第118話 狩るものの王
北門へ黒い獣たちが殺到した瞬間、太い閂が大きく軋んだ。
外では十数頭が門と外壁へ押し寄せ、村へ侵入した二頭も別々の道から北門を目指している。正面を守ろうと人を集めれば内側が手薄になり、侵入した獣へ人を回せば外壁を登る個体を止めきれない。黒い獣たちは最初から完璧な作戦を知っていたわけではなく、こちらの対応を見るたびに少しずつ攻め方を変えていた。
その群れの後方から、片耳の裂けた黒い獣がゆっくりと歩いてくる。
他の個体より一回り大きく、首から肩には古い傷が幾重にも走っていた。これまで一度も壁へ飛びつかず、仲間が落とされても助けに行かず、森の縁にある岩の上から戦い全体を見続けていた個体だ。
「あいつだよね」
私はリリィの隣で、その獣を見た。
「さっきから鳴いてるの」
「うん。鳴き方を変えたあとで、他の獣の動きが変わってる」
短く一度鳴いたときには、村へ侵入していた二頭が同時に北門を向いた。そのあと長く鳴くと、外壁沿いに散っていた個体が正面へ集まった。
偶然にしては重なりすぎている。
片耳の獣が群れを動かしている。
その間にも、北門へ二度目の衝撃が走った。
閂を支える金具が軋み、木の表面から細かな破片が落ちる。賞金稼ぎたちが補強材を運び込み、扉の内側へ斜めに立て掛けようとする中、別の怒鳴り声が西側から飛んできた。
「屋根だ! 中に入った一頭が倉庫の上にいる!」
私は振り返った。
北門から村の中央へ一本の大通りが伸び、その西側には倉庫が三棟並んでいる。村へ侵入した一頭が地上の賞金稼ぎを避け、倉庫の屋根から屋根へ飛び移りながら、北門の開閉用足場へ近づいていた。
「上!」
私が叫ぶ。
足場を守っていた賞金稼ぎが顔を上げた直後、黒い獣が最後の屋根から跳んだ。
槍が突き出される。
黒い獣は空中で身体を捻り、穂先を避けながら足場の端へ前脚を掛けた。もう一人が大盾をぶつけ、どうにか地面へ叩き落としたものの、その隙に門の外から三度目の衝撃が来る。
どん、と腹の底まで響く音がして、閂の中央に細い亀裂が走った。
「次は危ねえぞ! 補強急げ!」
賞金稼ぎたちが新しい木材を運び込む。
その光景を見ながら、私は妙なことに気づいた。
最初から全力で門へぶつかっているわけではない。
一度目より二度目、二度目より三度目のほうが衝撃が強くなっていた。最初は一頭だけだったのに、次は二頭が少し間を空けてぶつかり、今度は三頭が続いている。
「リリィ。あいつら、門がどこまで耐えるか試してない?」
リリィは閂を見たあと、外の群れへ目を向けた。
「……そうかもしれない。最初から壊し方を知ってたなら、もっと早く同時に来てる」
私たちが補強する。
向こうが見る。
それから攻め方を変える。
壁を登るときもそうだった。
最初の一頭が槍を受ければ、次の一頭は少し位置をずらした。盾で落とされれば、別の個体は途中から横へ跳んだ。
全部を最初から知っているわけではない。
失敗した仲間を見て覚えている。
「だったら――」
言いかけたところで、片耳の獣が短く二度鳴いた。
門の前にいた黒い獣たちが、一斉に後ろへ下がる。
「何する気だ?」
賞金稼ぎたちが盾を構え直した。
一頭が走り出す。
北門へ激突する。
門が揺れきる前に、二頭目がぶつかった。
さらに三頭目。
どん、どん、と衝撃が重なり、扉が元の位置へ戻る暇さえない。補強材の一本がずれ、閂の亀裂が目に見えて広がっていった。
「交代でぶつかってる……!」
一頭が何度も体当たりするより、複数で順番にぶつかったほうが勢いを保てる。
さっきまで門の強さを確かめていたのは、このためだった。
「このままじゃ破られる!」
フランが光る短剣を抜いた。
「外へ出て止める?」
「駄目!」
私は反射的に答えた。
灰色の巨獣に残っていた傷を思い出す。
脇腹だけではない。背中にも後ろ脚にも、同じ幅の爪痕が別々の方向から刻まれていた。
「外へ出たら囲まれるよ。あの大きな魔物だって、それでやられたんだと思う」
黒い獣は一頭を正面から倒すだけじゃない。
左右から逃げ道を削り、相手が逃げた先へ別の個体が回る。
村の外へ出れば、壁という守りまで失う。
フランは悔しそうに短剣を握り直したものの、外へ出ようとはしなかった。
そのとき、群れの動きがまた変わった。
村へ侵入した二頭が、北門へ来るのをやめたのだ。
一頭は東側の井戸広場へ、もう一頭は西側の倉庫街へ走っていく。
「何で?」
門を開けたいなら、北へ来るはずだ。
東の個体が井戸の横へ積まれていた水桶へ飛び込み、前脚を振る。木桶が砕け、水が石畳へ広がった。
ほぼ同時に、西から大きな音がした。
もう一頭が補強用の木材を積んだ荷車へ体当たりし、荷台を横倒しにしている。
そこでようやく分かった。
「門じゃない! 物資を狙ってる!」
人を倒す必要はない。
水を失わせる。
補強材を使えなくする。
守るために必要なものを少しずつ奪えば、こちらは戦えなくなる。
オラクルも同じことに気づいたらしく、車椅子の上で煙草を噛んだ。
「こいつら、獣のくせに村を攻略してやがる」
怖かった。
でも、その言葉を聞いた瞬間、別のことにも気づいた。
「最初から全部分かってたわけじゃないよ」
オラクルが私を見る。
「何?」
「最初は人を動かせるか試した。次に壁の登り方を覚えて、村へ入ってから道や門を見た。それから門の強さを確かめて、今度は物資を壊してる」
リリィが息を呑んだ。
「失敗するたびに変えてる……」
「うん。だったら、間違ったことを覚えさせられるかもしれない」
私たちは北門を見る。
閂には大きな亀裂が入り、賞金稼ぎたちは必死に補強を続けている。
黒い獣たちから見れば、北門はもう少しで破れる。
だから群れの戦力も、少しずつ北へ集まっていた。
「北門をもっと弱そうに見せる」
私が言うと、オラクルの目が細くなった。
「囮にする気か」
「うん。でも本当に逃げられる場所は東に作る」
「群れを逃がすのか?」
私は最初に傷つけられた黒い獣を探した。
脇腹には槍でつけられた傷が残っている。
「あの子たち、最初は村を無視してた。最初の一頭を攻撃してから、こっちを敵だと思ったんだよね」
村へ入った個体も、人を見つけたから襲ったわけではない。道を調べ、門を探し、物資を壊している。
食べるために来たなら、もっと違う動きをするはずだ。
「だったら、こっちが攻撃をやめて、傷ついた仲間も逃げられるようにしたら、戦う理由がなくなるかもしれない」
確実ではない。
リリィもそれを分かっていた。
「失敗したら東門から入られる」
「うん」
オラクルはすぐには答えなかった。
亀裂の入った閂、外の群れ、片耳の獣を順番に見てから、煙草の煙を吐く。
「このままでも北門は長くもたねえ。やるなら、向こうが北へ集まってる今だ」
作戦が決まった。
北門では補強を続けるふりをしながら、弓と魔法による攻撃を減らす。盾で押し返すことを優先し、黒い獣を必要以上に傷つけない。
一方、東門から南東の草地まで住民と荷物を退避させ、内側には盾を持った賞金稼ぎを斜めに配置する。もし獣が村へ入ろうとしても、盾の列に沿って外へ戻される形だ。
東門を開けるのは最後まで見せない。
黒い獣たちに、北門だけが突破口だと思わせる。
その準備をしている途中、私は西側の外壁にいた弓使いへ目が止まった。
さっき最初の黒い獣へ矢を放った男だった。
年は若く、まだ顔から恐怖が消えていない。仲間から「今度は命令があるまで撃つな」と念を押されても、弓を握る手は震えたままだった。
男は一度、矢筒へ手を伸ばした。
隣の賞金稼ぎがその腕を押さえる。
「まだだ」
「分かってる……」
そう答えたものの、視線は黒い獣から離れない。
私は少しだけ気になった。
でも今は、北門のほうが先だった。
外では片耳の獣が近づき、群れも正面へ集まり始めている。村へ侵入していた二頭まで、短い鳴き声に反応して北側へ戻ってきた。
「まだだぞ!」
オラクルが叫ぶ。
北門へ再び衝撃が走った。
閂の亀裂が広がる。
もう一度。
今度は補強材まで大きく軋んだ。
片耳の獣がさらに前へ出る。
「今!」
東門が静かに開いた。
人二人が並んで通れる程度の隙間。
その先には誰もいない。
南東へ続く草地だけが広がっている。
最初に気づいたのは、村の中にいた黒い獣だった。
足を止め、東を見る。
次に北門。
最後に片耳の獣。
リーダーが短く鳴いた。
何を意味するのかは分からない。
それでも村の中にいた一頭が東へ走り、もう一頭も少し遅れて続いた。
盾を持った賞金稼ぎたちは動かない。
攻撃もしない。
二頭は斜めに並んだ盾の間を警戒しながら進み、そのまま東門の外へ抜けた。
外にいた群れがざわめいた。
何頭かが東へ顔を向ける。
片耳の獣だけは動かない。
こちらを見ている。
私も動かなかった。
お願い。
もう戦わなくていいって、分かって。
やがて、最初に傷つけられた黒い獣が群れの中から前へ出た。
脇腹にはまだ血が滲んでいる。
東門を見る。
片耳の獣を見る。
しばらく迷ったあと、ゆっくり東へ歩き始めた。
誰も矢を放たない。
誰も魔法を使わない。
傷ついた獣は東門から出た二頭と合流し、そのまま南東の草地へ進んだ。
片耳の獣が長く鳴いた。
北門へ集まっていた獣たちが、一頭ずつ身体の向きを変える。
「退くぞ……」
誰かが呟いた。
私はまだ喜ばなかった。
片耳の獣が残っている。
そいつは北門を見つめたまま、しばらく動かなかった。
やがて、ゆっくりと東へ身体を向ける。
終わる。
そう思った瞬間だった。
西側から、弓弦の鳴る音がした。
私は振り向いた。
さっきの若い弓使いが、弓を構えていた。
震えていたはずの指から、すでに矢が離れている。
「駄目!」
私の声は間に合わなかった。
矢は真っ直ぐ、東へ退こうとしていた片耳の獣へ飛んでいった。




