第110話 銀髪の追跡者
翌朝、宿の窓を開けると、賞金稼ぎの村は私たちよりずっと早く動き始めていた。
まだ朝の冷たさが残っているのに、通りでは馬へ荷物を積む人や、掲示板から手配書を書き写す人が忙しそうに行き来している。夜のうちに戻ってきたのか、泥だらけの外套を着たまま宿へ入っていく人もいれば、これから出発するらしく、弓の弦や靴底を念入りに確かめている人もいた。
昨日までは、賞金稼ぎという仕事をもっと単純に考えていた。
悪い人を見つけ、戦って、捕まえる。けれど実際には、その前にしなければならないことのほうがずっと多いらしい。人に話を聞き、地図を調べ、手配書を読み、いくつもの噂から本当らしいものを選ぶ。昨日の情報屋でTIMEについて聞いたときも、確かな情報より「分からない」という答えのほうが多かった。
それでも、何も得られなかったわけではない。
No.1からNo.7までは、ある程度まで顔や特徴が知られている。No.8より上になると人相書きすら作れないほど目撃情報が少なく、中でもNo.8だけは上位番号なのに懸賞金が不自然なほど低い。
そして私の両親については、探すための情報そのものが足りない。
その事実を突きつけられたことも、きっと昨日得たものの一つなのだと思う。
「今日はちゃんと考えて聞くからね」
朝食を食べながら宣言すると、向かいに座っていたオラクルがパンをちぎる手を止めた。
「誰に言ってんだ?」
「オラクル。昨日、手当たり次第に聞くなって言ったでしょ?」
「言ったな。で、一晩寝たら急に賢くなったのか?」
「失礼だなあ。私だってちゃんと考えるよ」
「考える奴は、昨日みたいに情報屋へ『八番って空飛ぶの?』なんて聞かねえんだよ」
「あれは可能性を聞いただけ!」
横でフランが笑った。
黒龍王との戦いで傷めた左肩と右手は、昨日より少し楽になっているらしい。私の右足も朝のうちはほとんど痛まなかったけれど、完全に治ったわけではないので、今日も無理をしないことだけは約束させられていた。
オラクルは食後の水を飲みながら、今日の予定を説明した。
「午前中は引き渡し所と酒場だ。昨日の爺さんが持ってたのは、誰かが一度整理した情報だからな。今日は実際に賞金首を追ってる連中から話を聞く。フランはTIME、フールは人探しをやったことのある奴を中心に当たれ」
「どうして人探し?」
「十年前の人間を探すのに、昨日見た奴はいませんかって聞き回っても仕方ねえだろ。お前はまず、何を手掛かりにすりゃいいのかを知ったほうがいい」
私は素直に頷いた。
昨日なら、少しむっとしたかもしれない。でも情報屋の老人から、名前、年齢、出身、最後にいた場所を順番に聞かれ、何一つまともに答えられなかった。あのときの気持ちはまだ胸の奥に残っている。
知らないから探している。それは間違っていない。
でも、知らないまま探し続ければいいわけでもない。だったら少しずつ、探すために必要なものを増やしていけばいい。
朝食を終えて宿を出ると、街道から入ってきた馬車がちょうど村の中央を横切っていた。荷台には縄で縛られた大きな木箱が積まれ、その周囲を三人の賞金稼ぎが歩いている。
昨日なら、きっと木箱の中身ばかり気にしたと思う。
今日は、その三人の靴が全部泥だらけなのが目に入った。
「どこ行ってたんだろ」
私が呟くと、オラクルがこちらを見る。
「何がだ?」
「あの人たち。靴にいっぱい泥ついてる」
「お、昨日よりは見てるじゃねえか」
褒められた。
少し嬉しくなっていると、フランが木箱の下を指した。
「でも馬車の車輪にはほとんど泥がない。遠くからそのまま来たわけじゃなさそうだね」
「あっ、本当だ」
人を見る。
痕跡を見る。
昨日まで気にもしなかったものが、今日は少しだけ違って見えた。もっとも、それで三人がどこから来たのかまでは全然分からなかったけれど。
村の中央にある大きな掲示板へ近づいたところで、私は一人の少女に気づいた。
昨日、道の向こうから私たちを見ていた子だった。
銀色の髪は顎にも届かないくらい短く切られ、朝の光を受けた毛先だけが白く輝いている。黒っぽい上着と細身のズボンは飾り気がなく、腰には小さな鞄と短い刃物を下げていた。
昨日と違うのは、少女が掲示板を見ていないことだった。
その足元にしゃがみ込み、何人もの靴で踏み荒らされた地面をじっと見ている。土へ手を触れたかと思えば、指先についた小さな黒い粒を擦り、今度は掲示板を支える木の柱へ顔を近づけた。
匂いを嗅いでいるようにも見える。
「何してるんだろ」
私は少し離れたところで足を止めた。
オラクルは答えず、少女の手元を見ていた。フランも同じだったので、私も邪魔をしないよう黙って観察することにした。
しばらくすると、少女は掲示板から一枚の手配書を剥がした。
頬に大きな黒い痣のある男だった。年齢は四十前後。左脚に古傷があり、歩くときに少し引きずる。逃走中で、三日前にこの地方で目撃されたと書かれている。
少女は手配書と地面を交互に確認すると、掲示板の裏へ回った。
気になってしまい、私も少し離れたまま後を追った。
「フール、近づきすぎ」
フランに小声で止められる。
「でも気になる」
「仕事中かもしれないだろ」
言われて二歩下がった。
掲示板の裏側は雨が当たりにくいらしく、表の道より土が乾いていた。それでも何人もの靴跡が重なり、私にはどれが新しくて、どれが古いのかさえ分からない。
少女は違った。
細い棒を取り出し、地面へ触れないぎりぎりの位置からいくつかの跡を順番に見比べていく。やがて一つの跡を見つけると、その周囲の土を崩さないよう慎重に指先で確かめた。
「左だけ深い……」
小さな声が聞こえた。
私は手配書を見る。
左脚に古傷。
そこでようやく、少女が何を探しているのか分かった。
「足跡だ」
思わず声が漏れた。
少女の手が止まった。
ゆっくりこちらを向く。
目が合った。
昨日と同じだった。
私の顔だけを見ていない。まず杖、右足、肩のメリーへ視線が動き、そのままオラクルの車椅子、フランの左肩から右手へ移る。ほんの数秒でそれだけを確認すると、最後に私の顔へ戻ってきた。
「昨日より足、良くなったんだ」
いきなり言われた。
私は自分の右足を見た。
「え?」
少女は立ち上がり、膝についた土を払った。
「昨日はもっと杖に体重掛けてた。今日は歩幅も少し戻ってるから」
「昨日から見てたの?」
「見えたから」
「でも、怪我してるって言ってないよ」
「言わなくても歩けば分かるでしょ。昨日は立ち止まるたびに左へ体重を逃がしてたし、右足が地面についてる時間も短かった。杖の跡も右側だけ深かったから」
説明されても、自分ではまったく気づいていない。
私は昨日、怪我を隠していたわけではない。それでも、こんな細かなところまで誰かに見られていたと思うと、少し落ち着かなくなった。
「そんなところまで見るの?」
「見るよ」
「なんで?」
少女は一瞬だけ不思議そうな顔をした。
「追うから」
それだけ答えると、また手配書へ視線を戻した。
フランが興味を持ったらしい。
「俺は?」
少女の目がフランへ向いた。
今度はさっきより短かった。
「左肩と右手」
フランの表情が変わる。
「どうして?」
「左腕だけ上げる角度が小さい。右手は何か掴む前に一回指を開いてる。痛みか痺れが残ってるんでしょ」
フランは自分の右手を見た。
当たっている。
私は黒龍王の洞窟を出てからずっと一緒に歩いていたのに、フランが物を掴む前にそんな動きをしていたなんて一度も気づかなかった。
「すごい……」
素直に口から出た。
少女は得意そうにするでもなく、もう一度しゃがみ込んだ。
「別に。分からないと追えないから」
今度は柱の低い位置へ指を滑らせる。
薄い茶色の汚れがついていた。
少女はそれを指先へ移し、匂いを確かめる。
「薬」
「薬?」
「関節の痛みに使うやつ。手配書の男は左膝に古傷がある。ここに左足だけ深い跡が残ってて、近くの柱にこの薬がついてる」
「じゃあ、この人がここにいたの?」
私は手配書を指した。
少女は首を横へ振った。
「まだ分からない。左膝を怪我してる人なんて他にもいるし、同じ薬を使う人もいる。二つ重なったから可能性が上がっただけ」
昨日の情報屋の老人と同じだった。
分からないことを、勝手に分かったことにしない。
私は少女が見ていた足跡へ顔を近づけた。何度見ても、私にはただの土のへこみにしか見えない。
「これ、本当に左だけ深い?」
「見比べて」
少女が棒の先で二つの跡を示した。
言われてから見ると、片方の踵がほんの少し深く沈んでいる気もする。でも、もし先に教えてもらっていなければ絶対に気づかなかった。
「……ちょっとだけ?」
「それで十分。追跡って、大きな証拠が一個落ちてることのほうが少ないから」
少女はさらに跡の向きを追い、掲示板の裏から続く細い路地へ視線を動かした。
「この足跡が本人なら、村の中へ入ってる。でも三日前だから、ここから先は人が通りすぎて残ってない」
「じゃあ終わり?」
「足跡はね」
そう言うと、少女は立ち上がり、今度は柱、壁、道端に置かれた樽へ順番に視線を移していく。
「他の痕跡を探す。触った場所、捨てた物、買った物。人間は動けば何か残すから」
その言葉が、胸に引っ掛かった。
人間は動けば何か残す。
昨日、私は両親について何も知らないことを突きつけられたばかりだった。名前も顔も分からず、どこにいたのかさえ知らない。
それでも、お父さんとお母さんがこの世界のどこかで生きていたなら、二人だって何かを残しているのだろうか。
十年前でも。
今から追える何かを。
「ねえ」
気づけば私は少女の横へ並んでいた。
「人探しもするの?」
少女が私を見る。
「することもある」
「十年前の人も?」
「情報次第」
胸が少し高鳴った。
続きを聞こうとしたところで、オラクルが後ろから声を掛けた。
「フール」
「なに?」
「その前に名前くらい聞け。お前、知らねえ奴の仕事について回って質問攻めにしてんぞ」
「あ……」
確かにそうだった。
私は少女へ向き直った。
「ごめん。私はフール。こっちはメリーで、あっちがオラクルとフラン。あなたは?」
少女は私たちを順番に見た。
最後にもう一度、私へ視線を戻す。
「リリィ」
「リリィ……」
銀色の短い髪。
人が歩いた跡を読み、残った匂いを確かめ、怪我を隠して歩いている人まで見抜く女の子。
私とは、見ているものがまるで違う。
「リリィって賞金稼ぎ?」
「そういう仕事もする。賞金首だけじゃなくて、人探しも、逃げた魔物を追うのも、頼まれればやるから」
その言葉を聞いた瞬間、昨日から胸の中に残っていたものが動いた。
私は両親を探している。
でも、探し方を知らない。
目の前にいるリリィは、私が気づきもしなかった足跡や匂いから、一人の人間を追おうとしている。
「じゃあ、私のお父さんとお母さんも探せる?」
リリィの表情が、ほんの少しだけ変わった。
けれど、そのときの私は、それが何を意味しているのかまでは分からなかった。
「情報は?」
「お母さんは赤い髪」
「名前は?」
「分からない」
「年齢と顔は?」
「それも分からない。どこに住んでたのかも知らない」
昨日と同じ質問だった。
そして私は、昨日と同じように何も答えられない。
リリィはしばらく私を見たあと、馬鹿にするでも慰めるでもなく、静かに言った。
「それだけじゃ追えないよ」
分かっていたはずなのに、胸の奥が少し痛んだ。
昨日の老人に言われたときより、なぜか今のほうが悔しかった。たぶん、リリィが私よりそれほど年上には見えないからだ。
「でも、探したいの」
思ったより強い声が出た。
リリィは驚かなかった。
「探したいのと、追えるのは別でしょ」
「じゃあリリィならどうするの?」
少し意地になって聞いた。
リリィは私の勢いに引っ張られず、すぐには答えなかった。しばらく考え、私が持っている情報を頭の中で並べ直しているように見えた。
「今いる場所から探さない。一番古い痕跡から追う」
「古い痕跡?」
「十年前なら、十年前にその人たちがいた場所を先に探す。宿、治療院、馬車、船、店、それから誰と話したか。人は生きて動けば何か残すから、場所が一つでも分かれば、そこから次へ繋げられることがある」
「十年前なら、十年前にその人たちがいた場所を先に探す。宿、治療院、馬車、船、店、それから誰と話したか。人は生きて動けば何か残すから、場所が一つでも分かれば、そこから次へ繋げられることがある」
私はすぐには答えられなかった。
十年前のお父さんとお母さんがいた場所。
そう言われて最初に思い浮かべようとしたのに、頭の中には何も出てこない。どこに住んでいたのかも、どこの町を歩いたのかも、どんな宿へ泊まったのかも知らないのだから当然だった。
それでも、昨日の情報屋で何も答えられなかったときとは少しだけ違った。
昨日は、名前も顔も分からない自分には探しようがないように思えた。でもリリィが言っているのは、今いる場所から世界中を探し回るのではなく、まず過去へ戻れということだった。
「でも、その最初の場所が分からなかったら?」
私が尋ねると、リリィは少し考えてから答えた。
「だったら、今持ってる物を見る」
「物?」
「十年前から持ってる物があるなら、それがどこで作られたのか調べる。服でも装飾品でも道具でもいいし、何か書かれた物なら文字や紙でも追えることがある。誰かから聞いた話があるなら、その人がどこで知ったのかを聞く。何もないなら、本当に何もないかを確かめるところから」
私は自分の荷物へ目を向けた。
旅を始めてから手に入れたものはたくさんある。でも、両親がいた頃から自分のそばにあったものとなると、急に難しくなる。
そして思い浮かんだのは、やっぱり《聖なるマップ》だった。
ただ、それがそのまま両親の居場所を教えてくれるわけではない。今までだって地図を開けばお父さんとお母さんの場所が光って見えた、なんてことは一度もなかった。
「これでも追えるのかな……」
鞄へ手を触れながら呟くと、リリィの視線がそこへ落ちた。
「何かあるの?」
「うん。でも、ちょっと変わった地図だから、普通の物みたいにどこで作られたか分かるかは……」
言いながら、私は途中で止まった。
何でも話していいものなのか分からない。
リリィとは、ついさっき名前を知ったばかりだ。
するとオラクルが後ろから口を挟んだ。
「そこまででいい。初対面の賞金稼ぎに持ち物全部見せる馬鹿がいるか」
「リリィは悪い人じゃなさそうだよ」
「そういう判断を会って十分で下すなって言ってんだよ」
「十分以上は話してるよ」
「時間の問題じゃねえ」
リリィは怒るかと思ったけれど、むしろオラクルの言葉に頷いた。
「見せなくていいよ」
「いいの?」
「普通は見せないでしょ。何を持ってるか知られたら、それも情報になるから」
「ほら見ろ」
オラクルが得意そうに言う。
少し悔しかったけれど、リリィ本人までそう言うなら仕方がない。
私は鞄から手を離した。
「じゃあ、昔から持ってる物を調べて、それでも分からなかったら?」
「その物を知ってる人を探す。それも駄目なら、自分のことを知ってる人から辿る」
「私を?」
「十年前のあなたを知ってる人が一人でもいるなら、その人はあなたがどこにいたか知ってるかもしれないでしょ。そこまで戻れれば、両親がいた場所にも近づける可能性がある」
今まで私は、お父さんとお母さん本人ばかりを探そうとしていた。
赤い髪の女の人はいませんでしたか。
フールという子供の両親を知りませんか。
そんなふうに、二人へ直接繋がる答えばかり欲しがっていた。
でも、リリィの探し方は違う。
お父さんとお母さんが見つからないなら、その二人がいた場所を探す。その場所が分からないなら、そこへ繋がる物を調べる。それも分からないなら、十年前の私自身を知っている人を探す。
遠回りに見える。
でも、何もないところから世界中を歩き回るより、ずっと道らしい道に思えた。
「そっか……私から探してもいいんだ」
口にすると、不思議な感じがした。
探したいのは両親なのに、そのために昔の自分を探す。
リリィは私の言葉に小さく頷いた。
「人を追うとき、本人だけ見る必要はないから。本人が通った場所とか、会った人とか、持ってた物とか、そういうのを順番に繋げていけばいい」
「それなら、私にもできるかな」
「見るだけなら誰でもできるよ」
「でも私、さっきの足跡も全然分からなかった」
「最初から分かる人なんていないでしょ」
当たり前みたいに言われた。
私は少し驚いた。
リリィは最初から何でも見抜ける人だと思いかけていた。私の右足も、フランの怪我も、地面に残ったわずかな足跡も、見ただけで分かってしまう。
「リリィも最初は分からなかったの?」
「当たり前。足跡なんて全部同じに見えたし、古い跡と新しい跡を間違えたこともある」
「本当に?」
「なんで嬉しそうなの?」
「ちょっと安心した」
リリィが怪訝そうな顔をしたので、私は笑った。
ほんの少しだけ、銀髪の女の子が近くなった気がした。
それまで黙って聞いていたフランが、掲示板の裏へ残る足跡へ視線を落とした。
「さっき追ってた男は、ここからどうするの?」
リリィの表情がすぐ仕事のものへ戻る。
「村に入った可能性があるなら、まず昨日から今朝までに開いてた店を回る。左脚を引きずる人が来なかったか聞いて、薬屋にも行く。同じ薬を買ってたら記録が残ってるかもしれない」
「宿は?」
「あとで見る。でも賞金首なら普通の宿に本名で泊まるとは思わないから、先に店。食べ物か薬は必要になるし、左膝が本当に悪いなら長く歩いたあとほど何かしてる可能性が高い」
私は感心して聞いていた。
足跡が消えたから終わりではない。
足跡から薬へ。
薬から店へ。
店から、その人を見た誰かへ。
一つの痕跡が消えたら、別の痕跡へ移る。
昨日オラクルが言っていた、薄い情報を何枚も重ねるという話とよく似ていた。
「じゃあ、私たちも一緒に――」
「行かないぞ」
言い終わる前にオラクルに止められた。
「まだ何も言ってない!」
「顔に書いてある。俺たちは引き渡し所と酒場へ行く予定だ」
「でも、リリィの追跡見たい」
「人の仕事について回るな」
もっと見たかった。
足跡だけではなく、店で何を聞くのかも、どんなところを見るのかも知りたい。
けれどリリィも手配書を畳み、腰の小さな鞄へ入れ始めている。遊びではなく、本当に賞金首を追っているのだ。
邪魔をするのは違う気がした。
「……分かった」
私が諦めると、オラクルが少し意外そうな顔をした。
「今日は素直だな」
「私だっていつも言うこと聞かないわけじゃないよ」
「そうだったか?」
「そうだよ!」
メリーが肩の上で笑っている。
リリィはそんな私たちを見ていたが、やがて掲示板の横を抜け、細い路地へ向かおうとした。
「リリィ!」
呼び止めると、銀色の髪が揺れた。
「また会える?」
自分でも、どうしてそんなことを聞いたのか分からなかった。
まだ会ったばかりだ。
でも私は、リリィの見ているものをもう少し知りたかった。
リリィは少しだけ考え、村の中を見回した。
「仕事が終わるまでは、この村にいると思う」
「じゃあ、またね」
「……うん」
ほんの少し間があったけれど、ちゃんと返事が返ってきた。
リリィはそのまま路地へ入っていく。
銀色の短い髪が人混みの向こうへ消えるまで、私はその背中を見ていた。
「気に入ったの?」
フランに聞かれる。
「気に入ったっていうか……すごいなって思って」
「確かにすごかったね」
「私、今まで全然見てなかったんだなって思った」
足跡。
泥。
薬。
歩き方。
私なら通り過ぎてしまうものばかりだった。
でも、それを一つずつ拾えば、見えなくなった人を追える。
だったら私も、これからは少しだけ周りを見てみよう。
お父さんとお母さんへ直接繋がる大きな手掛かりだけじゃなく、その手前に落ちている小さなものも見逃さないように。
「よし」
杖を握り直す。
「今度こそ引き渡し所だね」
「そうだ」
オラクルが車椅子の向きを変えた。
「そこで人探しをやったことのある賞金稼ぎが見つかりゃ、今の話とは別の探し方も聞ける。ついでにTIMEの報告記録も確認するぞ」
「うん」
「あと、走るな」
「分かってるって!」
言い返しながら一歩踏み出し、私は念のため右足へ掛ける力を少しだけ弱めた。
そのとき、さっきリリィに言われたことを思い出す。
昨日より杖へ掛ける体重が減っている。
右足が地面についている時間も長くなっている。
自分では何となく良くなったとしか思っていなかったのに、リリィは歩き方からそこまで見ていた。
私は試しに数歩だけ、自分の足元を見ながら歩いてみた。
「前見ろ」
オラクルに即座に怒られた。
「観察してたの!」
「転んだら意味ねえだろ!」
フランが吹き出し、メリーまで肩の上で笑い始める。
私は慌てて顔を上げた。
まだリリィみたいにはできそうにない。
それでも昨日よりは、少しだけ違うものが見える気がした。
私たちは人の行き交う村の中央を抜け、予定どおり引き渡し所へ向かった。




