第164話 消えた第三箱とメロウ捜索
翌朝、私たちは開館して間もない大図書館の記録管理区へ向かった。
昨日の帰り道で決めた通り、最初に調べるのは《第三箱》だ。
《虹光現象に関する旧記録》を最後に長時間閲覧した研究者は、退職時に三箱の研究資料を寄贈している。そのうち《古代召喚媒体・未整理記録》と分類された第三箱だけが現在所在不明で、昨日見つけた閲覧延長申請には、研究者本人の文字で《第三箱へ移す》という追記まで残されていた。
だから今日は、箱が消えた理由を想像するのではなく、もっと手前から確かめる。
三箱は、本当に大図書館へ届いたのか。
「昨日お願いした受領記録、見つかってるかな」
記録管理区へ続く廊下を歩きながら私が言うと、リリィが頷いた。
「届いてたなら、次は最初の保管場所。そのあとに移動記録。順番に追えば、第三箱がどこまで存在してたのか絞れると思う」
「最初から《誰かが盗んだ》って考えるなよ」
車椅子を進めるオラクルが釘を刺してくる。
「分かってるよ」
「昨日も照合対象の紙が欠けてるだけで怪しんでただろ」
「怪しいとは思ったけど、決めてないじゃん!」
『フール、すぐ繋げたくなるからね』
肩に乗ったメリーまで当然のように加わってきた。
「最近みんな私に厳しくない?」
「最近?」
リリィが笑い、フランまで口元を緩める。
昨日、フランは自分の過去について大きな手掛かりを得た。
それでも今日は旧国家資料区へ向かおうとはしない。地下牢獄最深部の若い男については、今すぐ追える記録が途切れている。次の手掛かりが見つかるまで無理に記憶を掘り起こさず、今日は私たちの調査を手伝うと自分で決めていた。
記録管理区へ着くと、昨日対応してくれた司書が私たちの姿に気づいた。
「第三箱の受領記録ですね。該当年代の寄贈品受領簿と、当時の保管記録を準備しています」
昨日すでに事情を伝えていたため、最初から説明し直す必要はなかった。
案内された机には、分厚い台帳が二冊置かれている。どちらも現在使われているものより古く、紙の端は黄色く変色していた。
「まず寄贈品受領簿から確認してください。研究者本人の寄贈申請では《三箱》となっていますが、こちらは実際に図書館側が受領した物品を記録したものです」
その説明を聞いて、少しだけ緊張する。
昨日までは《三箱寄贈》という文字を見て、当然三箱とも大図書館へ届いたものだと思っていた。でも、それは研究者側の記録だ。
もし受領時点で二箱しかなかったなら、第三箱が消えた場所そのものが変わる。
リリィは研究者の退職日を基準に調べる範囲を絞り、フランが寄贈者名、私は品目、メリーには箱数を見てもらう。オラクルは全員が見つけた情報を一枚の紙へまとめ始めた。
大量の記録を最初から読む必要はない。
日付を絞り、該当する人物を探す。
何日分かを遡ったところで、フランの指が止まった。
「これじゃないか?」
全員が同じ行を見る。
昨日確認した研究者の名前。その横には、
《個人研究資料――木箱三点》
と記されていた。
「三つ……」
『本当に三って書いてある!』
メリーが机へ身を乗り出す。
それだけではなかった。
受領確認欄には、同じ担当者の印が三つ並んでいる。司書へ尋ねると、当時は複数の荷物を同時に受け取った場合でも、現物を確認したものごとに印を付ける決まりだったらしい。
つまり、研究者が《三箱寄贈するつもりだった》だけではない。
大図書館側の人間が、三箱を実際に受け取っている。
「これで最初から第三箱がなかった可能性は消せるね」
「ああ。少なくとも受領時点ではな」
オラクルが答える横で、リリィはもう次の欄を確認していた。
「受領後の搬入先も書いてある」
三箱はすべて、
《旧研究棟・第二資料保管室》
へ運ばれていた。
次に保管記録を開く。
第一箱、第二箱、第三箱には連続した管理番号が与えられており、最初の数回は三つの番号が並んで記録されている。
「ここまでは三箱一緒だね」
私は紙へ順番を書き写した。
寄贈。
三箱受領。
旧研究棟第二資料保管室へ搬入。
少なくともここまでは、第三箱も確実に存在していた。
けれど、ページを進めていくうちに変化が現れる。
第一箱は内容整理後、《古代魔法現象》として別の保管区画へ移されている。
第二箱も《召喚術・媒体研究》として分類され、専門研究資料区へ移動。
ところが、その二つが移された記録の中に第三箱の管理番号だけがなかった。
「第三箱は?」
メリーが首を傾げる。
私は次のページを確認した。
ない。
その次にもない。
「また記録が――」
言いかけたところで、オラクルがこちらを見る。
「決めるな」
「まだ何も言ってないよ!」
「言う顔してた」
「顔で判断しないで!」
フランが笑いながら、少し前のページへ戻した。
「なくなったところを探すより、最後に番号があるところまで戻ったほうが早くないか?」
リリィがすぐ頷く。
「そうしよう。最後に確認された場所と日付を探す」
今度は記録を逆方向へ追った。
数ページ戻ったところで、第三箱の管理番号が再び現れる。
保管場所は《旧研究棟・第二資料保管室》。
状態は《未整理》。
そして確認欄には、職員の署名と日付が残されていた。
それより後の記録には、第三箱の番号が見当たらない。
「最後に見た人がいる」
リリィの声が少し変わった。
箱そのものはまだ見つかっていない。
でも、追える人物が現れた。
「この署名、最初に受け取った人とは違うね」
私は二つの署名を見比べた。
受領担当者とは別の職員が、後日、保管室で第三箱を確認している。
そのあと、記録から消えている。
「この人を調べよう」
「ただし、この職員が箱を消したとは限らねえぞ」
オラクルが先に言った。
「分かってる。最後に見た人と、なくなった原因は別」
リリィは署名を記録用紙へ写した。
私たちが見つけたのは犯人ではない。
第三箱の《最後に確認できる痕跡》だ。
司書に署名を見せると、当時の職員名簿を調べてくれた。
しばらくして戻ってきた司書が、一冊の薄い名簿を机へ置く。
「該当する職員が確認できました。現在も大図書館に籍があります」
「まだいるんですか?」
思わず身を乗り出した。
何十年も前の記録だったから、もう会えない可能性のほうが高いと思っていた。
「現在は外部資料受入部門の顧問です。常勤ではありませんが、本日は午後から来館予定になっています」
リリィと顔を見合わせる。
第三箱そのものではない。
それでも紙の記録だけだった追跡が、初めて現在生きている人へ繋がった。
その人が何か覚えている保証はない。何十年も前の一箱について、細かく覚えていない可能性だってある。
それでも聞く価値は十分にあった。
「午後に話を聞けますか?」
「本人の了承が得られれば可能です。来館後にこちらから確認しておきます」
「お願いします」
私は記録用紙へ最後の一行を書き加えた。
《第三箱――旧研究棟第二資料保管室で確認。その後の移動記録なし。最後の確認者は現在も在籍》
昨日より一段進んだ。
でも、答えではない。
だから次へ進める。
「午後までどうする?」
フランが聞いた。
答えはもう決まっていた。
「メロウを追おう」
私たちはグライツへ来てから、すでにメロウについて調べている。
ここで受付へ戻り、同じ質問を最初から繰り返す必要はない。
分かっているのは、五日前にメロウが専門書店で《空に関する古い記録》を探していたこと。その翌日には、同じ店で北部山岳方面の地図を用意させていたこと。
そして、それ以降は大図書館で姿を確認されていない。
次に追う場所は決まっている。
「専門書店」
リリィが立ち上がった。
「地図を渡した人に話を聞く。どの範囲の地図だったのか、メロウが他に何を聞いたのか。そこから次の痕跡を探す」
「街を出る準備をしてたなら、道具や食料も買ってるかもしれねえ」
オラクルが続ける。
「最後は門だな。あの格好なら、見た奴がいれば覚えてるだろ」
タヌキの顔が付いたフード。
派手なローブ。
鳥の顔が付いた派手な杖。
確かに、追跡される側としてはかなり不利な格好だ。
『タヌキと鳥を探すんだね!』
メリーが嬉しそうに飛び上がる。
「真ん中のお爺ちゃんも忘れないで」
『派手なお爺ちゃん!』
フランが吹き出した。
私たちは大図書館を出た。
昼前のグライツは、昨日の夕暮れとはまるで違う顔を見せていた。白い石造りの建物の間を乗合馬車が行き交い、通り沿いの店からは焼きたてのパンや香辛料の匂いが流れてくる。
何日も静かな書架で紙と向き合っていたせいか、人の話し声や車輪の音まで新鮮に聞こえた。
専門書店は大図書館から歩いてそれほど遠くない場所にある。
以前訪れた店へ入ると、天井近くまで本棚が並ぶ狭い店内に、古紙と革の匂いが満ちていた。奥の机で帳簿を整理していた店主が顔を上げる。
「ああ、また来たのか」
私たちの顔を覚えていた。
リリィが前へ出る。
「前に聞いた、派手な格好の考古学者についてもう少し確認したいんです」
「メロウ先生か?」
すぐ名前が出た。
やっぱり目立つらしい。
「四日前に北部山岳方面の地図を用意したって聞きました。そのとき、どの辺りの地図を頼まれたか覚えてますか?」
店主は少し考え、棚の奥へ向かった。
「待ってろ。注文票が残ってりゃ分かる」
戻ってきた手には、小さな紙束がある。
店主は何枚かめくり、そのうち一枚を机へ置いた。
「これだ」
そこにはメロウの名前と、複数の地図の名称が記されていた。
北部山岳全域図。
古街道図。
そして、現在はほとんど使われていない旧道を含む地形図。
「一枚じゃなかったんだ」
私が言うと、リリィは地図名を順番に確認した。
「山そのものだけじゃなくて、そこへ行く道も調べてる」
「そうだな。しかも爺さん、かなり細かく聞いてきたぞ」
店主が言った。
「何を?」
「北へ抜ける道のうち、今も人が通れるのはどれかってな。昔の道が崩れてねえか、途中に水場があるか、荷物を持って通れるか。地図を買うだけなら、あそこまで聞く奴は少ない」
オラクルが目を細めた。
「調査へ行くつもりだった可能性は高そうだな」
「他に何か聞いてませんでした?」
リリィが尋ねる。
店主は腕を組んだ。
「そういや、道具屋の場所も聞かれたな。登山用の縄と、岩場で使える靴が欲しいとか言ってた気がする」
次の痕跡が出た。
リリィはすぐ店名を聞く。
店主が教えてくれたのは、専門書店から二本先の通りにある旅道具店だった。
「食料については?」
「そこまでは知らん。ただ、あの格好だからな。店を回ってりゃ誰か覚えてるだろ」
『やっぱりタヌキが役に立ってる!』
メリーが嬉しそうに言う。
「本人の研究より先に服が役立ってるね」
私が言うと、フランが笑った。
店を出る前、リリィがもう一度注文票を確認した。
「北部山岳へ向かったとはまだ決めないよ」
「地図買ってるのに?」
「買っただけかもしれない。道具屋へ行ったことも確認して、それから門の記録。街を出た証拠が出るまではグライツにいる可能性も残す」
「分かった」
前なら私は、もうメロウは北の山へ行ったと決めていたかもしれない。
でも今は違う。
地図。
道具。
食料。
門。
一つずつ追えばいい。
旅道具店へ入ると、今度は私たちがメロウの格好を最後まで説明する必要すらなかった。
「タヌキ頭の爺さん?」
店員が即答した。
『タヌキ頭!』
メリーが笑う。
「メリー、そこ喜ばないの」
店員によれば、メロウは四日前の午後に店を訪れていた。
購入したのは長い縄、岩場用の靴底金具、小型のつるはし、それから雨除けの厚布。
「かなり荷物多くない?」
「山へ入る装備としては普通だ」
オラクルが答える。
リリィは購入記録の日付を確認した。
専門書店で地図を受け取った日と同じ。
順番も繋がる。
地図。
そのあと道具。
「食料を買った店は分かりますか?」
「さあな。ただ、あの爺さんなら向かいの保存食屋にもいたぞ。鳥みてえな顔の杖を入口に引っ掛けて、店員に怒られてたから覚えてる」
「何してるの、メロウ……」
会う前から少し不安になってきた。
向かいの店でも目撃情報はすぐに得られた。
乾燥肉。
硬いパン。
干した果物。
水を保存する容器。
量は一日分ではない。
店員によれば、少なくとも数日間は街へ戻らない量だったという。
店を出たところで、リリィはこれまで集めた情報を確認した。
メロウは四日前、北部山岳方面の地図を受け取った。その中には現在の街道だけではなく、古街道や旧道を記した地形図まで含まれている。
その後、旅道具店で縄や岩場用の装備を購入し、保存食屋では数日分の食料と水を準備していた。
ここまで揃えば、北部山岳方面へ長期間の調査に向かった可能性はかなり高い。
それでも、まだ最後の一つが足りない。
「門だね」
私が言うと、リリィが頷いた。
「うん。街を出た記録があれば、少なくともグライツの中にいる可能性はかなり下げられる」
「北へ行くなら北門か?」
フランが尋ねる。
「普通なら。でも、旧道を調べてるなら別の門から出た可能性もある。最初から北門だけに決めないほうがいいと思う」
オラクルが感心したように鼻を鳴らした。
「じゃあ門の通行記録を当たるぞ。ただし、その前に時間だ」
「時間?」
「第三箱」
そこで思い出した。
大図書館では午後から、第三箱を最後に確認した可能性のある元職員――現在は外部資料受入部門の顧問をしている人物が来館する予定になっている。
メロウの痕跡を追うことに夢中になって、危うくもう一つの追跡を忘れるところだった。
「戻らなきゃ!」
『フール、やっぱり一個に夢中になると忘れる!』
「忘れてないよ! 今思い出したもん!」
「それを忘れてたって言うんじゃないか?」
フランにまで言われた。
「もう、行くよ!」
私たちは再び大図書館へ向かった。
朝、大図書館を出たときには、第三箱の追跡とメロウの追跡はまったく別のものに見えていた。
でも今は、どちらにも次の一歩がある。
第三箱には、最後にその存在を確認した人物。
メロウには、地図、旅道具、数日分の食料という街の中に残された足跡。
どちらも、まだ答えではない。
それでも昨日までとは違う。
追う道が見えている。
大図書館の白い中央塔が建物の向こうに見えてきたところで、私は鞄へ軽く手を当てた。
中には《幻獣種召喚の本》がある。
第六体について、メロウは《追跡不能》と記していた。
私たちも最初は、何も残っていないのだと思っていた。
けれど、《虹光現象に関する旧記録》があった。
それを召喚媒体と照合した研究者がいた。
研究内容を移そうとしていた第三箱があった。
そして、その箱を最後に確認した人物が、今日、大図書館へ来る。
消えたものを追う方法は、少しずつ分かってきた。
何もない場所を眺め続けるのではなく、その直前まで確かに存在していた痕跡を探せばいい。
人でも。
本でも。
箱でも。
「フール」
前を歩いていたリリィが振り返った。
「ぼーっとしてると置いてくよ」
「待って!」
私は駆け出しかけ、オラクルの車椅子がすぐ前にあることに気づいて慌てて歩幅を緩めた。
『危ない!』
「ごめん!」
「図書館で少し賢くなったと思ったらこれだ」
「今のは関係ないじゃん!」
笑い声が混ざる。
大図書館の正面扉が近づいてくる。
午前中、私たちは第三箱が確かに大図書館へ届いていたことを突き止めた。
そして街へ出て、メロウがただ地図を眺めていただけではなく、数日間の調査へ出るような準備をしていたことも分かった。
次は、第三箱を最後に見た人の話を聞く。
そのあと、メロウがどの門からグライツを出たのかを追う。
昨日まで大図書館の中に並んでいたいくつもの謎が、ようやく紙の外へ伸び始めていた。
私は大図書館の扉を見上げた。
朝ここを出たときには、消えた箱を追っていた。
今戻ってきた私たちを待っているのは、その箱を最後に見たかもしれない人だ。
第三箱は、確かにここまで来ていた。
なら――消えたのは、その先だ。




