第121話 強者の集まる街
翌朝、馬小屋の小さな窓から差し込んだ光で目を覚ますと、最初に見えたのは干し草を頭に載せたオラクルだった。
柵の向こうでは馬たちがすでに起きており、鼻を鳴らしたり蹄で床を叩いたりしている。フランは壁際で短剣の手入れを済ませ、リリィも入口近くで荷物をまとめていた。
「オラクル、頭に草生えてるよ」
「ん?」
前足で頭を払うと、干し草が何本も落ちた。
「馬小屋なんだから仕方ねえだろ」
「昨日は悪くないって言ってたのに」
「寝床として悪くねえのと、頭から草生やして街歩きてえかは別問題だ」
朝からいつもの調子だった。
笑いながら身体を起こすと、肩の近くで丸くなっていたメリーも目を覚まし、眠そうに羽を広げる。
今日は、いよいよ武道大会の開催都市へ入る。
大会開始は明日。
そう思っただけで眠気が消えた。
簡単な朝食を済ませ、私たちは宿場町を早めに出た。昨日とは違い、オラクルに急かされなくても自然と歩く速度が上がる。大会へ向かう旅人は朝から多く、武器を背負った参加者だけでなく、見物客を乗せた馬車や商品を山ほど積んだ商人まで同じ方向へ連なっていた。
オラクルはもう車椅子を使っていない。賞金稼ぎの村を出る前に返しており、久しぶりに自分の四本の脚で歩いている。怪我はかなり回復したらしく、ときどき街道の先まで走って様子を確認しては、何事もなかったように戻ってきた。
「最初から歩けたんじゃないの?」
「怪我人に歩かせる気だったのか、お前は」
「昨日まで押してもらってたじゃん」
「使えるもんは使う。それが賢い大人ってもんだ」
「楽したかっただけでしょ」
「細けえな」
そんな話をしながら一時間ほど歩いた頃、街道の先に大きな石造りの塔が見えた。
その左右には高い城壁が伸び、さらに奥から、巨大な円形の建物が頭一つ抜けている。
私は思わず足を止めた。
「あれ……もしかして会場?」
フランも目を細める。
「たぶんね」
遠くからでも大きいとは思った。
でも、近づくほど感覚がおかしくなった。
円形の闘技場は周囲の建物より遥かに高く、外周には巨大な柱が何十本も並んでいる。その間から各国のものらしい色とりどりの旗が垂れ、中央の高い塔では、二本の剣を交差させた大会旗が風を受けていた。
「本当にあそこで戦うの?」
「受付が通ればね」
「フラン、緊張してきた?」
「まだ街にも入ってないよ」
そう答えながらも、フランの目はずっと闘技場へ向いている。
私は少し笑った。
緊張していないわけではない。
でも、それ以上に楽しみなのだと思う。
街の門へ近づくと、今度は人の多さに驚かされた。
入口の前には何本もの列ができ、《大会参加者》《一般入場》《商業許可》と進む場所まで分けられている。武器を持った人だけでも数え切れず、聞いたことのない言葉を話す集団や、見たことのない紋章をつけた兵士までいた。
「はぐれるなよ」
オラクルが振り返る。
「特にフール」
「なんで私だけ?」
「聞く必要あるか?」
「あるよ!」
言い返した瞬間、通りの向こうから焼いた肉の匂いが流れてきた。
大きな串肉を並べた屋台が見える。
「……」
「今そっち見ただろ」
「見るくらいいいでしょ!」
リリィが隣で小さく笑った。
「手でも繋いどく?」
「十歳だけど一人で歩けるよ!」
「年齢は認めるんだ」
「そこは本当だからね!」
ようやく門を抜けると、昨日の宿場町とは比べものにならない景色が待っていた。
大通りの両側には露店が隙間なく並び、武器、防具、食べ物、参加者の名前が書かれた応援旗まで売られている。建物の窓や屋根にも大会旗が飾られ、呼び込みの声と観客の話し声が絶えず重なっていた。
ただのお祭りとは少し違う。
通りを歩いている人の中には、明らかに空気の違う者がいる。
大きな斧を担いだ男が通れば、その前だけ人混みが自然に割れる。細身の女が腰に差した二本の剣へ手を触れただけで、近くの参加者が距離を取る。
強い人が集まっている。
私にも、それだけは分かった。
「すごいね……」
『人いっぱい!』
メリーが頭上を飛ぶ。
リリィは楽しむより先に周囲を確認していた。
「フール、本当に離れないでね。この人数だと、見失ったら探すの大変だから」
「分かってる」
今度は素直に答えた。
探す側がどれだけ大変なのかは、少し分かるようになったからだ。
私たちはまず闘技場の参加受付へ向かった。
正面入口とは別に参加者専用の建物があり、その前にも長い列ができている。入口には大会規則が大きく掲示されていた。
武器の使用は認められる。
相手の死亡を目的とした攻撃は禁止。
降参、戦闘不能、場外、審判による続行不能判定で決着。
予選通過者が本戦へ進み、本戦からは一対一。
私は最後まで読み、フランを見る。
「武器、本当に使うんだね」
「武道大会だからね」
「治療班がいるって書いてあるけど、治す前は痛いよ」
「そこはどうにもならないかな」
フランは笑っている。
私は少し心配だった。
でも、フランが大会へ出る理由も知っている。
勝ち残れば、多くの人がフランを見る。
故郷について知っている人がいるかもしれない。
TIMEの情報を持っている者がいるかもしれない。
そして何より、フランが使う光る短剣を知っている人間が、この大勢の中にいるかもしれない。
「フラン」
「何?」
「いっぱい勝ってね」
「急だね」
「勝ったほうが、たくさんの人に見てもらえるでしょ。短剣を知ってる人がいたら、向こうから気づいてくれるかもしれない」
フランは腰の短剣へ目を落とした。
兄が使っていた剣を打ち直したもの。
故郷のことへ繋がる、数少ない手掛かりの一つだ。
「僕も同じことを考えてた」
フランが柄へ手を置く。
「だから大会では隠さず使うつもりだよ」
「もし、故郷を滅ぼした人まで見てたら?」
「その可能性もあるね」
「怖くない?」
少し間があった。
「怖くないって言ったら嘘になる。でも、ずっと探してきたから」
フランは闘技場を見上げた。
「僕が見つけられないなら、向こうから僕を見つけてもらってもいい」
静かな声だった。
でも、迷っているようには聞こえなかった。
私は簡単に「大丈夫」とは言わなかった。
何が起きるかなんて分からない。
だから代わりに言う。
「じゃあ、私もちゃんと見てる」
フランが笑った。
「うん。お願い」
フランが受付列へ並び、私たちは少し離れた場所で待つことになった。
オラクルは早くも周辺の情報屋や賭け屋の看板を確認している。リリィは受付を待つ参加者たちを、露骨にならない程度に眺めていた。
「何見てるの?」
「武器と歩き方。あとは手」
「手?」
「武器を使う人なら、よく使う場所に跡が残ることがあるから。でも、それだけで強さまでは決められないよ」
私は参加者を見回した。
大剣を背負った人。
杖を持った人。
武器らしいものを持っていない人。
その中で、一人だけ妙に目につく参加者がいた。
派手だからではない。
むしろ逆だった。
灰色のゆったりした外套。
目元を隠す細い仮面。
帽子の下から覗く暗い茶色の髪。
両腕は長い袖と手袋で完全に覆われ、武器らしいものも見当たらない。
周囲には筋骨隆々の戦士や派手な装備の参加者が大勢いるのに、その人物だけが大会へ出る人間には見えなかった。
それなのに、誰かと肩が触れそうになる前に半歩ずれ、人混みの中を一度も立ち止まらず進んでいる。
避けたというより、最初から人がどこへ動くか分かっていたような歩き方だった。
「リリィ」
「見てる」
私が言う前に返された。
「強い人?」
「分からない」
リリィは灰色の外套を目で追った。
「ただ、歩く音がほとんどしない」
受付の順番が来る。
灰色の人物が書類を差し出した。
係員が内容を確認し、何でもないことのように読み上げる。
「参加名、ナディア。武器登録なし。間違いありませんね?」
外套の人物が頷いた。
帽子の影から見える口元が、ほんの少しだけ笑ったように見えた。
次の瞬間には参加証を受け取り、列から離れていく。
それだけだった。
誰も騒がない。
係員も止めない。
周囲の参加者も気にしていない。
「武器ないのに出るんだ」
「格闘か魔法かもしれないよ」
リリィはそう答えたけれど、遠ざかる背中をもう一度だけ見た。
私も少し気になった。
でも、分からないものは分からない。
名前だけ覚えておくことにした。
ナディア。
やがてフランも受付を終えて戻ってきた。
手には小さな金属札がある。
《二百三十七》。
「二百三十七番!?」
思わず大きな声が出た。
「僕より後ろにもまだいるよ」
受付列を見ると、本当に終わりが見えない。
「こんなに出るの?」
「予選でかなり減らすみたいだね」
大会規則によれば、参加者は複数の予選区画へ分けられ、そこを勝ち残った者だけが本戦へ進める。明日の朝に組分けが発表されるため、今の段階ではフランが誰と戦うのか分からない。
それでも、大会が始まる前にできることはある。
「情報集めだ」
オラクルが戻ってくるなり言った。
「やっぱり?」
「当たり前だ。フランの相手になりそうな奴、大会に来てる賞金稼ぎ、TIMEの噂。それにお前の親の手掛かり。これだけ各地から人が集まってんだぞ」
私は屋台のほうを見た。
甘そうな焼き菓子。
大きな肉。
果物を凍らせた飲み物。
「その前に一個だけ――」
「駄目だ」
「まだ最後まで言ってないよ!」
「顔で分かる」
リリィまで笑っていた。
結局、私たちは闘技場近くの情報掲示場へ向かった。
壁一面に過去の大会記録や公開されている参加者の戦歴、各地の武術流派に関する紙が貼られている。そこには前回大会の本戦結果まであり、何人もの参加者が有名選手の名前を指差して話していた。
フランは対戦相手になりそうな参加者を確認し、オラクルは情報屋へ話を聞きに行く。リリィは賞金稼ぎ向けの掲示を見ていた。
私は各地の地名が並ぶ紙を眺めた。
「十年前の情報は、さすがにないよね」
「ここは大会の掲示場だからね」
リリィが隣へ来た。
「でも、ここに来てる人は使える」
「使える?」
「北の国、西の都市、港町、国境近く。いろんな場所から人が来てるでしょ。ただ、今すぐ片っ端から聞く必要はないよ。フールがどこで生まれたのか、誰がおばあちゃんへ預けたのか、その辺りを少しでも絞ってからのほうがいい」
「うん」
急いだから見つかるわけではない。
そのことも、少しずつ分かってきた。
掲示場の反対側で歓声が起きた。
人だかりの中心にいたのは、昨日の宿場町で見た大剣の男だった。
前回大会の上位入賞者。
背中の巨大な剣だけでも目立つのに、本人は騒がれてもほとんど表情を変えず、大会記録を確認している。
「今年の優勝候補の一人らしいぞ」
戻ってきたオラクルが言った。
「前回は準決勝まで行ってる。正面からの打ち合いじゃ、相当強えって話だ」
フランが男を見る。
「戦ってみたい?」
私が聞くと、少しだけ笑った。
「うん」
やっぱりだった。
私は呆れながらも、少し嬉しかった。
フランが勝ち残れば、ああいう人たちと戦う。
そして勝てば、もっと多くの人がフランを見る。
大会がただの寄り道ではなく、私たちの旅そのものへ少しずつ繋がっていく。
夕方まで情報を集め、私たちは宿場へ戻ることにした。
街には魔法灯が灯り、巨大な闘技場も夜の中へ浮かび上がっている。外壁に沿って何百もの灯りが並び、昼間とは違う姿になっていた。
「明日だね」
私は立ち止まった。
フランも闘技場を見る。
「うん」
「今度こそ緊張してる?」
「少し」
「楽しみ?」
「かなり」
私は笑った。
そのとき、人混みの向こうに灰色の外套が見えた。
昼間のナディアだ。
今度は一人ではない。
大柄な参加者と向かい合っている。
何か揉めているのかと思ったけれど、大男が肩を掴もうと手を伸ばした瞬間、ナディアが半歩だけ横へ動いた。
それだけだった。
男の手は空を掴み、その勢いのまま身体が前へ流れる。
ナディアは何もしていないように見えた。
それなのに大男は急に足を止め、怪訝そうに自分の腕を見た。
私は思わず足を止める。
「今の見た?」
フランも見ていた。
「うん」
「何したの?」
「分からない」
リリィはさらに真剣な顔で二人を見ていた。
「……避けただけ」
「でも、あの人急に止まったよ?」
「そこが分からない」
リリィはそう答えたものの、ナディアから目を離さなかった。
大男は自分の右腕を何度か動かしたあと、苛立った様子で何かを言った。ここからでは声までは聞こえない。
ナディアは言い返さなかった。
帽子のつばへ指を掛け、軽く頭を下げる。
それだけで立ち去ろうとした。
大男が再び手を伸ばす。
今度は肩ではなく、外套の襟元を掴もうとしている。
「またやる」
私が呟いた。
男の指が届く直前、ナディアの身体がわずかに傾いた。
最初と同じように避ける。
そう思った。
ところが次の瞬間、大男の右腕が大きく跳ね上がった。
「え?」
誰かに殴られたように見えた。
でも、ナディアは腕を振っていない。
男自身が伸ばした右手だけが上へ弾かれ、その勢いに引かれるように身体まで半回転する。踏ん張った足が石畳を擦り、どうにか転倒だけは免れた。
周囲にいた人たちから笑い声が上がった。
大男の顔が赤くなる。
「何しやがった!」
今度は声が聞こえた。
ナディアは少しだけ首を傾げる。
「何も」
女の人の声だった。
思っていたより若い。
大男が拳を握る。
フランが一歩前へ出ようとしたので、私は袖を掴んだ。
「待って」
自分でも少し驚いた。
以前なら、揉め事を見た瞬間に止めようとしていたと思う。
でも、今は何が起きているのか分からない。
それに周囲には大会警備の兵士もいる。
「もう来るよ」
リリィが通りの向こうを見る。
二人の兵士が人混みを掻き分けながらこちらへ向かっていた。
大男も気づいたらしい。
舌打ちし、拳を下ろした。
「大会で当たったら覚えてろよ」
捨て台詞を残して去っていく。
ナディアは追わなかった。
ただ、自分の外套についた埃を手袋で軽く払う。
その仕草まで妙に落ち着いていた。
「結局、何だったの?」
私が聞くと、フランは自分の腕を使ってさっきの動きを再現した。
「最初は本当に避けただけだと思う。でも二回目は……」
「触った?」
「僕には見えなかった」
リリィも首を横へ振る。
「私も。でも、あの男の腕が上がる直前に、ナディアの右肩がほんの少し動いた」
「殴ったってこと?」
「分からない。殴ったなら速すぎる」
ナディアは人混みの中へ歩き始めていた。
誰も道を空けているわけではないのに、一度も誰かへぶつからない。前から来る人が右へ動けば、その少し前に左へ寄る。子供が急に飛び出しても、最初から分かっていたように半歩だけ進路を変える。
私はその背中を見ながら、昼間に感じた違和感を思い出した。
歩く音がしない。
人の動きを避けるのが早すぎる。
武器を持っていない。
「強いのかな」
「たぶん」
フランが答えた。
「戦ってないのに?」
「戦ってないからこそ、分からないんだよ」
その言葉が妙に残った。
大剣の男なら、見ただけで強そうだと思う。
巨大な剣。
傷だらけの腕。
周囲が知っている戦績。
でもナディアには、そういう分かりやすいものが何もない。
だからこそ気になった。
「フランと当たるかな」
「本戦まで残れば、可能性はあるね」
「ナディアも予選から?」
「参加者なら同じじゃないかな」
私は少しだけ楽しみになった。
強いのかどうかも分からない。
何をするのかも分からない。
だったら大会で確かめればいい。
「またその顔してる」
リリィが言った。
「どの顔?」
「面白いもの見つけた顔」
「だって気になるでしょ?」
「気になるけど、追いかけないでね」
「追いかけないよ!」
「一応言っただけ」
信用されているのか、されていないのか分からない。
私たちは再び宿へ向かった。
けれど、その途中でも大会の熱気は冷めなかった。
酒場の前では参加者同士が明日の予選について話し、露店では有名選手の名前が書かれた札が売られている。どこへ行っても優勝候補の噂が聞こえ、さっきの大剣の男の名前も何度か耳にした。
その一方で、ナディアの名前を話している人は一人もいなかった。
昨日まで誰にも知られていなかった参加者。
戦績も聞かない。
武器もない。
それなのに、私は大剣の男と同じくらい気になっていた。
馬小屋へ戻る頃には、すっかり夜になっていた。
夕食を運んでもらい、干し草の上へ座って食べながら、オラクルが今日集めた情報を整理する。
「参加者は三百人を超えるらしい。明日の予選で一気に絞って、本戦は三十二人だ」
「三百人から三十二人?」
思わず匙が止まった。
「フラン、大丈夫?」
「急に不安になった?」
「だって十人に一人くらいしか残らないんでしょ?」
「それくらいだね」
本人は平然としている。
オラクルは続けた。
「予選は八つの区画に分ける。各区画で何試合かやって、本戦進出者を決める方式だ。最初から全員で殴り合うような馬鹿な形式じゃねえから安心しろ」
「誰と当たるかは?」
「朝発表だ」
私はフランを見る。
「大剣の人と最初から当たったら?」
「そのときは戦うよ」
「ナディアだったら?」
「同じだよ」
迷いがない。
大会へ出る以上、誰が相手でも戦う。
当たり前なのかもしれない。
それでも、私は少しだけ心配だった。
「フラン」
「何?」
「無理しないでね」
フランは少し困ったように笑った。
「勝ってほしいのか、無理してほしくないのか、どっち?」
「両方」
「難しいなあ」
「勝ってほしいけど、大怪我はしてほしくない」
「分かった。できるだけ両方守るよ」
私はそれで納得することにした。
食事を終えると、リリィが壁際へ座り、自分の小さな道具袋を整理し始めた。私はその隣へ移動する。
「明日、リリィはどこで見る?」
「観客席」
「一緒に見ようね」
「そのつもりだけど」
「オラクルは?」
少し離れたところで煙草を咥えていた猫を見る。
「俺は予選の間に情報集める。全部見てたって金にも情報にもならねえ」
「フランの試合は?」
「見る」
即答だった。
「ちゃんと応援するんじゃん」
「戦い方見ときゃ、そいつの強さが分かる。情報だ」
「素直じゃないなあ」
「うるせえ」
メリーがくすくす笑った。
その夜、私はなかなか眠れなかった。
馬小屋が嫌だったわけではない。
明日のことを考えると、頭が勝手に動いてしまう。
三百人以上の参加者。
三十二人しか進めない本戦。
前回大会の上位入賞者。
各国から集まった強い人たち。
そして、何をしたのか分からないナディア。
その中をフランが勝ち上がっていく。
勝てば、短剣を見る人が増える。
故郷の手掛かりが見つかるかもしれない。
TIMEについて知っている人が現れるかもしれない。
期待している。
でも、それと同じくらい怖かった。
情報が見つかるということは、フランが探している相手にも近づくということだから。
私は干し草の上で身体の向きを変えた。
少し離れた場所では、フランがもう眠っている。
その腰の近くに、布で包んだ短剣が置かれていた。
明日、その剣を大勢の前で使う。
「……見つかるといいね」
小さく呟いた。
でも、本当にそうなのかは分からない。
見つけたものが、嬉しい答えだとは限らない。
私はそれ以上考えるのをやめ、目を閉じた。
翌朝。
まだ空に薄い朝靄が残っている時間から、街は昨日以上に騒がしかった。
闘技場へ続く大通りは観客で埋まり、露店からは朝食を焼く匂いが漂っている。遠くから太鼓の音が響き、大会旗が一斉に風を受けていた。
フランは参加証を首から下げ、いつもより少しだけ早足で歩いている。
私たちもその後ろを進んだ。
闘技場が近づく。
巨大な門の前には、参加者と観客を分ける柵が設置されていた。
「ここから別だね」
フランが立ち止まる。
私は急に緊張した。
昨日までずっと一緒にいたのに、ここから先はフラン一人で行く。
「頑張ってね」
「うん」
「怪我しないでね」
「努力する」
「勝ってね」
「それも努力するよ」
「あと――」
「フール」
笑われた。
「大丈夫。行ってくる」
その言葉に、私は口を閉じた。
「……うん。行ってらっしゃい」
フランが参加者用の門へ歩いていく。
途中で一度だけ振り返り、手を上げた。
私も大きく手を振る。
その姿が他の参加者の中へ消えるまで見送った。
「行こう」
リリィに言われ、私たちは観客用の入口へ向かった。
巨大な階段を上り、薄暗い通路を抜ける。
その先へ出た瞬間、私は足を止めた。
「……すごい」
何万人入るのか分からないほど巨大な観客席が、円形の闘技場を取り囲んでいた。
中央には白い石で作られた広大な試合場。
その周囲には八つの予選区画が設けられ、すでに係員たちが最終確認をしている。
観客席は次々と人で埋まり、歓声と話し声が一つの大きな音になって空へ昇っていた。
私は空いている席へ座り、身を乗り出して試合場を見る。
どこかにフランがいる。
参加者用の入口から、選手たちが次々と姿を現した。
大剣の男。
双剣の女性。
老魔法使い。
知らない人たち。
そして、その中に灰色の外套が見えた。
ナディアだ。
昨日と同じ仮面。
同じ帽子。
同じ、武器を持たない姿。
大歓声の中でも、その人物だけが周囲の熱気から少し離れているように見えた。
私はフランを探しながらも、なぜか一度だけナディアへ目を戻した。
そのとき、闘技場全体へ鐘の音が響いた。
観客の声が少しずつ静まっていく。
中央の高台へ大会司会者が上がった。
「皆様、大変長らくお待たせいたしました!」
声が闘技場いっぱいに響く。
「これより――武道大会、予選を開始いたします!」
歓声が爆発した。
私も立ち上がった。
いよいよ、フランの戦いが始まる。




