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フールの大冒険 ~聖なるマップを手に、異世界でまだ見ぬ両親を探します~  作者: ☆☆アダム☆☆


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第126話 本戦開幕

本戦当日の朝、街は日の出より先に目を覚ましていた。


馬小屋を出た時点ですでに大通りには人が溢れ、闘技場へ続く道の両側では露店が一斉に店を開いている。昨日まで売られていなかった本戦出場者の名前入りの旗まで並び、その中には本当に《フラン》と書かれたものもあった。


「昨日より増えてる!」


私が立ち止まると、オラクルが横から値札を覗き込んだ。


「予選抜けた三十二人だからな。昨日まで三百人分作るのは面倒でも、三十二人なら商売になる」


「やっぱり一個買おうかな」


「まだ言ってるの?」


フランが苦笑する。


昨日の三試合で負った傷は、治療師に診てもらったおかげでかなり良くなっていた。左肩と右腕には薄い治療布が残っているものの、朝から何度か短剣を振って確かめた限り、戦うことに問題はないらしい。


ただ、昨日とは少しだけ違う。


腰の短剣へ触れる回数が増えていた。


銀鹿亭で老人から聞いた話が残っているのだと思う。十年以上前に似た光を放つ長い剣が存在したこと、柄の根元に残る古い金具、そして《ドゥー・アライズ》と似た入り方をしていた名前も分からない剣士。どれも答えではなく、老人自身も記憶違いの可能性を認めていたが、それでも今まで何もなかった場所に初めて細い道ができたようなものだった。


「フラン」


「うん?」


「今日、ちゃんと試合見られそう?」


尋ねると、フランは私の意図に気づいたらしい。少し考えてから頷いた。


「大丈夫。昨日の話は気になるけど、今考えても増える情報はないからね。それよりレグルの槍をどうするか考えないと」


「もう考えてるんだ」


「昨日から少し」


隣を歩いていたリリィが呆れたように言う。


「試合前から答えまで決めないほうがいいよ。予選を見ただけじゃ、まだ使ってない技があるかもしれないから」


「分かってる。だから決めてるんじゃなくて、考えてるだけ」


二人の会話を聞いて、私は少し安心した。昨日の老人の話を忘れたわけではない。それでも今のフランは過去の手掛かりだけに捕まらず、今日戦う相手へ意識を向けている。


闘技場へ近づくにつれて人の流れはさらに太くなり、予選では八つに分けられていた入口も、今日は本戦参加者と一般観客ではっきり分けられていた。警備の兵士も増え、巨大な門の前まで来るとフランは一度立ち止まって私たちを振り返る。


「行ってくる」


「うん。勝ってね。怪我は、できるだけしないで」


「努力するよ」


私は少し迷ってから、もう一つだけ付け加えた。


「あと、昨日のことは試合が終わってから考えようね」


フランは一瞬だけ目を丸くし、それから笑った。


「それ、僕が言おうと思ってた」


「じゃあ同じだね」


フランは参加者用の門へ向かい、途中で一度だけ振り返って手を上げた。私も手を振り返し、その姿が見えなくなってから観客用の入口へ向かった。


薄暗い石造りの通路を抜けた瞬間、昨日とはまるで違う景色が広がった。


予選で使われていた八つの区画はすべて撤去され、闘技場の中央には巨大な一つの試合場だけが残っている。白い石床の外周を太い境界線が囲み、四方には大会旗が立ち、昨日より近い位置に治療班と審判席が設けられていた。観客席も上段までほとんど埋まり、三百人以上いた参加者のうち今日ここへ立てるのは三十二人だけなのだと、景色そのものが教えてくる。


席へ着いて間もなく、中央の高台へ司会者が現れた。


「皆様、お待たせいたしました! 三百二十七名の参加者から予選を勝ち抜いた三十二名! 本日より、いよいよ本戦を開始いたします!」


歓声が闘技場を震わせる。


参加者用の大門が開き、一人ずつ名前を呼ばれた本戦出場者が試合場の外周へ並び始めた。


ガルディオが現れたときには一際大きな歓声が上がった。巨大な剣を背負った男は昨日と変わらず落ち着いており、観客へ手を振ることもなく自分の位置へ向かう。


何人かを挟み、フランの名前が呼ばれた。


「予選第六区画突破! 短剣使い――フラン!」


「フラーン!」


今度は最初から叫んだ。


周囲の声が大きすぎて届いたかどうかは分からない。それでもフランは観客席を見上げ、少しだけ笑ったように見えた。


さらに何人かのあと、灰色の外套が現れる。


「予選第四区画突破! 武器を持たぬ謎の参加者――ナディア!」


昨日より明らかに大きな歓声が起こった。


ナディアは今日も灰色の外套に暗い茶色の髪、目元を隠す細い仮面、両腕を覆う長い袖と手袋という同じ姿だった。二試合続けて不可解な勝ち方をしたことで注目され始めているのに、本人は歓声へ応えることもなく、何事もないように自分の位置へ立つ。


私は無意識にその両手を見ていた。


昨日までの試合で分かったことは少ない。ナディアが相手か、その相手が力を通そうとする武器へ触れたあと、触れられた側が自分から強く力を加えると、その力が本人へ返ったような現象が起きる。


でも、それが全部なのかは分からない。


「今日も見る?」


リリィが聞く。


「うん。フランとすぐ当たらないけど、気になる」


「私も」


やがて全員の紹介が終わり、本戦第一試合が始まった。


予選とは違い、中央の試合場で行われる戦いは一つだけだった。観客全員が同じ攻防を見つめるため、剣が一度ぶつかるだけで闘技場全体が沸き、魔法が石床を削れば何万人もの声が一度に響く。


勝者が決まるたび、本戦表の名前が一つずつ消えていった。


そして四試合目。


司会者が声を張り上げる。


「続いての対戦! 予選で異なる戦法を持つ三人を破り、本戦へ進出した短剣使い――フラン!」


私は一気に姿勢を正した。


参加者用の門から現れたフランは昨日と同じ短剣を腰に差し、左肩には薄い治療布を残している。それでも歩き方に迷いはなく、視線は反対側の門へ固定されていた。


そこから現れたのがレグルだった。


背が高く、身体は細い。濃紺の長衣の上から軽い胸当てをつけ、手には身長を超える長槍を持っている。穂先だけでなく柄の両端に金属が使われており、普通の槍より少し重そうだった。


レグルは中央へ来ると、槍の石突きを地面へ軽く当てた。


「予選、見たよ」


フランが短剣を抜く。


「僕も最後の試合は見ました」


「セドの間合いを崩したのは上手かった。でも、同じ入り方は通じない」


レグルは右手を後ろ、左手を前へ置き、長い柄をほとんど水平にして穂先をフランの胸へ向けた。


「剣より槍のほうが長いから?」


「それもある。でも一番違うのは、俺は近づかれても困らないってことだ」


審判の腕が振り下ろされた。


「始め!」


先に動いたのはレグルだった。


後ろへ引いた右足が石床を噛み、そこから生まれた力が腰、肩、腕へ一本の線のように繋がる。


「《風穿》!」


槍が突き出された瞬間、穂先の周囲で空気が弾けた。


フランは身体を横へ振って槍そのものを避けた。それでも頬へ細い傷が走り、触れていないはずの場所から血が滲む。


「槍だけじゃない」


リリィが身を乗り出す。


「突いたときの風まで攻撃になってる」


レグルは追わず、槍を引いて同じ構えへ戻す。二度目の《風穿》に対し、フランは今度こそ大きく横へ避けた。穂先の外側を空気の塊が走り、後方の石床へ細い傷を刻む。


槍だけなら穂先をわずかに外せばいいが、《風穿》は風まで含めた範囲から逃れなければならない。そのぶんフランは大きく身体を動かされ、レグルから距離を取らされていく。


何度か左右へ動いたあと、フランが真正面から走った。


レグルの右足が後ろへ引かれる。


「来ると思った。《風穿》!」


今度のフランは横へ逃げず、上半身だけを傾けて穂先の横を抜けた。風が左肩の治療布を裂いたものの、それでも足は止めない。


槍の穂先を越えたところから《レイ・シフト》で踏み込みの方向を変え、一気に短剣の間合いへ迫る。


その瞬間、レグルの両手が槍の中央へ滑った。


「《廻槍・円月》!」


長槍を引き戻すのではなく、身体の横で回転させる。後端を短剣で受けたフランの身体が横へ押され、反対側から戻ってきた穂先を頭を下げて避けると、再び柄が追ってきた。


遠くでは《風穿》、近づけば《廻槍・円月》。


レグルはフランが一番戦いたい距離だけを、二つの技で挟んでいた。


フランは二度ほど柄を逸らしたものの、連続する回転を完全には止められず、大きく後ろへ跳んだ。


「セドより厄介かもしれない」


リリィが言う。


「セドは近づかせないために間合いを守ってた。でもレグルは、近づかれてから追い出す方法まで持ってる」


レグルが再び《風穿》を放つ。


一発目を避け、二発目も大きく外したフランは、三発目に短剣を白く輝かせた。


「《インセント・フラッシュ》!」


一閃が風とぶつかり、圧縮された空気を斬り裂く。


観客席から歓声が上がったが、オラクルは喜ばなかった。


「割に合わねえ。一発止めるために技使ってる間に、向こうは次を撃てる。あれを繰り返したら先にフランが消耗する」


それでもフランは、失敗したような顔をしていなかった。


視線が穂先から外れ、レグルの後ろ足へ向いている。


《風穿》を放つ直前、レグルは必ず右足を少し後ろへ引く。風を生むほどの突きを腕だけで撃っているのではなく、右足で石床を押し、その力を腰、肩、腕、最後に槍へ通しているのだ。


その動きは、試合開始直後から何度も繰り返されていた。


フランが頬を切られた一発目。


大きく避けた二発目。


《インセント・フラッシュ》で風を斬った三発目。


すべて同じだった。


「フラン、最初から足見てたんだ」


リリィも頷いた。


「たぶん一発目で気づいたわけじゃない。何度も撃たせて、同じ動きになるか確かめてた」


フランが再び真正面から走った。


レグルが槍を引き、右足を後ろへ置く。


「何度来ても同じだ。《風穿》!」


右足が石床を噛み、腰が前へ動いた。


そこまで待ってから、フランが進行方向を変える。


「《レイ・シフト》!」


レグルが突く方向を決めたあとだった。


《風穿》がフランの右脇を抜ける。


フランはそのまま前へ出た。


レグルもすぐに槍を中央へ持ち替える。


「それも見た! 《廻槍・円月》!」


槍が回る。


今度のフランは最初の一撃を受けず、後端が迫る瞬間に一歩だけ内側へ入り、身体を低くして柄の軌道から外れた。次に戻ってきた穂先だけを短剣で逸らし、その反動を利用してさらに半歩前へ出る。


長槍は外側ほど速く回る。


逆に、中心へ近づくほど柄が移動する距離は短くなる。


フランは《廻槍・円月》を止めようとしているのではなく、その回転の中心へ潜り込もうとしていた。


「そこか……!」


レグルも気づき、回転を途中で止めた。


両手の位置を狭め、槍の中央部分を使ってフランの肩へ押し込む。短剣を挟んでも重い柄の圧力までは殺し切れず、昨日ミレアの拳を受けた右腕が沈んだ。


フランの表情がわずかに歪む。


レグルはそれを見逃さず、槍を押し込みながら後端を脇腹へ跳ね上げた。フランは左腕で受けたものの、鈍い音とともに身体が半歩浮く。


その瞬間、レグルが槍を引いた。


二人の間に一歩半ほどの空間が生まれる。


「《風穿・連》!」


一発目が右肩へ伸び、フランは身体を捻って外す。二発目は胸元へ来たため短剣で軌道を逸らしたが、そのぶん右手が外へ流れた。


そこへ三発目。


戻すのが間に合わない。


フランは腰を捻って深手だけは避けたものの、穂先が脇腹の服を裂き、遅れて風が傷口を広げた。


「フラン!」


フランは数歩下がり、ようやく連撃の範囲から逃れた。


レグルは追わない。


「《廻槍・円月》の内側まで入った奴は久しぶりだ。でも、俺もあれだけで本戦まで来たわけじゃない」


フランは脇腹へ触れ、指先についた血を一度だけ確認した。


傷は浅い。それでも予選から残る左肩と右腕の負傷に加え、今ので脇腹まで傷ついた。対するレグルにも疲労は見え始めているものの、目立った傷はまだなく、このまま同じ攻防を続ければどちらが先に動けなくなるかは考えるまでもなかった。


「降参する?」


レグルが槍を構え直す。


フランは首を横へ振った。


「しません。ただ、予選を見ただけで分かったつもりになってました」


「だったらどうする?」


「今から見ます」


レグルが一瞬だけ黙り、それから楽しそうに笑った。


「いいな。なら、見切れるもんなら見切ってみろ」


再び《風穿》が放たれた。


今度のフランは攻め急がなかった。最初の一撃を大きく避け、二発目では風の外縁だけを見切って身体を沈める。三発目も《インセント・フラッシュ》で斬らず、自分の足で避けた。


「攻めないの?」


さっき見つけた右足の固定を狙えば、《レイ・シフト》でもう一度懐へ入れるはずだ。それなのにフランは、あえて遠い位置に残っている。


「別のものを見てるんだと思う」


リリィが答えた。


レグルが四発目を撃つ。


右足が下がり、腰が回り、肩から腕へ力が通る。


五発目も同じ。


ただ、六発目へ移ろうとしたところで、レグルは右手の指を一度だけ開き、槍の柄を握り直した。


本当に小さな動きだった。


その瞬間、フランが走った。


「今だ!」


《風穿》の構えに入るより早い。


レグルは反応して槍を突いたものの、今までのような風は発生しなかった。ただの突きなら大きく横へ逃げる必要はなく、フランは顔のすぐ横を通過させるように最小限の動きで避け、そのまま距離を詰める。


「握り直したとき……?」


私にもようやく見えた。


《風穿》は足と腰だけで撃つ技ではない。最後には必ず右手で長い柄を強く握り込み、全身から伝わった力を穂先へ通している。《廻槍・円月》では遠心力に負けないよう槍を制御し、《風穿・連》では三度続けて柄を握り込む。


だから何発か撃つたびに、指へ溜まった負担を逃がすように握りを直していた。


「フラン、最初からこれも確かめてたんだ」


リリィが頷く。


「たぶん《風穿・連》を受けてから。普通の《風穿》より負担が大きかったから、握り直す回数が増えたんだと思う」


一度見ただけで弱点を決めたわけではない。


レグルに何度も撃たせた。


右足の動きが毎回同じなのか。


握り直す瞬間には本当に《風穿》が使えないのか。


自分が傷ついている間にも、フランは一つずつ確かめていた。


「《廻槍・円月》!」


レグルが近距離用の技へ切り替える。


でも、今度は回転へ入る前にフランの短剣が下から滑り込んだ。


「《ドゥー・アライズ》!」


白い刃が槍の柄を斜めに跳ね上げ、レグルの右腕まで持ち上がる。それでも槍は手放さず、左手だけで柄を引き戻して石突きをフランの胸へ打ち込もうとした。


フランは一歩横へずれた。


石突きが脇を抜ける。


ようやく短剣の距離へ入った。


「《インセント・フラッシュ》!」


踏み込みと一閃が重なる。


レグルは槍の中央を盾のように立てた。


激しい金属音とともに白い光が弾け、レグルの身体が一歩後ろへ押される。


止められた。


それでもフランは離れなかった。


弾かれた短剣の勢いを無理に殺さず、手首を返しながら身体ごと逆方向へ回す。一本だった白い軌跡へ、別方向から二本目が重なった。


「《ルミナス・クロス》!」


十字を描く二撃目が、最初の一撃を防ぐために立てられていた槍へ斜め下から衝突した。


金属音が闘技場へ響く。


レグルの槍が大きく外へ流れ、フランの短剣が胸当ての端を掠めた。浅い傷ではあったけれど、レグルの身体から初めて血が飛ぶ。


「当たった!」


私は立ち上がりかけた。


でもレグルは止まらない。


槍を弾かれた勢いを身体の回転へ変え、後端をフランの頭へ振る。フランは頭を下げて避け、互いに一歩ずつ距離を取った。


レグルが胸元へ触れる。


指に血がついた。


「今の技、予選じゃ使ってなかったな」


「今できました」


「……は?」


レグルだけではない。


私も一瞬、意味が分からなかった。


「《インセント・フラッシュ》を止められたとき、弾かれた力をそのまま二撃目へ使えないかなって」


「試合中に技を増やすなよ」


「名前は前から考えてました」


「名前だけ用意してたのかよ」


観客席から笑いと歓声が入り混じった音が起こった。


私も少し笑ってしまったけれど、レグルの表情からは確実に余裕が減っていた。


《インセント・フラッシュ》を防げば終わりではない。


受け止めたときの反発さえ、フランは次の攻撃へ利用する。


レグルが槍の持ち方を変えた。


右手を後ろへ引き切らず、左手も中央寄りへ置く。《風穿》ほど遠くへは届かない代わりに、《廻槍・円月》へ移るために持ち替える必要もない。


「技を決めるのはやめだ」


レグルが言った。


「お前、技に入る前を見すぎるからな」


フランの目が細くなる。


「じゃあ、見てから決めます」


「それが嫌なんだよ」


レグルが自分から踏み込んだ。


今度は技名がない。


小さな突きをフランが外すと、戻る柄がそのまま横へ走る。短剣で受けたところへ石突きが低く入り、身体を捻って避ければ、今度は穂先が下から跳ね上がってくる。


大きな予備動作がない。


フランも相手の技を待たず、槍の中央を短剣で弾いて空いた場所へ踏み込む。レグルは肘で左肩を押し、そこへ柄を重ねた。


金属音と足音が途切れない。


フランの短剣がレグルの左腕を浅く切ったのとほぼ同時に、槍の柄がフランの脇腹へ入った。


二人が離れる。


今度は両方に傷が増えていた。


「どっちが勝ってるの?」


私が尋ねても、リリィはすぐには答えなかった。


「今だけなら同じくらい。でも、フランのほうが先に戦った傷が多い。長引いたら不利だと思う」


私にもそれは分かった。


フランの呼吸は明らかにレグルより荒い。左肩、右腕、脇腹。そこへ今の攻防で細かな傷まで増えている。


このまま一撃ずつ交換していたら、先に動けなくなるのはフランだ。


レグルが再び前へ出た。


短く持った槍で二度攻撃し、フランが《インセント・フラッシュ》へ入ろうとした瞬間、突然大きく後ろへ跳ぶ。


槍を長く持ち直した。


右足が石床へ食い込む。


「《風穿》!」


近距離から一気に最大間合いへ切り替えた。


フランは完全には避けられない。


風が右腕を切り、包帯が裂けた。


血が流れる。


「フラン!」


レグルは近距離戦へ切り替えたわけではなかった。


近距離も使う。


そこでフランの意識を細かな槍の動きへ集中させ、技へ入ろうとした瞬間だけ距離を戻して《風穿》を撃つ。


フランが相手を見て変わるなら、レグルも同じように変わっている。


二人とも、試合開始時の戦い方から離れ始めていた。


レグルの呼吸も荒くなる。


「そろそろ終わらせよう」


「僕もそう思ってました」


レグルが槍を長く持ち直した。


右足を後ろへ引く。


今度は隠さない。


《風穿》の構え。


フランは真正面から走った。


「また来るか!」


レグルが踏ん張る。


フランは《レイ・シフト》を使わない。


そのまま正面。


「《風穿・連》!」


一発目が来る。


フランの短剣が白く光った。


「《インセント・フラッシュ》!」


斬撃が風を裂き、槍の穂先をわずかに外へ押す。


二発目。


フランは避けなかった。


一撃目を振り切った反発を使い、そのまま短剣を返す。


「《ルミナス・クロス》!」


二本目の白い軌跡が二発目の槍へぶつかる。


金属音が響き、レグルの腕が外へ流れた。


それでも《風穿・連》は三発目が本命だった。


レグルが前へ大きく踏み込む。


一発目と二発目より深い。


今度こそ逃がさないために、自分から距離を潰している。


「これで終わりだ!」


三発目。


フランは短剣を戻せていない。


左右へ避ける時間もない。


私は思わず椅子から立ち上がった。


「フラン!」


それでもフランは下がらなかった。


むしろ半歩、前へ出た。


槍の穂先が左肩を掠め、風が服と治療布を一緒に裂く。血が飛び、フランの身体が一瞬傾いた。


それでも足は止まらない。


三発目だけ、レグルは他の二発より深く踏み込む。


そのことをフランは、最初に《風穿・連》を受けたときから見ていた。


一発目で間合いを測り、二発目で逃げ道を削り、三発目で決める。


だから三発目だけは、レグル自身も前へ出なければならない。


避けるのではない。


その深い一歩を利用する。


フランの短剣が槍の根元近くへ滑り込んだ。


「《ドゥー・アライズ》!」


下から斜めに走った刃が、振り抜かれる直前の槍を跳ね上げる。


レグルの身体が前へ流れた。


いつもの《風穿》なら、槍を逸らされても後ろへ距離を取り直せた。


今度はできない。


自分から深く踏み込んでいたからだ。


「しまっ――」


フランが懐へ入る。


レグルは《廻槍・円月》へ切り替えようと両手を中央へ滑らせた。


それもフランは見ていた。


《ドゥー・アライズ》で跳ね上げた短剣を止めず、身体を回す。


白い光が再び走った。


「《ルミナス・クロス》!」


二撃目が槍を完全に上へ弾く。


レグルの胸元が開いた。


フランが踏み込む。


短剣が首へ向かう。


それでもレグルは諦めなかった。


槍を手放した。


長い武器が石床へ落ちる。


空いた両手で、フランの右手首を掴もうとする。


「まだだ!」


フランの足が石床を蹴った。


「《レイ・シフト》!」


掴もうとした手の外側へ身体を滑らせ、レグルの右脇を抜ける。瞬間移動ではない。前へ流れているレグルと同じ方向へ一気に加速したことで、その視界からほんの一瞬だけ外れた。


レグルが振り向く。


間に合わない。


フランはすでに背後へ回っていた。


短剣の刃先が首筋へ止まる。


同時に左手をレグルの背中へ添えていた。


斬れば終わる。


押しても境界線の外へ出る。


どちらでも決着する位置だった。


審判が二人の間へ駆け込んだ。


「そこまで! 勝者――フラン!」


一瞬遅れて、巨大な闘技場が爆発したような歓声に包まれた。


「フラーン!」


私は立ち上がり、両手を口元へ添えて叫んだ。


メリーも頭上を飛び回りながら何度も名前を呼び、隣ではリリィがようやく張り詰めていた肩の力を抜いている。


フランがこちらを見上げた。


笑った。


でも、すぐにその表情が歪んだ。


右手から短剣が落ちた。


「え?」


白い刃が石床へ転がる。


フランは拾おうとしたものの、右腕が上がらない。


さっきまでの歓声が、私の耳から急に遠くなった。


「フラン!」


治療班がすぐに試合場へ走り込んだ。


フランは大丈夫だと言おうとしていたけれど、左肩からは血が流れ、右腕の包帯も赤く染まっている。最後の《風穿・連》を突破した代償が、試合が終わった瞬間にまとめて出てきたようだった。


レグルも驚いた顔でフランを見る。


「お前……最後、あの状態で三発目へ入ったのか?」


フランは左手で右腕を支えながら苦笑した。


「避けたら、もう次は動けない気がしたので」


「馬鹿だろ」


「ちょっとだけ自分でもそう思います」


レグルは呆れたように息を吐いたあと、地面へ落ちた短剣を拾った。


勝手に鞘へ戻さず、柄をフランの左手へ向ける。


「次もあるんだろ。勝った奴がここで壊れてどうすんだ」


「ありがとうございます」


フランが左手で受け取った。


そのまま治療師に肩を支えられ、試合場の外へ向かう。


勝った。


本戦一回戦を突破した。


それなのに、私は素直に喜べなかった。


「右腕……大丈夫だよね?」


「まだ分からない」


リリィも珍しく即答しなかった。


「でも短剣を落としたのは、たぶん、痛みだけじゃないと思う」


私の胸が冷たくなる。


試合場では次の試合へ向けた整備が始まっている。砕けた石が片づけられ、血の跡が拭われ、ほんの少し前までフランとレグルが戦っていた場所が、何事もなかったように元へ戻されていく。


けれど私には、もう次の試合を見る気にはなれなかった。


「行こう」


席を立つ。


「フランのところ?」


「うん」


リリィも立ち上がった。


オラクルは少しだけ試合場を見てから、煙草を咥えたまま私の肩へ飛び乗る。


「慌てんな。治療師がすぐ入った。大会の治療班なら、まず状態を確認してる」


「分かってる。でも行く」


「止めてねえよ」


観客席を出て階段を下り、参加者用区画へ続く通路まで急いだ。もちろん、そのまま中へ入ることはできない。入口には兵士が立っており、関係者以外の立ち入りを止めている。


「フランの仲間です!」


私が言うと、兵士は困った顔をした。


「治療中だ。少し待ってくれ」


「右腕は?」


「俺に聞かれても分からん。治療師が診ている」


それ以上は聞けなかった。


私は通路脇の壁際で待つことにした。


数分しか経っていないはずなのに、ものすごく長く感じる。


メリーも騒がず、私の肩で治療室の扉を見つめていた。


「勝ったのに……」


気づけば、そんな言葉が出ていた。


リリィが隣を見る。


「うん」


「勝ったら嬉しいだけだと思ってた」


予選では怪我をしても、そのあと普通に戻ってきた。


今回もそうなると思っていた。


《風穿》を越え、《廻槍・円月》の中心へ入り、《風穿・連》まで攻略した。試合の途中で《ルミナス・クロス》まで作り、最後にはレグルの技を全部繋げて勝った。


格好よかった。


だから余計に、最後に短剣を落とした瞬間が頭から離れない。


「強い技って、使えば使うほど勝てるわけじゃないんだね」


私が呟くと、リリィは少し考えてから答えた。


「技だけじゃなくて、身体を使ってるから。フランは昨日から何試合もしてるし、今日は治り切ってない腕で《インセント・フラッシュ》も《ドゥー・アライズ》も何回も使った。最後の《ルミナス・クロス》なんて、同じ腕で二回続けて強く振ってる」


そう言われて、ようやく勝負の最後だけではなく、その前から積み重なっていたものが見えた。


レグルの《風穿》を《インセント・フラッシュ》で斬った。


《廻槍・円月》を短剣で逸らした。


近距離では長い槍の柄を何度も受けた。


《風穿・連》の三発目を避けず、傷ついた左肩をさらに切られながら《ドゥー・アライズ》へ入った。


勝つために必要だったものが、一つずつ身体へ残っていたのだ。


「次も同じ戦い方はできないかもね」


リリィの言葉に、私は治療室を見る。


本戦は一度勝って終わりではない。


三十二人から十六人。


その次は八人。


勝つほど相手は減るけれど、フランの傷が全部消えるわけではない。


予選では、相手を見て答えを見つければ勝てた。


本戦では、それだけでは足りないのかもしれない。


次の試合まで自分を残しながら勝つ。


それも必要になる。


しばらくして、治療室の扉が開いた。


私は反射的に立ち上がった。


最初に出てきたのは治療師だった。


「フランの付き添いか?」


「はい!」


「声が大きい」


「あ、ごめんなさい。それで右腕は?」


治療師は驚いたように私を見たあと、少し笑った。


「骨は折れていない。筋と関節にかなり負担がかかっているが、致命的な損傷でもない。ただし、今日もう一試合やれと言われたら止める」


胸の奥に溜まっていたものが、一気に抜けた。


「じゃあ大丈夫?」


「大丈夫の意味によるな」


治療師は少し真面目な顔になる。


「日常生活なら問題ない。本戦を続けるとなれば別だ。治癒魔法で傷口は塞げても、疲労まで完全になかったことにはできん。特に右腕は休ませろ。次の試合まで無理に剣を振らせるな」


「はい」


今度は私より先にリリィが答えた。


その直後、治療室からフランが出てきた。


右腕は新しい包帯で肩近くまで固定され、左肩の治療布も巻き直されている。脇腹にも服の下から包帯が覗いていた。


それでも自分の足で歩いている。


「フラン!」


私が近づく。


「ごめん。心配かけたね」


「本当に痛くない?」


「痛くないとは言えないかな」


「じゃあ痛いんじゃん」


「そうとも言うね」


笑って誤魔化そうとしたので、少し腹が立った。


でも怒る前に、フランの右腕を見る。


「短剣落としたよね」


フランの表情が少し変わった。


「見えてた?」


「見えるよ!」


「そっか」


フランは左手で右腕の包帯へ触れた。


「最後のほうは、もう握る感覚がほとんどなかったんだ。レグルさんの三発目を《ドゥー・アライズ》で上げたときに、たぶん限界を越えた」


「じゃあ何で《ルミナス・クロス》まで使ったの?」


「そこで止めたら、レグルさんが槍を戻すから」


あまりにも普通に答えられ、私は言葉に詰まった。


間違ってはいない。


でも納得もしたくない。


その顔を見たフランが苦笑する。


「次は気をつける」


「本当に?」


「本当に。今日の試合で分かったこともあるから」


「レグルの技?」


「それもあるけど、自分のほう」


フランは腰の短剣を見る。


今は右手ではなく左側へ差してある。


「《ルミナス・クロス》、今の僕には負担が大きすぎる。二撃目まで無理やり速度を維持してるから、右腕だけに力が集まりすぎてるんだと思う」


試合中に生まれた新しい技。


強かった。


実際、レグルの槍を弾いた。


でも、強いから何度でも使えるわけではない。


「じゃあ封印?」


私が聞くと、フランは首を横へ振った。


「使い方を考える。一回目をもっと軽くするとか、身体の回転を使うとか。今のままなら、たぶん一試合で何回も使う技じゃない」


リリィが頷いた。


「それがいいと思う。技を増やしても、使ったあと戦えなくなったら意味ないから」


「うん」


フランは素直に認めた。


それだけでも少し安心した。


昨日までなら、勝ったことだけを見ていたかもしれない。


でも本戦は違う。


強い相手へ勝つ。


その次にも戦える状態で残る。


どちらも必要なのだ。


そのとき、通路の奥から声がした。


「フラン」


振り向くと、レグルがいた。


胸元と左腕には治療布が巻かれているものの、槍は自分で持っている。


「腕、大丈夫だったか?」


「しばらく休めば」


「ならよかった」


レグルは少し安心したように息を吐いた。


「最後の三発目、避けなかっただろ」


フランが頷く。


「避けたら、次に同じ形を作ってくれないと思ったので」


「やっぱりな」


レグルは苦笑した。


「一発目から見てたのか? 俺が《風穿》を撃つときの足」


「最初は気づいただけです。でも一回じゃ偶然かもしれないから、何回か見ました」


「握り直すところは?」


「《風穿・連》を受けたあとです。三発続けたあとだけ、右手を開いたから」


「三発目が深くなるのは?」


「最初に受けたとき」


レグルはしばらく黙った。


それから、呆れたように笑う。


「俺、お前に技見せるたびに負け方教えてたのか」


「そういうつもりじゃ……」


「分かってるよ」


レグルは槍を肩へ担いだ。


「だから面白かった。次にやるときは全部変える」


フランも笑う。


「そのときは、また見ます」


「それが嫌だって言ってんだろ」


二人は笑いながら握手を交わした。


レグルが去ったあと、私は少しだけ考えた。


フランは相手の技を一目見ただけで全部分かるわけではない。


何度も見る。


わざと同じ状況を作る。


本当に同じ動きになるのか確かめる。


そして確信できたものだけを、最後の一回に繋げる。


だから、あの勝ち方になった。


ただし、そのために今回は傷を負いすぎた。


勝ち方は正しかった。


でも、もっと良い勝ち方があったかもしれない。


フラン自身も、それを分かり始めている。


「戻る?」


リリィが聞く。


フランは少し迷った。


「ナディアの試合、まだ?」


オラクルが本戦表を確認する。


「あと二試合くらいだな」


フランが観客席へ続く通路を見る。


右腕はまだ動かせない。


それでも目は試合を見たがっていた。


「見たい」


やっぱりだった。


私は少し呆れたものの、今度は止めなかった。


「じゃあ座って見る。でも絶対に右腕動かさないでね」


「分かった」


「短剣も抜かない」


「観客席で抜かないよ」


「練習もしない」


「……分かった」


今の間は怪しい。


リリィが笑った。


私たちは観客席へ戻った。


ちょうど一つの試合が終わり、勝者の名前が読み上げられているところだった。フランが姿を見せると、近くの観客たちが気づき、さっきの試合について声を掛けてくる。


フランは少し困った顔をしながらも席へ座った。


私はその隣に座り、右腕の包帯をもう一度確認する。


勝った。


本戦十六人に残った。


それでも、今までの勝利とは少し違った。


強い相手へ勝てたこと。


新しい技が生まれたこと。


そして、自分の身体にも限界があると分かったこと。


全部まとめて、フランの一勝だった。


やがて司会者の声が闘技場へ響いた。


「続いての試合へ参りましょう!」


反対側の参加者用門が開く。


灰色の外套が見えた。


私は自然と姿勢を正した。


「来た」


ナディア。


武器を持たないまま本戦へ進んだ、正体の分からない参加者。


対する門から現れたのは、巨大な戦斧を肩へ担いだ男だった。フランより遥かに大きく、腕は私の胴ほどもありそうだった。


男はナディアを見るなり笑った。


「触ったあとに力を入れなきゃいいんだろ?」


私は息を止めた。


「気づいてる……」


予選を見ていたのは、私たちだけではない。


ナディアの能力の条件。


触れられたあと、自分から強く力を加えなければいい。


少なくとも、今までの試合を見る限りではそうだった。


男は戦斧を石床へ置いた。


「だったら攻略は簡単だ」


ナディアは何も答えない。


灰色の外套の下から、手袋に覆われた両手を出した。


フランも隣で黙って見ている。


観客席の空気が変わった。


ナディアの能力が初めて、相手に知られた状態で戦いが始まろうとしていた。

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