第169話 岩壁の向こうから
翌朝、私たちは昨日と同じ古道を通り、採石場跡まで戻ってきた。
二度目になると、昨日ほど遠くは感じなかった。途中で道の半分が崩れている場所も、フランが同じ木へ縄を固定し、全員で順番に越える。昨日見つけた赤紫色の繊維や杖らしい跡もそのまま残っていたけれど、今日は一つずつ立ち止まって確認する必要はない。
追う場所は、もう分かっている。
採石場跡へ着くと、昨日入った旧坑道が岩壁の奥で黒い口を開けていた。
あの中には、一人分の靴跡と杖を突いたような跡が続いていた。しかし第三支柱より先で古い天井が崩れ、左壁沿いに残った隙間も、今は安全に通れる状態ではない。
私たちが引き返した直後にも石が落ちている。
同じ道を無理に進むつもりはなかった。
「こっちだね」
リリィが向かったのは、昨日最後に見つけた別の坑道だった。
入口の半分ほどが草に覆われているものの、中へ入れるだけの幅は残っている。古い測量図では、途中で昨日の坑道へ近づき、その先でさらに奥へ続いているように描かれていた。
そして入口の岩壁には、一本だけ新しい白線が残されている。
昨日の坑道にあった《奥、旧坑道》《第三支柱先、崩落。左壁沿いに迂回》という文字と同じような白い粉だった。
誰が付けたものなのかは、まだ分からない。
でも調べる価値は十分にある。
「入る前に確認するぞ」
オラクルが古い測量図を広げた。
「昨日の坑道を正面から抜けようとすんな。目的は崩落の向こう側へ出られる道があるか調べることだ。こっちまで危なけりゃ戻る」
「分かってる」
「返事だけはいいんだよな」
「昨日ちゃんと戻ったじゃん!」
『戻った!』
メリーがすぐ援護してくれた。
フランは二人のやり取りを聞きながら、坑道の入口を調べている。
古い木製支柱へ軽く触れ、天井の亀裂や岩の状態を確認してから、携帯用の魔法灯を掲げた。
「入口付近は大丈夫そう。でも昨日と同じで、中へ入ったら支柱ごとに止まって確認しよう」
「うん」
昨日、拳ほどの石が目の前へ落ちた光景はまだ覚えている。
暗い坑道だから怖いのではない。
何十年も放置された場所では、昨日まで通れた道が今日も通れるとは限らない。そのことを知ったから、今日は奥へ進みたい気持ちより先に天井を見ることができた。
フランを先頭に坑道へ入った。
その後ろをリリィ、私とメリー、最後にオラクルが続く。
外の光は十歩ほど進むだけで弱くなり、魔法灯の淡い光が岩壁を照らした。昨日の坑道より少し狭く、左右の壁には何本もの採掘跡が走っている。
足元には昔の木材や小石が散らばっていた。
一つ目の支柱を越える。
フランが止まり、天井を見る。
「ここは大丈夫」
次へ進む。
二つ目も問題ない。
ただし、その先で道が二つに分かれていた。
「地図だと?」
フランに聞かれ、リリィが筒から測量図を取り出した。
魔法灯の近くへ寄せて確認する。
「右は短い。昔の採掘場所で行き止まりになってる。左が昨日の坑道へ近づく道」
「じゃあ左?」
私が聞く。
リリィは地図だけでは決めなかった。
二つの道の入口へ順番に魔法灯を向け、地面を確認する。
右側には細かな石が積もり、表面がほとんど乱れていない。
左側は違った。
「ここ」
乾いた土に、靴底の一部が残っている。
完全な足跡ではない。それでも踵側の形は、昨日の坑道で見たものとよく似ていた。
さらに、その右側。
細い棒を突いたような丸い窪み。
「杖の跡もある」
私は思わず声を弾ませた。
リリィは頷いたものの、すぐ地面の先へ視線を移した。
「この人は左へ行ってる。それと、見て」
壁の角。
そこに白い線が二本あった。
一本は縦。
もう一本は、その下から左へ伸びている。
昨日入口で見つけた一本線だけでは意味が分からなかった。でもここまで続けば、ただの汚れには見えない。
「道しるべ?」
「自分用の印かもしれないね」
オラクルが壁へ近づく。
「迷いやすい坑道なら、帰り道を残すのは普通だ。問題は、これを付けたのが俺たちの探してる爺さんかどうかだな」
その答えは、もう少し先で見つかった。
左の坑道へ入り、三つ目の支柱を越えたところで、リリィが壁際から小さなものを拾い上げる。
今度は布ではない。
細い紐だった。
紫と金の二色が編み込まれている。
片側には、木製の小さな留め具が残っていた。
「これ……」
私は昨日見つけた装飾を思い出した。
金色の塗料が残る金具。
茶色い毛。
鳥をかたどった木製の飾り。
そして今度は、派手な色の組紐。
偶然にしては、メロウの外見と重なるものが増えすぎている。
リリィも今回は少し長く確認した。
「同じ人物の装備から外れた可能性はかなり高いと思う。入口からここまで、足跡と杖跡も続いてるし」
「もうメロウでいいんじゃない?」
「会って確認するまでは《可能性が高い》」
「リリィ厳しい」
「追跡するなら普通だよ」
でも、口元は少し笑っていた。
私も嬉しかった。
本棚の中では何日調べても本人へ会えなかった。
それが今は、メロウが落としたかもしれない小さな物を追って、同じ道を歩いている。
さらに奥へ進むと、坑道の空気が少し変わった。
風がある。
正面からではない。
左側の岩壁に細い裂け目があり、そこから冷たい空気が流れていた。
フランが魔法灯を近づける。
「向こうに空間がある」
裂け目そのものは人が通れる幅ではない。ただ、壁の向こうが完全な岩ではないことは分かった。
リリィが測量図を見る。
「位置的には、昨日の坑道がこの向こうにあるはず」
私は壁へ耳を近づけた。
何も聞こえない。
でも、この岩壁の向こうに昨日引き返した場所があると思うと、不思議な感じがした。
「じゃあ、このまま進めば反対側へ出られる?」
「地図が正しければ、もう少し先で合流する」
オラクルが言った。
「ただし何十年も前の地図だ。そこは忘れんな」
道は緩やかに下り始めた。
天井も少し低くなり、ところどころフランでも頭を下げなければならない。木製支柱の間隔も不規則になり、一本は途中から折れて壁へ寄り掛かっていた。
その前でフランが止まる。
「ここ、触らないで」
折れた支柱そのものではなく、その上にある岩を見ている。
大きな亀裂はない。
ただ、天井から小石が何個か落ちた跡があった。
私たちは一人ずつ壁側を通った。
昨日のことがあるから、誰も急がない。
メリーも飛び回らず、私の肩へしっかり掴まっている。
全員が越えたところで、ようやくフランが歩き始めた。
さらに奥。
そこでリリィがまた止まった。
「新しい」
地面に跡が残っている。
誰かが膝をついたような二つの窪み。
その前の岩壁だけ、表面の埃が広く払われていた。
魔法灯を近づける。
岩には何本もの線が刻まれている。
採掘の傷とは違った。
直線。
曲線。
その間に、小さな記号。
古い文字のようにも見える。
「これを調べてた?」
私が尋ねると、リリィは地面を示した。
「少なくとも、ここで誰かが長く止まってる。膝の跡があるし、壁の埃も払われてる。それに――」
岩壁の下。
白い粉が落ちている。
その横には、短く削られた炭筆の欠片まで残っていた。
採石場の焚き火跡で見つけた紙片にも、同じような黒い粉が付いていた。
誰かがここで壁を調べ、何かを書き写した。
その人物が、ここまで白い印を残しながら進んできた可能性が高い。
「考古学者っぽくなってきた」
フランが言う。
「派手なだけじゃなかった」
私が答えると、メリーが首を傾げた。
『考古学者なんだから当たり前じゃない?』
「そうなんだけど、まだ会ってないから……」
今の私の中では、タヌキと鳥の印象が強すぎる。
壁の記号が何を意味するのかは、私たちには分からなかった。
ここはメロウの専門だ。
だから勝手に解読しようとせず、位置と形だけを記録して先へ進む。
しばらくすると、坑道の先が少し明るくなった。
外の光ではない。
向こう側から、私たちの魔法灯とは別の淡い光が見える。
「止まって」
フランが片手を上げた。
全員が足を止める。
光は動いていない。
魔法灯かもしれない。
近づく前に、リリィが地面を見る。
靴跡と杖跡は、その光の方向へ続いていた。
フランが先へ進み、曲がり角から慎重に向こうを確認する。
数秒後、こちらへ手招きした。
「来ていい」
曲がり角を抜ける。
そこは少し広い空間だった。
そして右側の壁が、大きく崩れている。
崩れた岩の向こうには、見覚えのある場所があった。
「昨日の……」
第三支柱。
崩落した土砂。
私たちが引き返した坑道だ。
ただし今いるのは反対側だった。
昨日、越えられなかった場所を、別の坑道から回り込んだのだ。
「繋がってた」
思わず笑ってしまった。
オラクルが古い測量図と周囲を確認する。
「昔の地図も捨てたもんじゃねえな」
でも、リリィは崩落そのものではなく地面を見ていた。
「こっち」
昨日見た足跡がある。
崩落箇所の左壁沿いを抜け、こちら側まで続いている。
そして、そこで終わっていない。
さらに奥へ。
「やっぱり通ってたんだ」
三日前。
誰かが昨日の崩落箇所を越えて、この場所まで来ている。
私たちは同じ場所を通れなかったけれど、別の道から追いついた。
胸が高鳴る。
「この先だね」
「待て」
オラクルに止められた。
「まず時間確認しろ」
採石場へ入ってから、かなり経っている。
まだ戻る余裕はある。
でも、どこまでも追えるわけではない。
「もう少しだけ」
「その《もう少し》を決めてから行け」
以前なら不満に思ったかもしれない。
今は違う。
「次に安全に戻れる場所まで。時間が危なくなったら戻る」
「それならいい」
再び進む。
ここから先は古い測量図でも線が曖昧だった。
坑道が何度か枝分かれしている。
でも追うものは残っている。
靴跡。
杖跡。
白い目印。
さらに一度だけ、岩壁に赤紫色の繊維が引っ掛かっていた。
ここまで来れば、私の中ではほとんど答えが出ている。
それでもリリィが言うまでは決めない。
そして、次の曲がり角でリリィが突然しゃがんだ。
「これ……かなり新しい」
地面に、小さな食べ物の欠片が落ちている。
乾いたパンの端だった。
その横には、まだ完全には乾いていない水滴の跡。
「三日前のもの?」
「水滴は違うと思う」
リリィが顔を上げる。
「もっと新しい」
全員が黙った。
三日前にここへ入った人物の痕跡を追っていた。
でも今見つけた水の跡は、それよりずっと新しい可能性がある。
つまり――。
「まだ近くにいる?」
私が声を落として尋ねる。
リリィは答える前に、坑道の奥へ目を向けた。
そのときだった。
遠くから音が聞こえた。
コン。
硬いものが岩へ当たる音。
少し間を置いて、
コン、コン。
今度は二回。
自然に石が落ちた音とは違う。
一定の間隔がある。
誰かが、何かで岩を叩いている。
私たちは顔を見合わせた。
メリーが私の耳元で囁く。
『誰かいる』
「うん」
胸が一気に高鳴った。
フランは短剣へ手を掛けたものの、抜かなかった。敵だと決まったわけではない。
リリィは地面へ残る足跡を確認する。
靴跡は、音が聞こえた方向へ続いている。
オラクルも今度は戻れとは言わなかった。
「ここまで追った相手なら、確かめる価値はある。ただし走るな。相手がメロウとも限らねえ」
私は頷いた。
何日も追ってきた。
大図書館の利用記録から専門書店へ進み、地図工房、旅道具屋、北門、古道、採石場、そして地下の旧坑道まで来た。
一つの痕跡だけを信じたわけではない。
いくつもの小さな痕跡を重ねて、ここまで辿り着いた。
その先から、もう一度音が響く。
コン。
今度はさっきより近く聞こえた。
私は魔法灯を握り直した。
「行こう」
五人で音のする方向へ歩き始める。
坑道の先にはまだ暗闇が続いていたけれど、もう何もない闇には見えなかった。私たちの知らない誰かが、この先で岩を叩いている。それが何日も探してきたメロウなのか、それともまったく別の人物なのかは分からない。
だからこそ、急ぐことはできなかった。
フランが先頭へ立ち、魔法灯の光が届く範囲を一つずつ確認しながら進む。その後ろではリリィが靴跡と杖跡を見失わないよう地面を追い、私はメリーと一緒に周囲の音へ意識を向けた。オラクルも何度か振り返り、帰り道に使う白い目印の位置を確認している。
坑道は少しずつ狭くなっていた。
左右の岩壁には採掘された跡が残っているものの、途中から支柱の数が急に減り、天井も自然な岩肌へ変わっていく。昔の採石場で働いていた人たちが、ここから先まで本格的に掘り進めたのかどうかさえ分からなかった。
しばらく進んだところで、フランが片手を上げる。
全員が足を止めた。
「どうしたの?」
声を抑えて尋ねると、フランは魔法灯を前へ向けた。
「道が分かれてる」
正面と右。
二つの暗い通路がある。
古い測量図を開いたリリィが現在地を探したものの、すぐに眉を寄せた。
「ここから先、地図と合わない」
「どういうこと?」
「地図だと一本のはず。でも実際には二つある。あとから掘られたのか、地図が作られた時点で記録されてなかったのかは分からない」
ここで間違えれば、追跡してきた痕跡を失う。
私は二つの通路を見比べた。
どちらも同じように暗く、見ただけでは違いが分からない。
「音は?」
メリーが小さな耳を澄ませる。
私たちも黙った。
何も聞こえない。
さっきまで一定の間隔で響いていた音が、完全に止まっている。
静かになっただけなのに、急に坑道が広く感じられた。
「……気づかれた?」
思わず口にすると、フランが正面から視線を外さず答えた。
「分からない。俺たちの声か足音が向こうまで届いてた可能性はある」
もしメロウなら、話しかければいい。
でも別人だったら。
あるいは、この採石場に人間ではない何かがいるのなら。
私は魔法灯を握る手に少し力を入れた。
怖い。
それでも、怖いから適当にどちらかを選ぶのはもっと嫌だった。
「痕跡は?」
オラクルに言われ、リリィが二つの分岐を順番に調べる。
正面側には古い靴跡がいくつも重なっている。
採石場が使われていたころのものなのか、形はほとんど残っていない。
右側は地面が少し湿っていた。
リリィが魔法灯を低くすると、そこに一つだけ新しい窪みが浮かび上がる。
踵。
その少し右前。
丸い杖跡。
「こっち」
リリィはさらに壁際へ光を動かした。
白い線が一本残っている。
ここまで何度も見てきた目印と同じだった。
「右だね」
「可能性は高い。足跡も続いてる」
今度は迷わなかった。
右の通路へ入る。
ただ、さっきまでより全員の間隔が自然と狭くなっていた。
メリーも飛ばず、私の肩から動かない。
十歩。
二十歩。
音は戻らない。
聞こえるのは私たちの靴が土を踏む音と、衣服が擦れる小さな音だけだった。
その静けさの中で、突然フランが止まった。
私も危うく背中へぶつかりそうになる。
「何?」
フランは答えず、魔法灯を地面へ向けた。
足跡が乱れている。
それまで一定の歩幅で続いていた靴跡が、同じ場所へ何度も重なっていた。
壁際には杖を強く突いたような深い穴もある。
リリィがしゃがむ。
「ここで止まってる。かなり長く」
「休んだ?」
「それだけじゃないかも」
光を横へ動かす。
岩壁の表面が広い範囲で払われていた。
そこには細かな線や文字らしきものが刻まれている。
さらに壁の下には、炭筆で何かを書いた紙の切れ端が落ちていた。
今度は文字が残っている。
紙そのものは小さく、文章の途中しかない。
《……人工加工ではない可能性》
その下。
《層の年代が合わぬ》
そして端には、途中で切れた一文。
《北部記録との比較が必要――》
「これ……」
私は紙を見つめた。
誰かがここで調査をしていた。
しかも、ただ道に迷って入った旅人ではない。
岩壁を観察し、年代を考え、別の記録と比較しようとしている。
考古学者。
その言葉が頭へ浮かんだ。
リリィも同じことを考えたのかもしれない。
「ここまでの痕跡と合わせれば、かなり近いと思う」
今度の声には、いつもより確信があった。
オラクルも否定しない。
「少なくとも俺たちが追ってる爺さんと同じような調査をしてる奴が、ここへ最近入った。それで十分だ」
メロウだ。
そう言いたくなった。
でも私は飲み込んだ。
本人を見るまで待つ。
ここまで待てたのだから、あと少しくらい待てる。
そのとき、メリーが私の髪を引いた。
『フール』
「なに?」
『匂いする』
「匂い?」
メリーが坑道の奥を指す。
私も鼻から息を吸った。
湿った石と土の匂い。
それに混じって、ほんの少しだけ別のものがある。
煙。
焚き火とは少し違う。
もっと近くで嗅いだことがあるような――。
オラクルが先に気づいた。
「タバコじゃねえ。油だな」
魔法灯に使うものとは違う、道具の手入れに使う油らしい。
フランも奥を見る。
「近くに荷物があるかもしれない」
再び進む。
通路は少しずつ広くなり、壁に残る調査跡も増えていった。
白い印。
炭筆の小さな線。
岩へ直接書き込まれた数字。
その一つ一つが、誰かがここで立ち止まり、調べながら進んだことを示している。
私はもう、ただ暗い坑道を歩いている気がしなかった。
私たちは誰かの思考の跡を追っている。
この岩を見た。
ここで止まった。
こちらへ進むと決めた。
そして、その人物はまだ遠くない場所にいるかもしれない。
また音がした。
コン。
全員が止まる。
今度は明らかに近い。
岩壁の向こうではない。
この通路の先から聞こえた。
続いて、何かを地面へ置くような音。
そのあと――。
「……まったく、硬すぎるじゃろ」
声。
人の声だった。
私は思わずフランを見る。
フランもこちらを見る。
メリーの目が大きくなる。
『お爺ちゃん』
小声なのに、ものすごく嬉しそうだった。
「まだメロウとは――」
言いかけて、止まる。
その先から今度は別の音がした。
しゃらん。
金属か何かが揺れる音。
続いて、老人の声がまた聞こえる。
「鳥頭め、こんなところで引っ掛かりおって……また飾りが取れたらどうするんじゃ」
私は口を閉じた。
鳥。
飾り。
昨日、古道で見つけた木製の鳥飾り。
メリーが両手で自分の口を押さえている。
たぶん声を出したくて仕方がないのだ。
リリィも、今度ばかりは小さく笑った。
「……かなり高そうだね」
「うん」
本人である可能性が。
でも、まだ姿は見えない。
フランが先へ進もうとして、すぐ止まった。
通路の先から淡い光が漏れている。
私たちの魔法灯とは違う、少し黄色い光だった。
その光が岩壁へ揺れ、何か大きな影を映している。
人の影。
頭の上だけ、不自然に丸く張り出していた。
タヌキの顔が付いたフード。
そう思った瞬間、胸の鼓動が一段大きくなった。
何日も探した。
大図書館で利用記録を調べ、専門書店から地図工房へ進み、旅道具屋で四日分の食料を買ったことを知った。北門の記録を追い、古道を見つけ、落ちていた装飾を拾い、採石場の旧坑道まで足跡と杖跡を追ってきた。
その全部が、この先へ続いている。
けれど、私は飛び出さなかった。
フランが先頭で周囲を確認している。
リリィも最後の足跡を見ている。
オラクルは帰り道と時間を忘れていない。
私一人で見つけたわけではないから、最後までみんなで進みたかった。
やがてフランが小さく頷いた。
「危険なものは見えない。行こう」
五人で最後の曲がり角へ近づく。
声の主は、まだ私たちに気づいていないらしい。
岩を擦る音と、紙をめくる音が聞こえてくる。
曲がり角の手前まで来ると、地面に置かれた大きな荷物の端が見えた。太い縄、水筒、使いかけの保存食。それから、地図工房で見たものと同じような古い測量図。
もう偶然とは思えなかった。
リリィが私を見る。
今度は言葉にしなくても分かった。
追跡は、ここまでだ。
私は一度だけ息を整えた。
怖さはもうほとんどなく、その代わりに胸の中を占めていたのは、ようやく会えるかもしれないという期待だった。
曲がり角の向こうでは、老人がまた何かを呟いている。
その声を聞きながら、私はここ数日の大図書館での調査を思い出した。
《第六種――追跡不能》。
最初にその文字を見たときは、本当にどこから追えばいいのかさえ分からなかった。
それでも消えた旧記録を追い、第三箱へ辿り着き、第三箱を追った道はリベル王国へ続いた。そして同時に、幻獣種を長年研究してきた一人の考古学者を追った道は、今この場所まで続いている。
第六体の答えは、まだ見つかっていない。
メロウに会ったからといって、全部分かるとも思っていない。
でも、次の扉までは辿り着いた。
私は曲がり角のすぐ向こうへ視線を向けた。
揺れる黄色い光の中で、丸い耳の付いた大きなフードの影が動く。その隣では、鳥の頭を思わせる形の杖が岩壁へ立て掛けられていた。
探していた人物は、もう声を掛ければ届く場所にいる。
私はそこで足を止めた。
今日の目的は、見失っていたメロウの足跡を追い、その行き先を確かめることだった。
それはもう、果たせた。
次に必要なのは追跡ではない。
あの老人と向き合い、私たちが大図書館で見つけたものを話すこと。
そして――私の鞄の中にある☆5《幻獣種召喚の本》を、長年幻獣種を追ってきた本人へ見せることだった。




