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フールの大冒険 ~聖なるマップを手に、異世界でまだ見ぬ両親を探します~  作者: ☆☆アダム☆☆


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第116話 群れを追う影

森の奥から響いた唸り声が消えても、外壁の上にいる誰一人としてすぐには動かなかった。


さっきまで何百もの魔物が地面を埋め尽くしていたのに、東の草地へ逃げていく群れの足音はすでに遠ざかっている。その代わり、一定の間隔で地面を揺らす重い振動だけが残り、音が近づくたびに北門の石壁までかすかに震えていた。


森の奥で一本の大木が傾き、隣の木を巻き込みながら倒れた。さらに手前の枝葉が大きく揺れ、何かが木々を避けるのではなく、押し分けながらこちらへ近づいていることが分かる。


「フール、壁から離れて」


リリィに腕を掴まれた。


危険なのは分かっている。それでも、あれだけの魔物が争うことさえ忘れて逃げていた理由が気になり、私はすぐには森から目を離せなかった。


次の振動が来た。


今度は外壁に立て掛けられていた槍が倒れ、石床を乾いた音が走った。直後、北門の真正面で何本もの大木がまとめて倒れ、舞い上がった土埃と枝葉の向こうに巨大な灰色の影が現れる。


四本脚の魔物だった。


肩の高さだけでも北門の半分近くあり、全身を岩のような灰色の皮膚が覆っている。頭から伸びた二本の太い角のうち片方は途中で折れ、背中には古い傷が幾重にも走っていた。


けれど、その巨体より先に目についたのは左の脇腹だった。


肉が大きく抉れ、黒ずんだ血が腹から後ろ脚まで流れている。傷は一か所ではなく、同じ幅で並んだ細長い裂け目が何本も刻まれていた。


「怪我してる……」


魔物は森を抜けたところで足を止めた。


荒い息を吐きながら北門を一度見たものの、こちらへ突進する様子はない。むしろ落ち着かない様子で何度も背後を振り返り、森の奥から音がするたびに巨体を震わせていた。


私は脇腹の傷と、その怯えた目を交互に見る。


「リリィ。あれも逃げてるんじゃない?」


リリィはすぐには答えず、魔物の脚、視線、傷の向きを順番に確認した。


「たぶん。村より後ろを気にしてる」


外壁の上にざわめきが広がった。


私たちは、あの巨体こそが森の魔物たちを追い立てていたのだと思っていた。


でも違う。


あれほど大きな魔物まで、傷を負って北から逃げてきた。


「じゃあ、何があれを……」


最後まで言えなかった。


森の奥から甲高い鳴き声が響いた瞬間、灰色の巨獣が目に見えて反応したからだ。


頭を跳ね上げ、折れた角を森へ向ける。前脚が一歩後ろへ下がり、次の瞬間には傷ついた身体を引きずるように東へ走り始めた。


「撃つな! 行かせろ!」


見張り台から指示が飛び、弓を構えていた賞金稼ぎたちが狙いを外す。


巨獣は村へ近づかず、さっき魔物の群れを逃がした草地へ入った。巨体が地面を蹴るたびに振動が伝わり、傷口から血を落としながら南東へ遠ざかっていく。


誰も追わなかった。


私も巨獣の背中ではなく、再び静まり返った森を見つめた。


木々の間で、小さな影が動いた。


さっきの巨獣を見たあとだから、最初は普通の獣にしか見えなかった。


黒い狼に似た魔物だった。


大きさは普通の狼より少し大きい程度で、四本の脚は細く、全身を覆う黒い毛にも硬い甲殻や角のようなものはない。


けれど、歩き方がおかしかった。


あれだけの魔物が我先にと逃げてきた森を、一頭だけゆっくり歩いてくる。警戒する様子も、急ぐ様子もない。


黒い獣は森を抜けると、巨獣が残した血の跡へ鼻先を近づけた。


その口元と前脚も、赤く濡れている。


私はもう一度、遠ざかっていく灰色の巨獣を見た。


脇腹には同じ幅の傷が何本も並んでいた。


そして目の前の黒い獣には、前脚の指から長く湾曲した爪が伸びている。


「あの傷……」


リリィも同じところを見ていた。


「爪の間隔と似てる」


黒い獣が顔を上げた。


こちらを見る。


距離はある。


高い外壁もある。


それなのに、真正面へ立たれたような圧迫感があった。


「壁際から下がれ」


近くの賞金稼ぎが低い声で指示し、前列にいた者たちが一斉に数歩下がった。


私も今度は素直に離れる。


黒い獣はしばらく外壁を見上げていたが、やがて興味を失ったように血痕へ顔を戻した。そのまま巨獣の逃げた東へ身体を向ける。


追うつもりなんだ。


そう思った。


そのとき、外壁の上で金属音が響いた。


一人の賞金稼ぎが震える手から矢を落としていた。


黒い獣の耳だけが、ぴくりと動く。


身体は東を向いたままだった。


「動くな」


誰かが囁くように言った。


全員が息を殺した。


黒い獣は数秒そのままでいたあと、再び歩き出そうとした。


その瞬間、恐怖に耐えられなくなった賞金稼ぎが弓を引いた。


「待って!」


矢が飛ぶ。


黒い獣は避けなかった。


額へ命中した矢が乾いた音を立て、鏃が弾かれるように折れた。


血は出ない。


外壁の空気が凍りついた。


私は黒い獣の額を見る。


硬い皮膚には見えない。


毛も普通に見える。


それなのに矢が通らなかった。


黒い獣がゆっくりとこちらを向く。


さっきまで村は、追う必要のないものだった。


今は違う。


身体を低く沈めた瞬間、私は叫んだ。


「来る!」


黒い獣の姿が消えた。


次に見えたときには北門のすぐ前まで来ている。


「速っ――」


声が追いつかない。


地面を蹴った黒い獣が一度の跳躍で石壁の途中まで届き、前脚の爪を突き立てた。石が削れ、そのまま身体を引き上げてくる。


「迎撃!」


矢と魔法が一斉に飛んだ。


黒い獣は壁を横へ蹴った。


直前までいた場所へ火球が直撃し、石片と煙が舞い上がる。黒い影はその煙を突き破り、さらに高い場所へ爪を掛けた。


速いだけじゃない。


動く直前まで、どこへ行くのか分からない。


「右!」


誰かが叫ぶ。


獣は左へ跳んだ。


槍が空を突く。


次は上へ来ると思った賞金稼ぎの頭上を越え、壁の途中へ一度下がる。


人の動きを見ている。


そう思った。


「フラン、あれ……適当に避けてないよ」


フランも黒い獣から目を離さない。


「うん。攻撃を見てから動いてる」


壁の縁へ前脚が掛かった。


屈強な賞金稼ぎが大盾を叩きつけ、黒い獣を外へ押し落とす。巨体ではないため、その一撃には耐えられず姿が壁の下へ消えた。


けれど、歓声は上がらなかった。


すぐに爪が石を削る音が聞こえたからだ。


「また来るぞ!」


前衛が盾を構え直し、後ろでは弓兵と魔法使いが位置を変える。私もフランに肩を掴まれ、階段へ下がりかけた。


その途中で、リリィが動いていないことに気づいた。


壁際からは離れている。


でも逃げてもいない。


黒い獣が残した爪痕を見ていた。


「リリィ?」


「一回目と二回目、同じところを使ってる」


壁には左右へ伸びる爪痕が残っていた。


黒い獣は好き勝手に跳んでいるように見えたけれど、壁を登るときだけは右前脚を高い位置へ掛け、そのあと左後ろ脚を強く沈ませて身体を跳ね上げている。


私はさっきの動きを思い返した。


「右に行く前も、左の後ろ脚が沈んでた」


リリィが私を見る。


「見てた?」


「うん。倒木のところで男を捕まえたときと同じ。動く前に、力を入れる場所がある」


全部が分かったわけじゃない。


でも、一つなら分かる。


「次に登ってきたら、跳ぶ直前だけは読めるかもしれない」


近くの賞金稼ぎが私たちの声を聞いた。


「どっちへ来る?」


「まだ分からない。でも左の後ろ脚を深く沈めたら、その反対へ強く跳ぶと思う!」


黒い獣が再び姿を現した。


石壁へ爪を立て、一気に登ってくる。


弓兵が撃とうとした。


「待って!」


私は思わず叫んだ。


今撃てば、また見てから避けられる。


黒い獣が壁の途中で身体を縮める。


左後ろ脚が深く沈んだ。


「右!」


今度は誰も先に攻撃しなかった。


黒い獣が右へ跳ぶ。


その先へ、待ち構えていた三本の槍が同時に突き出された。


二本は空を切った。


一本だけが脇腹を掠める。


黒い毛の間から血が飛んだ。


初めて傷を負わせた。


「当たった!」


外壁に声が上がる。


でも私は喜べなかった。


傷が浅すぎる。


それに、黒い獣は着地すると自分の脇腹を一度見ただけで、すぐにこちらへ顔を戻した。


その目が、さっきまでと違っていた。


こちらの動きを覚えている。


そんな気がした。


「フール、下へ行こう」


フランが言った。


私は一瞬だけ迷った。


ここに残れば、もう少し動きを見つけられるかもしれない。


でも私が壁の上にいれば、フランもリリィも私を気にする。賞金稼ぎたちだって、十歳の私が戦場にいれば守ろうとするかもしれない。


だったら、ここにいることが一番役に立つとは限らない。


「うん。下りる」


私はメリーを見た。


「メリー、怪我した人を助けられる?」


『できるよ!』


「じゃあ私たちは下で手伝おう。フランも――」


言いかけて止める。


フランには戦える力がある。


私が決めることじゃない。


「フランはどうする?」


「壁に残る。何かあったらすぐ下りるよ」


「分かった。リリィは?」


「もう少し見る。でも危なくなったら下がる」


私は二人へ頷き、メリーと石段へ向かった。


強い人のそばへ飛び込むことだけが、一緒に戦うことじゃない。今の私にできる場所で動いたほうがいい。


階段の下では、すでに負傷した賞金稼ぎが運ばれていた。火球の爆発で飛んだ石片が当たった人や、混乱の中で転んだ人もいる。


「メリー、あっち!」


『うん!』


私は治療場所まで人を呼び、メリーは怪我人のそばへ飛んだ。


そのとき、森から甲高い鳴き声が響いた。


さっき聞いたものと同じだった。


でも、一つではない。


少し離れた場所から二つ目が返る。


さらに奥から三つ目。


外壁の上の空気が変わった。


私は石段の途中まで戻り、森を見る。


木々の間に黒い影が現れていた。


一頭。


その横にもう一頭。


さらに奥にもいる。


黒い獣たちはすぐには村へ近づかなかった。一定の間隔を空け、最初の一頭を中心にするように森の縁へ広がっていく。


五頭。


八頭。


十頭を超える。


それでもまだ、奥の茂みが揺れていた。


私はそこで初めて、さっきまでの違和感の意味を理解した。


灰色の巨獣に残っていた傷は、一方向からつけられたものではなかった。脇腹だけではなく、背中にも、後ろ脚にも同じ幅の爪痕があった。


一頭に追われた傷じゃない。


囲まれてつけられた傷だった。


黒い獣たちは、速さと硬さだけで獲物を追うんじゃない。


群れで追い込み、逃げ道を削っていく。


さっき私たちが一頭を傷つけたことで、その群れ全体が村を見ていた。


北門の外で、黒い獣たちがゆっくりと左右へ広がり始める。


正面だけではない。


外壁に沿って、村を囲むように。


私は思わず息を呑んだ。


何百もの魔物が森を捨てた理由は、ようやく分かった。


あれは逃げていたんじゃない。


追い立てられていたんだ。


そして今度は、この村が同じように囲まれようとしていた。

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