第147話 知識の国グライツ
布団ゴブリンから届いた黒いコインの文字が消えても、三つの言葉だけは頭に残り続けていた。
グライツ王国。世界一の図書館。そして、メロウという学者。
正直に言えば、私はすぐにでも行きたかった。世界一という言葉だけでも十分に気になるのに、そこには昔の魔物や幻の生き物について調べている人がいるらしい。《幻獣種召喚の本》を持って直接会いに行けば、これまで分からなかったことが一気に判明するかもしれない。
けれど、それは全部「かもしれない」だった。
少し前の私なら、行き先が見つかっただけで荷物をまとめていたと思う。でも今は、布団ゴブリンから聞いた情報をそのまま正しいと決めず、一つずつ確かめてから動こうと考えられる。
オラクルも同じだった。
「グライツへ行ったことがある奴を探す。図書館については別々の人間から同じ話が取れりゃ、ひとまず信用できる。メロウについては、そのあとだ」
「メロウも一緒に聞けばいいじゃん」
「聞くさ。ただ、順番の話だ。国がある、図書館がある、そこにメロウって学者がいる。この三つを分けて確認する。最初の奴が全部知ってるとは限らねえし、同じ噂を聞いただけの奴を三人集めても裏取りにはならねえ」
そこまで考えるものなのかと感心していると、リリィが立ち上がった。
「私も行く」
「どこへだ?」
「情報集め。オラクルがどうやって聞くのか見たい。人から話を聞いて追うのと、痕跡から追うのって少し似てる気がするから」
オラクルは少し考えたあと、仕方なさそうに頷いた。
「ついてくるのは構わねえ。ただし、俺が話してる相手をじろじろ観察すんなよ。お前、相手の靴見て『昨日ぬかるんだ場所を歩きました?』とか平気で聞くだろ」
「必要なら聞くよ」
「必要かどうかを俺が決めるんだよ」
「じゃあオラクルが気づかなかったら私が聞く」
「俺を信用しろ!」
二人は言い合いながら宿を出ていった。
メリーも昨日に続いて治療師のところへ向かう。昨日の火災では一度に大勢の負傷者が出たことで、誰から治療すればいいのか迷ったらしい。今日は回復の力そのものだけではなく、出血や意識の状態から治療の優先順位を判断する方法を教えてもらうと言っていた。
残されたのは、私とフランだった。
「怪我人組だね」
フランが言う。
「その呼び方嫌だなあ」
「事実でしょ」
「フランのほうが怪我ひどいもん」
「競うところじゃないよ」
確かにそうだった。
顔を見合わせて笑う。
昨日一日ほとんど歩かなかったおかげで、私の右足はかなり軽くなっている。普通に歩く程度ならほとんど痛まないけれど、走ったり強く踏み込んだりするのは禁止されたままだ。
フランも右腕を胸の前で吊っているので、今日は二人とも宿でできることをする。私は《幻獣種召喚の本》について分かっていることと、これから調べたいことを整理し、フランは身体を大きく動かさず、左手で短剣を扱う動作だけを確かめることになった。
「右手使ったら止めるからね」
「フールに見張られるの、すごく不安なんだけど」
「何で?」
「自分の足のこと忘れて動く人だから」
「今日は忘れないよ!」
「昨日も似たようなこと言ってなかった?」
リリィと同じことを言われた。
少し不満だったけれど、反論するより先に《幻獣種召喚の本》を開く。
フランも椅子から立ち上がり、左手で短剣の柄を握った。鞘から抜き、途中で止め、構えを確認してからゆっくり戻す。昨日より動きは滑らかだったものの、何度か繰り返したところで自分から手を止めた。
「やっぱり変だな」
「どこが?」
「全部。右手なら考えなくてもできることを、一個ずつ考えないとできないんだ。左で抜くと身体が少し右へ向くし、そこから攻撃しようとすると足の位置までいつもと違う」
私にはそれほど変わって見えなかった。
「普通に見えるよ?」
「昨日リリィにも言われた。左で抜くときだけ右肩が前に出るって」
フランはもう一度短剣を抜き、途中で止まって自分の肩と足を確かめる。
「こうやって一個ずつ確認すれば分かるんだけど、戦ってる途中なら絶対気づかないと思う」
「じゃあ今気づけてよかったね」
「そうだね」
フランは短剣を鞘へ戻した。
すぐ次の動作へ移らず、しばらく左手を見ている。
「右腕が治ったら、左の練習やめる?」
尋ねると、少し考えてから首を横へ振った。
「続けるよ。昨日までは右腕が使えなくなることなんてほとんど考えてなかった。でも実際そうなったら、できることが一気に減った。次も同じことが起きないとは限らないから」
ナナとの決勝。
右腕の負傷。
そしてアルト。
全部が少しずつ繋がっているのだと思う。
「アルトも剣使うんだよね」
私が言うと、フランの目が一瞬だけ腰の短剣へ向いた。
「たぶんね。《オベリスク》が本当に剣なら」
「怖い?」
少し迷ったけれど、聞いた。
フランは昨日より長く考えなかった。
「怖いよ。ナナより強いかもしれないんでしょ。しかも俺の故郷を滅ぼした奴かもしれない。怖くないって言ったら嘘になる」
左手が短剣の柄へ触れる。
「でも、前よりは会いたい」
「どうして?」
「名前も知らなかったときは、ただTIMEを追えばいつか何か分かると思ってた。でも今は、聞きたいことがちゃんとあるから」
なぜリザーメイトを滅ぼしたのか。
なぜアルトの旧剣がフランの家にあったのか。
両親が夜中に話していた「あの子」とは誰なのか。
そして、グラティスで私たちを襲った大剣使いが、本当にアルトだったのか。
「答えを聞いたら、もっと嫌なことが分かるかもしれないけどね」
フランが小さく笑う。
それでも今のフランは、知らないまま憎み続けるのではなく、知るほうを選んでいる。
「そのときは、そのとき考えよう」
「やっぱりフールって単純だね」
「また悪口!」
「褒めてるって」
「絶対違う!」
今度の笑いは、昨日よりずっと自然だった。
フランが練習へ戻ったので、私も本へ視線を落とす。
空いている紙へ、調べたいことを書いていった。
《幻獣種とは何か》
《どこにいるのか》
《幻獣種召喚の本との関係》
《二体目の手掛かり》
書けば書くほど、知らないことばかりだと分かる。
でも不思議と嫌ではなかった。
世界一の図書館という場所へ行けば、この空白のいくつかが埋まるかもしれない。
そう考えていると、別の言葉も書きたくなった。
《リザーメイト王国》
少し離して、
《アルト》
さらに、
《グラティスの大剣使い》
最後に少し迷ってから、
《お父さんとお母さん》
と書いた。
今は、それでいい。
何を調べればいいのか分からないなら、それ自体を調べればいい。
「随分増えたね」
フランが後ろから紙を覗いていた。
「うん。世界一の図書館なんだから、いっぱい調べないと」
「何日かかるんだろう」
「一日?」
「世界一だよ?」
「じゃあ二日」
「そういう問題かな」
話していると、宿の入口からオラクルの声が聞こえた。
「お前ら、遊んでねえだろうな」
リリィも一緒だった。
二人とも昼前には戻ると言っていたのに、窓を見ると太陽はもうかなり高い。
しかもオラクルの表情が、出ていったときより少し険しい。
「どうだった?」
私が立ち上がろうとすると、リリィの視線が真っ先に右足へ向いた。
「走ってない?」
「第一声それ!?」
「大事だから」
「走ってないよ!」
「ならいい」
ようやく本題へ移った。
オラクルは椅子へ座り、集めてきたらしい紙をテーブルへ広げる。ただ、すぐには説明しなかった。
「何かあったの?」
フランが聞く。
「情報が割れた」
「割れた?」
「グライツ王国と大図書館については問題ねえ。国は実在するし、馬鹿でかい図書館があるって話も何人からか取れた。ただ、メロウについて話が一致しねえ」
期待していた胸が少し冷えた。
「いないの?」
「いや、いる。少なくとも名前を知ってる奴はいた」
オラクルは一枚目の紙を指した。
「グライツへ何度も行ってる商人は、メロウは大図書館に出入りしてる考古学者だと言った。古代遺跡や昔の生物、伝承を専門にしてるって話だ。ここまでは布団ゴブリンの情報とも合う」
「じゃあ何が違うの?」
今度はリリィが答えた。
「別の人は、メロウを図書館の人じゃないって言ったの」
「どういうこと?」
「昔、大図書館で資料を調べたことがある賞金稼ぎにも聞いたんだけど、メロウは図書館に所属してる学者じゃなくて、必要なときだけ勝手に来て資料を漁っていく人だって」
「どっちなの?」
「そこが分からねえ」
オラクルが二枚目の紙を叩く。
「しかも三人目は、最近メロウを大図書館で見てねえって言った」
部屋の空気が変わった。
「最近って?」
「詳しくは分からん。そいつ自身がグライツから来たのが少し前だからな。ただ、以前はよく見かけたのに、ここしばらく姿を見てないらしい」
私は紙を見る。
メロウ。
幻獣種を知っているかもしれない人物。
やっと見つかった手掛かりだと思っていた。
「じゃあ、グライツに行っても会えないかもしれない?」
「その可能性はある」
オラクルは誤魔化さなかった。
少し残念だった。
でも、そこで全部が無駄になるわけではない。
「図書館はあるんだよね?」
「ああ。それは間違いねえ」
「どのくらい大きいの?」
「世界一って看板に嘘があるかどうかまでは知らんが、規模が馬鹿でかいのは確かだ。国の中央にある大図書館には、普通の本だけじゃなく、各地から集めた古文書、研究記録、古い地図まで保管されてるらしい。図書館を見るためだけに国外から来る学者もいる」
胸の中へ、もう一度期待が戻ってくる。
メロウに会えなかったとしても、図書館そのものに行く意味はある。
幻獣種。
リザーメイト。
アルト。
TIME。
そして、お父さんとお母さん。
今の私たちには調べたいことが多すぎるくらいある。
フランも同じことを考えたらしい。
「リザーメイトの記録もあるかな」
声には期待と不安の両方が混じっていた。
私はすぐ「あるよ」とは言わなかった。
「あるかもしれないね」
フランがこちらを見る。
「アルトのことも」
「うん。古い手配書とか、TIMEが起こした事件の記録が残ってたら何か分かるかも」
「グラティスの襲撃も照らし合わせられるかもしれねえ」
オラクルが続けた。
「アルトがいつ、どこで目撃されてたか分かりゃ、グラティスにいた可能性も少しは絞れる」
フランの左手が、無意識に腰の短剣へ触れた。
昨日までとは違う。
不安を押さえ込むように強く握るのではなく、そこにあることを確かめるような触れ方だった。
「調べたい」
フランは静かに言った。
「俺の家にこの剣があった理由も、父さんと母さんが何を知ってたのかも、すぐには分からないと思う。でも、リザーメイトについて残ってる記録は見たい」
「ならグライツへ行く価値はあるな」
オラクルが頷いた。
「メロウに会える保証がなくても、図書館そのものが無駄にはならねえ。ただし、明日出発はなしだ」
「何で?」
「足」
私を見る。
「腕」
今度はフラン。
二人とも何も言えなくなった。
「怪我を治してから出る。それまでに道中の準備もする。グライツまでは歩いてすぐって距離じゃねえし、途中から道も変わるらしい。地図も買い直す」
リリィが別の紙を広げる。
簡単な道順が書かれていた。
「途中までは大きな街道を使える。でもグライツへ近づくと、少し標高の高い道へ入るみたい。荷馬車も通るから危険な道ではないって聞いたけど、今のフールとフランが無理して進む必要はないよ」
「何日待つの?」
「治療師に聞いて決める。お前らが勝手に決めるな」
オラクルに釘を刺された。
その間も何もしないわけではない。
フランは右腕を休ませながら左手の基礎を続け、リリィは追跡後の離脱や自衛を練習する。メリーは治療の優先順位を学び、オラクルはグライツまでの道とメロウの情報をさらに集める。
私は足を治しながら、魔法の制御と、図書館で調べたいことの整理を続ける。
やることは決まった。
だからなのか、メロウが大図書館にいないかもしれないと聞いたときほど、不安は大きくならなかった。
「会えなかったら探せばいいよね」
私が言うと、オラクルが少しだけ眉を上げた。
「簡単に言うな。グライツまで行って『メロウさんどこですか』で見つかりゃ苦労しねえぞ」
「でも、いないって決まったわけじゃないでしょ?」
「ああ。それに、その点についても一個だけ拾えた」
オラクルが広げていた紙の中から、端に細かな文字が並んだ一枚を抜き出した。
「最後に話を聞いた商人が、少し前までグライツにいた。そのときメロウ本人を見たわけじゃねえが、大図書館で名前を聞いたらしい」
「何て?」
「最近、古い記録を集めてるって話だ」
私は思わず身を乗り出した。
「何の記録?」
「そこまでは商人も詳しく知らねえ。ただ、普通の歴史書じゃない。古い生物の目撃記録や、各地に残ってる伝承を集めてたらしい」
フランが短剣から手を離し、紙を見る。
「それなら布団ゴブリンの話と合うね」
「ああ。『昔の魔物や幻の生き物を調べてる』って部分は、かなり信用してよさそうだ」
それだけでも大きな成果だった。
布団ゴブリンから聞いたときには、「変な学者」ということしか分からなかった。でも別の場所から集めた情報を重ねると、少しずつメロウという人物の輪郭が見えてくる。
考古学者。
古代遺跡や伝承を研究している。
昔の生物についても詳しい。
大図書館へ頻繁に出入りしていた。
そして最近も、古い生物の目撃記録を集めている。
「幻獣種を直接調べてるかは、まだ分からないんだよね」
私が確認すると、オラクルは頷いた。
「そこは分けて考えろ。古い生物を調べてるからって、幻獣種を知ってるとは限らねえ。ただ、何の手掛かりもねえ奴に聞くよりはずっと可能性がある」
「うん」
以前なら、ここまで情報が揃えば「絶対知ってる」と思っていたかもしれない。
今は違う。
可能性は高くなった。
でも、まだ答えではない。
リリィが別の紙を私たちの前へ出した。
「道についても、もう少し分かったよ」
紙には、ここからグライツ王国までの簡単な道筋が描かれていた。
「最初は西へ向かう街道を使う。途中に宿場町が二つあって、二つ目を過ぎたところで北西へ分かれる道へ入るみたい。そこから少しずつ高い場所へ上がっていって、最後に大きな石橋を渡ればグライツ領内」
「石橋?」
「谷を越えるための橋だって。かなり古いけど、荷馬車も普通に通ってるから壊れる心配はないって言ってた」
「本当に?」
「そこ疑う?」
「古いって聞いたから……」
「何百年も使われてる橋らしいぞ」
オラクルが口を挟む。
「何百年!?」
余計に心配になった。
「長く使われてるってことは、それだけ丈夫なんだよ」
フランに言われて、なるほどと思う。
「あと、これ」
リリィが地図の途中を指した。
「二つ目の宿場町を過ぎたあたりから、夜はかなり冷えるみたい。雪が積もるほどじゃないけど、今の服だけだと寒いかもしれないって」
「じゃあ防寒具も必要だね」
「そういうこと。食料は宿場町で補充できるから、最初から全部持っていく必要はないみたい」
昨日までなら、目的地が決まればそれだけで出発していたかもしれない。
今は道を調べ、泊まれる場所を確認し、必要な物を考えている。
こういう準備も、旅を続けるための強さなのかもしれない。
「それと、大図書館について面白い話も聞いた」
オラクルが言った。
「面白い?」
「グライツの大図書館は、全部の本を誰でも読めるわけじゃねえらしい」
私の期待が一気にしぼんだ。
「えっ」
「一般の旅行者でも入れる区画はある。普通の歴史書、地図、魔物図鑑、その辺は読める。ただ、古すぎる本や壊れやすい資料、それに王国が管理してる記録は別の区画に保管されてる」
「入れないの?」
「条件次第だとよ。研究目的なら申請できるらしい」
「じゃあメロウに会えなかったら、幻獣種の古い資料があっても読めないかもしれない?」
「可能性はある」
また一つ問題が増えた。
世界一の図書館へ着けば、何でも好きに読めると思っていた。
でも考えてみれば、何百年も前の本を誰でも自由に触れるようにしていたら、すぐ壊れてしまう。
「申請って何するの?」
「そこまでは分からん。身分を確認されるとか、何を調べたいか説明するとか、紹介が必要な場合もあるって話だ。情報がばらついてるから、着いてから確認するしかねえ」
「メロウがいたら?」
フランが尋ねる。
「大図書館へ頻繁に出入りしてる学者なら、古い資料を見る方法を知ってる可能性は高い」
つまり、メロウに会う意味がもう一つ増えた。
幻獣種について聞くためだけではない。
大図書館の深い場所へ進む案内役になってくれるかもしれない。
もちろん、会っていきなり頼んで協力してくれる保証なんてない。
「その人、本当に話聞いてくれるかな」
私が呟く。
オラクルが笑った。
「話し始めたら相手が逃げても説明続ける奴なんだろ? 聞くだけなら嫌ってほど聞けるんじゃねえか」
「こっちが聞きたい話をしてくれるかは別だけどね」
リリィのほうが冷静だった。
「じゃあ、質問も考えておいたほうがいいね」
私は紙を一枚増やした。
《メロウに聞くこと》
一番上にそう書く。
「まず幻獣種って何か」
「広すぎる」
オラクルに即座に言われた。
「じゃあ何て聞くの?」
「それを今から考えろ。『幻獣種知ってますか』だけで話が終わったら、五千コインと旅費が無駄だぞ」
「じゃあ……幻獣種の目撃記録がある場所」
「それはいいね」
リリィが頷く。
フランも考える。
「《幻獣種召喚の本》について知ってるかどうかも聞く?」
「うん!」
私は書き加えた。
《幻獣種の目撃記録》
《幻獣種召喚の本》
《普通の魔物との違い》
さらに考える。
「二体目がどこにいるか」
「それが分かれば一番早いけどな」
オラクルが言った。
「いきなり場所を聞くより、最近の目撃情報がないか聞いたほうがいい。相手が『二体目』なんて言われても意味分からねえかもしれねえだろ」
確かに。
本を持っている私たちにとっては二体目でも、メロウにとっては関係ない。
私は書き直した。
調べたいことが、少しずつ質問へ変わっていく。
ただ「知りたい」と思っているだけだった昨日とは違う。
フランも自分用の紙を一枚取った。
《リザーメイト王国》
その下へ、
《アルト》
と書く。
少し迷ってから、
《古い剣》
と加えた。
「短剣そのものを見せる?」
私が聞くと、フランはしばらく考えた。
「最初からは見せない。ナナみたいに見ただけで何か分かる人がいるかもしれないし、どういう物なのか俺自身がまだ分かってないから」
慎重になったと思う。
「必要になったら見せる?」
「うん。そのほうがいいと思う」
オラクルも頷いた。
「それでいい。何でも最初から全部見せりゃいいってもんじゃねえ」
話し合っているうちに、いつの間にか机の上は紙でいっぱいになっていた。
道順。
必要な装備。
図書館の情報。
メロウについて分かったこと。
幻獣種について聞くこと。
フランが調べたいこと。
私は自分の紙の隅に、小さく《お父さんとお母さん》とも書いた。
具体的に何を探せばいいのかは、まだ分からない。
でも世界一と呼ばれるほど大きな図書館なら、何か一つくらい手掛かりが見つかるかもしれない。
そう思ったところで、オラクルが最後の紙を手に取った。
「ただ、一個気になる話がある」
声が少し変わった。
私は顔を上げた。
「メロウのこと?」
「ああ」
紙には、他のものより短い文章しか書かれていなかった。
「さっき言っただろ。最近、大図書館で見かけないって」
「うん」
「それについて、最後に話した商人がもう一つだけ聞いてた」
オラクルは紙へ視線を落とす。
「メロウが最後に大図書館で集めてたのは、古い生物の目撃記録だけじゃないらしい」
「じゃあ何?」
少し間があった。
「空だ」
意味が分からなかった。
「空?」
「正確には、空に現れる生き物についての古い伝承。山より高い場所で見た巨大な影、雲の中から聞こえた鳴き声、雷もないのに光った夜空。そういう記録を片っ端から集めてたらしい」
胸の奥が小さく跳ねた。
幻獣種。
その言葉が真っ先に浮かぶ。
でも、すぐに決めつけない。
「それが幻獣種かは分からないんだよね」
「ああ。そこは何も分かってねえ」
オラクルは頷いた。
「ただ、その記録を調べ始めてから、メロウを大図書館で見たって話が途切れてる」
フランが眉を寄せた。
「調べに行った?」
「かもしれねえ」
「違うかもしれない?」
「もちろんだ。病気かもしれねえし、別の遺跡へ行ったのかもしれねえ。ただの偶然かもしれねえ。今の段階で分かるのは、メロウが空に関する古い伝承を集めていたことと、そのあと図書館で姿を見なくなったことだけだ」
私は紙に書かれた《メロウ》の名前を見る。
さっきまでは、グライツへ行けば会えるかもしれない変わった学者だった。
今は少し違って見える。
メロウは何かを調べていた。
そして、その途中で大図書館から姿を消した。
偶然かもしれない。
でも、もし違ったら。
「グライツに着いたら、まず図書館でメロウのことを聞こう」
私が言うと、オラクルが頷いた。
「それがいい。会えりゃ直接話を聞く。いなけりゃ、何を調べてどこへ行ったのかを追う。それだけだ」
リリィが紙を覗き込む。
「人探しなら手伝える」
「まだ行方不明って決まったわけじゃねえぞ」
「分かってる。でも必要になったら」
頼もしい。
少し前まで、グライツへ行けば世界一の図書館があって、そこでメロウに会い、幻獣種について教えてもらえるのだと思っていた。
実際は、そんなに簡単ではないのかもしれない。
古い資料を見るには条件がある。
メロウが図書館にいる保証もない。
本人は何かを調べて、別の場所へ向かった可能性まである。
それでも、不思議と行きたくないとは思わなかった。
むしろ、知らないことがまた一つ増えたことで、その先を確かめたい気持ちが強くなっている。
オラクルが机の上の紙をまとめた。
「今日の成果は十分だ。グライツまでの道、途中の宿場、防寒具が必要なこと、大図書館の利用条件、それからメロウが実在することまでは確認できた。あとは怪我を治して、必要な物を揃える」
フランが吊られた右腕を見る。
「あと何日かな」
「治療師に決めてもらえ。お前が『もう平気』って言っても信用しねえ」
「みんな俺とフールを同じ扱いにしてない?」
「怪我してんのに動きたがるところは同じだ」
「私はフランほどじゃないよ!」
「逆だろ」
「何で!?」
また笑いが起きた。
その笑いが落ち着いてから、私は窓の外を見た。
遠くには、まだ武道大会の闘技場が見える。
昨日まで、私たちはそこで勝つことばかり考えていた。
今はもう、次の旅について話している。
少し不思議だった。
旅はこうやって続いていくのかもしれない。
一つの場所で何かを知り、そのせいで新しい疑問が生まれ、その答えを探すために次の場所へ向かう。
グライツ王国。
世界一の大図書館。
考古学者メロウ。
二体目の幻獣種。
そして、空に残された古い伝承。
私は《幻獣種召喚の本》を閉じた。
次に開くとき、今より一つでも空白が埋まっていたらいい。
そう思った瞬間、オラクルがまとめた紙の一番上から、一枚だけ床へ滑り落ちた。
拾おうとして、そこに書かれた一文が目に入る。
メロウが最後に調べていたという記録。
その中に、商人が覚えていた言葉が一つだけ書き留められていた。
《雲より上を泳ぐ影》
私はしばらく、その文字から目を離せなかった。
それが二体目の幻獣種へ続くものなのか。
まったく関係のない古い伝説なのか。
今は、まだ分からない。
ただ、世界一の図書館へ向かう理由が、また一つ増えた。




