第146話 布団ゴブリンへの通信コイン
「ゴブリン王国のカジノには世界中から客が集まる。商人、冒険者、賞金稼ぎ、どっかの貴族に、素性を隠して遊びに来る奴までな。勝って気が大きくなった奴も、負けて酒に逃げた奴も口が軽くなる。あそこは下手な情報屋より噂が集まる場所だ」
オラクルの説明を聞きながら、私はテーブルの上に置かれた黒いコインを覗き込んだ。
表面に刻まれているのは、小さな布団の絵だけ。どう見ても世界中の情報が集まるような立派な道具には見えないけれど、考えてみればゴブリン王国の巨大カジノには本当に色々な人がいた。
私は遊びに来ている人としてしか見ていなかった。でも、あそこへ来るまでには当然それぞれの生活があり、仕事があり、旅がある。世界中から人が集まれば、それだけ世界中の噂も一緒に集まってくる。
布団ゴブリン自身が世界を旅する必要なんてないのだ。
「でも、そのコインで普通に話せるの?」
「普通に話せたら、とっくに使ってる」
オラクルはコインをテーブルの中央へ移すと、荷物から細い金属棒を一本取り出した。
「二枚一組の簡単な魔道具だ。片方へ文字を刻むと、もう片方にも同じ文字が浮かぶ。ただし送れる文章は短いし、一度使えば中の魔力が戻るまで時間が掛かる。距離が離れすぎれば文字が欠けることもあるから、これだけで細かい話をするのは無理だ」
「もう一枚を布団ゴブリンが持ってるんだ」
「ああ。ゴブリン王国を出る前に渡した」
私は思わずオラクルを見る。
「最初から、また働かせる気だったんじゃん」
「人聞き悪いな。情報網を作ったと言え」
「さっき舎弟って言ってたのに?」
「舎弟で情報網なんだよ。細けえこと気にすんな」
便利な言葉だと思う。
オラクルは金属棒の先端をコインへ押し当てた。黒い表面へ淡い光が広がり、棒を動かした場所から白い文字が浮かび上がっていく。
《幻獣種 情報求む》
そこまで刻んだところで、オラクルの手が止まった。
何か重要なことを書き足すのかと思って見ていると、少し考えたあと、その下へ新しい文字を刻み始める。
《五千コイン分》
「また五千コイン!?」
思わず椅子から身を乗り出した。
「何で!? 前も五千だったじゃん!」
「だからだよ。あいつは五千って書いときゃ本気出す」
「そんな使い方していいの!?」
「実績があるだろ」
確かにあった。
ヒヨコレースのとき、布団ゴブリンは五千コイン分の仕事だと言われた途端、それまで布団から出ようともしなかったのが嘘みたいにカジノ中から情報を集めてきた。
反論したい。
でも実績と言われると弱い。
そこでリリィが、もっと大事なことに気づいた。
「その五千コイン、誰が払うの?」
オラクルの手が止まった。
私も見る。
フランも見る。
メリーまでテーブルの上からじっとオラクルを見る。
「……必要経費だ」
「誰の?」
リリィが聞き返す。
「旅の」
「だから、誰が払うの?」
「細けえこと気にすんな」
「オラクルでしょ」
「何で俺なんだよ!」
「依頼したのオラクルじゃん」
「お前らも幻獣種の情報欲しいんだろ! 俺一人のためじゃねえぞ!」
「じゃあ割り勘?」
フランが口を挟むと、オラクルは少し考えた。
「……それならまだ納得できる」
『私、お金持ってないよ?』
メリーが困ったように自分の身体を見下ろす。
そもそも財布を持てる場所もない。
「メリーはいいよ」
「何で妖精だけ免除なんだ!」
「だってメリー、お金ないもん」
『じゃあ私、治療で払う!』
「誰を治すんだよ」
『オラクル』
「何で俺が怪我する前提なんだ」
フランが吹き出し、リリィまで笑った。
さっきまでTIMEの強さについて真剣に話し合っていたとは思えない。
でも、そのくらいでちょうどよかった。
怖いことだけを考え続けていると、頭の中まで怖さで埋まってしまう。こうしていつものように言い合える時間があるからこそ、必要なときにはもう一度怖いものへ向き合えるのかもしれない。
結局、五千コインはメリーを除いた全員で分けることになった。
「俺の取り分が一番少なくていいだろ。情報取ってんの俺なんだから」
「逆じゃない?」
「何でだよ」
「仲介料」
「俺が取る側だろ!」
そんな言い合いをしながら、オラクルは最後の文字を刻み終えた。
黒いコイン全体が一度だけ淡く輝き、浮かんでいた文字がゆっくり消えていく。
「これで届いた?」
「向こうのコインが壊れてなきゃな」
「壊れてたら?」
「五千コイン浮く」
「情報も来ないよ!」
「分かってるよ」
オラクルはコインをテーブルへ置いた。
私はじっと見つめた。
すぐに文字が浮かぶと思っていた。
でも、何も起きない。
少し待っても変わらない。
「……来ないね」
「送った瞬間に相手がコイン見てるわけねえだろ」
「魔道具なのに?」
「届くのと、向こうが気づくのは別だ。お前だって部屋に手紙置かれてても、寝てりゃ読めねえだろ」
「寝てるのかな」
私がそう言った瞬間、全員が黙った。
布団ゴブリン。
名前の時点で答えが出ている気がする。
フランが真顔で言った。
「寝てそうだね」
「寝てるだろうね」
リリィまで頷く。
『絶対寝てるよ』
メリーにまで断言された。
オラクルだけが不満そうだった。
「お前ら、俺の舎弟を何だと思ってんだ」
「布団ゴブリン」
私たちの声が重なった。
「そのままだな……」
結局、返事を待っているだけでは仕方がないので、その日は昨日決めたことを少しずつ始めることになった。
まずフランは、右腕を使わない。
これは本人以外の全員が強く主張し、最後にはフラン自身も納得した。
「左手だけなら練習してもいいでしょ?」
「右腕を使わないならね」
リリィが念を押す。
「分かってるよ」
「痛くなったら?」
「やめる」
「違和感があったら?」
「やめる」
「右腕使いたくなったら?」
「……我慢する」
「よし」
「何でリリィが治療師みたいになってるの?」
「フランが信用できないから」
「フールには言われたくないな」
「何で私!?」
私まで巻き込まれた。
結局、フランは身体を大きく動かす訓練はせず、左手だけで短剣を抜き、構え、鞘へ戻すところまでをゆっくり繰り返した。
速さを競う練習ではない。
右手で当たり前にやっていた動きを、左手でも崩さずできるようにするためだった。
何度目かで、フランが眉を寄せる。
「右手でやるのと全然違う」
私は同じように見えると思ったけれど、リリィは違った。
「左で抜くときだけ右肩が前に出てるよ」
「本当?」
「うん。それと左足が少し遅い。たぶん右手で使ってたときの身体の動きが残ってる」
フランはもう一度ゆっくり短剣を抜いた。
今度は途中で止まり、自分の肩と足を見る。
「……本当だ」
「そこを直せば?」
「簡単に言うね」
「気づかないまま百回やるより、一回目で気づいたほうがいいでしょ」
フランは少し黙ったあと、笑った。
「それはそうだね」
リリィ自身も、見ているだけでは終わらなかった。
宿の裏庭を借り、オラクルに樽や木箱を適当に並べてもらう。目的は相手を倒すことではなく、追跡中に見つかった場合、どの道を使えば相手から視線を切りながら逃げられるかを判断する練習だった。
「右」
オラクルが尋ねる。
「何で?」
「左は出口が一つしかない。右なら木箱の裏から裏道へ抜けられる」
「じゃあ後ろから二人来たら?」
リリィは周囲を見回し、建物の壁から屋根へ視線を移した。
「屋根」
「登れるのか?」
「……そこはこれから練習する」
「駄目じゃねえか」
「だから練習するんでしょ」
追跡だけではなく、追跡の先で生き残る。
リリィが昨日決めたことは、もう具体的な形になり始めていた。
メリーは近くの治療師を訪ねた。
回復の力そのものを強くする前に、誰を先に治すべきなのかを判断できるようになりたいらしい。昨日のように負傷者が大勢いる場所では、全員を同時には治せない。なら、傷の深さや出血、意識の有無を見て、急いで治療すべき人を見分ける必要がある。
私は一緒に行きたかった。
でも右足を休ませろと全員から言われ、宿へ残された。
「私だけ何もできない……」
ベッドの上で呟くと、部屋の隅で情報を整理していたオラクルが呆れたようにこちらを見た。
「休むのも昨日決めた強化の一つだろ」
「休んでも強くなってる感じしない」
「悪化させねえのも強さだ。昨日のお前は、足悪いのに火事の中走り回ったんだぞ」
「走ってない。急いで歩いた」
「そういう屁理屈をやめるところから鍛えろ」
リリィと同じことを言う。
悔しい。
でも否定できなかった。
だから私は《幻獣種召喚の本》を開いた。
身体を動かせないなら、頭を使えばいい。
今、自分たちが幻獣種について何を知っていて、何を知らないのかを書き出してみる。
幻獣種とは何なのか。
普通の魔物との違い。
どこにいるのか。
この本との関係。
どうすれば二体目へ辿り着けるのか。
分からないところには、無理に答えを書かなかった。
空白のまま残す。
以前なら、その空白が気になって仕方なかったかもしれない。
でも今は違う。
分からない場所が見えれば、次に何を調べればいいのかも見える。
それだけでも、何も考えず歩き回るよりずっと前へ進める気がした。
夕方になってメリーとリリィが戻り、フランも左手の練習を終えた。
黒いコインに変化はなかった。
夕食を食べても変わらず、夜になっても文字一つ浮かばない。
「やっぱり寝てるんじゃない?」
私が言うと、オラクルが眉を寄せる。
「まだ言ってんのか」
「だって布団ゴブリンだよ?」
「名前だけで決めつけんな」
「名前じゃなくて、実際いつも寝てたじゃん」
「……否定できねえのが腹立つな」
結局、その日は返事が来なかった。
翌朝、目を覚まして最初にしたのは右足の確認だった。
昨日一日ほとんど休んだおかげで、少し軽くなっている。走ればまた痛みそうだけれど、階段を下りる程度なら昨日よりずっと楽だった。
一階へ行くと、オラクルが朝食の席にいる。
テーブルの上には黒いコイン。
「来た?」
「まだだ」
「やっぱり寝て――」
最後まで言う前に、黒いコインが淡く光った。
「来た!」
思わず叫ぶと、宿にいた何人かがこちらを見る。
オラクルが耳を押さえた。
「声でけえ!」
「だって来たよ!」
フランとリリィも近づき、メリーはテーブルへ降りた。
黒い表面へ、ゆっくり文字が浮かんでいく。
最初の一行。
《ねてたでぷ》
全員が黙った。
私はオラクルを見る。
フランも見る。
リリィも見る。
メリーまで見る。
オラクルは額を押さえた。
「……舎弟やめさせるぞ、あいつ」
「やっぱり寝てたじゃん!」
『当たった!』
「喜ぶところじゃねえ!」
まだ続きがあった。
《げんじゅうしゅ しらないでぷ》
「知らないの!?」
思わず叫ぶ。
オラクルの眉間にも深い皺が寄った。
「五千コイン払わせて『知らない』で終わったら、今度会ったとき布団ごと売るぞ」
「それは可哀想だよ!」
「じゃあお前が五千払え」
「続きを待とう!」
判断は早かった。
フランが笑う。
「フール、今すごく現実的だったね」
「五千コインは大事だもん」
「そこなんだ」
その間にも、次の文字が浮かび始めた。
《でも しってそうなひと きいたことあるでぷ》
全員の表情が変わった。
オラクルがコインへ顔を近づける。
「知ってそうな奴?」
続いて、
《むかしのまもの まぼろしのいきもの いっぱいしらべてるひとでぷ》
と浮かぶ。
「幻の生き物……」
私は《幻獣種召喚の本》を思い出した。
まだ幻獣種そのものを知っているとは限らない。
でも、今まで聞いた情報の中では一番近い。
オラクルも同じ判断だったらしい。
「どこにいる?」
すぐ金属棒を手に取ったものの、コインへ触れる直前で止めた。
「どうしたの?」
「まだこっちから送れねえ。魔力が戻ってない」
「じゃあ聞けないじゃん」
「向こうが気を利かせりゃ続きが来る。あいつだって五千コイン欲しいなら、これだけで終わらせねえだろ」
「布団ゴブリンに気を利かせるって期待して大丈夫?」
「……そこは俺も少し不安だ」
オラクルが真顔で答えたので、余計に心配になった。
全員で黒いコインを見つめる。
一度文字が止まると、部屋には朝食を取る人たちの話し声や食器の触れ合う音が戻ってきた。私たちだけがテーブルの上に顔を寄せているせいで、周りから何度か不思議そうに見られたけれど、今は気にしていられない。
十秒ほど待った。
変化はない。
「終わり?」
「五千コインでこれだけだったら本当に値切るぞ」
オラクルが呟いた直後、コインが再び淡く光った。
「来た!」
「だから声抑えろ!」
今度の文字は、さっきよりゆっくり浮かび上がった。
《グライツおうこく》
聞いたことのない国だった。
私は小さく読み上げる。
「グライツ王国……」
「知ってる?」
フランがオラクルを見る。
「名前くらいはな。ここからそこそこ距離がある。俺も行ったことはねえ」
リリィも知らないらしく首を横へ振った。
まだこれだけでは、幻獣種と何が関係しているのか分からない。
続いて新しい文字が現れる。
《せかいいち おおきいとしょかん》
今度は、全員が少し違う反応をした。
「世界一?」
私は思わず聞き返した。
『図書館って本がいっぱいあるところだよね?』
「そうだよ。たぶん、ものすごくいっぱい」
『どのくらい?』
「世界一だから……世界一くらい?」
「説明になってねえよ」
オラクルに突っ込まれた。
でも、胸の中では別のものが膨らみ始めていた。
世界一の図書館。
そこにどれだけの本があるのか想像もできない。幻獣種のことだけではなく、古い国や昔の出来事についても記録が残っているかもしれない。
そして今、私たちには調べたいことが増えている。
アルト。
リザーメイト王国。
TIME。
グラティスで遭遇した大剣を持つ人物。
それだけではない。
もし本当に世界中の記録が集まる場所なら、お父さんとお母さんへ繋がる何かだって見つかるかもしれない。
期待が膨らみ、今すぐ「行こう」と言いそうになった。
でも、その直前で止まった。
まだ布団ゴブリンから聞いただけだ。
世界一の図書館が本当にそこにあるのかも、そこで幻獣種について分かるのかも確認していない。
私は口を閉じて、続きを待った。
リリィがそれに気づいたらしく、少しだけ笑う。
「今、行こうって言うの我慢した?」
「……ちょっとだけ」
「ちょっとじゃない顔だったけど」
「でも言ってないもん」
「そこは偉い」
「子供扱いしてない?」
「フール、十歳でしょ」
何も言い返せなかった。
オラクルが笑いを堪えながらコインを指差す。
「まだ続くぞ」
次の文字が浮かんだ。
《そこに へんながくしゃ いるでぷ》
「変な学者?」
フランが首を傾げた。
「どんなふうに変なの?」
リリィが聞く。
当然、コインは答えない。
私は布団ゴブリンの顔を思い出した。
布団を背負ったままカジノで寝て、五千コインと言われたら急に本気を出すゴブリン。
「布団ゴブリンから見て変な人って……かなり変なんじゃない?」
「逆かもしれねえぞ」
オラクルが言った。
「布団で寝ねえだけで変な奴扱いしてる可能性もある」
「それじゃほとんど全員だよ」
「だから情報源が布団ゴブリンなのを忘れんなってことだ」
ひどい言われようだった。
本人がここにいたら怒るだろうか。
いや、「眠いでぷ」と言って寝る気もする。
コインの文字はまだ消えていない。
その下へ、最後の一行が浮かんだ。
《メロウでぷ》
「メロウ……」
初めて聞く名前だった。
オラクルの表情が変わる。
さっきまで布団ゴブリンをからかっていた顔ではない。
「名前まで出てくるなら、完全な噂話よりは一段マシだな」
「じゃあ、その人に会いに行く?」
私が聞くと、オラクルはすぐには頷かなかった。
「順番が逆だ。まず本当にいるか調べる」
「でも名前まで分かったよ?」
「名前が分かったから調べられるんだよ。グライツ王国に世界一の図書館があるって話と、そこにメロウって学者がいるって話。それぞれ別の情報源で確認する」
リリィが頷いた。
「二つとも本当なら、行く?」
「幻獣種を調べてるってところまで裏が取れりゃ、かなり行く価値はある」
私はコインを見る。
以前なら、もう頭の中では荷造りまで終わっていたと思う。
今だって行きたい。
世界一の図書館なんて、言葉だけでもわくわくする。
でも、ナナの一件を経験したばかりだった。
知らないことを、自分に都合よく埋めない。
それは人を追うときだけではない。
次の行き先を決めるときも同じなのだと思う。
「じゃあ、確認しよう」
私が言うと、オラクルが少し意外そうにこちらを見る。
「何?」
「いや。お前なら『世界一なら絶対何かあるよ! 行こう!』って言うと思った」
「私だって成長するよ!」
「二日前まで情報屋で適当な質問してた奴が?」
「それはもう忘れて!」
フランが笑う。
リリィも肩を揺らしていた。
笑われるのは少し悔しいけれど、自分でも前よりは考えるようになったと思う。
フランは笑ったあと、もう一度という文字を見た。
その表情が少し真剣になる。
「世界一の図書館なら、リザーメイトの記録もあるかな」
声に期待と不安の両方が混じっていた。
私はすぐ「あるよ」とは言わなかった。
「あるかもしれないね」
フランがこちらを見る。
「アルトのことも」
「うん。古い手配書とか、TIMEが起こした事件の記録とかが残ってたら、何か分かるかも」
「グラティスの襲撃も照らし合わせられるかもしれねえ」
オラクルが続けた。
「アルトがいつ、どこで目撃されてたか分かりゃ、グラティスにいた可能性も少しは絞れる」
フランの左手が、無意識に腰の短剣へ触れた。
でも昨日までとは違った。
不安を押さえるように強く握るのではなく、そこにあることを確かめるだけだった。
「調べたい」
フランは静かに言った。
「俺の家にこの剣があった理由も、父さんと母さんが何を知ってたのかも、すぐには分からないと思う。でも、リザーメイトについて残ってる記録は見たい」
「なら決まりだな」
オラクルが言った。
「まだ行くとは決めてねえぞ。今日一日使って裏を取る。宿の主人、商人、昨日知り合った賞金稼ぎ。グライツへ行ったことがある奴を探す」
「私たちは?」
「怪我人二人は休め」
「また!?」
私とフランの声が重なった。
オラクルが指を差す。
「お前は右足。フランは右腕。昨日、自分らで何て言った?」
「治してから強くなる……」
「違う。治すことも強くなるうちだ」
先に言われた。
リリィが満足そうに頷いている。
「やっと覚えたね」
「お前らに何回も言われたからな」
フランが苦笑した。
「俺は昨日と同じで、左手の動きだけ確認するよ。身体は動かさない」
「ならいい」
「私は本読む」
「好きにしろ。ただし足が痛くなったら寝ろ」
「本読むのに足使わないよ!」
「お前は本取るために走りそうだから言ってんだ」
そこまで信用がないのだろうか。
でも昨日までの自分を思い出すと、やっぱり否定しきれなかった。
メリーは今日も治療師のところへ行くことになり、リリィはオラクルの情報集めについていくと言った。
「私も情報の集め方を見たい。追跡と似てるところありそうだから」
「邪魔すんなよ」
「しない。オラクルが嘘つかれてるのに気づかなかったら教える」
「俺を誰だと思ってんだ」
「元泥棒」
「フールと同じこと言うな」
「だって自分で言ってたでしょ」
また言い合いが始まった。
その間に、黒いコインの文字が少しずつ薄くなっていく。
私は慌ててオラクルへ声を掛けた。
「待って! 五千コインどうするの?」
「忘れてなかったのかよ」
「大事でしょ!」
「次に送れるようになったら交渉する」
「払うって書いたのオラクルだよ?」
「五千コイン分って書いただけで、五千払うとは書いてねえ」
「ずるい!」
「交渉術だ」
絶対違うと思う。
でもオラクルなら本当に三千くらいまで値切りそうだった。
黒いコインから最後の文字が消えた。
メロウ。
名前だけが頭に残る。
まだ会ったこともない。
どんな人なのかも知らない。
本当に幻獣種へ繋がる情報を持っているのかも分からない。
それでも、昨日まで何もなかった場所に、初めて道が一本できた。
私は荷物から《幻獣種召喚の本》を取り出し、表紙へ手を置いた。
「二体目……」
どんな幻獣種なのだろう。
強いのか。
怖いのか。
それとも、全然違う姿をしているのか。
考えるだけで少しわくわくした。
同時に、昨日決めたことも忘れない。
幻獣種を、TIMEへ対抗するための道具として探すわけではない。
まず知る。
どんな存在なのかを知り、それから会いに行く。
力を貸してもらえるかは、その先の話だ。
フランも短剣を抜かず、左手を柄へ添えたまま言った。
「次の旅は、調べることだらけになりそうだね」
「うん。でも世界一の図書館だよ? 何でも分かるかも!」
言った直後、リリィがこちらを見る。
「あ」
自分で気づいた。
「……何でもは分からないかもしれない」
「よくできました」
「だから子供扱いしないで!」
みんなが笑った。
昨日までの武道大会は、もう戻らない。
ナナも逃げた。
《ドッペルゲンガーの鏡》も奪われた。
分からないことは、むしろ増えている。
それでも、私たちは止まっていなかった。
知らないなら調べる。
足りないなら鍛える。
怪我をしたなら、まず治す。
そして一人でできないことは、仲間と補い合う。
昨日の私たちより少しだけ強くなってから、次の場所へ行く。
そのための最初の目的地が、本当にグライツ王国になるのか。
今日一日で確かめる。
私は消えた文字の跡が残る黒いコインを見つめ、それから《幻獣種召喚の本》へ視線を落とした。
世界一の図書館。
考古学者メロウ。
そして、まだ見ぬ二体目の幻獣種。
新しい旅へ続く三つの言葉が、少しずつ一本の道になり始めていた。




