
巨大な扉をくぐると、いつもの紙と木の匂いがした。
高い吹き抜け。
何階まであるのか分からない書架。
行き交う司書と利用者。
最初に来た日は、どこから見ればいいのか分からないほど広く感じた場所だ。
今は、あちこちに思い出せる場所がある。
「あそこ、最初にメロウさんのこと聞いた受付」
『いなかったね』
「山にいたからね」
『タヌキで』
「それは関係ないと思う」
記録管理区へ行き、第三箱の調査で何度も世話になった司書へ、しばらくグライツを離れることを伝えた。
「リベル王国へ向かわれるのですか?」
「まだです」
私は首を横へ振る。
「第三箱がリベルへ移管されたところまでは追えたから、その続きは向こうへ行ったときに調べます。今は別の手掛かりを、自分たちで確かめに行きます」
口にすると、昨日よりはっきり整理できた。
第三箱は消えたのではなかった。
研究者が残した《古代召喚媒体・未整理記録》は一度大図書館へ確実に届き、その後《古代召喚媒体関連資料との比較調査》を理由として、正式にリベル王国へ移管された。
なぜリベルだったのか。
何と比較する予定だったのか。
第三箱が今どこにあるのか。
それはまだ分からない。
でも道は残った。
だから今、同じ場所で足踏みする必要はない。
司書へ礼を言い、出口へ向かう途中で、私は旧国家資料区の前でも足を止めた。
フランの故郷、リザーメイトについて調べた場所。
地下牢獄最深部に隔離されていた若い男。
正体を永久非公開にされた二人の接見者。
王国崩壊の日。
そして、幼いフランを王宮から連れ出した人物。
あの調査も終わっていない。
でもフランは、自分の記憶を無理に掘り起こさないと決めた。
《俺が一人で逃げたんじゃなかった》。
今は、その事実だけを持って次へ進む。
「行こう、メリー」
『うん』
巨大な扉を抜ける。
外の光が眩しかった。
私は一度だけ振り返った。
世界一の大図書館。
ここへ来れば全部の答えが見つかると思っていた。
でも実際に見つかったのは、答えだけではない。
新しい疑問。
次に調べる国。
外へ出なければ確認できない痕跡。
そして、新しい仲間。
「ありがとうございました」
小さく頭を下げた。
宿へ戻ると、準備は終わっていた。
フランが縄と装備を確認し、リリィも火山側から来た商人に最新の街道状況を聞いて戻っている。
「大きな噴火はないみたい。ただ、麓へ近づくほど灰が増えてるって。風向きによっては街道まで流れてくるらしいよ」
「なら口と鼻を覆う布はすぐ出せる場所へ入れとけ」
オラクルが荷物を確認する。
メロウはその横で、自分の調査用小槌を探していた。
「わしの小槌がない!」
「右の腰」
フランが教える。
メロウが見る。
「あった」
「本当に一人で山入ってたの?」
私が聞くと、メロウは怒った。
「三日間無事に帰ってきたじゃろ!」
「私たちが迎えに行ったけど」
「帰る途中じゃった!」
そんなことを言い合いながら、六人で宿を出た。
グライツの大通りを歩き、街の門へ向かう。
専門書店。
地図工房。
旅道具屋。
メロウを探して走り回った場所が、次々に後ろへ流れていく。
門を抜ける直前、フランが大図書館の中央塔を振り返った。
私も足を止める。
「調べてよかった?」
尋ねると、フランは少し考えてから頷いた。
「怖かったけど、よかった。俺が一人で逃げたんじゃなかったって分かったから」
「続きもいつか調べようね」
「うん。でも今は、これでいい」
フランは前を向いた。
私も前を見る。
その少し先では、メロウが鳥の杖を振っている。
「遅いぞ! 調査対象は待ってくれん!」
「幻獣種がいるって決まってないでしょ!」
「だから調べるんじゃ!」
「それもそうか!」
「納得するの早いな」
オラクルが呆れ、リリィが笑う。
メリーも私の肩から身を乗り出し、先を歩くメロウへ向かって手を振った。
『待ってー!』
私たちは再び歩き始めた。
グライツの門を抜けると、白い建物が並んでいた街の景色は少しずつ遠ざかり、代わりに緩やかな丘と草原が視界を占めるようになった。火山はまだ見えない。今日の目的地は街道沿いの宿場で、そこからさらに何日か掛けて麓の集落へ向かう予定になっている。
それでも、昨日までとは明らかに違った。
五人だった旅に、メロウが加わっている。
しかも本人は仲間になったことより、私の《聖なるマップ》のほうが気になっているらしい。
「フール。それをもう一度見せてみい」
歩き始めてそれほど経っていないのに、メロウが私の横へ来た。
「今?」
「今じゃ。大図書館では《幻獣種召喚の本》ばかり見ておったからな。《聖なるマップ》のほうも詳しく確認したい」
「歩きながら?」
「平坦な街道じゃろ」
「さっき木の根で転びそうになってたのに?」
「それは山道じゃ!」
妙なところで自信がある。
私は仕方なく《聖なるマップ》を取り出したものの、開く前にオラクルへ確認した。
「見せてもいい?」
「構わねえだろ。ただし爺さん、勝手にいじるなよ」
「分かっておる!」
返事が早すぎて少し不安だった。
私は歩きながら開くのをやめ、街道脇にある休憩用の石へ移動した。全員が少しだけ足を止め、メロウにも見えるよう《聖なるマップ》を広げる。
現在地。
これまで通ってきた土地。
旅の中で関わったもの。
マップには、普通の地図にはない私たちの旅が残っている。
メロウは最初こそ身を乗り出したものの、すぐには触れなかった。タヌキのフードの下で目だけを動かし、表示されている内容を一つずつ確かめている。
「なるほど……現在地だけを示すものではないのか」
「うん。旅の途中で関わったものが増えていくの」
「どの程度の関わりで記録される?」
「それが全部同じじゃないんだよね」
薬草のようなものもあれば、人物や出来事が残る場合もある。深く関わった対象がカードになることもあるけれど、私自身にも完全な条件は分かっていない。
説明を聞くほど、メロウの目が輝いていった。
「面白い!」
急に大声を出したので、近くを歩いていた旅人がこちらを見る。
私は慌ててマップを閉じかけた。
「声大きい!」
「これほど興味深いものを見せられて静かにしておれるか! 土地だけでなく、所有者の行動そのものが記録へ影響しておる可能性がある。ならば通常の地図とは根本から違うぞ」
「だからって道の真ん中で叫ぶな」
オラクルに注意されても、メロウは気にしていない。
「火山でも使うぞ」
「もちろん使うよ」
「そうではない。道を見るだけではなく、現地で何へ反応するのかを確認するんじゃ。古い加工跡を見つけたとき、遺構へ近づいたとき、幻獣種に関係する痕跡があったとき、何か変化が起きる可能性がある」
私は閉じかけた手を止めた。
そんな使い方は考えていなかった。
《聖なるマップ》は道を示してくれる。
旅を記録してくれる。
でもメロウは、マップが何を記録するのか自体を情報として見ようとしている。
「それって、マップも調査するってこと?」
「当然じゃ」
メロウは平然としていた。
「幻獣種そのものが見つからなくとも、《聖なるマップ》が何かへ反応すれば、それまで気づかなかった痕跡を疑える。反応しなければ、それも一つの結果じゃ。使えるものを使うとは、そういうことじゃぞ」
リリィが横からマップを見る。
「でも、反応しなかったから関係ないとは言えないですよね。条件が分からないなら」
メロウがリリィを見る。
一瞬だけ黙ったあと、嬉しそうに笑った。
「その通りじゃ!」
「近い近い」
急に顔を寄せられたリリィが少し下がる。
「反応なしを《無関係》と決めれば、調査結果を都合よく解釈することになる。記録するなら、《反応なし》までじゃ」
「それ、大図書館でもやったね」
私が言うと、リリィが頷いた。
「見つからなかったことと、存在しないことは違うから」
二人の会話を聞いているうちに、私は少し嬉しくなった。
メロウが増えたからといって、今までの誰かの役割がなくなるわけではない。
メロウは古いものを読む。
リリィは残された痕跡を追う。
オラクルは推測が事実へ変わりそうになれば止める。
フランは危険な場所で前へ出てくれる。
メリーには私たちとは違う感覚がある。
そして私は、その全部を一緒に見ていける。
「何笑ってる?」
フランに聞かれた。
「六人になったなって思って」
「昨日からだけど」
「ちゃんと旅してると、今のほうが感じるの」
フランは少しだけ前を歩くメロウを見る。
「賑やかにはなったね」
「お前さんら! 休憩は終わりじゃ!」
噂をすれば、メロウが勝手に歩き始めている。
「今までマップ見てたのメロウさんじゃん!」
「見終わったから出発じゃ!」
「自由だな、あの爺さん」
オラクルの言葉には私も同意した。
再び街道を進んだ。
昼を過ぎるころにはグライツの中央塔もかなり小さくなり、周囲には草原と低い丘が広がっていた。道そのものは整備されているものの、進むにつれて行き交う馬車の数が減り、代わりに大きな荷物を積んだ商人や、火山側から来たらしい旅人とすれ違うことが増えていく。
そのうちの一人を見て、リリィが足を止めた。
「服に灰が付いてる」
男性の外套には、白とも灰色ともつかない細かな粉が薄く積もっていた。
メロウもすぐ気づく。
「火山側から来たのかもしれんな」
オラクルは私たちを待たせ、その旅人へ声を掛けた。
少し話を聞くと、予想どおりだった。
男は火山地帯そのものへ入ったわけではなく、麓の集落からグライツ方面へ戻る途中らしい。
「ここ数日は灰が多い?」
オラクルが尋ねる。
「昨日まではな。今日は風向きが変わったから、少しマシだと思う。ただ、山へ近づくなら口を覆う布はあったほうがいい」
「地震は?」
「小さいのなら何度か。あの辺じゃ珍しくない」
メロウがすぐ質問を重ねようとしたので、オラクルが腕で止めた。
「一個ずつ聞け」
「時間が惜しい!」
「相手にも予定があるんだよ」
それでも旅人は嫌な顔をせず、最近使われている街道や麓の状況まで教えてくれた。
古い地図では通れることになっている道の一部が、以前の崩落で使えなくなっているらしい。
代わりに、少し遠回りになる別の道が使われている。
メロウはすぐ自分の地図へ書き込んだ。
「やはり現地情報は必要じゃな」
「昨日自分で言ってたでしょ」
「確認しただけじゃ」
私は少し笑った。
大図書館にあった古い記録。
メロウが持つ昔の地図。
今日会った旅人が知る現在の道。
どれか一つだけでは足りない。
昔を知る人と、今を知る人。
本と現地。
両方を重ねて、ようやく進める道が見えてくる。
旅人と別れ、さらに歩いた。
午後になると、風の匂いが少しずつ変わった。
最初に気づいたのはメリーだった。
『なんか違う』
「何が?」
『空気』
私は鼻から息を吸った。
すぐには分からない。
草の匂い。
土。
風。
それに混じって、ごく薄く焦げたような匂いがある。
「火山?」
「まだ遠いぞ」
メロウが答える。
「じゃが風次第では、灰や噴気の臭いがここまで来ることはある」
遠くを見る。
山々は見える。
でも、どれが目的の火山なのか私にはまだ分からなかった。
メロウは少し高くなった場所で立ち止まり、杖の先を遠方へ向ける。
「あれじゃ」
指された方向を見る。
いくつもの山のさらに向こう。
雲だと思っていた灰色のものが、一か所だけ空へ細長く伸びている。
「煙?」
「噴煙じゃな」
胸が少し高鳴った。
まだ何日か先。
それでも初めて、目的地そのものが見えた。
フランも目を細めている。
リリィは地図と方角を確認し、オラクルは空の流れを見ていた。
メリーだけは私の頭の上まで飛び上がる。
『あそこ行くの!?』
「うん」
『すごい煙出てるよ!?』
「私も今ちょっと思った」
「今さら怖くなったか?」
フランが笑う。
「怖くないとは言ってないよ」
私は遠くの噴煙を見たまま答えた。
「怖いけど、見たい」
大図書館で火山の記録を読んだときは、ただの文字だった。
噴煙。
火山灰。
溶岩。
地割れ。
その一つ一つが、今は遠くに見える山から本当に生まれている。
そこへ自分たちで向かう。
「ただし」
私は先に付け加えた。
「危なかったら戻る」
オラクルが振り返った。
「言う前に言われた」
「だから成長したって!」
「採石場でちょっとは学んだみてえだな」
「ちょっとじゃないよ!」
笑い声が街道へ広がった。
その日の夕方、私たちは予定していた宿場へ到着した。
グライツよりずっと小さな場所で、街道を挟んで宿や食堂、旅道具を扱う店が並んでいる。行き交う人の服には薄く灰が付いているものもあり、軒先には汚れた布を叩くための棒が置かれていた。
宿へ入る前、私はもう一度だけ西の空を見る。
夕日に照らされた山々の向こうで、灰色の噴煙が細く空へ伸びていた。
明日になれば、もっと近づく。
その次の日には、匂いも熱も今より強くなるかもしれない。
そしていつか街道が終わり、そこから先は私たち自身で道を探さなければならなくなる。
メロウが隣へ立った。
「楽しそうじゃな」
「分かる?」
「顔を見ればな」
少し恥ずかしくなった。
「メロウさんも同じ顔してるよ」
「わしは研究者じゃぞ。当然じゃ」
メロウは遠くの噴煙を見ながら、鳥の杖を握り直した。
「古い伝承が正しいのか、加工石が何のために作られたのか、そもそも幻獣種と何の関係もないのか。行けば全部分かるとは限らんが、行かなければ分からんことは確実にある」
「うん」
「だから使えるものは全部使う。お前さんらも、わしを好きなだけ使え」
「それ、仲間に言う言い方?」
「考古学者には最大級の信用じゃ」
私は少し考えてから笑った。
「じゃあ、遠慮しない」
「望むところじゃ」
私たちは宿へ入った。
グライツの本棚から始まった手掛かりは、一人の考古学者へ繋がり、その考古学者は今、私たちと同じ道を歩いている。
六人になった旅は、まだ始まったばかりだ。
そして街道の遥か先では、夕暮れの空へ噴煙を上げながら、次に調べるべき火山が静かに待っていた。




