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フールの大冒険 ~聖なるマップを手に、異世界でまだ見ぬ両親を探します~  作者: ☆☆アダム☆☆


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第152話 雲の向こうの光

泥だらけの兵士が西の空を見上げて呟いた「まただ」という一言は、宿場町のざわめきに紛れそうなほど小さかった。


それでも、近くにいた私たちには聞こえた。


兵士を支えていた二人も同じだったらしい。片方がすぐに肩を掴み、「見るな。中へ入れ」と強い口調で言う。その言葉を聞いた瞬間、朝、第一宿場で聞いた話が頭をよぎった。


橋の向こうから戻ってきた若い兵士も、何度も後ろを振り返っていた。


仲間から《上を見るな》と止められていた。


そして今、目の前にいる別の兵士まで、同じように西の空を見て怯えている。


ただの偶然なのだろうか。


「フール」


オラクルに呼ばれ、私は西へ向けていた視線を戻した。


「今見たことと、朝聞いた話を一緒にすんなよ」


「……分かってる」


言われる前に分かっていたつもりだった。


でも実際に似た光景を目の前で見ると、頭の中では勝手に二つが繋がろうとする。


オラクルはそれを分かっているのだと思う。


「朝の兵士と今の兵士が同じものを見た証拠はねえ。今分かってるのは、鐘が三回鳴ったこと、西から兵士が一人戻ってきたこと、そいつが空を見て《まただ》と言ったこと。それだけだ」


「うん」


私は紙を取り出し、言われたことをそのまま書いた。


《第二宿場――警戒の鐘、三回》


《西側から兵士一名が馬で帰還》


《兵士、西の空を見て「まただ」と発言》


そこまでで止める。


何が《また》なのかは書かない。


分からないからだ。


その間にも宿場町の兵士たちは動き続けていた。


泥だらけの兵士から報告を受けた男が何人かを呼び寄せ、短い指示を飛ばす。二人は西へ走り、別の兵士たちは町の入口付近へ移動していった。


橋の封鎖について尋ねる商人たちが集まり始めたが、兵士たちは詳しい説明をしなかった。


「西側へ向かうな! 街道上の馬車は端へ寄せろ! 新しい指示が出るまで待機しろ!」


それだけだった。


説明がないことで、かえって人々の不安が膨らんでいく。


「何があったんだ?」


「橋が崩れたのか?」


「また魔物か?」


「またって何だよ?」


誰かの疑問へ別の誰かが推測で答え、その答えがさらに別の話へ変わっていく。


さっきまで食堂で聞いていた噂が、どうやって生まれるのかを目の前で見ているようだった。


オラクルはそれを見て、私たちを宿の中へ戻した。


「今ここで外にいても情報は増えねえ。むしろ余計な話ばっかり耳に入る」


「兵士に聞かなくていいの?」


「聞いて答える状況に見えるか?」


振り返る。


確かに、兵士たちは忙しそうだった。


戻ってきた男はすでに別の建物へ連れていかれ、街道では馬車を移動させる作業が続いている。私たちが「何があったんですか」と聞きに行っても邪魔になるだけだ。


「じゃあ、さっきの続き?」


リリィが尋ねる。


「ああ。宿場にいる奴から、今までに起きたことを固める。今起きたことは兵士の発表を待つ」


食堂へ戻った。


さっきまで橋について大声で話していた人たちも、今は入口を気にしながら小声で会話している。


オラクルは先ほど話を聞いた商人ではなく、今度は宿の主人を呼び止めた。


「少しいいか?」


「橋のことなら、俺も詳しくは知らないよ」


「分かってる。知ってる範囲だけでいい。封鎖が始まる前後で、この宿場に何か変化はあったか?」


聞き方が違った。


何が起きたのかではなく、何が変わったのか。


主人は少し考える。


「そうだな……最初は兵士が増えたくらいだった」


「いつ?」


「三日前だと思う。西へ向かう兵士が何組か通った。そのときは誰も気にしてなかったよ。グライツ方面へ兵士が向かうこと自体は珍しくないからね」


三日前。


私は紙へ書く。


「その次の日、定期馬車が来なかった」


主人が続けた。


「グライツ側から二日に一度来る馬車があるんだけど、それが来なかったんだ。遅れることはたまにあるから、その時点でも大騒ぎにはならなかった」


「封鎖が分かったのは?」


「昨日の朝だよ。橋まで行った商人たちが戻ってきて、通れないって言い始めた。それから一気に宿が埋まった」


流れが少し見えてきた。


三日前、兵士が西へ向かった。


二日前、グライツ側から来るはずの定期馬車が来なかった。


昨日、石橋の封鎖が旅人たちにも分かり始めた。


そして今日。


警戒の鐘が鳴り、泥だらけの兵士が戻ってきた。


「三日前に何かあったってこと?」


私が尋ねると、オラクルがすぐ首を横へ振った。


「まだそこまでは言えねえ。兵士が向かった理由が別件だった可能性もある」


「あ、そっか」


危ない。


また答えを作るところだった。


主人はさらに思い出したように言った。


「そういや、二日前の夜に音を聞いたって客もいたな」


「どんな?」


「雷みたいな音だって言ってた。でも俺は聞いてない。外にいた人でも聞かなかったって奴がいるから、そこは何とも言えないよ」


さっき商人から聞いた証言と似ている。


橋の向こうから、雷に似た音。


ただし、誰にでも聞こえたわけではない。


オラクルが確認する。


「その話をした客、まだいるか?」


「昨日の朝に東へ戻ったよ」


直接は聞けない。


なら、今は二次情報として扱うしかない。


「もう一つ」


リリィが尋ねた。


「夜に光を見たって話は?」


主人の顔が少し変わった。


「それも聞いたのか」


「食堂で話してる人がいたから」


「俺は見てない。でも昨夜、二階の西側の部屋に泊まってた客が騒いだ。雲の向こうが光ったってな。雷だろうって話になったけど、音がしなかったって言う奴もいた」


また光。


でも、これも主人自身が見たわけではない。


私は紙へ書こうとして止まった。


「これは?」


「噂としてなら残していい」


オラクルが答える。


《昨夜――西の雲が光ったとの証言あり。宿主人は未確認》


そう書いた。


情報を分けていくと、少し頭が整理される。


私たちが自分で確認したこと。


直接見た人から聞いたこと。


誰かから聞いた噂。


全部同じ重さではない。


「次は?」


フランが聞く。


オラクルは食堂を見回した。


「できればグライツ側から最後に来た人間を知ってる奴を探したい。ただ――」


そのとき、宿の外から大きな声が響いた。


「西側の窓を閉めろ!」


食堂の会話が止まった。


全員が入口を見る。


もう一度、声が聞こえる。


「兵士からの命令だ! 西向きの窓を閉鎖しろ! 窓際から離れろ!」


さっきまでとは違う。


街道を空けろではない。


西へ行くなでもない。


窓を閉めろ。


私は反射的に西側の窓を見た。


オラクルの手が私の肩を掴む。


「近づくな」


「分かってる」


宿の主人が急いで入口へ向かい、外の兵士へ何かを聞いた。


「何があったんだ!」


「理由は後だ! 先に閉めろ!」


主人の顔が強張った。


「みんな窓から離れてくれ! 店員は西側を全部閉めろ!」


食堂が一気に騒がしくなる。


椅子が引かれ、窓際に座っていた客が中央へ移動する。何人かは外を見ようとしたけれど、主人に強く止められた。


「何だよ、何があるんだ?」


「外を見るなってことか?」


「魔物でも来るのか?」


また推測が始まる。


でも今度は、さっきまでの噂話とは空気が違った。


兵士が直接命令している。


店員たちが一枚ずつ窓を閉めていく。


木製の鎧戸が閉じるたびに、外から入っていた夕方前の光が細くなっていった。


一枚。


また一枚。


西の景色が消えていく。


私の胸の鼓動が少しずつ速くなる。


「何で窓を閉めるんだろう」


小声で言う。


フランも西側を見ていた。


「分からない。でも……」


言葉が続かない。


私も同じだった。


頭には《上を見るな》という言葉が残っている。


朝聞いた兵士の話。


さっき戻ってきた兵士。


今度は宿場町全体へ出された、西側の窓を閉じろという命令。


同じ理由なのかは分からない。


でも、嫌でも意識してしまう。


最後に残ったのは、食堂の一番奥にある大きな窓だった。


店員がそこへ急ぐ。


窓の向こうには、西の空が見えている。


灰色の雲。


その下には遠い山並み。


何も変わったものはない。


「閉めます!」


店員が窓枠へ手を掛けた。


その瞬間。


雲が光った。


私は最初、夕日が差したのだと思った。


でも違う。


太陽は反対側にある。


雷とも違った。


一本の光が走ったのではない。


遠くに重なった雲の一部が、内側から膨らむように淡く輝いた。


白。


いや、少し青い。


そう思った次の瞬間には消えていた。


ほんの一瞬。


でも食堂にいた何人もの人が見た。


誰かが息を呑む。


店員の手が止まる。


「閉めろ!」


宿の主人の怒鳴り声で、店員が我に返った。


大きな窓が閉まる。


鎧戸まで下ろされ、西の空が完全に見えなくなった。


食堂が暗くなった。


誰もすぐには話さない。


私は自分の心臓の音が聞こえる気がした。


今のは何だったのだろう。


雷?


魔法?


何かが燃えた?


それとも――。


そこまで考え、止めた。


「紙」


オラクルが言った。


私は我に返る。


「見たままだけ書け」


「うん」


手が少し震えていた。


《第二宿場――西の雲が一度発光》


そこで止まる。


「色は?」


リリィが聞いた。


「白っぽかったと思う」


フランが首を傾げる。


「俺は少し青く見えた」


「私は……どっちか分からない」


オラクルが頷いた。


「なら書くな」


私は色を書かなかった。


《音は確認できず》


《原因不明》


それだけ。


今度は噂ではない。


私たち自身が見た。


でも、見たからといって正体まで分かるわけではない。


むしろ同じ場所で見ていた私とフランで、色の印象さえ違っている。


「昨日、光の色が人によって違うって話があったよね」


私が言う。


「ああ」


オラクルが閉じた窓を見る。


「嘘ついてたとは限らねえってことだな。同じもん見ても、人によって見え方は違う」


食堂のざわめきが戻り始めた。


「今の見たか?」


「青かったぞ」


「白だろ!」


「雷じゃないのか?」


「音しなかったぞ!」


「魔法だ!」


たった数秒で答えが増えていく。


私はその光景を見て、少し怖くなった。


今なら分かる。


こうやって噂が作られる。


一つの出来事。


それを見た人。


違う見え方。


そこへ推測が加わる。


次の町へ着くころには、まったく別の話になっているかもしれない。


「オラクル」


「何だ?」


「私、今まで噂を簡単に信じすぎてたかも」


「気づいたなら十分だ」


私は自分の紙を見た。


分からないことばかりだ。


それでも、昨日よりは少しだけ前へ進んでいる。


光は本当にあった。


少なくとも、そこだけはもう噂ではない。


問題は、それが何なのか。


「今日は橋へ行かないんだよね」


「ああ」


オラクルは即答した。


「むしろ行かねえ理由が増えた。兵士が窓まで閉めさせてる状況で、怪我人二人連れて原因不明の場所へ突っ込む馬鹿はいねえ」


「怪我人って毎回言わなくても……」


「大事だから毎回言ってんだ」


反論できなかった。


「今日はここで情報を集める。それと兵士が何か発表するか待つ。封鎖が解除されるなら予定どおり進む。長引くなら別ルートを探す」


「別ルートも駄目だったら?」


「待つ」


迷いのない答えだった。


少し前の私なら、そこで不満を言ったかもしれない。


今は違う。


早くグライツへ行きたい。


大図書館を見たい。


メロウに会いたい。


二体目の幻獣種へ繋がる手掛かりも探したい。


フランだって、リザーメイトやアルトについて早く知りたいはずだ。


それでも、ここで無茶をして旅を続けられなくなれば全部遠ざかる。


「分かった」


私は頷いた。


そのときだった。


閉ざされた窓の向こうから、低い音が届いた。


最初は馬車が通ったのだと思った。


でも違う。


床がほんのわずかに震えた。


器の中の水面に、小さな波紋が広がる。


遅れて、腹の奥へ響くような音が食堂を通り抜けた。


雷に似ている。


でも空から落ちてくる雷鳴というより、遠い場所で巨大な何かが地面へ叩きつけられたような重い音だった。


食堂が再び静まり返る。


メリーが私の肩へ身体を寄せた。


『フール……』


「大丈夫」


そう答えたけれど、自分にも何が大丈夫なのか分からなかった。


オラクルも今度は何も言わない。


リリィはテーブルの水を見る。


フランは閉じられた窓へ視線を向けていた。


音は一度だけだった。


けれど、食堂の誰一人としてすぐには口を開かなかった。


閉ざされた窓の向こうから届いた低い響きは、聞こえただけではない。床板を伝い、椅子の脚を震わせ、テーブルに置かれた器の水面へ細かな波紋を広げている。


遠い。


少なくとも、この宿場町のすぐ近くで起きたものではない。


それなのに、腹の底へ直接触れてくるような重さがあった。


「……雷?」


誰かが呟いた。


その一言をきっかけに、食堂の空気が一気に動いた。


「今のが雷かよ」


「じゃあ、さっきの光は?」


「魔法じゃないのか?」


「橋の向こうだろ?」


「また何か起きたんじゃ――」


いくつもの声が重なり、さっきまで静まり返っていた食堂が今度は別の意味で騒がしくなる。


私は思わず紙へ手を伸ばした。


でも、すぐには書かなかった。


今の音が本当に西から聞こえたのか、私には断定できない。橋の向こうで鳴ったものなのか、さっき見た光と関係があるのかも分からなかった。


「書かねえのか?」


オラクルに聞かれる。


「もう少し待つ。私には、どこから聞こえたか分からなかったから」


一瞬、オラクルが黙った。


それから小さく頷く。


「それでいい」


褒められたわけではない。


でも、少し嬉しかった。


分からないことを無理に埋めない。


今まで何度も言われてきたことを、ようやく自分でできた気がした。


リリィは器の水面を見ていた。


「音だけじゃなくて、少し揺れたよね」


「ああ」


フランも頷く。


「俺も感じた。椅子がちょっとだけ揺れた」


そこは私も分かった。


なら書ける。


《発光後、時間を置いて低い音と微弱な振動を確認。発生場所・関連は不明》


それだけを書き加えた。


さっきの光と同じ原因だとは書かない。


橋とも結びつけない。


ただ、順番だけは残す。


西の雲が光った。


少し時間が経った。


低い音と小さな振動が届いた。


今の私たちが確実に言えるのは、そこまでだった。


そのとき、外から再び兵士の声が聞こえた。


「全員、建物の中にいろ! 西側へ近づくな!」


さっきより強い声だった。


食堂にいた人々の表情が変わる。


宿の主人が入口まで行き、閉じた扉越しに尋ねた。


「いつまでだ!」


「解除の指示が出るまでだ!」


「何が起きてる!」


少し間があった。


私は息を止める。


でも、返ってきたのは期待していた答えではなかった。


「今は何も話せない!」


足音が遠ざかる。


宿の主人はしばらく扉を見ていたが、やがて諦めたように振り返った。


「聞いたとおりだ。悪いが、誰も外へ出ないでくれ」


不満の声は上がった。


でも、さっきの光と音を実際に経験したあとでは、強引に外へ出ようとする人はいなかった。


オラクルも椅子へ戻る。


「今日の情報集めはここまでだな」


「まだ夕方前だよ?」


「外へ出るなって言われてんのに何する気だ」


「この宿の中なら聞けるよ?」


言ってから、自分でも少し意外だった。


オラクルも同じだったらしい。


「……それはそうだな」


「でしょ?」


「ただし、今は待て。全員興奮してる。こんな状態で聞いたら、さっきの光が十分後には空飛ぶ竜になってるぞ」


確かにありそうだった。


実際、少し離れた席ではすでに「巨大な魔法だった」と断言している人がいる。


その隣では「青い炎が空から降った」と話していた。


私が見たものとは違う。


ほんの少し前に全員が同じ窓から見たはずなのに、もう話が変わり始めている。


「じゃあ、落ち着くまで待つ?」


「ああ。それと兵士の発表があるかもしれねえ。今夜はここから動かない」


オラクルは地図を開いた。


グライツへ向かう道。


第二宿場。


古い石橋。


そのさらに西。


私たちが本当に行きたいのは、この先にあるグライツ王国だ。


橋の異変を解決するために旅をしているわけではない。


それなのに、そこを通れなければ先へ進めない。


「別の道、本当にないのかな」


フランが地図を覗き込む。


「明日調べる」


オラクルが答える。


「安全に使える道があるなら、そっちへ回る。なけりゃ封鎖が解けるのを待つ」


「橋の向こうは見に行かない?」


私が尋ねると、オラクルは私の右足を見たあと、フランの右腕を見る。


それだけで答えは分かった。


「行かねえ。少なくとも今の状況ではな」


「分かった」


今度は不満ではなかった。


むしろ安心した。


光を見た瞬間は、確かめたいと思った。


でも、あの低い音と床の振動を感じたあとでは、何も分からないまま近づくことがどれだけ危険なのかも想像できる。


私たちは強くなろうとしている。


だからこそ、自分たちより遥かに大きいかもしれない危険へ、理由もなく飛び込む必要はない。


フランも同じように考えていたのか、腰の短剣へ触れながら言った。


「ナナだったら、あの光の場所まで行けるのかな」


オラクルが少し考える。


「知らねえ。ただ、あいつなら行けるかどうかと、俺たちが行っていいかは別の話だ」


「うん」


フランは素直に頷いた。


武道大会で見たナナの力。


TIMEの中でもさらに上がいるという事実。


あれを知ったからこそ、私たちは自分たちの現在地も少し分かるようになったのかもしれない。


強くなりたい。


でも、強くなりたいから死んでもいいわけではない。


メリーが私の肩からテーブルへ降りた。


『今日、外出ないの?』


「出ないよ」


『じゃあお風呂は?』


一瞬、全員が黙った。


「宿の中にあるなら入れるんじゃねえか?」


オラクルが言う。


『やった!』


メリーが両手を上げる。


緊張していたせいか、その反応に少し笑ってしまった。


フランも笑う。


リリィまで肩の力を抜いた。


何が起きているのかは分からない。


でも、ずっと怖がっているだけでは何もできない。


今できることをする。


身体を休める。


怪我を悪化させない。


情報を整理する。


そして明日、状況を確認する。


それでいい。


私は紙をもう一度見た。


今日だけでも随分増えている。


封鎖。


負傷兵。


見張り台の焼け跡。


雷に似た音。


空から落ちたという証言。


そして、自分たちで見た雲の発光と、そのあとに届いた低い音。


別々の情報。


まだ一つには繋げない。


それでも昨日までと違い、空で何かが起きている可能性そのものは、もう簡単には否定できなかった。


《雲より上を泳ぐ影》。


ふと、メロウが調べていたという古い伝承を思い出した。


でも紙には書き加えなかった。


それは昔の記録。


今の光は今の光。


同じだと分かるまでは別々だ。


「フール」


リリィが私を見る。


「何?」


「また考えてる顔してる」


「ちょっとだけ」


「幻獣種?」


当てられた。


「……ちょっとだけ」


「今は分からないよ」


「うん。分かってる」


本当に分かっている。


ただ、気になるだけだ。


もし大図書館へ着けたなら、今日見た光についても調べたい。


《北部山岳調査記録》。


メロウが集めていた空の伝承。


古い遺跡。


そこへ今日の出来事を重ねたとき、何か見えてくるかもしれない。


そのためにも、まずグライツへ行かなければならない。


私は紙を畳んだ。


「明日はどうする?」


「朝一で状況確認だ」


オラクルが地図も畳む。


「封鎖が解除されてるか兵士に聞く。駄目なら別ルートを探す。それと今日戻ってきた兵士について何か発表がないか確認する。そこまでやってから決める」


「分かった」


方針が決まると、少しだけ気持ちが楽になった。


外へ出られない以上、今日はもう休む。


宿の中で夕食を取り、風呂へ入り、早めに眠る。


明日になれば状況が変わっているかもしれない。


そう思った。


けれど、その日の夜。


私は一度、目を覚ました。


何時なのか分からない。


部屋は暗い。


隣ではみんな眠っている。


最初は、どうして起きたのか自分でも分からなかった。


夢を見ていたのかもしれない。


右足が痛んだわけでもない。


私はもう一度眠ろうとして、目を閉じた。


そのとき。


閉ざされた西側の窓の向こうが、ほんの一瞬だけ明るくなった。


昼間より弱い。


窓の隙間から、細い光が床へ落ちただけだった。


私は息を止めた。


起き上がらない。


窓へも近づかない。


ただ、暗闇の中で待った。


一秒。


二秒。


何も聞こえない。


十秒ほど経ったころ。


遠くから、低い音が届いた。


昼間とよく似た、腹の奥へ響く音。


今度は窓が小さく震えた。


それでも私は動かなかった。


オラクルを起こそうか迷った、その瞬間。


隣の暗闇から声がした。


「……起きてるぞ」


オラクルだった。


「今の見た?」


「ああ」


フランも身体を起こした。


「俺も」


リリィも起きている。


メリーまで布団から小さな顔を出した。


誰も窓へ近づかなかった。


昼間なら、偶然だったかもしれない。


雷だったかもしれない。


でも今夜、同じような光と音がもう一度起きた。


一度ではない。


兵士が言った《まただ》という言葉が、初めて違う重さを持った。


オラクルが暗闇の中で静かに言った。


「明日、予定を変える」


私は窓を見た。


「橋へ行くの?」


「逆だ」


オラクルの声には迷いがなかった。


「まず、この異変がどこまで広がってるのか調べる。落ちた場所が橋そのものじゃねえなら、通れる道が見つかるかもしれねえ。それに――」


そこで一度言葉を切った。


「空から落ちたって話が本当なら、何が落ちたのか分からねえまま近づくのは危険すぎる」


私は頷いた。


暗い部屋の中で、誰の顔もはっきりとは見えない。


それでも全員が同じ方向を考えていることだけは分かった。


グライツへ行く。


その目的は変わらない。


だからこそ、明日は橋へ突っ込むのではなく、橋の向こうで何が起きているのかをもっと正確に調べる。


昼間に見た光。


夜にもう一度見えた光。


そして遅れて届いた、あの重い音。


何かが起きている。


そこまでは、もう疑わなかった。


ただし――それが何なのかは、まだ誰も知らない。


私はもう一度横になった。


眠れる気はあまりしなかった。


閉ざされた窓の向こうには、見えない空が広がっている。


そのさらに先には、グライツへ続く道と古い石橋。


そして、空から落ちてきたという正体不明の何か。


明日。


私たちはようやく、その正体へ繋がる最初の痕跡を探すことになる。

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