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フールの大冒険 ~聖なるマップを手に、異世界でまだ見ぬ両親を探します~  作者: ☆☆アダム☆☆


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第113話 昨日とは少し違う距離

翌朝、目を覚まして最初に考えたのは、今日もリリィに会えるだろうか、ということだった。


窓の外では、賞金稼ぎの村がすでに動き始めている。石造りの建物の間を薄い朝靄が流れ、通りからは荷車の車輪が石畳を転がる音や、早朝から店を開けた商人たちの声が聞こえてきた。


私はベッドから身体を起こしたものの、すぐには立ち上がらなかった。昨日の食堂で交わした会話が、まだ頭から離れなかったからだ。


――捨てられたから。


――「あなたのため」って言えば、置いていくほうは悪くないみたいに聞こえるから。


私は両親に会いたい。だから、リリィだって本当は母親に会いたいんじゃないかと勝手に考えてしまった。


何か事情があったのかもしれない。会えば何か変わるかもしれない。


そんなことまで言いかけたけれど、私はリリィの母親を知らない。何があったのかも、リリィがどれだけ考えて「会いたくない」という答えを出したのかも知らなかった。


昨日、オラクルに言われた言葉を思い出す。


分からないことを、分かったつもりで埋めるな。


TIMEについて調べるときだけの話ではないのだと思う。人の気持ちだって、知らないところを自分に都合よく埋めてしまえば、本当のことから遠ざかってしまう。


「……今日は聞かない」


リリィが自分から話してくれるなら聞く。でも、母親について私から無理に聞くのはやめる。


だからといって、リリィ自身を避けるつもりもなかった。昨日の最後に私は、また会いたいと言った。リリィは約束してくれなかったけれど、嫌だとも言わなかったのだから、会えたときには普通に話したい。


そう決めたところで、扉の向こうからフランの声がした。


「フール、起きた?」


「起きた!」


私は急いで着替え、腰まで伸びた赤い髪を左右で結び直した。


廊下へ出ると、フランが待っている。


二人で階段を下りると、受付の横ではオラクルが車椅子に座ったまま宿の主人と話し込んでいた。口にはいつもの煙草を咥え、二人の間に置かれた小さなテーブルには村周辺の地図が広げられている。


「何してるの?」


「道の確認だ。武道大会へ向かうなら、今日中に出るか、遅くとも明日の朝にはここを出たほうがいい」


オラクルが地図の一点を爪で叩いた。


賞金稼ぎの村から南東へ街道が伸び、その先には小さな宿場町がある。さらに進めば大きな街道へ合流し、そこから先は武道大会を目指す参加者や見物客も増えていくらしい。


「大会が近づいてるから人通りも増えてる。道そのものは分かりやすくなるだろうな」


「じゃあ迷わない?」


「普通ならな。お前は人の群れについていった挙げ句、別の祭りに着くくらいはやりそうだが」


「そんなことしないよ!」


言い返した瞬間、宿の入口の外を、大きな串焼きを持った男の人が通った。焼けた肉の香ばしい匂いが流れ込んできて、私は反射的にそちらを目で追ってしまう。


視線を戻すと、オラクルが無言でこちらを見ていた。


「……今のは違うから」


「俺は何も言ってねえぞ」


肩の上ではメリーまで笑っている。


朝食を済ませたあと、私たちは出発前に必要な水や保存食、包帯などを買い足すため市場へ向かった。


村は昨日より混んでいた。武器屋の前では旅装の男たちが剣の刃を確かめながら値段を交渉し、食料品店には保存食を買い込む人が列を作っている。賞金稼ぎばかりだった村に別の目的を持つ旅人が増え、武道大会が近づいていることを感じさせた。


私はフランと保存食を選びながら、何度も通りへ目を向けてしまう。


銀色の短い髪は見えない。


「気になる?」


フランに聞かれ、私は干した果物を袋へ入れながら頷いた。


「昨日、変な終わり方しちゃったから。このまま会わずに出発するのは嫌だな」


「だったら、会ったときに普通に話せばいいんじゃない? 昨日のことをなかったことにする必要はないけど、必要以上に特別扱いもしなくていいと思う」


「普通にか……」


簡単そうに聞こえるけれど、それが一番難しい。


「フランならできる?」


「たぶん」


「ずるい。何でも普通にできそう」


フランは少し考えたあと、腰に差している光る短剣へ目を落とした。


兄が使っていた剣を打ち直したもの。


フランだって、故郷や兄のことを何でも簡単に話せるわけではない。私が知らないことも、まだたくさんあるのだと思う。


だから聞かなかった。


分からないものを、無理に開けなくてもいい。


「やってみる」


「うん」


買い物を終え、オラクルとの待ち合わせ場所へ向かおうとしたときだった。


通りの先に人だかりができている。


賞金稼ぎの村では珍しくない光景なので、そのまま通り過ぎようとしたけれど、人混みの向こうから聞き覚えのある声がした。


「だから、その傷なら昨日の夜にできたものじゃない」


私は足を止めた。


「リリィだ」


人の間を抜けると、フランも後ろからついてきた。


輪の中央にはリリィと、腕に包帯を巻いた若い賞金稼ぎ、それから昨日引き渡し所で見かけた係員がいる。


リリィはこちらへ気づいた。


目が合った瞬間、さっきフランと話したことが全部頭から飛んだ。


普通にする。


でも、普通って何だろう。


手を振るべきなのか、昨日のことをもう一度謝ったほうがいいのか、それとも仕事中なのだから黙っていたほうがいいのか。


迷っている間に、リリィのほうが先に口を開いた。


「おはよう」


あまりにも普通だった。


「……お、おはよう!」


思ったより大きな声が出て、周りにいた人までこちらを見る。


リリィが少しだけ眉を寄せた。


「朝から元気だね」


「リリィが普通だったから!」


「何それ」


言ってから、もっと普通に返せばよかったと思った。


でもリリィは怒らなかった。ほんの少しだけ口元が緩み、それを見ただけで胸の中に引っかかっていたものが軽くなる。


昨日のことが消えたわけではない。


でも、昨日のことがあっても話せる。


今はそれで十分だった。


「何してるの?」


「昨日追ってた男の続き。この人が東の山道で見つけたけど、逃げられた」


リリィが包帯を巻いた賞金稼ぎを指差す。


「逃げられてねえ。あと少しだったんだよ。崖が崩れて腕をやられたんだ」


「崖じゃない」


リリィは男の腕へ視線を落とした。


「傷に木の皮が入り込んでる。崩れた岩で切ったなら、そんなものはつかない。走ってる途中で枝に引っかけた傷」


男が黙った。


私も包帯を見る。


昨日までなら怪我をしているとしか思わなかっただろう。でも今は、白い布の端に小さな茶色い欠片がついているのが見えた。


「……本当だ。木の皮みたいなのがついてる」


私が指差すと、男は気まずそうに腕を身体の後ろへ隠した。


リリィがこちらを見る。


「見えるようになったね。昨日より」


褒められた。


ほんの一言なのに、嬉しかった。


「練習したから!」


「一日で?」


「昨日ずっとリリィを見てたから」


「それ、言い方によっては怖いよ」


後ろでフランが笑う。


「違うよ! 追跡のやり方を見てたって意味!」


「分かってる」


リリィも少し笑っていた。


勝手に「嫌われた」と決めなくてよかった。


リリィは係員へ向き直り、昨日の追跡について説明を続けた。男は一度、東の山道へ入ったらしい。しかし賞金稼ぎたちが東へ集まり始めた頃から痕跡が不自然に途切れ、改めて周辺を調べたところ、北へ戻った可能性を示す跡が見つかったという。


「戻ったの?」


「たぶんね。追われる側が、追う側の予想通り遠くへ逃げ続けるとは限らない。みんなが東へ行ったあとで北へ戻れば、逆に人が減って動きやすくなることもある」


私は逃げるなら、とにかく遠くへ行くものだと思っていた。


でもリリィは、残された跡だけではなく、追われる人が次に何を考えるかまで見ている。


「じゃあ、今から北へ行くの?」


「行く。そのつもり」


昨日までなら、ここで何も考えず「私も行く」と言っていたかもしれない。


でも今日は、一度口を閉じた。


リリィには仕事があり、私たちには武道大会へ向かう予定がある。何でも一緒にすればいいわけではない。


「そっか。気をつけてね」


そう言うと、リリィが少し意外そうな顔をした。


「来ないの?」


「え?」


今度は私が驚いた。


「昨日までなら、来るって言いそうだったから」


「行っていいの!?」


思わず身を乗り出すと、リリィがため息をついた。


「やっぱり言わなきゃよかった」


「行きたい!」


結局、合流したオラクルへ事情を説明し、昼までに戻ることを条件に、私とフラン、メリーはリリィについて北の森へ向かうことになった。


村の北門を抜けると、周囲は一気に静かになった。


低い草原をしばらく進んだ先に、濃い緑色の森が広がっている。昨日より空には薄い雲が多く、木々の隙間から落ちる朝の光も弱い。村の喧騒が背後へ遠ざかるにつれて、葉の擦れる音や鳥の鳴き声がはっきり聞こえるようになった。


リリィは森へ入る直前に足を止め、道の端へしゃがみ込んだ。


「ここから昨日の続き」


地面には、いくつもの足跡が重なっている。


リリィはその中から一つを指差した。


「昨日追ってた男は右足を悪くしてる。左より右の跡が浅くて、歩幅も少し狭い。それに昨日の夕方から雨は降ってないから、足跡の重なりを見れば、ある程度は通った順番も分かる」


言われてから見比べると、確かに左右で土の沈み方が少し違っていた。


私はその場へしゃがみ、周囲も見てみる。


足跡の上に重なった別の足跡。草の倒れている向き。細い枝が折れている場所や、靴から落ちたらしい乾いた泥まである。


今までなら、ただの地面にしか見えなかった。


「面白い」


「面白い?」


「うん。地面が喋ってるみたい。誰かがこっちへ歩いたとか、ここで止まったとか、そういうのが残ってるんだね」


リリィは少し黙ったあと、何気ない調子で言った。


「……拾ってくれた人も、同じこと言ってた」


昨日までなら、私はすぐに質問していただろう。


どんな人なの。


今はどこにいるの。


どうしてリリィを拾ったの。


聞きたいことはいくつも浮かんだ。


でも今日は、そこで口を閉じた。


「そっか」


それだけ答えて立ち上がる。


リリィは数歩進んだところで、なぜか振り返った。


「聞かないの?」


「何を?」


「拾ってくれた人のこと」


「聞いていいの?」


逆に尋ねると、リリィは少しだけ考えてから肩をすくめた。


「……別に」


私は嬉しくなって、すぐ隣まで追いついた。


「じゃあ聞く。その人、どんな人?」


「強い人。私よりずっと」


「リリィより!?」


「追跡も、その人に教わった。足跡の見方も、匂いの残り方も、人が嘘をついてるかもしれないときの見方も」


「嘘って、見ただけで分かるの?」


「分からないよ。分かったつもりになるなって、何度も言われた。目を逸らしたから嘘、汗をかいたから嘘、手が震えたから嘘。そんな簡単に決められるなら、誰も苦労しないって」


昨日、オラクルから言われたことと似ている。


一つだけを見て答えを決めない。言葉だけを信じるのでもなく、最初から疑うのでもなく、相手が言ったことと実際に残っているものが合っているかを確かめる。


「難しいね」


「簡単なら誰でもできるでしょ」


リリィが少し先で足を止めた。


道から外れた低木の枝が一本だけ折れ、その先に細い黒い糸が引っかかっている。


リリィは近くの枝を使って糸を取り上げた。


「昨日の男の上着と同じ色」


「じゃあ、ここを――」


言いかけて止めた。


昨日の男が通った。


そう決めるには、まだ早い。


私は少し考えてから言い直した。


「黒い服を着た誰かが、ここを通った可能性がある?」


リリィがこちらを見る。


「正解」


たった二文字なのに、胸の奥が嬉しくなった。


少しずつだけれど、昨日の私とは違う。


リリィは黒い糸を紙へ包み、さらに森の奥へ目を向けた。


「行こう。この先にも同じ特徴の跡が残ってれば、もっと絞れる」


私は頷き、リリィの隣へ並んだ。


昨日までは、知らないことがあればすぐに答えを知りたかった。

両親のことも、TIMEのことも、リリィのことも、分からないままにしておくのが怖かったのだと思う。


でも、分からないからといって、急いで答えを作る必要はない。


見つけたものを一つずつ確かめて、その先へ進めばいい。


それは人を追うときだけではなく、私の旅そのものにも言えることなのかもしれなかった。


「リリィ」


「何?」


「私、昨日よりちょっとだけ上手くなった?」


隣を歩くリリィは、すぐには答えなかった。


足元の痕跡を見ながら数歩進んだあと、ようやくこちらを見る。


「ちょっとだけね」


「やった!」


嬉しくなって声を上げると、リリィがすぐに人差し指を口元へ当てた。


「声、大きい。追ってる途中なんだから」


「あっ……ごめん」


慌てて口を押さえる。


後ろを歩くフランが笑い、肩の上ではメリーまで身体を震わせていた。


「もう、笑わないでよ」


昨日とは違った。


リリィの母親について何か分かったわけではないし、昨日の言葉を忘れたわけでもない。それでも、知らないことを無理に聞き出さなくても、こうして隣を歩くことはできる。


私はそれでいいと思った。


少なくとも今は。


森の奥へ進むにつれて、村から聞こえていた音は完全に消えていった。


残っているのは、風に揺れる葉の音と、私たちが土を踏む音だけ。


先頭を歩いていたリリィが、ふいに足を止めた。


私も今度はぶつからずに止まる。


「どうしたの?」


リリィは答えず、少し先の地面へしゃがみ込んだ。


柔らかい土の上に、一つの靴跡が残っている。


右側だけが、わずかに浅い。


そのすぐ横には、さっき見つけたものと同じ黒い糸が落ちていた。


リリィは二つを見比べ、森のさらに奥へ視線を向ける。


「繋がった」


その声が、さっきまでより少し低くなった。


「昨日の男?」


「可能性はかなり高い。それに、この跡は新しい」


私も森の奥を見る。


木々が幾重にも重なり、その先までは見通せない。


さっきまで追跡の練習みたいに感じていたものが、急に本物の追跡へ変わった気がした。


リリィが立ち上がる。


「ここからは遊びじゃない。私より前には出ないで」


昨日までなら、たぶん「大丈夫だよ」と答えていた。


でも今日は違う。


「分かった」


リリィが一瞬だけ私を見る。


それから小さく頷いた。


私たちは声を落とし、残された跡を追って森の奥へ進み始めた。


昨日とは少し違う距離で、今度は同じものを見ながら。


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