第139話 リザーメイト王国
「武道大会――決勝戦、始め!」
審判の腕が振り下ろされた瞬間、何万人もの観客が待ち続けていた歓声が闘技場を揺らした。
三百二十七人から始まった大会で、残ったのは二人だけ。
左手に短剣を構えるフランと、黒い手袋に覆われた両手を胸の前へ上げるナディア。
開始位置から同時に石床を蹴った二人は、そのまま中央でぶつかるかに見えた。
けれど、先に軌道を変えたのはフランだった。
正面から半歩だけ右へずれ、短剣が届くぎりぎりの距離を保ったまま、ナディアの外側へ円を描くように回り込んでいく。
右腕は胸の前で固定され、首から吊られたままだ。
バルガス戦で無理をした右手は、治療を受けても短剣を握れる状態まで戻っていない。《インセント・フラッシュ》はもちろん、《ルミナス・クロス》も使えず、強い衝撃を受けることさえ止められている。
つまり、今のフランが攻撃に使えるのは左手一本。
ナディアもそれを知っている。
それでもフランは、最初から短剣を振らなかった。
一度近づき、ナディアの右手がわずかに動いたところで離れる。反対側から入り直しても攻撃せず、今度は足の向きと肩の高さを確かめるように外側へ抜けた。
観客席の興奮が、少しずつ戸惑いへ変わっていく。
「行かない……」
私も思わず呟いた。
予選からフランの試合を見てきたけれど、ここまで慎重な始まり方は初めてだった。
だからといって、怖がって逃げているようには見えない。
視線はナディアの黒い手袋だけに集中していなかった。右足が前へ出たときには肩を見る。腰が少し沈めば、今度は左足へ視線を落とす。
《返衝》ではなく、ナディア本人を見ている。
「決勝前に言ってたとおりだね」
リリィも気づいたらしい。
「能力ばっかり見たら、ナディア自身を見失うって」
「でも、ずっと見てるだけじゃ勝てないよ」
「だから今、どこまで近づけるか調べてるんだと思う」
三度目の接近。
今度は本当に短剣が動いた。
左手から放たれた横薙ぎがナディアの右肩へ迫る。
ナディアは後ろへ逃げず、上半身だけをわずかに左へずらした。刃先が服へ触れないぎりぎりの位置を通過すると、そのまま右手をフランの左手首へ伸ばす。
触れられる。
そう思った。
でもフランも、それを待っていたらしい。
短剣を最後まで振り切らず、途中から肘を畳んで刃を身体へ引き戻す。ナディアの指が届くより早く一歩だけ後ろへ抜け、黒い手袋は何もない空間を掴んだ。
大歓声が上がった。
最初の攻防は、どちらも一度も相手へ触れていない。
それでも観客たちは分かっている。
今の一回に、二人の狙いが詰まっていた。
フランは短剣を当てたい。
ナディアは、その攻撃へ触れたい。
どちらが一歩深く入るかで、次の瞬間には試合そのものが変わる。
ナディアが小さく笑った。
「やっぱり見てたのね」
フランも左手で短剣を構え直した。
「準決勝、ちゃんと教えてもらったから」
「誰に?」
「仲間に」
思わず少し嬉しくなった。
私が見ていたものが、ちゃんとフランへ届いている。
ナディアは観客席を探そうとはせず、黒い手袋に覆われた右手を一度開いた。
「なら、触らせないつもり?」
「それもまだ決めてない」
「変なの」
「最近よく言われる」
「最近でしょう?」
「たぶん」
近くの観客から笑いが起きた。
でも二人の足は止まっていない。
会話している間も、フランは少しずつ位置を変え、ナディアも正面を外さないよう身体の向きを合わせ続けている。
今度はナディアから距離を潰した。
速い。
数歩あった間合いが一瞬で消える。
フランは左手の短剣を横へ置き、正面から入れば刃へ触れる位置を作った。これならナディアも簡単には踏み込めないと思ったのに、彼女は速度を落とさなかった。
刃の直前で身体を沈める。
短剣の下を潜る。
フランがすぐ刃を下げるより先に、ナディアの左手が肘へ伸びた。
フランは右へ逃げなかった。
右腕を吊っている側へ回れば、そのあとの攻撃へ繋げられない。左足を軸に身体を回し、短剣を持つ腕をナディアとの間へ残したまま後ろへ抜ける。
「上手い!」
観客席の誰かが叫ぶ。
でも、ナディアの攻撃はそこで終わっていなかった。
離れたフランへもう一歩だけ追いつき、右足で低い蹴りを見せる。
フランが反射的に左足を引いた。
その瞬間、蹴りは止まった。
代わりに右手が胸元へ伸びる。
「フラン!」
足を動かすための攻撃だった。
フランが蹴りを避ける方向まで読んで、上半身の逃げ道を狭めている。
フランは短剣で手を払わなかった。
もし刃をぶつければ、それ自体が接触になる。
柄を胸の前へ立て、ナディアの手首へ当たる直前に身体ごと横へずらした。
黒い指先が服を掠める。
本当に一瞬だった。
ナディアは追わない。
フランもすぐには反撃しなかった。
二人が同時に距離を取る。
「今、触った?」
私には分からなかった。
リリィも目を細めている。
「服には触れた。でも身体まで届いたかは見えなかった」
嫌な感覚だった。
《返衝》を仕込まれたかもしれない。
でも、仕込まれていないかもしれない。
準決勝のセドリックなら、ここから小さな攻撃を使い、返ってくるかどうか確かめていた。
フランはどうするのだろう。
左手の短剣を構え直し、また一歩だけ入る。
ナディアが右手を伸ばすと離れ、もう一度別の角度から接近する。
今度は短剣を振った。
ただし狙ったのは身体ではない。
灰色の外套の端。
刃先が布だけを薄く切り取る。
力を込めていない。
短剣の切れ味だけを使った一撃だった。
何も起こらない。
「確かめた?」
私が聞くと、オラクルはすぐに首を横へ振った。
「違う。返るか確かめる気なら、もう少し力を入れなきゃ意味がねえ。今のは最初から、返されても困らねえくらいしか力を使ってねえ」
そこで分かった。
セドリックは《返衝》があるかどうか確かめるため、小さな攻撃から少しずつ力を上げていった。
フランは違う。
確認しようとしていない。
《返衝》が仕込まれているかもしれない。
だったら、仕込まれている前提で戦えばいい。
少なくとも大きな力を使わない間は、返されても致命的な隙にはなりにくい。
「分からないまま戦うんだ……」
リリィの声に、私は決勝前のフランの言葉を思い出した。
《返衝》ばかり気にしたら、ナディアの動きを見なくなる。
今、その言葉どおりに戦っている。
ナディアも意図に気づいたらしい。
少しだけ笑みが消えた。
次に踏み込んだとき、狙ったのはフランの身体ではなかった。
短剣。
黒い手袋の右手が、刃そのものへ伸びる。
フランもすぐに引いた。
でも、わずかに遅い。
指先が短剣の腹を撫でた。
ほとんど音もない接触。
それだけで、観客席からどよめきが起きた。
フランは一気に距離を取った。
ナディアは追わない。
右手をゆっくり下ろす。
「剣に……」
ゼイン戦でも、ナディアが武器へ触れるところは見ている。
でも、実際にフランの短剣へ触れられると意味が違った。
短剣を振れば、その力が返るかもしれない。
だからといって振らなければ、フランには相手を倒す手段がない。
武器を奪わずに、武器を使うことそのものを迷わせる。
「怖くないの?」
ナディアが聞いた。
「怖いよ」
フランは素直に答えた。
「なら、その剣はもう振れないかもしれないわよ」
「かもしれないね」
それなのに、フランは笑った。
左手首だけを使い、短剣を小さく動かす。
何も起こらない。
次は少しだけ大きく。
まだ何もない。
そこで止めた。
ナディアが目を細める。
「確認しないの?」
「しない」
「どうして?」
「確認してる間に、また触られそうだから」
一瞬、ナディアが黙った。
観客席から笑い声が起きたけれど、フランは冗談で言っているわけではない。
《返衝》が仕込まれているか確かめるために攻撃を繰り返せば、その行動自体をナディアに読まれる。
なら、今は分からないままでいい。
フランの足元に淡い光が集まった。
《レイ・シフト》。
一歩目だけが急激に加速し、ナディアの左側へ回る。
それでも短剣は振らない。
身体ごと近づく。
ナディアが右手を伸ばす。
フランは逃げるのではなく、さらに半歩内側へ入った。
近すぎる。
短剣を大きく振るにも、ナディアが腕を伸ばして触れるにも窮屈な距離。
肩同士がぶつかりそうになる。
フランは左足をナディアの足の外側へ置いた。
「投げる気?」
ナディアが腰を落とす。
まともに組めば、体術ではナディアのほうが上だ。
でもフランは投げなかった。
左肩を軽く当て、すぐ外へ抜ける。
それだけ。
ナディアの身体が少し揺れた。
そして体勢を戻す瞬間、傷のある左腕をわずかに身体へ寄せた。
フランの目が、そこへ向く。
「見つけた……?」
セドリックに斬られた左腕。
包帯は巻き直されている。
普通に動かすことはできる。
でも、身体同士が強く触れる瞬間だけ、無意識に庇っている。
フランはすぐに決めつけなかった。
もう一度、今度は右側から接近する。
何もせず抜ける。
三度目は左側。
肩が触れそうになる。
またナディアの左腕が少し縮んだ。
二回。
同じ反応。
それでもフランは斬らなかった。
観客席から、焦れたような声が飛び始める。
「何してるんだ!」
「斬れ!」
「《返衝》が怖いのか!」
私は違うと思った。
フランは攻撃できないわけではない。
まだ、攻撃する必要がないだけだ。
ナディアがどこを守るのか。
左腕の負傷が、どの動きへ影響するのか。
《返衝》だけではなく、身体全部を見ている。
そして四度目。
ナディアのほうが先に変えた。
「何度も同じことさせないわよ」
右手を伸ばして触れにくるように見せながら、左足をフランの進路へ差し込む。
何度も外へ抜けられたことで、フランが接触を避ける方向をナディアも読んでいた。
進路を塞がれたフランが一瞬止まる。
そこへナディアが腰を入れ、右肩を胸元へ当てた。
フランも投げられると気づいた。
でも遅い。
身体が宙へ浮く。
「フラン!」
右腕は使えない。
このまま背中から落ちれば、固定している腕にも衝撃が伝わる。
受け身に使えるのは左手だけ。
でも、その左手には短剣がある。
フランは迷わなかった。
短剣を守ることを捨てた。
指を開く。
短剣が宙へ離れる。
自由になった左手を石床へつき、手首だけで衝撃を止めず、肘、肩、背中へ順番に力を逃がしながら身体を転がした。
右腕は胸の前から動かさない。
一回転。
石床を滑って止まる。
すぐに右腕を確認する。
吊った布は外れていない。
受け身には成功した。
でも、その代償が石床の上に残っていた。
短剣。
フランから数歩離れた場所。
しかもナディアのほうが近い。
観客席が一気に沸騰した。
「武器を落とした!」
「ナディアが近いぞ!」
「取れ!」
フランも起き上がった。
すぐ短剣へ走る。
ナディアも動いた。
二人の距離は大きく違わない。
それでも投げられたフランには、起き上がるために使った一瞬がある。
その差が埋まらない。
ナディアが先に短剣へ着いた。
黒い手袋の右手が柄を掴む。
私は思わず杖を握り締めた。
これでフランは武器を失う。
場外へ投げられれば取り戻せない。
ナディアが持ったまま距離を取ってもいい。素手で取り返しに行けば、フランは自分からナディアの得意な距離へ入ることになる。
戦いだけを考えれば、ナディアにとって決定的な好機だった。
だから当然、すぐ次が来ると思った。
でも――来なかった。
ナディアは短剣を場外へ投げなかった。
フランへ向けることも、武器を失った今のうちに距離を詰めることもしない。
拾い上げた姿勢からゆっくり身体を起こすと、その場に立ったまま、手の中にある短剣へ視線を落とした。
「……え?」
私だけではない。
さっきまで「取れ」「投げろ」と叫んでいた観客たちも、ナディアが絶好の機会を使おうとしないことに気づき始めた。地面を揺らすほどだった歓声が少しずつ小さくなり、代わりに理由を探すようなざわめきが闘技場を広がっていく。
フランも途中で走る速度を落とした。
今なら取り返しに行けるかもしれない。
でも、相手はナディアだ。
短剣を拾って動かないこと自体が罠である可能性もある。
しかも今のフランには右腕が使えない。素手の左手一本で近づけば、短剣を取り返す前にナディアの体術へ捕まるかもしれない。
だから無理に飛び込まず、数歩の距離を残したところで止まった。
結果として、決勝戦の攻防が初めて完全に途切れた。
審判もすぐには割って入らない。
武器を落とすことも、相手の武器を拾うことも反則ではない。どちらも場外ではなく、戦闘不能にもなっていない以上、試合そのものは続いている。
ただ、二人とも戦おうとしない。
その異様な数秒を、何万人もの観客が見守っていた。
ナディアはフランではなく、短剣を見ている。
まず柄頭。
そこから鍔へ視線を移し、黒い手袋の親指で柄の根元をゆっくりなぞる。
遠くから武器の長さや間合いを確認していたときとは、明らかに違う。
重さを確かめるために振ることもしない。
握りやすさを調べるために持ち替えもしない。
何か特定のものを探しているように、細かな部分だけを順番に見ていた。
「やっぱり、あの短剣……」
胸の奥がざわついた。
決勝が始まる前から何度もあった。
ナディアはフランを見る。
そのあと必ず視線が腰へ下がる。
私はずっと、決勝で戦う相手の武器を警戒しているのだと思っていた。
でも今は違う。
フランから短剣を奪う絶好の機会を手にしたのに、その有利を捨ててまで実物を確かめている。
「フランじゃなくて……最初から短剣を気にしてた?」
私が呟くと、リリィもナディアの手元を見たまま答えた。
「少なくとも今は、試合よりあっちを見てる」
それだけで胸の鼓動が少し速くなった。
ナディアは何を知っているのだろう。
フランが故郷から持ってきた短剣。
黒龍王との戦いでは炎を吸収し、強い光を放った武器。
フランにとって大切なものだということは知っている。
でも、その全部を私が知っているわけではない。
そして今、フラン本人が知らない何かを、ナディアだけが知っているように見える。
フランも同じことを感じたらしい。
短剣を奪われた焦りより、ナディアの反応への疑問のほうが強くなっていた。
「……それ、知ってるの?」
ナディアの親指が止まった。
柄の根元。
長く使われたことで表面が少し摩耗した場所に、細い意匠が残っている。
私の席からでは形までは分からない。
でもナディアはそこを一度指でなぞり、次に鍔の付け根へ目を移した。
刃は打ち直されている。
それでも柄頭や鍔には、元の剣から残された部分がある。
ナディアが見ているのは、そこだった。
「知ってる剣なの?」
フランがもう一度尋ねる。
ナディアはすぐには答えなかった。
短剣を見る。
次にフランを見る。
そして、また短剣へ戻る。
武器と持ち主を照らし合わせているようだった。
その視線が最後にフランの赤い髪へ移ったとき、胸の奥に嫌なほど強い引っ掛かりが残った。
何かを確かめている。
しかも短剣だけでは足りず、フラン自身まで見なければならない何かを。
「ナディア?」
フランが呼ぶ。
そこでようやくナディアは顔を上げた。
「……一つ聞いていい?」
さっきまでとは声が違った。
《返衝》を警戒させるための言葉でも、相手の反応を誘うための挑発でもない。
本当に答えを知りたがっているように聞こえた。
フランも眉を寄せる。
「何?」
ナディアはまだ短剣を右手に持っている。
それを見ていると、私は試合前半の攻防を思い出した。
ナディアは一度、フランの短剣へ直接触れている。
あのとき怖かったのは、短剣そのものへ《返衝》を仕込まれた可能性だった。
これまでの試合で分かっている範囲なら、《返衝》は触れた瞬間に相手を吹き飛ばす能力ではない。
ナディアが相手や武器へ触れたあと、そこから相手が生み出した力を本人側へ返す。
だからセドリックは、《満月断》を放ったあとで自分の力を返され、右肩を傷めた。
反対に、フランが外套を軽く切ったときのように、ほとんど力を使わなければ返されるもの自体が小さい。
厄介なのは、触れられた側からは《返衝》が本当に仕込まれたのか分からないことだった。
さらにナディアは、触れた直後に必ず返すわけでもない。
セドリック戦では小さな斬撃を何度も見送り、最後に大きな力を使ったところだけを返している。
つまり相手は、接触したあとずっと考え続けなければならない。
今の攻撃は大丈夫なのか。
次は返されるのか。
そもそも能力を使われているのか。
その迷いまで、ナディアの武器になる。
フランはそれを嫌って、確認すること自体をやめた。
だからここまで戦えていた。
でも今は、もっと大きな問題が起きている。
その短剣自体が、ナディアの手の中にある。
仮に《返衝》を仕込まれていたとしても、フランはもう振ることすらできない。
「……返してくれる?」
フランが左手を差し出した。
観客席がざわめく。
当然だった。
決勝戦の最中に、武器を拾った相手へ「返して」と頼む選手なんて普通はいない。
ナディアも少しだけ目を丸くした。
「返すと思う?」
「できれば」
「試合中よ?」
「知ってる」
「私が持ってたほうが有利でしょう?」
「それも知ってる」
フランの答えがあまりにも普通なので、観客席のあちこちから笑いが起きた。
私も少しだけ笑いそうになった。
でもナディアは笑わなかった。
手の中の短剣へもう一度目を落とす。
そして――。
投げた。
場外ではない。
フランのほうへ。
短剣が低い弧を描いて飛ぶ。
「えっ!?」
フランも驚きながら左手を伸ばした。
柄を掴む。
その瞬間、私は息を止めた。
さっきナディアは短剣へ触れている。
今も長い間、手に持っていた。
《返衝》が仕込まれていてもおかしくない。
フランも分かっているはずだった。
だから受け取ったあと、すぐには構えなかった。
短剣を見る。
ナディアを見る。
「返していいの?」
「確かめたかっただけだから」
「何を?」
ナディアは答えなかった。
でも、その言葉で一つだけはっきりした。
短剣を拾ったのは、フランから武器を奪うためではなかった。
最初から、実物を確かめるためだった。
私の胸が強く鳴った。
だったら、何を?
柄頭の意匠。
鍔の根元。
打ち直された刃。
そしてフランの顔。
全部を見て、ナディアは何を確かめたのだろう。
フランも同じ疑問を持ったらしい。
「さっきから、この剣ばっかり見てたよね」
「ええ」
今度は否定しなかった。
「知ってるの?」
少しの沈黙。
観客たちは試合再開を待っている。
審判も二人から目を離さない。
決勝戦は続いている。
それでも誰も動かなかった。
ナディアが、フランを見た。
短剣。
赤い髪。
顔。
もう一度短剣。
その順番で確認する。
やがて静かに口を開いた。
「あなた――」
一瞬だけ、観客席から大きな声援が上がった。
それでも今度は聞き逃さなかった。
ナディアはフランだけを見ていた。
「あなた、リザーメイト王国の出身じゃない?」
フランの表情が止まった。
歓声も、ざわめきも、司会者の声も、私には一瞬だけ遠くなったように感じた。
リザーメイト王国。
フランの故郷。
TIMEによって滅ぼされた国。
その名前を、どうしてナディアが知っている?
フランの左手が、短剣を握ったまま動かなくなった。
「……何で」
掠れた声だった。
ナディアは答えない。
フランが一歩も動かないまま、もう一度聞く。
「何で、それを知ってる?」
さっきまで《返衝》をどう攻略するか考え続けていた顔から、戦いの色が消えていた。
私もナディアから目を離せない。
短剣を見た。
何かを確かめた。
そして出てきた言葉が、リザーメイト王国。
偶然であるはずがない。
決勝戦は終わっていない。
それなのに今、勝敗よりずっと大きな何かが、フランの目の前に現れようとしていた。




