第122話 予選開幕
「これより――武道大会、予選を開始いたします!」
司会者が高く掲げた腕を振り下ろした瞬間、巨大な闘技場を埋め尽くす観客から歓声が噴き上がった。
何万人いるのか分からない声が石造りの観客席へ反響し、中央の試合場へ降り注ぐ。昨日は一つの広大な空間だった闘技場も、今日は白い境界壁によって八つの予選区画へ分けられ、それぞれに審判と治療班が配置されていた。
参加者たちは番号ごとに指定された入口へ分かれている。剣、槍、斧、杖、弓。同じ大会へ出場する者たちなのに武器も服装も身体つきも違い、試合が始まる前から視線を向ける場所に困るほどだった。
「フランは?」
私は三百人を超える参加者の中から見慣れた姿を探した。
「二百三十七番だから、第六区画」
リリィが迷わず指差す。
視線を追うと、参加者用通路の前にフランがいた。周囲には巨大な剣や槍を持った参加者が多いため、短剣一本だけを腰に差した姿はむしろ目立たない。
「フラーン!」
私は両手を口元へ添えて叫んだ。
前の席にいた人が驚いて振り返ったけれど、構わず手も振る。
「この人数じゃ聞こえないと思うよ」
「やってみないと分かんないでしょ!」
リリィへ言い返したところで、フランが観客席を見上げた。
一度周囲を探し、こちらを見つける。
小さく手を上げた。
「ほら!」
「声じゃなくて動きで気づいたんじゃない?」
「見つかったなら同じだよ!」
頭上のメリーまで嬉しそうに両手を振り、フランは少し笑ってから待機場所へ戻った。
あの短剣を、今日から大勢の前で使う。
勝ち残ればフランを見る人が増え、短剣を知る人間が現れる可能性も高くなる。それを望んでここまで来たはずなのに、実際にその瞬間が近づくと胸の奥が落ち着かなかった。
勝ってほしい。
でも、大怪我はしてほしくない。
故郷へ繋がる手掛かりが見つかってほしい。でも、その手掛かりの先にいる相手がフランの敵なら、見つからないほうがいいのかもしれない。
答えの出ないことを考えているうちに、最初の鐘が鳴った。
八つの区画で、次々と試合が始まる。
一番近い試合場では、巨大な斧を持った男と細身の槍使いが向かい合っていた。斧の男は開始と同時に右足を大きく踏み込み、全体重を乗せた一撃を振り下ろす。
槍使いは受けなかった。
斧が落ちるより先に斜め前へ入り、刃が石床を叩いた瞬間には男の側面へ抜けている。そのまま槍の石突きを膝裏へ当てて体勢を崩し、振り向こうとした男の喉元へ穂先を止めた。
開始から十秒も経っていない。
「勝者!」
審判の声に観客席が沸いた。
「速い!」
思わず立ち上がる私とは違い、リリィは倒れた男ではなく石床に残った足跡を見ていた。
「斧を振る前に、右足をあれだけ大きく出してたからね。槍の人は斧じゃなくて、踏み込みを見てた」
次の区画では魔法使い同士が戦っている。
火球を連続して放つ男に対し、相手は小さな土壁を何枚も作った。一発ずつ正面から防ぐのではなく、左右へ壁を増やして火球を撃てる角度を狭め、最後には残された方向へ男が杖を向けた瞬間、足元から土の柱を伸ばして武器を弾き飛ばす。
力だけではない。
相手が何をするのか見て、その人が一番戦いにくい形へ追い込んでいく。
「武道大会って、もっと強い技をどーんってぶつけるのかと思ってた」
「そういう試合もあると思うよ。でも相手も強いなら、簡単には当たってくれないから」
リリィの言葉を聞きながら第六区画を見る。
フランの前には、まだ何組かいた。
一試合終わる。
待機線を一つ進む。
さらに一試合。
またフランの順番が近づく。
私は別の戦いを見ながらも、何度も第六区画へ視線を戻していた。
その途中、第四区画で灰色の外套が動く。
「あ」
ナディアだった。
昨日と同じ細い仮面をつけ、暗い茶色の髪を帽子の中へ隠している。両腕は長い袖と手袋に覆われ、今日も武器を持っていなかった。
対戦相手は、大きな丸盾と片手剣を持つ男だった。
「第四区画、参加番号百八十二、ガゼル! 対するは、参加番号二百一、ナディア!」
ガゼルの名には観客の一部が反応したものの、ナディアを知っている人はほとんどいないらしい。
二人が中央へ進む。
ガゼルは丸盾を前へ出し、剣を身体の右側へ隠すように構えた。盾で進路と視界を塞ぎ、近づいたところで剣を使うつもりなのだろう。
対するナディアは、両腕を自然に下ろしたままだった。
審判の腕が下がる。
ガゼルはすぐには斬りかからず、盾を前にしたまま間合いを詰めた。最後の一歩で右足を強く踏み込み、身体ごと盾を突き出す。
ナディアは半歩だけ左へずれた。
盾が外套の横を抜ける。
ガゼルは止まらない。そのまま腰を回し、盾の陰に隠していた剣を横へ振った。
ナディアは上半身を後ろへ倒す。
刃先が胸元すれすれを通過した。
続けて斜めの斬撃。
右へ外れる。
盾で押せば、一歩後ろへ下がる。
ガゼルの攻撃は速かった。避けられた直後には次の手へ移り、剣と盾を交互に使って逃げる場所を狭めている。
それなのに、ナディアには一度も届かない。
「何で全部分かるの?」
「昨日と同じ」
リリィが身を乗り出した。
「剣を見てない。足と腰を見てる」
私も目を凝らす。
ガゼルが右足へ体重を移した時点で、ナディアはもう動き始めている。肩が回る前に身体をずらしているから、剣が来たときには攻撃の軌道から外れていた。
「攻撃されてから避けてるんじゃないんだ」
「たぶん、攻撃が始まる前を見てる」
ガゼルにも読まれていると分かったらしい。
一度大きく距離を取った。
盾の陰で呼吸を整え、今度は右足だけをわずかに前へ動かす。
ナディアが左へ重心を移した。
でも、ガゼルは踏み込まない。
誘った。
ナディアが左へ動いた瞬間、ガゼルは右足を戻しながら身体を逆へ回し、隠していた剣を一気に振り抜いた。
逃げる先へ刃が来る。
「危ない!」
剣がナディアの脇腹へ迫った。
その瞬間、右手が動いた。
大きく振ったわけではない。
剣を握るガゼルの手首へ、手袋の甲がほんの一瞬触れただけに見えた。
直後、金属音が響く。
ガゼルの剣が手から離れ、何回転もしながら石床へ落ちた。
右腕まで大きく外側へ流れ、ガゼル自身が驚いたように手を見ている。
「今、触ったよね?」
「たぶん。でも、あれだけじゃ剣が飛ぶほどの力には見えない」
リリィが眉を寄せる。
ガゼルは自分の腕を確かめ、今度は盾を両手で持った。
剣を失っても諦めない。
低く構え、そのまま身体ごと突進する。
さっきまでより明らかに速い。
足だけでなく腰と肩まで前へ入れ、全身の力を盾へ乗せている。
ナディアは避けなかった。
初めて自分から一歩前へ出る。
ぶつかる寸前、左手を盾の表面へ添えた。
押したようには見えなかった。
それなのに次の瞬間、ガゼルの身体が前ではなく斜め下へ崩れた。
両腕が急に沈み、盾へ込めていた勢いそのままに肩から石床へ叩きつけられる。重い盾が床へぶつかり、乾いた衝撃音が観客席まで届いた。
私はさっきの剣の場面を思い返した。
「二回とも、ガゼルが強く力を入れたときだ」
リリィが私を見る。
「うん。普通に攻撃してたときは避けてた。でも、剣を振り抜いたときと、全身で盾を押したときだけ触った」
相手が強く動いた直後に、その本人の身体が大きく崩れる。
何かはある。
でも、それだけではまだ答えにならない。
審判がガゼルへ駆け寄った。
本人は起き上がろうとしたものの、右肩を押さえたまま立てない。
「続行不能! 勝者、ナディア!」
歓声は一拍遅れて爆発した。
派手な魔法も使っていない。
武器すら持っていない。
それなのに、盾と剣を持った男がほとんど何もできないまま倒された。
ナディアは歓声へ応えず、落ちた剣を拾って審判へ渡す。それから倒れたガゼルへ軽く頭を下げ、灰色の外套を揺らしながら試合場を出ていった。
「強いね」
私が言うと、リリィはすぐには頷かなかった。
「強い。でも、まだ何をしてるのか分からない」
それが一番気になった。
そのときだった。
「フール」
リリィが第四区画から視線を外す。
「次だよ」
第六区画を見る。
フランの前にいた参加者がいなくなっていた。
待機線の一番前に、フランが立っている。
胸の奥が一気に大きく鳴った。
係員が金属札を確認し、《二百三十七》の札を掲げる。
フランが試合場へ入った。
私は反射的に立ち上がったものの、今度は名前を叫ばなかった。
さっきまで観客席へ笑っていたときとは顔が違う。
腰の短剣へ手を添え、向かい側の入口だけを見ている。
そこから現れたのは、フランより頭一つ大きな男だった。
厚い革鎧を身につけ、剥き出しの両腕には細かな傷が無数に走っている。左右の手には幅広の短剣が一本ずつあり、どちらもフランの武器より少し長い。
男はフランの腰を見ると、口元を歪めた。
「一本か」
フランは答えなかった。
男――バルドが左右の短剣を逆手へ持ち替え、身体を低くする。
右からでも左からでも入れる構え。
それを見て、リリィが小さく呟いた。
「短剣同士なら、距離が近い」
「フランも一本しかないよ」
「だから、一回中へ入られたら二本目が怖い」
片方を止めても、もう片方が来る。
フランはそれを分かっているはずだ。
司会者の声が響く。
「第六区画! 参加番号二百三十七、フラン! 対するは参加番号百九十四――双刃使い、バルド!」
周囲から声が上がった。
「バルドか!」
「去年、本戦手前まで行った奴だぞ」
胸がきゅっと縮む。
初戦から簡単な相手ではない。
バルドはフランを中心にするように、ゆっくり左へ動き始めた。
フランも正面を崩さず、同じだけ足をずらす。
まだ距離がある。
バルドが右の短剣を一度振った。
届かない。
牽制だ。
フランは反応しない。
今度は左。
それにも動かない。
「見てる」
リリィが言った。
「どっちが本当に来るか」
バルドの笑みが少し薄くなった。
「落ち着いてんな」
フランが短剣を抜く。
鞘から現れた刃が陽光を受け、白い光を返した。
その瞬間、観客席のどこかで声がした。
「……あの剣」
私は気づかなかった。
フランしか見ていなかったからだ。
バルドが両手の短剣を身体の前で交差させた。
審判が二人の間へ入る。
「双方、準備はいいな?」
バルドが頷く。
フランも短く答えた。
審判が後ろへ下がり、右腕を高く上げる。
闘技場の歓声が遠ざかったように感じた。
私の手には、いつの間にか力が入っている。
腕が振り下ろされた。
「始め!」
先に動いたのはバルドだった。
二本の短剣を低く構え、一直線に間合いを詰める。
フランは下がらない。
あと三歩。
二歩。
バルドの右肩がわずかに前へ出た。
右の短剣が来る。
そう思った瞬間、フランが左へ半歩ずれた。
でも、バルドの右手は動かなかった。
「フェイント!」
リリィの声と同時に、左の短剣が下から跳ね上がる。
フランは身体を反らし、刃を胸元すれすれで避けた。
そこへ本命の右。
避けた先を狙って、横薙ぎが追ってくる。
フランの短剣が動いた。
甲高い金属音。
右の刃を受ける。
その瞬間、バルドの左手が戻ってきた。
「もう一本!」
私は叫んだ。
近い。
受けている右の短剣が邪魔で、フランは自由に動けない。
左の刃が脇腹へ迫る。
フランは受けなかった。
右手の短剣を強く押し込み、バルドの右腕ごと外側へずらす。その反動を使って身体を半回転させ、左の刃を背中すれすれで通過させた。
二人の位置が入れ替わる。
フランが一歩離れる、すぐに短剣を構え直した。
バルドも追わない。
最初の攻防だけで互いの位置を確かめるように、二人は数歩の距離を空けて向かい合った。
観客席から遅れて歓声が上がる。
私は息をするのを忘れていたことに気づき、大きく息を吸った。
「今の危なかった……」
「でも、フランも一つ見た」
リリィは試合場から目を離さない。
「何を?」
「バルドは右を見せて左を当てた。でも、その次は必ず右が来た。二本あるから好きに攻撃してるんじゃなくて、片方で相手を動かして、もう片方を当てる戦い方なんだと思う」
言われて、最初の攻防を思い返す。
右を見せる。
左を振る。
フランが避けた場所へ右を重ねる。
一本目は倒すための攻撃ではなく、二本目を当てるために相手を動かしていた。
バルドが再び構えた。
今度は右の短剣を前、左を腰の近くへ置いている。
フランは短剣の切っ先をわずかに下げた。
「来ねえのか?」
バルドが挑発する。
フランは答えない。
先に動いたのは、またバルドだった。
一歩目は速い。
二歩目で身体を低くし、右の短剣をフランの顔へ向ける。
フランが左へ動いた。
さっきと同じ。
私はそう思った。
でも今度は、フランの動きが途中で止まった。
右の短剣は振られない。
やっぱりフェイント。
バルドの左手が動く。
下から来る。
その瞬間、フランが前へ出た。
「えっ?」
避けると思っていた。
バルドも同じだったらしい。
左の短剣を振り上げるために開いた懐へ、フランが身体ごと入り込む。
短剣同士なら、近づけば近づくほど危険になると思っていた。
でも、近すぎれば振れない。
バルドの左腕が途中で止まる。
フランは肩を相手の胸へ当て、そのまま押し込んだ。
バルドが一歩下がる。
そこへフランの短剣が走る。
狙ったのは身体ではなかった。
右手。
金属音が響き、バルドの短剣が外側へ弾かれる。
それでも手放さない。
バルドは体勢を崩しながら左の刃を横へ振った。
フランが頭を下げる。
刃が髪の上を通り過ぎる。
フランはそのまま低い姿勢からバルドの右側へ抜けた。
今度は追わず、すぐに距離を取る。
「一回目と違う……」
私は試合場へ身を乗り出した。
最初はバルドの連続攻撃を受けてから抜けた。
二回目は、二本目が動く前に中へ入った。
「もう分かったんだ」
リリィが言った。
「バルドが何をしたいのか」
バルドの表情から笑みが消えていた。
フランを見る目が変わっている。
「なるほどな」
左右の短剣を持ち直す。
「一回見ただけで入ってくるか」
フランが初めて答えた。
「二本とも同時には振れないからね」
「当たり前だろ」
「うん。だから、一本目を避けたあとに逃げる必要もない」
バルドの眉が動く。
私は少し遅れて意味を理解した。
二本あることばかり怖がっていた。
でも腕も二本しかない。
右を振っている間、左は次の攻撃を準備する。
左を振れば、今度は右を戻さなければならない。
二本の刃が怖いのではなく、その順番に捕まることが怖い。
だったら、順番そのものを崩せばいい。
「フラン、すごい……」
嬉しくなった。
でも、バルドもそれで終わるような相手ではなかった。
「なら、順番をなくせばいいだけだ」
両手の短剣を逆手に持ち替える。
今度は腕を身体へ引きつけた。
さっきまでとは構えが違う。
バルドが走る。
右。
フランが避ける。
左が来る。
そこまでは同じだった。
フランが懐へ入ろうとする。
その瞬間、バルドの右膝が跳ね上がった。
「っ!」
フランが腕で受ける。
鈍い音がした。
身体が後ろへ押される。
そこへ左の短剣が来た。
フランは短剣で受けたけれど、完全には止められない。
刃先が肩の布を裂いた。
「フラン!」
赤い線が見えた。
血。
胸が締めつけられる。
でもフランは倒れない。
後ろへ跳んで距離を取り、左肩を一度確認する。
浅い。
それでも怪我は怪我だ。
バルドが追う。
「短剣だけ見てんじゃ遅えぞ!」
右の刃。
左の刃。
今度はその間に蹴りが混じる。
二本の武器だけではない。
肘。
膝。
肩。
身体全部を使って距離を潰しに来る。
フランは受け続けた。
金属音が何度も重なる。
一歩下がる。
また一歩。
境界壁が近づいている。
「まずいよ!」
この大会は場外でも負ける。
フランの後ろには、もう十分な距離がない。
バルドも分かっている。
だから攻撃を止めない。
右の短剣で上を塞ぎ、左を低く走らせる。フランが左を避ければ、今度は膝で身体を押し込む。
少しずつ。
確実に。
境界へ追い込んでいる。
「フラン、後ろ!」
叫んでも届かない。
フランの踵が白い境界線へ近づく。
あと一歩。
バルドが笑った。
「終わりだ!」
右の短剣を大きく振った。
フランは受ける。
金属音。
そのまま左が来る。
フランは下がった。
足が境界線へ――。
出ない。
後ろではなく、斜め右へ踏み込んだ。
バルドの左の刃が空を切る。
フランは境界線ぎりぎりを横へ走った。
「逃がすか!」
バルドが追う。
その瞬間、フランの身体が反転した。
逃げていたはずなのに、今度は自分からバルドへ向かっていく。
二人の距離が一気に消える。
バルドの右手が動く。
フランはそれを見ていた。
短剣同士がぶつかる。
でも、押し合わない。
刃を滑らせる。
バルドの右の短剣が外へ流れる。
次に来る左腕が動き始めた。
フランはそこへ自分の左手を伸ばした。
手首を掴む。
「なっ――」
初めてバルドの動きが完全に止まった。
右の短剣は外へ流され、左手首は掴まれている。
二本とも使えない。
フランの右手には短剣が残っている。
刃先がバルドの喉元へ向かった。
止まる。
皮膚へ触れる寸前だった。
闘技場の音が、一瞬だけ消えたように感じた。
審判が腕を上げる。
「そこまで!」
次の瞬間、大歓声が爆発した。
「勝者――フラン!」
私は立ち上がっていた。
「やったあああっ!」
今度は前の人が振り返っても気にならなかった。
メリーも私の頭上をぐるぐる飛びながら喜んでいる。
『勝った! フラン勝った!』
「勝ったよ!」
思わずリリィの腕を掴む。
「見てたから分かってる」
そう言いながらも、リリィも少し笑っていた。
試合場ではフランがバルドの手首を離し、短剣を下ろしている。
バルドはしばらく喉元を見たあと、大きく息を吐いた。
「完敗だ」
「途中、かなり危なかったよ」
「勝った奴が言うと嫌味だぞ」
そう言いながらも怒ってはいなかった。
二人は短く言葉を交わし、バルドが先に試合場を出ていく。
フランも短剣を鞘へ戻した。
そのときだった。
観客席の一角で、一人の老人が立ち上がった。
白髪交じりの髪。
古びた外套。
腰には剣を差している。
その人はフランではなく、鞘へ戻された短剣を見ていた。
「……まさか」
周囲の歓声に消えそうな声だった。
私は聞いていない。
でも、老人の隣にいた男が尋ねる。
「どうした?」
老人は答えなかった。
ただ、試合場から去っていくフランの背中を追っている。
「あの光……」
老人の表情が変わった。
「見たことがある」
その頃、私はまだ何も知らず、フランへ向かって何度も手を振っていた。
フランが観客席を見上げる。
こちらを見つけ、少し照れたように手を上げた。
肩には小さな傷がある。
それでも勝った。
「一勝!」
私が指を一本立てる。
遠くからでも意味が分かったらしい。
フランも同じように指を一本立てた。
予選突破までは、まだ先だ。
けれど、最初の一勝は手に入れた。
そしてフラン自身がまだ気づかないところで、光る短剣を見た一人の人間が動き始めようとしていた。




