第127話 知られてからの戦い
「触ったあとに力を入れなきゃいいんだろ?」
巨大な戦斧を肩へ担いだ男の声が、闘技場へ響いた。
予選でナディアが見せた二つの試合を見ていたのだろう。戦斧使いは自信ありげに笑いながらも、灰色の外套から伸びる両手だけは警戒するように見つめている。
観客席にも同じことを考えている人は多いらしく、周囲から「あいつも気づいてるぞ」「今度はどうするんだ」という声が聞こえてきた。
私たちだけが能力の条件へ近づいていたわけではない。本戦へ残った人たちは他の参加者の試合も見ているし、ナディア自身も能力を分析され始めていることくらい分かっているはずだった。
「やっぱり、ばれてる」
私が言うと、リリィは試合場から目を離さないまま頷いた。
「二試合も見せたからね。でも、ナディアも対策されることは分かってると思う」
つまり今回は、最初から互いに情報を持った状態で始まる。
「本戦一回戦! 戦斧使いドーガ対、謎の武闘家ナディア!」
司会者が二人の名前を読み上げた。
ドーガが肩に担いでいた戦斧を下ろす。刃だけでも私の身体くらいありそうで、柄まで含めれば本人の身長を超えている。それほど巨大な武器なのに、ドーガは両手で軽々と構えていた。
対するナディアは今日も武器を持たず、仮面の奥から相手を見ているだけだった。
審判が腕を上げる。
「始め!」
先に動いたのはドーガだった。
戦斧を右肩へ担ぐように振り上げ、大きく捻った腰を一気に戻す。
「《岩砕》!」
巨大な刃が振り下ろされた。
ナディアは後ろへ逃げず、斜め前へ踏み込んで攻撃線から外れる。戦斧が石床へ激突して無数のひびを走らせた瞬間、その右手が柄へ触れた。
「触った!」
ドーガも気づいている。
石床へ食い込んだ戦斧を引き抜こうとして――途中で力を抜いた。
斧は地面へ刺さったまま。
何も起こらない。
「やっぱりだ!」
ドーガが笑った。
「触られたあとに力を入れなきゃ、返せねえ!」
観客席が大きくざわめく。
ナディアは何も答えない。
ドーガはしばらく待ってから、今度はゆっくりと戦斧を引き抜いた。それでも身体が弾かれるような現象は起こらず、斧は普通に石床から抜ける。
「時間もあるんだ」
私が呟く。
リリィも頷いた。
「ずっと残るわけじゃなさそうだね」
少なくとも、今まで見た範囲ではそう考えられる。
触れられた直後に大きな力を使わなければいい。
ドーガは完全に自信を取り戻したらしく、戦斧を両手で構えて前へ出た。
横薙ぎ。
ナディアが下がる。
返す刃にも身体を沈めて対応する。
それでもドーガは攻撃を続けながら、ナディアが近づいた瞬間だけ動きを止めた。触れられそうになれば力を抜き、距離が開けば再び戦斧を振る。
単純だけれど、予選の相手たちより明らかに慎重だった。
「押してる……?」
私は試合場へ身を乗り出した。
ナディアは攻撃していない。
後ろへ下がる場面も増えている。
ところが隣で見ていたフランが、静かに首を横へ振った。
「ナディア、困ってるようには見えない」
右腕を固定したまま、フランは二人の足元を見ている。
改めて観察すると、確かに逃げ続けているわけではなかった。戦斧が振られるたび必要なぶんだけ外れ、次の攻撃が来る前には少しずつ距離を戻している。
いつの間にか、最初よりドーガへ近づいていた。
横薙ぎが来る。
ナディアは後ろではなく前へ避け、戦斧の刃が通り過ぎるより早く柄の内側へ入った。
ドーガはすぐに攻撃を止める。
ナディアの右手が胸当てへ触れた。
「無駄だ!」
ドーガは動かない。
力を込めなければ、何も起きない。
予想通りだった。
ナディアは無理に攻撃せず、触れた手を離して一歩下がる。
次の攻防では右肩へ触れ、その次は左腕、その次は戦斧の柄へ手を伸ばした。ドーガはそのたびに攻撃を止め、ナディアの能力を発動させない。
何度繰り返しても、ドーガには何も起こらなかった。
それなのに、攻防が続くほどドーガの動きだけが変わっていく。
「最初より遅くなってない?」
疲れているわけではなかった。
戦斧を振る速度そのものではなく、振り始めるまでが遅い。
ナディアが近づく。
触れられるかもしれない。
そう思うたびに、ドーガは攻撃を途中で止められるよう無意識に力を残している。
「能力を使ってないのに警戒させてるんだ」
リリィが小さく頷く。
「触られたら止まるって決めたから、自分から止まってくれる」
ナディアが再び踏み込んだ。
ドーガは戦斧を振りかけ、右手が伸びてきた瞬間に動きを止める。
でも今度は、ナディアの手が触れなかった。
寸前で引いた。
ドーガの動きだけが止まる。
その一瞬に、ナディアは前足の外側へ自分の足を置き、身体を回した。攻撃を中断するため重心を後ろへ戻していたドーガは踏ん張れず、巨大な身体が斜めへ傾く。
そこへナディアの肩が入った。
ドーガが倒れる。
「なっ……!」
すぐに起き上がったものの、ナディアは追撃せず、数歩離れて待っていた。
「今の、能力じゃない」
ただの体術。
それだけで、自分より遥かに大きな相手を転ばせた。
ドーガの顔から笑みが消える。
「舐めやがって……」
戦斧を握り直したものの、今度は簡単に振らなかった。
「なら、お前から来い」
ナディアが一歩進む。
ドーガは動かない。
二歩目で戦斧の間合いへ入っても、じっと待っている。
ナディアの右手が伸び、胸当てへ触れた。
ドーガは力を入れない。
何も起きない。
手が離れる。
その瞬間を待っていた。
「《断山》!」
戦斧が横から振り抜かれる。
触れられている間ではなく、手が離れた直後なら安全。
ドーガなりに考えた攻撃だった。
巨大な刃が灰色の外套を捉えたように見えた瞬間、ナディアの身体が沈んだ。戦斧が頭上を通過し、外套の肩口だけを裂いていく。
ナディアは逃げない。
そのまま懐へ潜り込んだ。
右手が、戦斧を握る手首へ触れる。
ドーガは即座に力を抜いた。
「分かってる!」
今度も返らない。
でもナディアは離れなかった。
手だけを離し、身体は懐へ残る。
左手を肘へ添え、足をドーガの前足の外側へ置いて体勢を崩そうとする。
「同じ手が――!」
ドーガは踏ん張った。
今度は倒れない。
その代わり、踏ん張ることへ意識が向いた瞬間、ナディアの膝が脇腹へ入った。
鈍い音。
ドーガが息を詰まらせる。
続けて掌が顎を押し上げ、大きな身体が後ろへ揺れた。
「強い……」
能力を封じても、それで終わりではない。
むしろナディアは、自分の能力を警戒させることで相手の動きを限定し、そこで生まれた隙を普通の体術で使っている。
ドーガが大きく距離を取った。
呼吸が乱れている。
「くそっ……!」
戦斧を握る両手へ力が入る。
さっきまであった慎重さが少しずつ消え始めていた。
ナディアは追わない。
何も言わず待っている。
それが余計にドーガを苛立たせる。
「だったら、触られる前に終わらせる!」
戦斧を頭上へ持ち上げた。
今までより遥かに大きな構えだった。
両足を開いて腰を深く落とし、巨大な戦斧へ魔力を集中させる。近くの観客が、その構えを見ただけで声を上げた。
「出るぞ! 《崩岳》だ!」
ナディアは動かなかった。
「避けないの?」
ドーガが踏み込む。
石床が軋む。
「《崩岳》!」
巨大な戦斧が振り下ろされた。
その瞬間、ナディアが前へ出た。
逃げるのではない。
落ちてくる戦斧へ向かっていく。
刃が届く寸前、右手が柄へ触れた。
ドーガの目が見開かれる。
でも、もう止められない。
《崩岳》は全身の力だけでなく、巨大な戦斧そのものの重さまで乗せて振り下ろす技だった。一度最大まで加速させれば、途中で力を抜いたところで刃は止まらない。
「これを待ってたんだ……」
私にもようやく分かった。
ドーガがナディアの能力を警戒する限り、大技は使えない。
だからナディアは能力を無理に発動させようとせず、何度も触れるふりをして攻撃を止めさせ、体術で少しずつ追い込んだ。
焦ったドーガ自身に、途中では止められないほど大きな攻撃を選ばせるために。
ナディアの手が柄から離れた。
直後、ドーガの身体が大きく崩れた。
下へ振り抜こうとしていた両腕が逆方向へ跳ね、戦斧が手から離れる。踏み込んだ右足から腰、肩まで、自分が生み出した勢いに引っ張られたように浮き上がり、その巨体が背中から石床へ叩きつけられた。
轟音が闘技場へ響く。
巨大な戦斧が少し遅れて地面へ落ちた。
一瞬、観客席が静まり返る。
ナディアだけが立っていた。
灰色の外套の肩は裂けている。
それでも大きな傷はない。
審判がドーガへ駆け寄り、状態を確認してから腕を上げた。
「続行不能! 勝者――ナディア!」
歓声が一気に爆発した。
予選で能力の条件を見抜かれ、対策までされた。
それでも勝った。
私は拍手することも忘れ、試合場に立つナディアを見ていた。
「能力が分かっても、攻略したことにはならないんだ……」
フランが小さく頷いた。
「うん。ドーガさんは能力への対処はできてた。でも、ナディア本人への対処はできてなかった」
それだけで十分だった。
ナディアが何を考えていたのか、最初からどこまで狙っていたのかまでは分からない。
ただ一つだけ確かなのは、能力を封じれば簡単に勝てる相手ではないということだった。
試合場では、ナディアが落ちた戦斧を審判と一緒に端へ運んでいる。勝ったことを誇る様子もなく、予選のときと同じように静かだった。
退場口へ向かう途中、一度だけ足を止める。
顔が観客席へ向いた。
フランのいる場所。
仮面で目元が隠れているため、本当にこちらを見たのかは分からない。それでも私は、なぜか見られたような気がした。
ナディアはすぐに顔を戻し、通路の奥へ消えていく。
「フラン」
「うん?」
「もしナディアと戦ったら、勝てそう?」
少し前なら、すぐに何か答えたかもしれない。
でも今回は長く考えた。
右腕を固定している包帯へ一度視線を落とし、それからナディアが消えた通路を見る。
「今は分からない」
その答えに、私は少し驚いた。
フランは続ける。
「能力だけ見ても駄目だって分かったから。もし戦うことになったら、そのときまでの試合を全部見て考えるよ」
予選から何度も見てきた。
フランは最初から答えを持っているわけではない。
見て、間違えて、また見て、その場で答えを作っていく。
でも今日のナディアは、その相手も同じことをするのだと初めてはっきり見せた。
私は誰もいなくなった試合場を見つめた。
フランは本戦一回戦を突破した。
ナディアも勝った。
二人の名前はまだ遠い位置にある。
それでも本戦表の線は、勝者が決まるたび確実に短くなっていた。




