第165話 第3箱の移動先
翌朝、大図書館へ着いた私たちは、巨大な吹き抜けを抜け、そのまま記録管理区へ向かった。
昨日まで追ってきたのは、何十年も前に所在不明となった第三箱。
《虹光現象に関する旧記録》を最後に長時間閲覧した研究者が、退職時に大図書館へ寄贈した三箱のうち、《古代召喚媒体・未整理記録》に分類された第三箱だけが現在の保管記録から消えている。
ただし、昨日の調査で三箱すべてが大図書館へ届いていたことまでは確認できた。
第三箱は旧研究棟第二資料保管室へ置かれ、当時の職員が実物を確認している。中には古い紙束や冊子、図版の写しがあり、研究者本人の署名と《分類前開封不可》という注意書きが付いた厚い封筒も入っていたらしい。
問題は、そのあとだ。
最後に確認された第三箱が、いつ、どこへ運ばれたのか。
正式な手続きで移動していれば、《大型資料運搬台車貸出簿》に痕跡が残っている可能性がある。
逆に、そこにも何もなければ、昨日までようやく一本に繋がり始めた道が、また途切れる。
受付で利用札を提示すると、昨日対応してくれた司書が細長い木箱を机へ運んできた。中には革紐でまとめられた古い帳簿が何冊も収められている。
私の肩から覗き込んだメリーが、少し嫌そうな顔をした。
『また数字いっぱい?』
「今日は全部読まなくていいよ。第三箱の番号を探すだけだから」
『本当?』
「たぶん」
『たぶんって言った』
「始めるぞ」
オラクルに促され、私たちは席についた。
リリィは第三箱の管理番号を書いた紙を机の中央へ置き、帳簿の年代を確認していく。
「最後に箱が確認された日から、所在不明として処理されるまでの期間だけ調べる。正式に動かしたなら、使用者と移動先が残ってるはず」
「なかったら?」
私が聞くと、リリィは少し考えてから答えた。
「そのときは、《正式な移動記録がない》ことを手掛かりにして次を考える。でも今は、ないって決めない」
先に答えを作らない。
ここ数日の調査で何度も繰り返してきたことだ。
私たちは帳簿を分担した。
台車を使用した職員名、運搬した資料の管理番号、移動元、移動先、貸出時刻、返却時刻。必要な欄だけを追っていけばいいとはいえ、似た番号は何度も現れる。
そのたびに中央の紙と照合し、違えばすぐ次へ進んだ。
一冊目にはない。
二冊目も半分を過ぎる。
最初はすぐ見つかると思っていたのに、残っている頁が減るほど胸の奥が落ち着かなくなってきた。
もし、ここにもなかったら。
第三箱が旧研究棟に存在していたことまでは分かっている。でも、そこから先へ繋がる記録がなければ、また何十年も前の空白だけが残る。
「フール」
隣からメリーに呼ばれた。
「なに?」
『そこ、同じところ二回見てる』
「あ……」
集中しているつもりで、同じ行を何度も読んでいたらしい。
オラクルがこちらを見た。
「焦って見落としたら、調べてる意味がねえぞ」
「分かってる」
一度目を閉じ、息を整えてから再び帳簿へ向かう。
その少しあとだった。
リリィの手が止まった。
「待って」
全員が顔を上げる。
リリィはすぐには何も言わず、帳簿と中央の紙を交互に確認した。一文字ずつ番号を追い、最後まで一致していることを確かめてから、ようやく顔を上げる。
「あった。第三箱」
私とフランが同時に身を乗り出した。
間違いない。
第三箱と同じ管理番号。
移動元は、
《旧研究棟・第二資料保管室》。
昨日確認した場所と一致している。
そして移動先には、
《中央整理棟・一時分類室》
と記されていた。
「中央整理棟?」
司書へ尋ねると、当時、寄贈資料や未整理資料を正式な保管場所へ入れる前に、分類や状態確認を行っていた施設だと教えてくれた。
現在はもう残っていないらしい。
「じゃあ、この時点では消えてないんだ」
「そうだね」
リリィの表情が少しだけ明るくなる。
「正式に運ばれてる。なら中央整理棟へ入った記録と、そこから出た記録を探せる」
司書へ確認すると、該当年代の《受入簿》と《搬出簿》が残されていた。
取り寄せてもらった受入簿では、第三箱の番号はすぐに見つかった。
日付も一致。
状態欄には、
《封緘資料含む》
と残されている。
昨日聞いた《分類前開封不可》の封筒が頭に浮かんだけれど、同じものだとはまだ決められない。
ただ、第三箱が中央整理棟へ到着した時点でも、何らかの封をされた資料が含まれていたことは分かった。
問題は、その先だった。
搬出簿を開く。
第三箱が中央整理棟へ入った日から、番号だけを追っていく。
別の資料は次々と移動している。大図書館内部の保管区へ送られたものもあれば、外部の施設へ移されたものもある。
それなのに第三箱の番号はなかなか現れない。
「ここで止まったのかな」
私が呟くと、リリィは首を横へ振った。
「まだ最後まで見てない」
さらに頁を進める。
そこでオラクルが指を止めた。
「これだ」
今度は全員で確認した。
番号は一致している。
第三箱は、中央整理棟からも正式に搬出されていた。
私はそのまま移動先へ視線を走らせた。
そこには大図書館の施設名ではなく、一つの国名が記されている。
《リベル王国》。
しばらく、その文字を見つめた。
初めて聞く名前ではない。
「リベル王国って……前にオラクルが話してたよね?」
「ああ」
オラクルはそれだけ答え、記録の続きを見るよう促した。
「今は国の説明より箱だ。何のために送ったのか確認しろ」
「うん」
搬出記録には《対外移管》という印があり、その横に別の文書番号が記されている。
リリィが司書へ尋ねた。
「この番号は?」
「国外へ資料を移す際に作成された移管文書だと思われます。移管理由や受領確認は、そちらに残されている可能性があります」
「まだありますか?」
「確認してみます」
司書が席を離れた。
第三箱は大図書館の中で消えていなかった。
旧研究棟から中央整理棟へ。
そこからさらに、リベル王国へ。
何十年も前に途切れたと思っていた箱の動きが、ようやく一本の線になり始めている。
「リベル王国へ送ったあと、戻ってきた可能性もあるよね」
フランが言った。
「それも確認しよう」
リリィはすぐに後年の受入記録を調べ始めた。
第三箱と同じ管理番号はない。
確認できる範囲を広げても、大図書館へ返却された記録は見つからなかった。
「じゃあ、今もリベル王国にあるのかな」
言った直後、オラクルを見る。
「……とは、まだ言えないよね」
「分かってきたじゃねえか」
何十年も前の話だ。
今も同じ場所にあるとは限らない。
分かるのは、《大図書館へ返却された記録が残っていない》ところまで。
やがて司書が薄い書類入れを持って戻ってきた。
「該当する対外移管文書が見つかりました」
さっきまで少し緩んでいた空気が、もう一度引き締まった。
これが、グライツで第三箱を追える最後の記録になるかもしれない。
書類の上部には第三箱の管理番号。
移管先には《リベル王国》。
そして、その下に移管理由が残されていた。
《先方より照会のあった古代召喚媒体関連資料との比較調査のため》
私はその一文を二度読んだ。
「古代召喚媒体……」
偶然と片づけるには、同じ言葉が重なりすぎていた。
《虹光現象に関する旧記録》を最後に長時間閲覧した研究者の専門は、《古代魔法現象・召喚媒体》。
閲覧目的は、《既知の召喚媒体との照合》。
照合対象が書かれた部分だけが欠け、その裏には《第三箱へ移す》という追記があった。
第三箱そのものの分類は、《古代召喚媒体・未整理記録》。
そして今、その第三箱が《古代召喚媒体関連資料との比較調査》を理由としてリベル王国へ送られている。
鞄の中の《幻獣種召喚の本》を意識した。
でも、取り出さなかった。
似た言葉があるからといって、ここに書かれた召喚媒体がこの本だと決まったわけではない。
「ここまでは繋げていいよね?」
私が聞くと、リリィは頷いた。
「第三箱が召喚媒体の比較調査に使われたことは確定。でも、研究者が虹光記録と何を照合したのかはまだ分からない」
さらに文書を確認する。
リベル王国側から送られてきた照会文書の番号は残っていたものの、その写しは大図書館には保存されていなかった。
何を調べていたのか。
何と比較したかったのか。
そこまでは分からない。
ただし最後に、一つ重要な記録があった。
《受領確認済》。
発送しただけではない。
第三箱は確かにリベル王国へ届き、向こうで受け取られている。
「これで決まりだね」
私が言うと、リリィがここまでの記録を順番に並べた。
研究者が三箱を寄贈し、すべて大図書館へ届いた。
第三箱は旧研究棟で実物を確認されたあと、中央整理棟へ正式に移動。
そこから《古代召喚媒体関連資料との比較調査》のため、リベル王国へ対外移管。
リベル王国側で受領確認。
その後、大図書館へ戻った記録はない。
第三箱はグライツで消えたのではなかった。
「ここから先は?」
メリーが聞く。
「リベル王国側の記録が必要になる」
リリィが答えた。
「大図書館で第三箱を追うのは、ここまでだと思う」
終わった。
何日も追ってきた第三箱の調査が、ようやく一つの区切りへ辿り着いた。
もちろん、中身の謎が解けたわけではない。
研究者は《虹光現象に関する旧記録》と何を照合したのか。
《第三箱へ移す》と書いたとき、実際に何を箱へ入れたのか。
なぜリベル王国から古代召喚媒体に関する照会が来たのか。
そして、第三箱は今どこにあるのか。
答えは残っている。
でも、少なくとも《次にどこを調べればいいのか分からない》状態ではなくなった。
追う場所が、グライツからリベル王国へ変わっただけだ。
「じゃあ、今すぐリベル王国へ――」
「行かねえぞ」
最後まで言う前にオラクルに止められた。
「まだ言ってない!」
「言おうとしてただろ」
『言おうとしてた顔だった』
「メリーまで!」
フランが笑い、リリィも口元を緩めた。
でもオラクルの言う通りだ。
今の私たちには、グライツでもう一つ追うべきものがある。
メロウ。
幻獣種を長年調べ続け、第一から第四までの伝承を集め、第五体については西方の写本や壁画まで辿り、第六体について《追跡不能》という結論を残した考古学者。
私たちは本ばかり追っていたけれど、最初からグライツへ来た目的の一つは、メロウ本人に会うことだった。
しかも今は、ただ会いたいだけではない。
私たちは大図書館で、《虹光現象に関する旧記録》《既知の召喚媒体との照合》《第三箱へ移す》という、メロウ自身も知らない可能性がある痕跡を見つけている。
そして私の鞄には、メロウが長年追ってきた六体と関係する☆5《幻獣種召喚の本》がある。
本を追うだけでは、ここで止まった。
なら次は、本を書き、伝承を追い、実際に各地を歩いてきた人を追えばいい。
リリィが自分の記録用紙を裏返した。
そこには、すでにメロウについて確認した情報がまとめられている。
五日前。
グライツの専門書店。
そこで《空に関する古い記録》を探していた。
その翌日。
北部山岳方面の地図を用意している。
そしてさらに翌日、北門から街を出た記録が残っている。
「第三箱は何十年も前の足跡だったけど、メロウは三日前だよ」
リリィが言った。
「こっちはまだ新しい。買ったものも、通った門も分かってる。人に聞けば覚えてる可能性も高い」
しかもメロウの格好は、忘れろと言われるほうが難しい。
タヌキの顔が付いたフード。
派手なローブ。
鳥の顔が付いた派手な杖。
「今度は帳簿じゃなくて、人に聞けるんだね」
私が言うと、メリーが嬉しそうに飛び上がった。
『外行ける?』
「行ける」
私は第三箱について書き写した最後の一枚を鞄へしまった。
《リベル王国》。
その名前は忘れない。
いつか第三箱の続きを追うとき、必ず必要になる。
でも、今追う足跡は別にある。
何十年も前の箱ではなく、三日前にこの街を出た派手な考古学者。
大図書館の紙の上で追える道は、ここで一度終わった。
だから今度は、自分たちの足で追う。
私は鞄を背負い直した。
「メロウを探しに行こう」
リリィが頷き、オラクルとフランも席を立った。メリーは待ちきれないように私の周りを一周してから、いつものように肩へ戻ってくる。
何日も静かな大図書館の中で、私たちは紙に残された痕跡を追い続けてきた。
《虹光現象に関する旧記録》を探し、その資料を最後に長時間閲覧した研究者へ辿り着いた。研究者が残した《第三箱へ移す》という追記から所在不明の箱を追い、ようやく今日、その行き先まで突き止めた。
第三箱は、大図書館の中で消えていたわけではない。
《古代召喚媒体関連資料との比較調査》のため、正式な手続きを経てリベル王国へ送られ、向こうで受領されていた。
研究者が虹光記録と何を照合していたのかは分からない。第三箱の中に何を移したのかも、リベル王国で何と比較されたのかも、現在その箱がどこにあるのかも分からない。
それでも、ここへ来たばかりのころとは違う。
六体目には何も残っていないと思っていた。
メロウの調査記録にも、地名も年代も証言者もなく、《第六種――追跡不能》と書かれていた。
けれど、本当に何もなかったわけではない。
かつて《虹光現象に関する旧記録》が存在し、それを召喚媒体と照合しようとした研究者がいた。その研究内容の一部は第三箱へ移された可能性があり、その箱はさらに別の比較調査のためリベル王国へ渡っている。
答えには届いていない。
でも、消えていたと思っていた道の先に、次の場所があることだけは分かった。
私は最後に一度、《リベル王国》と書き写した紙を見てから鞄へしまった。
「忘れないようにしないとね」
「ああ。ただし、今追えるもんを放り出してまで行く必要はねえ」
オラクルの言葉に、私は素直に頷いた。
「分かってる。今はメロウ」
『フールがすぐ行くって言わなかった!』
メリーが驚いたように私の頬を覗き込んでくる。
「私だってちゃんと考えるようになったんだから」
「さっきオラクルに止められてたけどな」
フランに言われ、言葉に詰まる。
「……あれはちょっと考えただけ」
「行こうとはしてたんだ」
リリィまで笑う。
「もう! メロウ探しに行くよ!」
少し声が大きくなり、近くの利用者から視線を向けられた。
私は慌てて口を押さえる。
メリーが肩の上で声を殺して笑っていた。
重い資料ばかりを読んでいたせいか、そんなやり取りだけでも身体から少し力が抜けた。
私たちは使った帳簿と移管文書を司書へ返した。
「ありがとうございました」
「お役に立てたのであれば何よりです」
司書はそう答えたあと、私たちが書き写した記録へ視線を向ける。
「ただし、今回確認できたのは当館に保存されている記録の範囲です。移管後の資料について、現在も同じ状態で保存されている保証はありません」
「はい」
そこは忘れない。
何十年も前にリベル王国へ届いた。
それ以上を、今の私たちは知らない。
記録管理区を出ると、吹き抜けの向こうから昼前の光が差し込んでいた。
ここ数日、同じ大図書館の中を行き来していたはずなのに、今日は入口へ向かう景色が少し違って見える。
フランの過去についても、ここで多くのことを知った。
地下牢獄最深部の若い男。
正体を永久非公開にされた二人の接見者。
接見後の騒動。
王国崩壊の日に起きた破壊。
中央武器庫から消えた大型剣。
王宮東区画で接触した幼い子供。
そして、その子供がフランだった可能性。
まだ名前も理由も分からない。
でもフランは、無理に記憶を掘り起こすのではなく、次の手掛かりが見つかるまで待つと決めた。
第三箱も同じだ。
分からないなら、分からないまま次に追えるところまで持っていけばいい。
大図書館の正面扉を抜けた瞬間、外の音が一気に戻ってきた。
馬車の車輪が石畳を鳴らし、通りの向こうから店員の呼び声が聞こえる。昼前の大通りには人が行き交い、屋台から漂ってきた焼き菓子の甘い匂いに、メリーがすぐ反応した。
『フール。いい匂い』
「あとでね」
『あとでっていつ?』
「メロウの手掛かり見つけたら」
『じゃあ早く見つけよう!』
「目的変わってない?」
久しぶりに、本ではなく街を見ながら歩く。
向かう先は決まっていた。
メロウが五日前に訪れた専門書店。
私たちは以前そこで一度話を聞いている。メロウが《空に関する古い記録》を探していたことも、その翌日に北部山岳方面の地図を用意していたことも確認済みだ。
だから今回は、最初から同じ質問を繰り返すために行くわけではない。
その後の足取りへ繋がるものが残っていないか。
購入した地図だけではなく、道具や食料について何か話していなかったか。
誰か別の店を紹介されていなかったか。
三日前に北門から街を出るまでの間を、もう一度細かく追う。
リリィが大通りの先を見た。
「まず専門書店で、前に聞けなかったところを確認しよう。そこから次の店へ繋がれば、メロウが街を出る前に何を準備したのか分かるかもしれない」
「それで北門の先まで追う?」
「痕跡が残ってればね」
その言葉を聞いて、胸が少し高鳴った。
大図書館での調査も嫌いではない。
紙の中から何十年も前の出来事が少しずつ形になっていく感覚は、今まで知らなかった面白さだった。
でも、やっぱり私は歩いて探すほうが好きだ。
知らない道へ行き、誰かに話を聞き、次の痕跡を見つける。
その先に本人がいるかもしれない。
しかも今回追う相手は、タヌキの顔が付いたフードに派手なローブ、鳥の顔が付いた杖を持つ老人だ。
「見つけられる気がしてきた」
私が言うと、オラクルが横から返す。
「格好だけならな」
『タヌキと鳥!』
「それだけ覚えてれば見間違えなさそう」
フランまで笑った。
私は肩のメリーを落とさないように気をつけながら、少しだけ歩く速度を上げた。
何日も追い続けた第三箱の道は、リベル王国へ続いていた。
その先は、今はまだ追えない。
だから私たちは、もう一つ残っている新しい足跡を追う。
五日前まで、この街にいた考古学者。
六体の幻獣種を追い続け、第六体だけを《追跡不能》と記した人物。
そして、私たちが見つけた《虹光現象》《古代召喚媒体》《第三箱》について、何かを知っているかもしれない人。
世界一の大図書館で続いていた調査は、ここで一度区切りを迎えた。
次に追うのは、紙に残された過去ではない。
三日前までこの街を歩いていた、メロウ本人の足跡だ。
私たちは人で賑わうグライツの大通りへ踏み出し、専門書店へ向かった。




