第120話 武道大会への道
賞金稼ぎの村を出てしばらく経っても、私は何度か後ろを振り返っていた。
昨日、黒い獣たちに囲まれた北側の外壁はもう見えない。朝になって確認した限り、群れが戻ってきた痕跡もなく、壊れた門の修理も始まっていた。それでも森から何百もの魔物が逃げてきた光景や、片耳の獣と睨み合ったときの緊張は、まだ身体のどこかに残っている。
けれど、振り返ってしまう理由はそれだけではなかった。
私の少し後ろを、リリィが歩いている。
銀色の短い髪を風に揺らし、いつものように周囲へ目を配りながら、フランと同じ速度で街道を進んでいる。昨日までは賞金稼ぎの村で出会ったばかりの子だったのに、今日は私たちと同じ方向へ歩いていた。
途中まで。
リリィはそう言った。
まだ仲間になるとは言っていない。
それでも私は、何度確認しても嬉しかった。
「フール」
「なに?」
「さっきから何回こっち見てるの?」
「見てないよ」
「五回は見た」
数えていたらしい。
「だって、本当に一緒に来てるなあって思って」
「昨日、自分で誘ったんでしょ」
「そうだけど、朝になったらやっぱりやめるって言うかもしれないと思ってたから」
リリィは呆れたように私を見る。
「そんなことするなら昨日のうちに断ってる」
「じゃあ、しばらく一緒だね」
「途中までね」
「分かってるよ」
口ではそう答えたけれど、たぶん顔には出ていた。
少し前を歩いていたオラクルが振り返り、煙草を咥えたまま鼻を鳴らす。
「一人増えたくらいではしゃぎすぎだ」
今日はもう車椅子に乗っていない。
怪我はかなり回復し、宿の主人から借りていた車椅子も今朝返してきた。久しぶりに自分の四本の脚で歩くオラクルは、最初こそ少し身体を伸ばしていたものの、今では私たちの周囲を行ったり来たりする余裕まで戻っている。
「オラクルも嬉しい?」
「何がだ」
「リリィが一緒に来て」
「追跡ができる奴が増えんのは便利だな」
「便利って言った」
リリィが冷たい目を向ける。
「褒めてんだよ。情報屋にとっちゃ、自分で足取りを拾える奴は貴重なんだ」
「猫に使われるつもりはないけど」
「誰が猫だ」
「猫でしょ」
二人の言い合いを聞きながら、私は笑った。
旅の仲間が一人増えるというのは、人数が増えるだけではないらしい。
話す声が一つ増える。
歩く位置が変わる。
今までなら私が気づかなかったものを、誰かが見つけてくれる。
昨日の森で、それを何度も感じた。
私は人の顔や声を先に見る。
リリィは足元や指先、残された痕跡を見る。
どちらかだけでは見えないものがある。
それなら、両親を探す旅でも同じかもしれない。
昼が近づくにつれて、街道を歩く人の数が増えていった。
最初は数組だった旅人が、いつの間にか前にも後ろにも途切れなくなっている。大剣を背負った男、身体より長い槍を担ぐ女性、杖を持った魔法使い、揃いの外套を着た集団までいて、追い越されるたびに知らない国の言葉や武器が目に入った。
道沿いの木には武道大会を知らせる旗が結ばれ、休憩所の露店では飲み物や保存食だけでなく、包帯、砥石、武器用の油まで並んでいる。
「みんな大会に行くのかな?」
「参加者だけじゃないよ」
リリィが前方の人混みを見る。
「見物客もいるし、商人もいる。大会に出る人を目当てに賞金稼ぎが来ることもある」
「賞金首が大会に出るの?」
「堂々と手配されてる人は出ないと思う。でも、強い人が集まれば、その人を知ってる人も集まるから」
私はリリィを見る。
それは、私たちにも同じことが言える。
「じゃあ、人探しにもいい場所なんだ」
「そういうこと」
オラクルも会話へ入った。
「大会そのものより、そこへ集まる人間のほうが価値ある場合もある。各国の兵士、傭兵、冒険者、賞金稼ぎ、商人。普段なら別々の土地にいる連中が一か所へ来るんだ。情報集めには悪くねえ」
「じゃあ、お父さんとお母さんのことも聞けるかな」
「聞くだけならな。ただし、片っ端から『赤い髪の女を知らないか』って聞くのはやめろよ」
「分かってるよ」
私は少し胸を張った。
「今のお父さんとお母さんじゃなくて、十年前の私から探すんでしょ?」
リリィがこちらを見る。
「ちゃんと覚えてたんだ」
「失礼だなあ」
「昨日まで何回も先に答え決めてたから」
「昨日の私は昨日の私です」
「まだ一日しか経ってないよ」
フランが笑った。
私は少し頬を膨らませたあと、今度はフランへ顔を向けた。
「フランは大会に出るんだよね?」
「受付に間に合えば、そのつもりだよ」
「優勝したい?」
何気なく聞いたつもりだった。
でも、フランはすぐには答えなかった。
腰にある光る短剣へ、指先が触れる。
兄が使っていた剣を打ち直したもの。
その短剣を見るたび、フランが武道大会へ向かう理由は私とは違うのだと思い出す。
「勝てるところまでは勝ちたい」
少しして、フランが答えた。
「でも、優勝だけが目的じゃない。強い人が集まるなら、僕の故郷のことを知ってる人がいるかもしれないし、TIMEについて何か聞ける可能性もある」
賞金稼ぎの村では、TIMEが今のように番号で知られるより前から、黒い服と時計の紋章を見たという話が残っていた。
でも、それだけだ。
故郷を滅ぼした相手には、まだ届いていない。
「だったら勝ったほうがいいね」
「どうして?」
「いっぱい勝ったら、フランのことを見る人が増えるでしょ。フランの短剣を知ってる人がいたら、向こうから何か言ってくれるかもしれない」
フランが少し驚いたように私を見る。
私は自分で言ってから、リリィのほうを見た。
「……これ、決めつけてないよね?」
「可能性の話だから大丈夫じゃない?」
「よかった」
リリィが小さく笑う。
フランは腰の短剣を見下ろしたあと、頷いた。
「そうだね。勝ち残る理由が一つ増えたかも」
私にも目的がある。
フランにもある。
リリィにも賞金稼ぎとして集めたい情報があり、オラクルは人の集まる場所なら何かしら金になる話を拾うつもりだろう。
同じ武道大会へ向かっているのに、欲しいものはみんな違う。
それが少し面白かった。
昼過ぎには、街道沿いの案内板に《大会開催地まで二日》と書かれた文字が現れた。
そこから先はさらに人が増え、荷馬車同士がすれ違うたびに列が止まるほどだった。
オラクルが前方を見て舌打ちする。
「この調子だと、今夜の宿が怪しいな」
「え?」
「大会に近づくほど宿は埋まる。次の宿場町まで日が落ちる前に着かねえと、外で寝ることになるぞ」
私はすぐに歩く速度を上げた。
「先に言ってよ!」
「今言っただろ」
「もっと朝とかに!」
「朝は空いてると思ってたんだよ」
「それ、考えてなかったってことじゃない?」
リリィが横から言う。
オラクルが黙った。
「リリィ、もっと言って」
「何で私が怒るの」
それでも全員の歩く速度は少し上がった。
途中の休憩を短くし、混雑した街道では荷馬車の後ろで止まらないよう脇道を使う。リリィが人の少ない道を見つけ、オラクルが地図で宿場町までの距離を確認したおかげで、空が橙色へ変わり始める前には目的地へ辿り着くことができた。
ただし、早く着けば部屋が取れるという考えは甘かった。
町の入口からすでに人で溢れていた。
通りの両側には宿と飲食店が並び、軒先には大会旗が掲げられている。武器を持った参加者らしい人たちがあちこちで話し、商人は道端にまで商品を広げ、食堂の前には長い列ができていた。
最初の宿には《満室》。
二軒目にも《満室》。
三軒目では、私たちが尋ねる前に店主から首を振られた。
「まさか……」
四軒目。
五軒目。
結果は同じだった。
最後に町で一番大きな宿へ入ったときには、私は受付台へ両手をついていた。
「一部屋もないんですか?」
「申し訳ありません。大会前は一か月前から予約が入りまして」
「一か月……」
完全に負けた。
オラクルを見る。
「宿はどうにでもなるって言ったよね?」
「普段ならな」
「今は普段じゃない!」
受付の男が困った顔で私たちを見たあと、少し考えた。
「部屋ではありませんが、馬小屋の一角なら空いていますよ。毎年、宿を取れなかった参加者へ貸している場所です。寝藁も新しくしてあります」
「馬小屋……」
私はフランを見る。
フランも微妙な顔をしている。
リリィだけは平然としていた。
「屋根があるならいいんじゃない?」
「リリィは平気なの?」
「森で寝るよりずっといいよ」
賞金稼ぎは強かった。
結局、私たちは馬小屋を借りることになった。
実際に入ってみると、想像していたほど悪くはない。馬たちがいる場所とは木の柵で分けられ、床には乾いた藁が厚く敷かれている。宿の裏なので水も使え、追加料金を払えば夕食まで運んでもらえるらしい。
オラクルは中へ入るなり藁の山へ飛び乗った。
「悪くねえ」
「猫だからじゃない?」
「だから誰が猫だ」
「どう見ても猫でしょ」
「俺はオラクルだ」
「種類を聞いてないよ」
メリーが笑いながら藁へ飛び込み、フランも荷物を壁際へ置いた。
リリィは入口と窓、それから奥にある小さな勝手口まで確認している。
私はその姿を見て、昨日の食堂を思い出した。
入口が見える席。
逃げ道。
人を簡単には信じないこと。
まだリリィについて知らないことはたくさんある。
それでも、今は同じ場所で夜を過ごそうとしている。
「ねえ、リリィ」
「何?」
「一緒に来てくれて、ありがとう」
急に言ったせいか、リリィが少しだけ目を丸くした。
「朝から何回目?」
「ちゃんと言うのは初めてだよ」
私は藁の上へ座った。
「両親を探すのを手伝ってほしいって言ったけど、それだけじゃなくて……昨日、リリィと一緒に探したの、楽しかったから」
「財布泥棒を?」
「そこだけ言うと変だけど!」
リリィが笑った。
本当に少しだけ。
でも私は見逃さなかった。
「今笑った」
「笑ってない」
「笑ったよ!」
「気のせい」
昨日なら追いかけていたかもしれない。
今日は、それ以上言わなかった。
途中まででもいい。
今は一緒にいる。
それだけで十分だった。
そのとき、宿の表通りから大きな歓声が聞こえてきた。
馬小屋にいた全員が顔を上げる。
「何だ?」
オラクルが藁から降りた。
外へ出ると、通りを歩いていた人たちが一斉に町の入口へ向かっている。
私たちも人の流れについていった。
町の入口には、すでに大勢の見物人が集まっていた。
その中心を、一人の大柄な男が歩いている。
背中には私の身長ほどもある巨大な剣を背負い、剥き出しの腕には古い傷がいくつも走っていた。派手な鎧も飾りもないのに、周囲の参加者たちが自然と道を空けていく。
「誰?」
近くにいた旅人が驚いた顔で私を見た。
「知らないのか? 前回大会で上位まで残った剣士だぞ」
男は歓声にもほとんど反応せず、そのまま宿へ向かっていく。
その後ろからも、参加者らしい人たちが次々と町へ入ってきた。
双剣を腰に差した女性。
大きな杖を持つ老魔法使い。
全身を鎧で覆った大男。
フランは何も言わず、その全員を見ていた。
「強そう?」
私が尋ねる。
「うん」
フランの口元が少し上がった。
「楽しみになってきた」
不安より、戦ってみたいという気持ちのほうが強いらしい。
私はもう一度、町へ入ってくる人々を見た。
まだ大会は始まっていない。
会場にすら着いていない。
それでも各地から人が集まり、私たちが知らないところでいくつもの目的が同じ場所へ向かっている。
その人混みのずっと向こうで、黒い外套が一瞬だけ見えた。
胸元に、白い模様がある。
私は目を凝らした。
時計。
そう見えた気がした。
けれど、荷馬車が前を横切った次の瞬間には、その姿は消えていた。
「フール?」
フランが私を見る。
「どうしたの?」
以前の私なら、TIMEだと言って追いかけていたかもしれない。
でも見えたのは一瞬だけだった。
黒い服も、白い模様も、それだけでは何も決まらない。
「……分かんない」
私は人混みの中をもう一度探した。
「でも、覚えておく」
武道大会まで、あと二日。
まだ始まってもいないのに、たくさんの人と情報が、一つの場所へ集まり始めていた。




