第159話 メロウの調査記録
希少資料特別閲覧室の扉を開けた瞬間、最初に感じたのは古い紙の匂いだった。
一般閲覧区とは雰囲気がまるで違う。部屋は思っていたより広くなく、中央には大きな閲覧机が六つ並び、壁際には本棚ではなく、番号の刻まれた引き出しや鍵付きの保管棚が並んでいた。窓も小さく、外から入る光が直接資料へ当たらないよう薄い布が掛けられている。
利用者も数人しかいない。
聞こえるのは紙をめくる微かな音と、職員が歩く足音くらいだった。
メリーまで空気の違いを感じたらしく、私の肩へ降りて声を潜める。
『ここ、飛ばないほうがいい?』
「たぶんね。大事な本いっぱいありそうだし」
『じゃあここにいる』
メリーは素直に私の肩へ座った。
入口で利用札を見せると、白い手袋を着けた年配の司書がやってきた。私たち五人の利用札と申請番号を一つずつ確認し、閲覧するときの注意を説明してくれる。
今回、閲覧許可が出たのは二点。
《古代幻想生物記録・原資料断片》。
そして、《メロウ調査記録・第一集 閲覧用複製》。
「原資料には直接触れないでください。ページの移動はこちらで行います。また飲食、インクの使用、複製魔法および記録用魔道具の使用は禁止されています」
「分かりました」
私がすぐ答えると、オラクルが横目で見た。
「何?」
「いや。素直だなと思って」
「私だって大事なものは分かるよ!」
「ならいい」
絶対に信用されていない。
案内された机へ五人で座って待っていると、二人の司書が細長い木箱を運んできた。
最初に出されたのは本ではなかった。
箱の中には何枚もの古びた紙と、薄い石板のようなものが収められている。半分ほど欠けた紙もあれば、端が焼け、文章の途中しか残っていないものもあった。
「これが原資料?」
「現存している断片です。完全な文章として読むのは難しいため、横に後世の翻訳資料をご用意します」
最初の紙を見た瞬間、その意味が分かった。
「読めない……」
今使っている文字に似ている部分はあるけれど、形がかなり違う。
フランも覗き込んで首を傾げた。
「俺も無理」
「翻訳と並べれば分かるよ」
リリィが横に置かれた資料を指した。
原文そのものを読めなくても、どこがどの文章に対応しているのかは確認できる。
最初に出てきたのは人魚らしき存在だった。
海辺の古い集落に残された記録で、嵐の夜に歌声が聞こえ、その翌朝、人ではない女性の姿が海岸で目撃されたことが記されている。怪我をした漁師が歌を聞いたあと痛みを訴えなくなった、という話まで残っていた。
「本に載ってる人魚と似てるね」
『似てる!』
メリーが私の肩から覗き込む。
「でも、まだ同じだとは分かんない」
「自分から言えるようになったな」
オラクルが言う。
「もうそれ何回目!」
小声で言い返してから、次の資料へ進んだ。
雷を纏う巨大な鳥については、山岳地帯で雷雨の中に巨大な翼が目撃された記録が残っている。落雷が集中した場所から鳥の鳴き声が聞こえたという別の証言もあった。
氷の蛇については、雪山で見つかった巨大な這い跡。
炎を纏う獅子については、火山地帯に残された古い狩人の証言と、周囲とは異なる形で焼けた岩の記録。
どれも決定的な証拠ではない。
それでも一つの地方だけではなく、時代の違う複数の記録が残されている。
「最初の四体は、追おうと思えば追えるね」
リリィが言った。
「場所もあるし、何が目撃されたかも残ってる。全部本当かは分からないけど、少なくとも次にどの資料を探せばいいかは分かる」
その言葉を覚えておく。
五体目と六体目を読むまでは、その違いがどれほど大きいのか分からなかった。
さらに資料を進めてもらうと、一枚だけ他とは違うものが出てきた。
紙ではなく、薄い石板だった。
中央には開かれた本のような長方形が刻まれ、その周囲を六つの印が囲んでいる。
人魚。
鳥。
蛇。
獅子。
剣を持つ人型。
最後の一つだけは表面が大きく削れ、形を判別できない。
「これ、本かな」
フランが言った。
「私もそう見える」
対応する翻訳資料を確認する。
完全には解読されていないらしく、文章の途中が何か所も欠けていた。
それでも残っている部分は読める。
《六つの――は、一つの書に――》
さらにその下。
《書を持つ者の呼びかけに――》
最後に、
《――それぞれ異なる地に眠る》
全員が黙った。
一般閲覧区で読んだ後世の図鑑とは違う。
もっと古い。
そして、そこにも《一つの書》という言葉が残されている。
「これなら、《一冊の書》って伝承自体はかなり昔からあったって言っていい?」
私が尋ねると、オラクルは少し考えてから頷いた。
「少なくとも、この石板が作られた時代には似た話があった。それ以上はまだ言えねえな」
司書によれば、石板そのものは非常に古い。ただし正確な年代については研究者の間でも意見が分かれているらしい。
それでも十分だった。
私は鞄の中にある《幻獣種召喚の本》を意識した。
出して比べたい気持ちは強かったけれど、ここでは勝手に取り出さなかった。
「この石板と、私が持ってる本を研究者の人に見てもらうことってできますか?」
「資料の鑑定依頼であれば、一般受付から申請できます。ただ、内容によって担当する研究者が変わりますね」
「幻獣種なら?」
司書は少し考えた。
「その分野でしたら、本来はメロウ先生が適任でしょう」
やっぱり。
どこまで調べても、その名前へ戻ってくる。
原資料の閲覧が終わると、次に《メロウ調査記録・第一集》の複製が運ばれてきた。
こちらは普通の本に近い。
かなり分厚く、表紙を開くと最初のページに《メロウ》と名前が書かれている。
同姓同名ではないかという疑問は、その次のページでほとんど消えた。
端に小さな自画像が描かれていたからだ。
タヌキの顔が付いたフード。
派手な装飾だらけのローブ。
鳥の顔が付いた杖。
しばらく誰も喋らなかった。
「……本人だね」
フランが最初に言った。
『かわいい!』
メリーだけは大喜びだった。
「どこが?」
『タヌキ! 鳥もいる!』
リリィまで笑っている。
「これなら人混みにいても見つけられそう」
「格好はもういい。中身読め」
オラクルに言われ、私はページをめくった。
メロウの調査記録は、想像していた堅苦しい研究書とはかなり違っていた。
各地を旅しながら書いたものらしく、文章の横には地図、遺跡の形、魔物の絵、現地の人から聞いた話まで大量に書き込まれている。重要だと思った場所には何重にも丸が付けられ、別の場所には自分で書いた文章へ《違う!》と大きく書き足してある。
そして、とにかく字が汚かった。
「読みにくい……」
『絵いっぱいあるよ!』
メリーには好評だった。
最初は古代遺跡。
次に絶滅したとされる魔物。
さらにページを進めるにつれて、幻獣に関する記録が増えていく。
《各地で名称は異なるが、通常の魔物とは明確に区別されている》
《出現条件に共通性なし。ただし、何らかの媒介を介して現れたという伝承が異常に多い》
《媒介候補――石、笛、杖、書物。前三つは地方差が大きく、書物のみ複数地域で一致》
「書物」
私はその部分を指した。
「メロウも気づいてたんだ」
フランが覗き込む。
そこから先は、六体それぞれの調査記録になっていた。
最初の人魚には何ページも使われている。
海岸沿いの集落名、聞き取りをした人物、歌が聞こえた時刻、海の状態。メロウ自身が現地へ行ったときの記録まであり、最後には《伝承の核となった何かが実在した可能性は高い》と記されていた。
雷鳥も同じだった。
目撃地点が複数あり、落雷の記録や巨大な羽根を見たという証言まで集められている。
氷蛇には雪山で見つかった痕跡。
炎獅子には焼けた岩場と複数の目撃証言。
最初の四体は、存在を証明できているわけではない。それでもメロウがどこへ行き、誰に話を聞き、次に何を調べようとしていたのかまで分かるほど記録が残っていた。
「やっぱり最初の四体は道がある」
リリィが呟いた。
その言葉の意味が、五体目のページを開いた瞬間に分かった。
光を纏う剣士。
記録の量が突然減った。
前の四体なら何ページも続いていたのに、五体目に使われているのは見開き一つだけだった。
残されている情報も少ない。
《人型》。
《剣を所持》。
《出現時に強い発光を伴ったとの記述》。
それでも、完全に何もないわけではなかった。
出典不明の古い写本に一度だけ登場したこと。
西方のある地域に《光る剣を持つ者が夜の荒野に現れた》という伝承が残っていたこと。
さらに、年代不明ながら剣を持つ人型が描かれた壁画が発見されたという記録もある。
「少ないけど……追えなくはない?」
私が言うと、リリィが頷いた。
「うん。場所が一つある。写本も壁画もあるなら、そこから次の資料を探せるかもしれない」
メロウも同じ考えだったらしい。
ページの余白には、
《第五種――情報量は異常に少ない。ただし西方記録を起点に追跡継続可能》
と書かれている。
つまり五体目は、暗い。
でも完全な闇ではない。
細い糸が一本だけ残っている。
問題は六体目だった。
ページをめくった瞬間、私は最初、別の資料へ移ったのかと思った。
何もないからだ。
正確には、上部に小さな絵が一つある。
人型らしい影。
その周囲に、何色もの線。
そして文章が数行。
《人型であったとの説》
《複数色の光を伴う》
《詳細不明》
それだけだった。
五体目にあった地名がない。
写本の名前もない。
壁画もない。
目撃者もいない。
年代さえ分からない。
「……これだけ?」
メリーまで不思議そうだった。
「うん」
次のページを確認する。
何もない。
前へ戻る。
やっぱりない。
六体目だけ、調査を始めるための入口そのものが存在しなかった。
メロウも相当調べたらしい。
余白には、他のページよりさらに乱れた文字が大量に残っている。
《虹の者》
《七色の影》
《光を変える人》
いくつもの呼び名が書かれ、そのほとんどに線が引かれていた。
《同一存在か判断不能》
《出典へ遡れず》
《地名なし》
《年代なし》
《証言者なし》
私は五体目のページへ戻った。
光の剣士も情報は少ない。
でも西方という場所がある。
古い写本がある。
壁画がある。
そこから調べられる。
六体目には、それさえない。
「全然違うね」
フランも気づいていた。
「五体目は《少ない》。六体目は……何から探せばいいか分からない」
「そう」
リリィは二つのページを並べるように見比べた。
「五体目なら、西方へ行って写本や壁画を調べればいい。でも六体目は、最初の場所がない。どこへ行けばいいのかさえ分からない」
メロウ自身も、そこに強い違和感を覚えたらしい。
六体目のページの下には、大きな文字が残されていた。
《第六種――追跡不能》
さらに、その下。
《情報が少ないのではない。情報へ至る道が存在しない》
私はその文章をしばらく見つめた。
「どういうこと?」
オラクルも今回はすぐに答えなかった。
「書いてあるとおりなら、メロウ自身もおかしいと思ったんだろ。普通なら伝承が一個残ってりゃ、誰が書いたか、その話をどこで聞いたか、何かしら前へ遡れる。でもこいつだけ、それができねえ」
「誰かが消したとか?」
思わず聞く。
「可能性を増やすな。まだ何も分かってねえ」
すぐ止められた。
その通りだ。
記録が意図的に消されたのか。
最初から記録されなかったのか。
そもそも六体目について残っている数行自体が間違っているのか。
今は何も判断できない。
ただ、一つだけはっきりしている。
第五体と第六体は同じ《情報不足》ではない。
第五体には、細くても追える道が残っている。
第六体だけは、その道が途中で切れたのではなく、最初から見つからない。
メリーが六体目の小さな絵を見ながら呟いた。
『この子だけ、みんなに忘れられちゃったのかな』
その言葉が妙に胸へ残った。
「分かんない」
私は正直に答えた。
「でも、いつか調べたい」
『うん』
今すぐ追うことはできない。
入口がない以上、無理に探しても想像を増やすだけだ。
私は記録用の紙へ、第五体と第六体を分けて書いた。
《第五・光の剣士――記録は極端に少ない。ただし西方の伝承、古い写本、壁画という追跡可能な手掛かりあり》
そこまで書いてから、次の行へ移る。
《第六・虹色の人型――記録そのものがほぼ存在しない。地名、年代、出典、証言者が不明。メロウも追跡不能》
二つを並べると、違いがさらに分かりやすくなった。
どちらも他の四体と比べれば情報は少ない。でも第五体には、細くても道がある。西方へ行き、写本を探し、壁画の発見場所を調べれば、その先へ進める可能性が残っている。
第六体には、それがない。
どこへ行けばいいのか分からないどころか、今目の前にある数行の記録が、そもそもどこから生まれたのかさえ辿れない。
「変だよね」
私が言うと、リリィも頷いた。
「うん。最初の四体とはもちろん違うけど、五体目とも違う。メロウが《追跡不能》って書いた理由も分かる気がする」
「でも、何にも分からないのに、何で六体の一つだと思ったんだろう」
フランの疑問で、私は手を止めた。
確かにそうだ。
人魚、雷鳥、氷蛇、炎獅子には複数の伝承がある。光の剣士にも少ないながら追跡できる痕跡がある。
でも六体目は、ほとんど何もない。
それなのにメロウは、この存在を他の五体と並べている。
「そこだな」
オラクルが調査記録を自分のほうへ少し寄せた。
「情報がねえなら、普通は候補から外す。それでも残したってことは、メロウには何か理由があったはずだ」
私たちは六体目のページをもう一度確認した。
余白。
小さな注記。
絵の横。
ページの端まで探してみる。
でも、すぐ答えになりそうなものは見つからない。
メリーまで机へ身を乗り出し、虹色の人型が描かれた小さな絵を真剣に見ていた。
『この絵、メロウが描いたの?』
「たぶん」
『じゃあ、何にも分かんないのに何で描けたの?』
今度は全員が黙った。
「……本当だ」
私は絵を見る。
細かい姿は分からない。
人型。
その周囲を囲む何色もの線。
それだけだ。
でも《人型であったとの説》《複数色の光を伴う》という二つの情報は、どこかから得たはずだった。
その出典が書かれていない。
「メロウ本人しか知らない資料があった?」
フランが言う。
「可能性はある」
オラクルは慎重だった。
「でも決めつけるなよ。単に第一集へ出典を書かなかっただけかもしれねえ」
「第二集とか第三集にあるかも」
「それも調べる価値はあるな」
私は紙へ《第二集・第三集確認》と書き加えた。
少しずつやることが増えていく。
でも、さっきまでとは違う。
今度は「何を探せばいいのか」が分かっている。
調査記録をさらに読み進めると、六体それぞれの記録が終わったあとに、何ページもの比較表が続いていた。
出現地域。
外見。
能力と推測されるもの。
伝承が残った年代。
目撃者。
召喚に関する記述の有無。
メロウは、ばらばらの伝承をただ集めていたわけではなかった。共通点と違いを一つずつ並べ、本当に同じ種類として扱っていいのか確かめようとしていたらしい。
「思ってたよりちゃんとしてる」
私が言う。
「格好で判断すんな」
オラクルに言われた。
「だってタヌキだよ?」
『タヌキかわいいよ!』
「メリーは気に入ってるね」
冗談を言いながらも、ページを追う手は止めなかった。
やがて大きな文字が現れる。
《六体は別々の伝承ではない可能性が高い》
その下には、何本もの線で囲まれた文章があった。
《一冊の召喚書を起点とする同系統の存在と仮定》
私は無意識に鞄へ手を添えた。
中には《幻獣種召喚の本》がある。
メロウは、この本を見ていない。
少なくとも調査記録を読む限り、実物を確認したとはどこにも書いていない。
それでも各地に散らばった伝承だけを集め、十数年前の時点で《一冊の召喚書》という可能性まで辿り着いていた。
「何で一冊だと思ったんだろう」
今度は私が聞く。
リリィが比較表を指した。
「ここじゃない?」
《複数存在を一つの媒介から呼び出したとする伝承――三地域》
その下にも記録がある。
《書物を開いたのち異形が現れたとの証言――二地域》
さらに、
《呼び出した者が同一人物であった可能性――不明》
と続いていた。
一つ一つは弱い。
でもメロウは、それらを何年もかけて集めたのだろう。
「この人、本当にずっと幻獣種調べてたんだね」
「だから布団ゴブリンの耳にまで入ったんだろ」
オラクルの言葉で、ようやく最初へ戻った気がした。
五千コイン分。
あの布団ゴブリンが集めてくれた、たった一つの名前。
メロウ。
それを頼りにグライツまで来た。
そして今、目の前には《幻獣種召喚の本》へかなり近いところまで辿り着いた人物の調査記録がある。
会いたい。
ただ情報を聞きたいというだけではなくなっていた。
この本を見せたとき、メロウがどんな反応をするのか確かめたかった。
「絶対探そう」
「最初からそのつもりだろ」
「もっと絶対」
「絶対に段階あんのかよ」
オラクルが呆れている。
ページを進める。
そこからは、メロウが六体の痕跡を地図へ落とし込んだ記録になっていた。
海岸。
山岳。
雪原。
火山地帯。
西方の古い遺跡。
最初の四体には複数の印があり、五体目にも一つだけ小さな印が残っている。
六体目だけは何もなかった。
地図の余白に大きな疑問符が描かれている。
「やっぱり場所もない」
リリィが呟く。
その地図をめくると、次のページには別の地図が貼られていた。
今度は六体すべてではなく、メロウが《未確認候補》として調べていた場所だけが記されている。
一つ。
二つ。
三つ。
それぞれに番号が付いていた。
私はその中の《二》で指を止めた。
横には大きく、
《第二候補》
と書かれている。
「二体目?」
思わず声が出た。
「待て」
オラクルがすぐ止める。
「《第二候補》だ。二体目とは書いてねえ」
「分かってる。でも気になる」
「それならいい」
地図の場所を確認する。
グライツから東寄り。
現在の地図と地形が少し違うため、正確な場所は照らし合わせないと分からない。
その横には短い記録が残っていた。
《現地伝承――夜になると水のない谷から歌が聞こえる》
歌。
人魚が頭に浮かぶ。
でも人魚なら、すでに六体の一つとして記録されている。
さらに読む。
《歌ではないとの証言あり。風が岩穴を通過する音との説も存在》
《周辺で大型生物の目撃なし》
《要現地確認》
そこで終わっている。
「メロウ、ここへ行ったのかな」
「第一集が十数年前の記録なら、今の行き先とは関係なさそうだな」
オラクルが言う。
確かに、現在メロウが北部山岳を調べていることとは時期が合わない。
でも私たちにとっては違う。
二体目の幻獣種を探している。
この《第二候補》が何の候補なのか。
それを調べる価値はある。
「場所を特定したい」
私が言う。
「それから、この谷について別の資料がないか探す。いきなり行くんじゃなくて、先に調べる」
オラクルが頷いた。
「それなら文句ねえ」
少し嬉しかった。
以前なら、地図を見つけた瞬間に「行こう」と言っていたかもしれない。
今は違う。
調べてから動く。
でも、動かないわけではない。
その違いが少しずつ分かってきた。
私は《第二候補》の場所と記述を紙へ写した。
その間、メリーは調査記録をぱらぱら眺めていた。
もちろん勝手にページを触らないよう、司書が用意した閲覧用の複製だけだ。
『フール』
「何?」
『ここ、変』
メリーが指差した。
六体目について書かれたページより、さらに後ろ。
本文ではない。
巻末近くにある参考資料一覧だった。
「何が?」
『ここだけ線いっぱい』
見る。
確かに一か所だけ、メロウが何重にも丸を付けている資料名があった。
《虹光現象に関する旧記録》
胸が跳ねる。
「虹……」
六体目。
虹色の光を操る人型。
私は資料名の横を見る。
普通なら、保管場所や資料番号が書かれている。
そこだけ空欄だった。
代わりに、メロウの手書きで短く残されている。
《所在確認できず》
「これ探したんだ」
リリィが身を寄せる。
その下にも文字があった。
《目録上には存在した形跡あり》
私は意味を理解するまで少し時間が掛かった。
「存在した……形跡?」
オラクルの表情が変わる。
「資料そのものは見つからねえ。でも、昔の目録には載ってた可能性があるってことか」
それなら話が変わる。
第六体には最初から記録がなかったのではないかもしれない。
少なくともメロウは、そう疑っていた。
「消えたってこと?」
「まだ決めんな」
オラクルは止めたものの、今度は声が少し違った。
「だが調べる価値はある」
リリィはすでに次を考えている。
「昔の目録が残ってれば確認できる。いつまで載ってたのか、どんな資料だったのか、誰が最後に見たのか分かるかもしれない」
「それ調べよう!」
ようやく六体目にも入口ができた。
幻獣そのものを追う道ではない。
消えたかもしれない《記録》を追う道。
メリーが不思議そうに聞く。
『本がいなくなったの?』
「分かんない。でも、前はあったかもしれないんだって」
『誰かが借りた?』
「それも調べる」
リリィが答えた。
私はもう一度、《虹光現象に関する旧記録》という名前を見る。
第五体には細い道が残っていた。
六体目には道がないと思っていた。
でも違ったのかもしれない。
道がなかったのではなく――途中で消えている。
もしそうなら、いつ。
どうして。
誰が。
新しい疑問が一気に増えた。
そのとき、司书が静かに近づいてきた。
「そろそろ閲覧時間終了です」
「えっ、もう?」
窓を見る。
いつの間にか外の光が変わっていた。
時間を忘れていた。
オラクルが立ち上がる。
「今日はここまでだ。続きは明日」
「でも昔の目録だけでも――」
「閉館時間だろ」
「……はい」
メリーが笑っている。
『フール、ちゃんとして』
「メリーに言われたくない!」
それでも資料はきちんと返した。
最後に《メロウ調査記録・第一集》が閉じられる。
表紙が見えなくなる直前、私はもう一度そこへ目を向けた。
今日分かったことは多い。
六体は古い時代から一冊の書と結びつけられていた。
メロウも同じ結論へ近づいていた。
五体目には少ないながら追跡可能な痕跡がある。
そして第六体だけは、記録へ辿り着く道そのものが消えている。
でも完全な手詰まりではなくなった。
《虹光現象に関する旧記録》。
資料そのものは見つからない。
それでも、かつて大図書館の目録に存在した可能性がある。
だったら、追える。
人ではなく。
幻獣でもなく。
まずは――消えた記録そのものを。
私は利用札を握りながら、リリィを見る。
リリィも同じことを考えていたらしい。
「明日、古い目録から追おう」
「うん」
大図書館へ来て、ようやく見つけた六体目への最初の手掛かり。
それは幻獣の居場所ではなかった。
この大図書館から消えた、一つの記録だった。




