第150話 雲の下の宿場町
測量師と街道警備隊を見送ってから、私たちはもう一度グライツ王国へ向かって歩き始めた。
太陽はすでに高く、朝には斜めへ長く伸びていた影も、今では足元近くまで縮んでいる。本来の予定ならもっと先まで進んでいた時間だけれど、オラクルは遅れを取り戻そうとはせず、地図を確認するとむしろ歩く速度を少し落とした。
「今日は最初の宿場町まで行けりゃ十分だ。予定より遅れたからって飛ばすなよ。特に怪我人二人」
「私、ちゃんと歩けてるよ?」
「今歩けてるかじゃねえ。夕方まで歩いて、そのあとも悪化しねえかの話だ」
言われて右足へ意識を向ける。
痛くはない。
ただ、何も感じないわけでもなかった。
武道大会のあと数日間休ませたことで、普通に歩けるところまでは回復している。それでも長く歩き続ければ、足首の奥へ少しずつ重さが溜まっていく。治療師からも「治ったのではなく、無理をしなければ旅を再開してもいい状態」と念を押されていた。
フランも同じだった。
右腕を吊る必要はなくなったものの、短剣を振ることはまだ禁止されている。荷物も左肩を中心に掛け、歩いている間も右腕を大きく振らないよう意識していた。
「フランは?」
「今のところ大丈夫。痛くはないよ」
「重くない?」
「少しだけ。でも朝から変わってない」
以前なら、その程度の違和感は黙っていたかもしれない。
でも今は、少しでも変化があれば隠さず伝える。それも武道大会のあと、みんなで決めたことだった。
オラクルも会話を聞いていたらしく、振り返らずに言う。
「重さが増えたらすぐ言え。フールもだ。痛くなってからじゃ遅えぞ」
「分かってる」
「今の返事は信用していいんだろうな?」
「今日は大丈夫!」
「今日はって何だよ」
フランが笑った。
街道へ戻ってからしばらくは、誰も《空の遺跡》について話さなかった。
助けた測量師から聞いた情報は、それだけ考え込んでしまうものだった。
グライツ北部の高い山に残る古い遺跡。
その壁に描かれた、魚にも翼のない竜にも見える巨大な生き物。
そして、古い文字から読み取れたという《天を渡るもの》。
それだけなら昔の伝説として聞き流していたかもしれない。
でも今の私たちは、もう一つ似た話を知っている。
考古学者メロウが、大図書館で集めていたという空に現れる生き物の記録。
《雲より上を泳ぐ影》。
二つの話が、頭の中で何度も重なった。
「偶然にしては、ちょっと出来すぎてる気がする」
しばらくしてフランが口を開いた。
「俺たちがグライツへ行こうとしてる日に、グライツへ資料を運んでる人と会って、その資料にも空の生き物が出てくるなんて」
「私も思った。二体目の幻獣種……なのかな」
口にした瞬間、オラクルがこちらを見る。
怒られると思い、私は慌てて続けた。
「かもしれない。でも、まだ分かんない」
オラクルは言おうとしていたことを飲み込んだらしい。
「何?」
「いや。ちゃんと分かってんならいい」
「私だって成長するよ!」
「数日前なら『絶対そうだよ!』って言ってただろ」
「そこまでじゃないもん」
「言ってたと思うよ」
フランまでオラクル側についた。
リリィを見ると、何も言わず頷かれる。
メリーなら味方してくれると思って視線を向けた。
『私はフールの味方だよ! でも、たぶん絶対って言ってたと思う!』
「味方じゃない!」
笑い声が街道へ広がった。
それでも、オラクルの言いたいことは分かっている。
今分かっているのは、メロウが空に現れる生き物について調べていたらしいこと。グライツ北部の遺跡に巨大な生き物の絵が残されていること。そして、その遺跡に《天を渡るもの》と読める古い文字があったこと。
三つの情報は似ている。
でも、同じものを指している証拠はない。
まして幻獣種だと決まったわけでもない。
「でも調べる価値はあるよね」
「ああ。大図書館へ着いたら《北部山岳調査記録》も探す。メロウが見つかれば、空の伝承についても聞く。それまでは余計な答えを作らねえ。それで十分だ」
その言葉に納得し、私たちはまた歩いた。
昼を少し過ぎたころ、大きな木の下で休憩を取った。
街道の脇には低い石垣があり、その向こうには風に揺れる草原が広がっている。朝から歩き続けていたせいで、腰を下ろした瞬間、身体から力が抜けていくのが分かった。
右足を伸ばす。
痛みはない。
でも足首の奥に、朝にはなかった重さがある。
「フール?」
リリィがすぐ気づいた。
「痛くないよ。ただ、ちょっと疲れた感じ」
「だったら今日は長めに休もう。痛くなってからじゃ遅いから」
以前なら「まだ歩ける」と言っていたと思う。
今日は素直に頷いた。
フランも右腕を確かめている。
「そっちは?」
「俺も少し重い。でも痛みはないよ」
「二人とも、休憩終わるまで立つな」
オラクルに言われた。
「そこまで?」
「そこまでだ。宿場町に着く前に悪化させたら、何のために数日待ったんだ」
正論だった。
することがなくなった私は、荷物の中から《聖なるマップ》を取り出した。
道を確かめるために開くことは何度もあったけれど、最近は目的地ばかり追いかけていて、旅の記録そのものをゆっくり見ることが減っていた。
《冒険アルバム》を開き、ページを送る。
旅に出たばかりのころより、ずっと増えている。
訪れた場所。
手にしたもの。
深く関わった人や出来事。
一つ一つを見ているだけで、そのときの景色や声まで思い出せる。
「ずいぶん増えたね」
隣に座ったフランが覗き込んだ。
「うん」
私はゆっくりページを送った。
薬草。
旅の途中で出会った人たち。
何気なく関わったものまで《聖なるマップ》には記録されている。
その中で指が止まった。
見慣れた三枚。
赤。
緑。
黄色。
三匹のゴブリン。
今はここにはいない。
ゴブリン王国へ残り、自分たちでもっと強くなるために修業している。
「元気かな」
私が呟くと、フランも三枚を見る。
「元気だと思うよ」
「赤はちゃんと修業してるかな。お肉食べてばっかりじゃないかな」
「修業して、お腹空いたから肉食べてるんじゃない?」
「それならいいけど」
緑は本を抱え、新しい魔法を覚えようとしている姿が簡単に想像できた。
黄色は少し考えた。
「黄色は……お金数えてそう」
「それ修業?」
「黄色には大事なのかも」
二人で笑った。
三匹がゴブリン王国へ残ると決めたときのことを思い出す。
三匹も、自分たちでもっと強くなりたいと決めた。
今の私たちと同じだ。
場所は離れている。
やっていることも違う。
それでも、それぞれの場所で昨日より少し強くなろうとしている。
「次に会ったら、すごく強くなってるかもね」
「赤がものすごい剣士になってたり?」
「緑がすごい魔法使いになってたり!」
「黄色は?」
「大金持ち」
「それは強くなってるのかな」
「黄色なら一番喜ぶよ」
久しぶりに三匹のことを考えると、少し会いたくなった。
でも寂しいだけではない。
次に会ったとき、お互いどれくらい変わっているのだろう。
そう考えると、楽しみのほうが大きかった。
私は三枚をもう一度見てから、《冒険アルバム》を閉じた。
「今日の測量師さんも、またどこかで会うかもしれないね」
「そのときは、空の遺跡についてもっと分かってるかも」
「うん」
予定にはなかった出会いだった。
でも、あの測量師を助けなければ《空の遺跡》も《天を渡るもの》も知らなかった。
目的地だけではない。
そこへ向かう途中で出会うものも、全部旅なのだ。
休憩を終え、再び歩き始めた。
午後になると、景色は少しずつ変わっていった。
広かった草原が途切れ、代わりに畑が増える。遠くには農家らしい建物が点々と見え、街道を行き交う荷馬車の数も朝より多くなった。
一台の馬車とすれ違ったとき、荷台から子供が手を振ってきた。
私も振り返す。
次に来た馬車には、大量の籠が積まれていた。
「何入ってるんだろう」
「果物じゃない?」
フランが言う。
「見えないよ?」
「匂い」
鼻を動かしてみると、確かに甘い匂いがする。
「本当だ!」
「フール、食べたい顔してる」
「してないよ」
お腹は空いていたけれど。
少し先では羊の群れが街道を横切り、私たちはしばらく足止めされた。
何十匹もの羊が次々と目の前を通っていく。
「急いでなくてよかったね」
「急いでても羊には勝てねえよ」
オラクルが笑う。
私にはちょうどいい休憩になった。
さらに進むと小さな川へ出た。
石造りの橋から見下ろす水は透き通り、魚が泳いでいるのが見える。
メリーが魚を追って川沿いへ飛びそうになり、リリィに止められた。
『ちょっとだけ!』
「宿場町に着いてから」
『宿場町にこの魚いないよ?』
「明日また川があったら見ればいいでしょ」
『同じ魚じゃないもん!』
メリーにとっては重要らしい。
そんな小さな出来事を挟みながら進んでいると、身体は疲れているのに、朝より気持ちは軽くなっていた。
午後もだいぶ過ぎたころ、街道の先に大きな屋根が見えた。
最初は一軒。
その後ろから二軒、三軒と建物が増えていく。周囲には畑と家畜用の柵があり、街道沿いには何台もの馬車が止まっていた。
「着いたぞ」
オラクルが言った。
最初の宿場町だった。
大きな城壁はなく、街道を中心に宿、食堂、馬小屋、道具屋などが並び、その周囲へ家が広がっている。旅人たちが休むための場所が、長い時間をかけて少しずつ町になったような造りだった。
入口近くには木製の大きな看板が立っている。
《西街道第一宿場》
その下には各方面への道が書かれていた。
私は真っ先にグライツを探した。
「あった!」
《グライツ王国方面――北西》
矢印が伸びている。
まだ遠い。
それでも文字として目にすると、本当にそこへ近づいている実感が湧いた。
宿はすぐに見つかった。
街道沿いの二階建てで、一階が食堂になっている。オラクルは私とフランの状態を考えて一階の部屋を取り、荷物を置いてから全員で食堂へ集まった。
椅子へ座った瞬間、右足から力が抜けた。
痛くはない。
でも、朝から一日歩いた疲れは確実に残っている。
「足は?」
リリィが聞く。
「重いけど痛くない」
「じゃあ今日はもう町を歩き回らないでね」
「まだ何も言ってないよ」
「顔に書いてある」
そんなに分かりやすいのだろうか。
フランも右腕に痛みはなく、朝から状態は変わっていないらしい。
二人とも無事に一日目を終えられたことを確認して、ようやく食事を頼んだ。
食堂には大勢の旅人がいた。
入口に近い席では商人らしい男たちが翌日の荷運びについて話し、壁際では冒険者らしい四人組が大皿の肉を奪い合っている。馬車で来た家族連れもいれば、一人で静かに酒を飲んでいる老人もいて、武道大会の街とは違う、旅人たちが一日の終わりに緊張を解くための賑やかさに満ちていた。
私もようやく肩の力が抜けた。
「お腹空いた」
「今日それ何回目だ?」
オラクルが呆れる。
「いっぱい歩いたもん」
「休憩も多かっただろ」
「休憩したってお腹は空くよ!」
「当たり前のことを偉そうに言うな」
しばらくすると、焼いた肉と野菜、それに湯気の立つスープが運ばれてきた。
一口飲んだだけで、身体の中へ温かさが広がっていく。
「おいしい……」
思わず声が漏れた。
『私も飲みたい!』
メリーが器の縁から中を覗き込む。
「熱いよ?」
『冷まして!』
小さな器へ分けて息を吹きかけていると、メリーは待ち切れないらしく、その周りを飛び回っていた。
「まだ?」
『まだ熱い?』
「まだ」
『もういい?』
「五秒しか経ってないよ」
『じゃあ今は?』
「変わらないよ!」
向かいではフランが笑っていた。
左手でスプーンを持つ動作も、数日前に比べるとかなり自然になっている。
「フラン、左手慣れたね」
「短剣よりスプーンのほうが簡単だからね。でも最初は結構こぼしたよ」
「右腕が治っても左で食べたら? 練習になるよ」
「食事くらい普通にさせてよ」
そんな他愛のない会話をしながら食べていると、朝から身体の中に残っていた緊張が少しずつ抜けていった。
今日だけで色々なことがあった。
街を出て、草原の足跡を見つけ、測量師を助けた。
その結果、《空の遺跡》と《天を渡るもの》という、朝には知らなかった手掛かりまで得た。
予定していた旅からは少し外れた。
でも、ただ遅れただけではない。
《冒険アルバム》を見返したあとだからこそ、それがよく分かる。
旅を始めてから増えてきたものの中には、最初から探していたものばかりが並んでいるわけではない。
たまたま出会った人。
寄り道した場所。
そのときは何でもないと思った物。
そういうものまで、あとから振り返れば旅の一部になっている。
今日の測量師との出会いも、いつかそうなるのかもしれない。
食事が半分ほど終わったところで、オラクルが地図を広げた。
「腹いっぱいになって寝る前に、明日の確認だけしとくぞ」
「今?」
「お前、食い終わったら眠くなるだろ」
否定できなかった。
オラクルの指が、現在いる宿場町から西へ延びる街道をなぞる。
「明日は第二宿場まで行く。今日より少し距離は長いが、道はほぼ平坦らしい。朝早めに出て、休憩は今日と同じくらい取る。フールの足かフランの腕に変化が出たら、その時点で予定を変える」
「その次が北西?」
リリィが尋ねる。
「ああ。第二宿場を出てしばらくしたところで街道が分かれる。そこから北西へ入れば少しずつ標高が上がって、その先に例の石橋がある。橋を越えてさらに進めば、グライツ方面だ」
私は地図を覗き込んだ。
紙の上では指先を少し動かすだけの距離なのに、実際には何日も掛けて歩く。
今日一日で進んだ距離だって、地図の上では本当に小さい。
「世界って広いね」
「今さら気づいたのか?」
「だって地図で見るのと歩くの、全然違うもん」
《聖なるマップ》を手に旅を始めたころは、地図に新しい場所が増えることそのものが嬉しかった。
今は、そこへ至るまでの時間も少し好きになっている。
今日のように、途中で何が起きるか分からない。
怖いこともある。
でも、その途中でしか出会えないものもある。
「大図書館に着いたら、まず何から調べる?」
フランが聞いた。
「幻獣種!」
即答すると、オラクルが顔を上げる。
「その次」
「《北部山岳調査記録》!」
「その次」
「メロウ!」
「本人は本じゃねえぞ」
「分かってるよ!」
リリィが笑いながら、私の紙を覗き込んだ。
そこには、調べたいことがすでにいくつも並んでいる。
幻獣種。
メロウ。
北部山岳調査記録。
天を渡るもの。
リザーメイト王国。
アルト。
グラティスの大剣使い。
そして、お父さんとお母さん。
「これ、本当に全部調べるの?」
「もちろん」
「何日かかるんだろうね」
「二日くらい?」
オラクルが地図から顔を上げた。
「お前、世界一の図書館を何だと思ってんだ」
「じゃあ三日」
「一日増やしただけじゃねえか」
フランが吹き出した。
「だったら一週間?」
「急に増えたな」
「じゃあ間を取って五日!」
「何の間だよ」
みんなが笑った。
世界一の図書館へ行けば、何でも簡単に分かるわけではない。
それはもう理解している。
でも、楽しみだった。
知らないことがたくさんある場所へ行く。
その中から、自分たちに必要なものを一つずつ探す。
そう考えるだけで、少し胸が高鳴る。
そのとき、食堂の入口が開いた。
外から冷たい風が流れ込み、壁際に掛けられた灯りの炎が一斉に揺れた。
入ってきたのは三人の旅人だった。
三人とも厚手の外套を着込み、裾から靴まで乾きかけた泥がこびりついている。背負った荷物も大きく、先頭の男は頬に古い傷があった。
「やっと着いた……」
男が店内へ入るなり、疲れ切ったように息を吐く。
後ろの一人が荷物を床へ置いた。
「もう今日は動かねえぞ。何言われてもだ」
「誰が動くかよ。馬まで疲れてる」
三人は私たちから少し離れたテーブルへ座った。
宿場町なのだから、旅人が入ってくること自体は珍しくない。
ただ、何となく気になった。
他の客は西へ向かう途中でここへ泊まっている人が多いのに、三人の外套には背中側まで泥が跳ねている。馬も相当疲れているらしい。
どこから来たのだろう。
私が少し見ていると、オラクルが気づいた。
「じろじろ見るな」
「見てないよ」
「見てた」
「ちょっとだけ」
「リリィの悪いところ真似すんな」
「私?」
突然巻き込まれたリリィが顔を上げた。
オラクルは小さく笑い、地図を畳む。
「旅人なんざ珍しくねえ。何かあれば向こうから聞こえてくる」
その言葉どおり、三人は料理と酒が運ばれてくると、しばらく食べることだけに集中していた。
相当腹が減っていたらしい。
私たちも食事へ戻る。
しばらくすると、メリーがようやく冷めたスープを飲み終えた。
『おかわり!』
「もう?」
『おいしい!』
「飲みすぎたらお腹たぷたぷになるよ」
『大丈夫!』
「何が大丈夫なの?」
いつもの会話。
いつもの食事。
だから、隣のテーブルから聞こえた言葉も、最初は気に留めなかった。
「……戻るしかねえだろ」
頬に傷のある男の声だった。
仲間の一人が、苛立ったように答える。
「分かってる。けど、ここまで来て戻るのかよ」
「仕方ねえだろ。通れねえもんは通れねえ」
私はスプーンを止めた。
通れない。
どこの話だろう。
まだ私たちに関係があるとは限らない。
オラクルも顔を上げなかった。
ただ、地図を畳もうとしていた手だけが止まっている。
三人の会話は続いた。
「荷物は?」
「一回戻す。腐るもんじゃねえし、道が開いてから運び直すしかない」
「いつ開くかも分からねえのに?」
「俺に聞くな。兵士が教えなかったんだ」
兵士。
今度はリリィも少しだけ顔を上げた。
フランも聞いている。
それでも誰も口を挟まない。
男たちは酒を飲みながら、疲れ切った声で愚痴を続けている。
「明日、東へ戻る。もう北西には行かねえ」
その言葉で、オラクルの目が地図へ落ちた。
北西。
私たちが第二宿場を過ぎたあと、グライツ王国へ向かうために進む方角。
私はオラクルを見る。
オラクルもこちらを見た。
それだけで、同じことを考えていると分かった。
でも今夜は、まだ聞かなかった。
相手は長旅を終えて、ようやく食事にありついたばかりだ。それに、聞こえた言葉だけで私たちの進む道と同じだと決めつけるのも早い。
「明日の朝でもいい」
オラクルが私たちにだけ聞こえる声で言った。
「同じ宿だ。向こうが落ち着いてから聞く。まず、どの道の話なのか確かめる」
私は頷いた。
少し前の私なら、すぐに椅子から立って「あの、何があったんですか?」と聞きに行っていたかもしれない。
今は待てる。
それでも、食事を再開してから何度か、入口近くの三人へ視線が向いてしまった。
頬に傷のある男は酒を飲みながら、最後に一度だけ仲間へ言った。
「とにかく今日は寝ろ。橋のことは明日考える」
橋。
今度こそ、全員の手が止まった。
オラクルは何も言わず、畳みかけていた地図をもう一度開く。
指が、北西へ延びる道の途中で止まった。
そこにあるのは、私たちも聞いていた古い石橋だった。
まだ何が起きているのかは分からない。
ただ一つだけ。
グライツへ続く道の先で、予定にはなかった何かが起きている。
私は温かいはずのスープをもう一口飲んだ。
さっきまでと同じ味なのに、少しだけ違って感じられた。
明日の朝、あの三人から話を聞く。
そして第二宿場へ向かう。
グライツ王国への旅はまだ始まったばかりなのに、その先の道にはもう、最初の異変が待っていた。




