第124話 予選突破
「……次に勝ってから考える」
そう言ったフランは、老人が消えた通路をもう一度だけ見たあと、短剣の柄から手を離した。
元の剣を知っている人物が突然現れ、自分の足運びまで誰かに似ていると言われたのだ。何年も追い続けてきた故郷の手掛かりが、手を伸ばせば届きそうなところまで来ている。気にするなというほうが無理だと思う。
それでも予選は待ってくれない。八つに分けられた試合場では次々と勝敗が決まり、剣と魔法がぶつかる音に歓声が重なっている。第六区画でも係員が新しい番号札を準備し、勝ち残った参加者たちが次の試合へ呼ばれていた。
「フラン、あと何回?」
「次に勝てば予選通過だって」
「じゃあ、あと一勝!」
思わず声が弾んだものの、フランが返事をするまでにはわずかな間があった。
「うん。あと一勝」
その短い間に何を考えたのかは聞かなかった。
参加者用の係員が近づき、次の試合まで治療区画で待機するよう告げる。フランは私たちへ軽く手を上げると、左肩と右腕に治療布を巻いたまま通路の奥へ消えていった。
その背中を見送りながら、私はオラクルへ顔を向ける。
「本当におじいさん、帰らないよね?」
「銀鹿亭に来いっつった本人が逃げてどうすんだ。それより今はフランだ。本人が次に勝ってから考えるって決めたなら、先にそっち見てやれ」
「負けても話は聞けるでしょ」
「そういう意味じゃねえよ。今あいつが戦うって決めてんのに、横から過去の話ばっか気にしてどうすんだって言ってんだ」
珍しくまともなことを言われた気がしたけれど、口に出せば怒られそうなのでやめた。
私は一度大きく息を吐き、目の前の試合へ意識を戻した。
第四区画では、灰色の外套をまとったナディアが二試合目を迎えていた。
対戦相手は長い鎖の先に鉄球をつけた武器を持つ男で、腕を回すたびに鉄球が低い唸りを上げている。剣や槍とは比べものにならないほど広い範囲を一度に塞げるため、武器を持たないナディアが近づくのは難しそうだった。
審判の合図と同時に、男が腰を落とした。
「《轟鎖輪》!」
身体の回転を乗せた鉄球が石床すれすれを走り、ナディアの胴を横から薙ぎ払おうとする。
ナディアは大きく跳ばなかった。上半身をわずかに傾け、外套の表面すれすれを鉄球に通過させる。鉄の塊は後方の石床へ激突し、砕けた石片が何メートルも飛び散った。
男はすぐに鎖を引き戻した。
その途中でナディアが一歩踏み込み、戻ってくる鉄球ではなく、その手前を走る鎖へ右手を触れさせる。
ほんの一瞬だった。
触れた直後にはもう離れていたため、最初は何も起きていないように見えた。
ところが男が鎖を強く引いた瞬間、踏ん張っていた身体が突然前へ持っていかれた。靴底が石床を滑り、何歩もよろめいてからどうにか止まる。
「まただ」
リリィが呟いた。
私は一試合目を思い返した。
ガゼルが剣を振ったとき、ナディアは手首へ触れた。そのあと剣を振り抜こうとしたガゼルの腕が大きく流れ、武器まで手から離れた。盾で突進したときも、盾へ触れられたあとにさらに押し込もうとして、自分の勢いによって地面へ叩きつけられている。
今回は本人ではなく鎖だった。
触れているものは違う。
それでも、触れられたあとで相手が自分から力を加えている点だけは同じだった。
鉄球使いは苛立ったように鎖を握り直し、頭上で何度も鉄球を回転させた。速度が上がるにつれて風を切る音が大きくなり、十分な勢いがついたところで再び腕を振り抜く。
「《轟鎖輪・廻》!」
さっきより速い鉄球がナディアへ迫る。
今度も正面から受けず、ナディアは一歩横へずれた。鉄球が後方へ抜けた直後、男は身体を捻り、戻ってくる鉄球まで次の攻撃へ繋げようと鎖を強く引く。
その直前だった。
ナディアの左手が鎖へ触れ、すぐに離れる。
男が腕へ力を込めた瞬間、その身体が前方へ跳ねた。自分で鎖を引いたはずなのに、その力に引っ張られたように両足が石床から浮き、そのまま肩から地面へ叩きつけられる。握っていた鎖まで手から離れ、鉄球が遠くへ転がっていった。
「今の、分かったかも」
私は身を乗り出した。
「触っただけじゃ何も起きないんだ。ナディアに触られたあとで、自分から力を出したときに何かが返ってる?」
「私もそう見える。ただ、まだ全部は分からないよ」
リリィは倒れた男とナディアを交互に見る。
「どのくらいの時間残るのかも、どれだけ強い力まで返せるのかも不明。でも、少なくとも何でも無条件に返せるわけじゃないと思う」
それなら、普通の攻撃をナディアが避けていた理由も説明できる。
何でも触れれば返せるのなら、最初からすべて受ければいい。でも実際にはそうしていない。相手がこれから大きな力を通す場所を読み、先に触れておき、そのあと相手自身が動いたときに力を返しているように見える。
「もしフランと当たったら、触られたあとに止まればいいのかな」
「今見た範囲ならね。でもナディアだって、自分の試合を見られてることくらい分かってると思う。条件が知られたときの戦い方も考えてるんじゃないかな」
確かにそうだった。
こちらが相手を見るように、相手もこちらを見ている。
審判が鉄球使いの続行不能を確認し、ナディアの勝利を宣言した。一試合目より明らかに大きな歓声が起こり、昨日までほとんど誰にも知られていなかった《ナディア》という名前が観客へ少しずつ広がり始める。
それでも本人は歓声へ応えず、落ちた鎖を審判へ渡して試合場を出ていった。
その直後、第六区画でも大きな歓声が上がった。
フランの次の対戦相手を決める試合が終わったのだ。
勝ったのは、長い片刃剣を持つ青年だった。細身でフランより少し背が高く、青い上着の上から軽い革鎧を身につけている。右手に持つ剣はフランの短剣より遥かに長く、何より二試合を終えたはずなのに目立った傷がなかった。
「強そう……」
「二試合とも短かったからな」
戻ってきたオラクルが言う。
「名前はセド。地方で商隊の護衛をやってる剣士だ。派手な戦績はねえが、ここまで二試合、一発もまともにもらってない。得意技は間合いを潰させねえ《遠牙》って突きらしい」
リリィも先ほどの試合を思い返しているようだった。
「長い剣を持ってるのに、ぎりぎり届く場所では戦ってなかった。相手が一歩じゃ届かなくて、自分なら一歩で届く距離をずっと保ってたよ」
私はセドの長剣と、フランの短剣を見比べた。
フランが攻撃するには、相手の剣が届く範囲を必ず通らなければならない。バルドには手数で負け、ミレアには一撃の威力で負けていたけれど、今度はそもそもこちらの武器が届かない。
また最初から答えを探さなければならない相手だった。
やがて第六区画の残りの試合も終わり、係員が《予選通過決定戦》と書かれた大きな札を掲げた。
勝てば本戦三十二名。
負ければ、ここで終わる。
参加者用の入口から先にセドが現れ、反対側からフランも出てきた。左肩には白い治療布、右腕にも薄い包帯が巻かれている。二試合分の傷を抱えたフランに対し、セドはほぼ無傷だった。
「二試合とも長かったな」
「見てたんですか?」
「次に当たる可能性があったからな」
セドが長剣を抜く。
細い刃が陽光を反射した。
「悪いが、傷があるからって手加減はしない」
「そのほうが助かります」
フランも短剣を抜いた。
司会者が二人の名前を読み上げ、勝者だけが本戦へ進めることを告げると、観客席の歓声が一段大きくなった。
審判が腕を上げる。
「始め!」
開始と同時にフランが距離を詰めると、セドは下がるどころか長剣を最短の軌道で突き出した。
「《遠牙》」
派手な叫びではなく、呼吸と同じくらい静かな声だった。
鋭い剣先が胸へ迫り、フランは身体を横へずらして避ける。そのまま前へ入ろうとしたものの、セドは突きを最後まで伸ばし切らず、途中で剣を引いた。
「《三連封路》」
戻す動きが、そのまま横薙ぎへ変わる。
フランが頭を下げたところへ逆方向から二撃目が戻り、さらに逃げようとした場所へ三撃目が置かれた。
一撃一撃で倒すための技ではない。
フランが進める場所を順番に消し、最後には長剣の外側へ追い返すための連続剣だった。
一度目の接近が終わる。
二人の距離は、開始時とほとんど変わっていない。
二度目は右側から入ったが、セドも身体の向きを変えて正面を外さず、《遠牙》で踏み込みを止めてから《三連封路》へ繋いだ。
三度目、フランは踏み込む直前に一度止まり、突きを誘おうとする。
セドは動かなかった。
本当に間合いへ入るまで待っている。
「入れない……」
私は思わず呟いた。
セドは追いかけないし、大きく振りかぶることもない。フランが止まれば自分も止まり、近づいてきたときだけ最小限の動きで追い返す。派手ではないからこそ、崩すための隙が見つからなかった。
「来ないなら、こっちから行く必要はない」
セドが静かに言う。
挑発ではなく、予選を勝つための当然の判断だった。
フランは答えず、今度は真正面から入った。
結果は同じ。
ただし、下がる場所が少し違った。
次は左。
その次は斜め右。
何度も止められているのに、同じ角度からは入らない。
「フラン、距離だけ見てるんじゃない」
リリィが呟いた。
「どういうこと?」
「セドが、どの角度ならどの技を使うのか調べてる」
言われてから見ると、確かに違っていた。
真正面からなら《遠牙》。
右側から入れば、突きを少し外へ流してから《三連封路》。
左へ大きく回れば、最初から横薙ぎを置いて進路を塞ぐ。
セドは隙を見せていない。
でも、どこから来てもまったく同じ動きをするわけではない。
フランは突破できないまま、その違いを一つずつ拾っていた。
五度目の接近で、フランは左へ大きく回った。
セドも向きを変える。
フランが踏み込む。
横薙ぎ。
今までより早く下がる。
刃は届かない。
セドは追わない。
そこでフランが止まった。
「……そうか」
短剣を下げ、左手を身体の前へ出す。
今度は走らず、一歩ずつ歩き始めた。
「何する気?」
私が身を乗り出す。
フランは急がない。
一歩進んでも、まだ長剣の外。
もう一歩進むと、セドの剣先がわずかに上がった。
それでもフランは速度を変えず、相手が自分から攻撃する瞬間を選ばなければならない距離まで歩いていく。
「さっきまではフランが勢いをつけて入ってたから、セドはその動きに合わせて《遠牙》を出せたんだ」
リリィが二人を見ながら言う。
「フラン自身に前へ進む勢いがあるから、突きを避けても《三連封路》で次の場所へ追い込めた。でもゆっくり来られたら、セドが自分で撃つ瞬間を決めなきゃいけない」
長剣の間合いへ入った。
セドが突く。
「《遠牙》!」
フランは大きく避けなかった。
前へ出していた左手を剣の腹へ添え、横からわずかに押す。刃を止めるのではなく、自分の身体一つ分だけ軌道を外した。
剣先が脇を抜けるのと同時に、フランが一歩前へ進む。
セドはすぐに剣を引き、《三連封路》へ繋ごうとした。
フランは下がらない。
最初の横薙ぎへ頭を低くし、刃の下へ潜る。そのまま二撃目が戻るより早くさらに一歩進んだことで、初めてセドのほうが距離を作るために後ろへ下がった。
観客席から大きなどよめきが起きる。
「入った!」
まだ短剣は届かない。
それでも、ずっとフランだけが戻されていた距離が初めて崩れた。
セドの表情が変わる。
フランが追い、再び《遠牙》が放たれた。
今度も左手で剣の腹へ触れようとしたものの、セドはすでに対策していた。手首を返して刃の向きを変え、触れようとしたフランの左手の甲を浅く切る。
血が飛んだ。
フランは反射的に左手を引き、セドから距離を取った。手の甲には細い傷が走っているものの、指は動いている。それでも、今の一撃が偶然ではないことはセドの表情を見れば分かった。
「同じことはさせない」
セドは長剣を正面へ戻したが、今度はフランが近づいてくるのを待たなかった。
ここまでセドが守っていたのは、自分だけが攻撃できる距離だった。フランがそこへ入るたび《遠牙》で止め、《三連封路》で押し返せば、それだけで試合を支配できる。しかし、フランが剣の腹へ触れて突きの軌道を逸らし始めた以上、同じ場所に立ち続ければ、いつか短剣の間合いまで入られる。
だから、自分から崩しに来た。
「《三連封路》!」
長剣が横へ走る。
一撃目はフランの胸元を通り、身体を引いた先へ二撃目が斜めから重なった。フランが右へ逃れようとすると、最後の一撃がその進路を先回りするように振り下ろされる。
フランは短剣で受けた。
金属音が響き、傷の残る右腕が大きく沈む。
その瞬間には、セドがもう一歩前へ出ていた。
「《遠牙》!」
近い距離から放たれた突きに、フランは短剣を滑り込ませるように合わせた。刃同士が擦れ、火花が散る。完全には受け切れず、フランは後ろへ下がりながら剣先を外したものの、その一歩によって背後の境界線が近づいた。
「戦い方が逆になった……」
さっきまでは、どうにか長剣の内側へ入ろうとするフランをセドが待ち構えていた。
今は違う。
フランが攻略法を見つけたことで、セドのほうから間合いを潰しに来ている。長剣の長さを守りに使うのではなく、逃げ道を削るために使い始めたのだ。
「セドも変えたんだ」
私が言うと、リリィが頷いた。
「フランだけが相手を見てるわけじゃないからね。一度入られたなら、次は入られる前に潰す。そのほうがセドには安全だから」
さらに一撃。
フランは横へ避ける。
セドは深追いせず、剣先をフランの正面へ戻してから次の一歩を踏み出した。勢い任せに追いかけているわけではない。右へ逃げれば右側を削り、左へ動けば身体の向きを変え、フランが進める場所を少しずつ減らしていく。
白い境界線まで、あと三歩ほどしかない。
私は無意識に両手を握り締めていた。
「フラン、後ろ……」
聞こえるはずがない。
それでも言わずにはいられなかった。
セドが《遠牙》を放つ。
フランは身体を捻って避けたものの、今度は前へ出られない。すでに剣が引かれ、《三連封路》へ繋がっている。
一撃目を短剣で逸らす。
二撃目は頭を下げる。
しかし三撃目を避けるために、さらに後ろへ下がらされた。
あと二歩。
フランは一度だけ境界線を確認した。
その視線をセドも見逃さない。
「もう逃げ場はない」
セドが長剣を正面へ構える。
「次で終わらせる」
フランは答えなかった。
短剣を握る右手を一度開き、すぐに握り直す。ミレアの拳を受けた腕にはまだ痛みが残っているはずなのに、表情からは分からない。
その代わり、短剣の持ち方を変えた。
順手から逆手へ。
刃が腕の後ろへ隠れる。
「何する気?」
私は身を乗り出した。
セドも警戒したらしい。
すぐには踏み込まず、短剣の位置を確かめる。
フランが左手を前へ出す。
さっき剣の腹へ触れた手だ。
手の甲から血が流れている。
それでも指は開いていた。
「また剣を逸らすつもりか?」
セドが聞く。
フランは答えない。
一歩前へ出た。
境界から離れるためではない。
セドの間合いへ、自分から戻る。
セドが長剣を引く。
「同じ手は通じない!」
「うん」
フランが初めて答えた。
「だから、同じことはしない」
踏み込んだ。
セドの長剣が走る。
「《遠牙》!」
胸へ向かう一直線の突き。
フランは左手を伸ばした。
さっきと同じ。
セドが手首を返す。
剣の腹へ触れようとすれば、その手を切る。
でもフランの左手は、剣へ触れなかった。
寸前で止めた。
セドの刃だけが、左手を狙ってわずかに外へ動く。
「誘った!」
リリィが声を上げた。
フランが身体を沈めた。
本来なら胸を貫くはずだった剣先が肩の上を抜ける。
そのままセドの懐へ飛び込む。
でもセドも止まらない。
「《三連封路》!」
長剣を引く。
近距離から横薙ぎへ繋げようとする。
その瞬間、フランの右腕が動いた。
逆手に持っていた短剣の刃が、白く輝く。
今までより強い光だった。
「――《ドゥー・アライズ》!」
フランはセドの長剣へ真正面から短剣をぶつけなかった。
下から斜めに刃を滑り込ませ、横薙ぎへ移ろうとしていた長剣の根元近くを跳ね上げる。
甲高い金属音が響いた。
セドの腕が上へ流れる。
長剣は手から離れない。
それでも《三連封路》の一撃目が崩れた。
二撃目へ繋がらない。
初めて、セドの連続剣が途中で切れた。
フランがさらに踏み込む。
短剣の間合い。
ついに入った。
「まだだ!」
セドは空いた左手でフランの肩を押そうとした。
狙われたのは傷のある左肩。
フランは避けなかった。
身体を半身にし、肩ではなく腕の外側で受け流す。
そのままセドの横へ抜けようとする。
セドも身体を回した。
長剣が戻ってくる。
「《遠牙・返し》!」
通常の《遠牙》とは逆。
引いた剣を、振り返りながら後方へ突き出す。
フランの脇腹へ剣先が迫った。
「フラン!」
避けきれない。
そう思った。
フランの足が石床を強く蹴った。
短剣の光が、一瞬だけ視界へ残る。
「《レイ・シフト》!」
消えたわけではなかった。
踏み込む方向を途中で変え、セドの身体の回転と同じ側へ一気に回り込んだのだ。
セドからすれば、背後へ逃げたはずのフランが、自分の回転についてくるように死角へ残る。
《遠牙・返し》が空を貫く。
セドが目を見開いた。
フランはすでに右側にいた。
短剣を順手へ戻す。
白い光が刃を包む。
「《インセント・フラッシュ》!」
踏み込みと斬撃がほとんど同時だった。
白い線が走る。
セドも反応した。
長剣を引き戻し、フランの短剣を受ける。
激しい金属音。
光が弾ける。
二人の武器がぶつかり合ったまま止まった。
「止めた!」
私が叫ぶ。
でもリリィは違う場所を見ていた。
「違う。フランの狙い、剣じゃない!」
インセント・フラッシュは止められた。
ただし、フランは最初からセドの身体を斬るつもりではなかった。
短剣を長剣へぶつけた瞬間、フランはその反発を使って自分の身体を左へ流していた。
セドの剣は右へ押される。
ほんの一瞬だけ、身体の正面が空く。
フランの左手がセドの服を掴んだ。
「なっ――」
フランは斬らない。
自分の身体を低くしながら、セドの前足の外側へ足を掛ける。
引く。
セドの体勢が崩れた。
倒れまいと後ろへ一歩。
その踵が、白い境界線を越えた。
「え?」
セド自身が先に気づいた。
観客席も一瞬遅れて静まる。
フランはすぐに手を離し、短剣を下げた。
審判が境界線へ走る。
セドの右足は試合場の中。
でも左足は、完全に外へ出ていた。
「場外!」
審判が大きく腕を上げた。
「勝者――フラン! 本戦進出!」
その瞬間、私は立ち上がった。
歓声が闘技場を揺らす。
メリーが頭上で飛び跳ね、オラクルまで煙草を咥えたまま目を細めていた。
「勝った……!」
ただ強い技を当てて倒したわけではない。
最後までセドのほうが長い武器を持っていた。
真正面から斬り合えば、不利なのは変わらない。
だからフランは、長剣を攻略することだけを考えた。
何度も違う角度から入り、セドがどこで《遠牙》を使い、どう《三連封路》へ繋ぐのかを確かめた。剣の腹へ触れる方法を一度見せ、それをセドが対策したことまで利用して、二度目は触れるふりだけで剣先を外へ誘った。
そこで《ドゥー・アライズ》を使い、初めて連続剣そのものを途中で断ち切った。
さらに《レイ・シフト》で死角へ入り、《インセント・フラッシュ》を防がせることで長剣の位置を固定する。
最後に狙ったのは、身体ではなく境界線だった。
「最初から場外を狙ってたのかな」
私が呟くと、リリィは少し考えてから首を横へ振った。
「たぶん途中から。セドが自分から攻め始めて、境界の近くまで来たから使えるようになったんだと思う」
それがフランらしかった。
最初から全部分かっていたわけではない。
戦いながら見つけたものを、一つずつ最後の勝ち方へ繋げた。
試合場では、セドが境界線の外にある自分の足を見ていた。
しばらく黙ったあと、長剣を鞘へ戻す。
「……参ったな」
フランも息を整えながら短剣を下ろした。
「危なかったです」
「最後まで斬り倒しに来ると思ってた。まさか俺が守ってた間合いを崩したあと、場外へ出されるとは思わなかったよ」
セドは苦笑し、手を差し出す。
「本戦、行ってこい」
「はい」
二人が握手を交わした。
私はもう一度、大きく手を振る。
「フラーン!」
今度は聞こえたらしい。
フランがこちらを見上げた。
三本の指を立てる。
私も同じように三本立てた。
三勝。
本戦進出。
フランが本当に三百人を超える参加者の中から、三十二人まで残った。
嬉しかった。
それと同時に、別のことを思い出す。
老人。
予選が終わった。
今度こそ話を聞ける。
そう思って通路のほうを見ると、さっきまで壁際にいた老人の姿がなかった。
「オラクル」
「分かってる」
オラクルもすぐに気づいたらしい。
「銀鹿亭だ。約束通りなら、そこにいる」
フランも試合場から退場しようとしていた。
その腰では、三つの技を放った短剣がまだ淡い光を残している。
あの剣を知る老人が待っている。
そして、その老人はフランの足運びまで誰かに似ていると言った。
本戦進出の喜びでいっぱいだった胸の中に、別の緊張が戻ってくる。
大会はまだ終わっていない。
むしろフランにとって、本当に知りたかったものはこれからなのかもしれなかった。




