第107話 それぞれの探しもの
「それにしても、本当に一人で黒龍王を倒したんだね……」
私は倒れた黒龍王を改めて見上げた。
戦っているときも巨大だと思っていたけれど、近くまで来ると大きさの感覚がおかしくなる。横たわった頭だけでも私の身体の何倍もあり、半開きになった口から覗く牙は一本一本が短剣より長い。全身を覆っていた黒い鱗は光をほとんど反射せず、《グランドバイツ》を受けた胸元だけが大きく砕け、鱗の隙間から細い煙を上げていた。
少し前まで溶岩のように赤く光っていた筋も完全に消えている。もう動かないと分かっているのに、私は黒龍王の顔へ近づくたびに何度も足を止めてしまった。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。呼吸も止まってるし、魔力の流れも消えてる」
フランはそう言ったものの、勝ったことを自慢する様子はなかった。むしろ黒龍王の状態を最後まで確認し、何かあればすぐ短剣を抜けるよう柄から手を離していない。
「だって、さっきまであんなに暴れてたんだよ。急に起きたら絶対逃げられないもん」
「その足じゃ特にね。どうしたの?」
「ちょっと怪我してるだけ。もうかなり治ってるよ」
「かなり治ってる人は、杖を使ってこんな洞窟まで来ないと思うけど」
言われてみればその通りで、私は返事に詰まった。
すると横からオラクルが鼻を鳴らした。
「もっと言ってやれ。こいつは怪我してても止めなきゃ平気で無茶するからな」
「オラクルはどっちの味方なの!」
「命を粗末にしねえ奴の味方だ」
メリーまで肩の上で何度も頷いている。三人から同時に責められているような気分になったけれど、ついさっき五匹の竜に追われたばかりなので、強く反論することもできなかった。
「フランだって怪我してるじゃん」
私は話を逸らすように言った。
黒龍王の炎を吸収した反動で、フランの右手には細かな裂傷が何本も走っている。左肩にも岩を受けた傷があり、裂いた布を巻いて止血しているものの、赤い染みはまだ残っていた。
「これは戦ってできた傷だから仕方ないよ」
「私だって色々あったんだよ」
「じゃあ、お互い洞窟を出るまで無茶しない。それならいいだろ?」
「……うん。それならいい」
初めて会ったばかりなのに、なんとなく言い負かされた気がした。
私はフランの腰へ戻された短剣を見た。黒龍王の炎を吸収していたときは刀身全体が赤く燃えるように輝いていたけれど、今は淡い光が奥に残っているだけだった。
「あの短剣、すごいね。黒龍王の炎を全部吸い込んじゃった」
「全部ってわけじゃないよ。さっきのは本当に限界ぎりぎりだった。もう少し炎が続いてたら、剣より先に俺の腕が駄目になってたと思う」
「じゃあ《グランドバイツ》って、いつでもあんなに強いわけじゃないんだ?」
「この剣は炎や魔力みたいな力を吸収して、一時的に刀身へ溜め込める。《グランドバイツ》は、その力を俺自身の斬撃へ乗せて衝撃として撃ち返す技なんだ。だから吸収した力によって威力も変わる。今回は黒龍王自身の炎が桁違いだったから、あそこまでの威力になった」
私は納得しながら、倒れている黒龍王を振り返った。
力任せに黒龍王を上回ったわけではない。地下水のある場所まで誘導して雷を流し、動きを止めて弱点を狙い、最後には黒龍王自身の最大の炎を利用して倒した。さっきの戦いを思い返すと、フランはずっと相手と周囲を観察しながら戦い方を変えていた。
「私も、もっと相手を見ながら戦わないと駄目なんだね」
「急にどうしたの?」
「さっき私たちも、小さい黒い竜五匹に襲われたの。でも倒せないと思って、《肉の笛》を使って逃げたんだ」
「……肉の笛?」
フランの眉が僅かに動いた。
「干し肉と安い笛を《合成の聖杯》に入れたらできたの。吹くとプヒィィィって鳴って、肉の匂いがするんだよ」
「何それ」
「笑わないでよ! 命を助けてくれたんだから!」
「笑ってないよ。黒龍王より気になるだけで」
フランは口元を押さえていたので、絶対に少し笑っていた。
そのとき、私の鞄の中から淡い光が漏れた。
取り出した《聖なるマップ》には、洞窟へ入ってから歩いた道が細い線として追加され、今いる巨大な空洞まで新しく描き足されていた。そして現在地のすぐ近くで、小さな星印が強く明滅している。
「オラクル! ☆付きアイテムが近くにある!」
「ようやく本来の目的を思い出したか。どこだ?」
地図と周囲を交互に見ながら移動すると、黒龍王から離れたときだけ星印の光が弱くなった。逆に死骸へ近づくほど光が強くなり、最後には黒龍王の巨大な前脚の前で眩しいほど輝き始める。
私は三本並んだ爪へ《聖なるマップ》を近づけた。
中央の一本が青白く輝き、その上へ文字が浮かび上がった。
《☆2 黒龍王の爪》
「これだ! 洞窟にあるって聞いてた☆付きアイテム、黒龍王の爪だったんだ!」
オラクルも車椅子を寄せ、巨大な爪を見上げた。
「宝箱に入ってるとは限らねえってことか。黒龍王そのものが宝だったわけだな」
「でも、これどうやって取るの?」
爪は私の腕より長いうえ、黒龍王の指へしっかり繋がっている。試しに両手で掴んでみても当然びくともしなかった。
「フール、それを力で取ろうとしてる?」
フランが呆れたように言いながら短剣を抜いた。
「少し離れてて。素材として持って帰るなら、傷つけないほうがいいだろ?」
私たちが下がると、フランはすぐには切らず、鱗と爪の境目へ何度か刃を当てて角度を確かめた。最も爪を傷つけずに切り離せる位置を見つけると、短剣へ僅かな魔力を流し、一度だけ鋭く振り抜いた。
硬質な音とともに、黒龍王の中央の爪が根元から綺麗に外れた。
私は落ちてきた爪を反射的に受け止めたけれど、想像以上の重さに両腕が一気に下がった。
「わっ、重っ……!」
右足の近くへ落としかけたところで、フランが横から支えてくれた。
「危ない。そこに落としたら怪我が増えるよ」
「ありがとう……。見た目よりずっと重いね」
「だから無茶すんなって、ついさっき言われただろうが」
オラクルに呆れられ、私は何も言い返せなかった。
結局、☆2《黒龍王の爪》は厚い布で何重にも包み、荷物へしっかり固定して運ぶことになった。
それを見ているうちに、私は古代の《合成の聖杯》を思い出した。
「ねえオラクル。これ、《合成の聖杯》に入れたらどうなるかな?」
「手に入れて一分も経ってねえのに、もう合成すること考えてんのか」
「だって☆2だよ? 干し肉と笛で《肉の笛》ができたんだから、黒龍王の爪なら絶対すごいものができるよ!」
「腐った魚と混ぜてみるか?」
「絶対やだ! せっかくの黒龍王の爪が魚臭くなる!」
フランがまた口元を押さえていた。
「君たち、いつもこんな感じなの?」
「だいたいな」
「オラクルが変なこと言うからだよ!」
洞窟へ入ってからずっと身体のどこかに残っていた緊張が、ようやく少しだけ解けた。
目的だった☆2《黒龍王の爪》も手に入った。これ以上ここへ残って欲張る理由はない。
私たちは洞窟を出る準備を整え、フランも一緒に古道へ向かって歩き始めた。
帰り道で、私はずっと気になっていたことを尋ねた。
「フランは、どうして一人でこんな洞窟に来たの?」
フランの歩みが僅かに遅くなった。
「人を探してるんだ」
「誰?」
少しの沈黙のあと、返ってきた名前を聞いた瞬間、私とオラクルは同時に顔を見合わせた。
「TIME」
フランも私たちの反応を見逃さなかった。
「……知ってるの?」
「知ってるよ。私たち、何度も会ってる」
「本当に?」
フランの表情が一変した。さっきまでの柔らかな顔から笑みが消え、思わずこちらが驚くほど真剣な目になる。
「どこで会った? 何番だった? 何をしてた?」
「ちょ、ちょっと待って! 一個ずつ聞いてよ!」
「あ……ごめん。でも、俺はずっとTIMEを追ってるんだ」
「どうして?」
フランはすぐには答えなかった。
数歩進んでから立ち止まり、腰の短剣へ手を添える。その横顔には、黒龍王へ向けていた殺気とは違う、ずっと長い間消えずに残っているような感情が浮かんでいた。
「俺の故郷は、TIMEに滅ぼされた」
洞窟の奥で水滴が落ちる音がした。
「家も、街も、俺が知ってた場所はほとんど残らなかった。何のためにあんなことをしたのか、誰がやったのかも分からない。だから俺はTIMEを追ってる。理由を知ったからって故郷が戻るわけじゃないけど、何も知らないまま終わらせたくないんだ」
私はすぐには言葉を返せなかった。
TIMEには何度も怖い思いをさせられてきたけれど、故郷そのものを失った人から話を聞いたのは初めてだった。
「……ごめん」
「君が謝ることじゃないよ」
「でも、つらかったよね」
フランは少しだけ黙り、それから前を向いた。
「だから追ってる。それだけだよ」
私は杖をつきながら、その隣へ並んだ。
「私も探してる人がいるんだ」
「TIMEを?」
「違うよ。お父さんとお母さん」
フランがこちらを見る。
私は鞄の上から《聖なるマップ》へ触れた。
「二人とも今どこにいるのか分からないの。どうして私のところにいないのかも、まだ分からない。でも会いたいから、手掛かりを探して世界を旅してる。その途中でTIMEにも何度も会ったんだ」
私たちの目的は違う。
フランは、故郷を滅ぼしたTIMEを追っている。
私は、まだ見つからない両親を追っている。
それでも、何も知らないまま終わらせたくないという気持ちだけは、少し似ているように思えた。
フランはしばらく考えたあと、私の鞄に入っている《聖なるマップ》へ視線を向けた。
「だったら、一つ頼みがある。しばらく君たちと一緒に旅をさせてもらえないかな」
「一緒に?」
「俺にはTIMEの情報が必要で、君たちは実際に何度も奴らと接触してる。それに世界中を旅するなら、TIMEの動きとぶつかる可能性もある。代わりに戦いが必要なら俺も力を貸す。俺にとっても君たちにとっても、悪い話じゃないと思う」
ただ仲良くなったから一緒に来たいわけではなかった。
フランにはフランの目的があり、そのために私たちとの同行を選ぼうとしている。
私はオラクルとメリーを見た。
オラクルは少し考えてからタバコの煙を吐いた。
「黒龍王を一人で倒せる奴が護衛代わりになるなら、こっちに損はねえ。それにTIMEを追ってきたなら、お前が持ってる情報も使えるかもしれねえしな」
『悪い人じゃない』
メリーも頷いた。
「さっき私に斬撃飛ばしてきたけどね」
「まだ言うの?」
「だって怖かったんだもん」
「だから悪かったって」
私は笑って、フランへ手を差し出した。
「じゃあ、一緒に行こう。私はお父さんとお母さんを探す。フランはTIMEを探す。どっちかの手掛かりが見つかったら、みんなで手伝おう」
フランは差し出された手を少しだけ見つめたあと、しっかり握り返した。
「分かった。よろしく、フール」
こうして、黒龍王の洞窟で出会った十五歳の剣士フランアーデルが、私たちの旅へ加わることになった。




