第二十五声「身と尊厳がなければ、この娘を救うこと叶わないからです!」
愛らしい彼女の顔を包帯が覆う。山羊のように天へと突き出た角は変形している。日々の手入れを欠かしたことのない髪は融け落ち、酷く爛れた頭部も現状は剥き出しにしておくしかない。
魔王国始まって以来の賢才魔女のコーディニアスの術式で爪牙の傷自体は一応の回復を果たしたが、聖水に侵された皮膚の毒を取り除くには至らなかった。
端正な顔が苦渋と涙で曇っていた。
「なにが賢才よ! なにもできないじゃない!」ロブエルの呼吸は浅く、間隔は長くなる。喉は声ならぬ音を吐き出す。
手を握ることも今はできない。浴びた毒による損傷、爛れで腕は黒紫色。触れるだけで崩れ落ちるだろう。
仮にに毒を浴びたロブエルの爛れに接触するだけで毒は伝染し、次は魔女が蝕まれ始めるだろう。
「保身ばかりの臆病者、、、わたしは最低だ」
ロブエルの重体を聞きつけた彼の王女は、迷わずにロブエルを抱き起して城の離れに運び出したのだ。
もちろん王女は人間だ。聖水とされる毒を浴びたとしても変化など生じないだろう。だから彼女を憂いなく抱き起せた。
コーディニアスは首を振った。関係ないのだ。あの滅茶苦茶な王女は身の危機など気にするはずがない。裏切者の侍女を身を挺して守り、剣の魔王を前に闘いに応じる。かどわかされた身で、ただ一人異国の果てにて、平時と何も変わらない破天荒な行動を取り続ける。
決して正義ではない。ただの善意だけでもない。
偽善の類でもなければ、好奇心だけでもない。
「あれが、あんなものが聖龍が選んだ勇者の資質とでも言うの?」
認めたくないものを、認めてしまいそうになる。
認めることを怖れている自分自身を、ひどく小さく、卑劣であるとさえ感じてしまう。
魔女はただただ涙をこらえているだけだ。
目の前で苦しんでいるロブエルの手を握ってやることすらできない。
「いっそのこと、わたしが」それは自信を指していた。
「わたしが、あなたと代わってあげられたなら……」
「……メです、よ」
小さく囁く。顔を巡る包帯越しにくぐもった声は弱々しいが、魔女の耳にははっきりと聞こえていた。
「ロブエル! 気が付いたの!?」
「…………ィアス様」
「話さないで! あなたは」
「……んとなく、わかります。あたし、このまま、死んじゃうんですよね」
言い繕おうとして魔女は頷いた。
「ごめんなさい。あなたの体から毒を取り除く方法がないの。遠からずあなたは」言い澱む魔女に対して、ロブエルは無邪気そうに笑っていた。
「謝らないで、くださいよ。あたし、これでも、幸せだったんだって、感じているんですよ」
「どこが幸せなのよ! 日々を欲望の捌け口にされて、物として扱われて、挙句の果てにこんな酷い仕打ちなんて」
「本当に幸せだった……大好きな人がたくさんできて、憧れの人に看取られるなんて」
「まだよ、勝手に諦めないで! あの王女だって同じことを言うはずよ」
「ああ……姫様だったら言いますね。勝手に逝ったら連れ戻すって言われました」
すごいですね。ロブエルの口調は重くなる。
「聖龍様を引っぱたいてでも、あたしのこと連れ帰るだなんて、魔王様だって言わないですよね」
「あの王女ならではの傲慢さ。でも、わたしも同じ気持ちよ」
魔女は息の浅くなったロブエルの手を握った。
「あの王女に乗るのは癪だけど、聖龍であろうとも屈服させてみせるから」
「コーディニアス様が言われるなら、信頼できますね」
「だから、まだ逝ってはだめよロブエル。癒しでも解毒でも、あらゆる術式をいくらでも行使すわ」
「やっぱり姫様の言う通りだ……昔あたしの感じた通り。コーディニアス様は、すごく優しい片なんだ……って」
細かく震えるロブエルの手、指先から力が失せた。重みで、頭部が枕に項垂れる。魔女の耳を以てしても呼吸音は聞き取ることができなかった。
「くっ!」
手を握ったままで魔女は術式を起動させる。
治癒・解毒・修復・解呪。本人でさえもわかっていない混沌とした術式。
救いたい! 救済の祈りを込めただけの魔力の流動と発展。
それは意外にも魔女の内側の存在証明において心地良く馴染み、深く、繊細に、美しい紋様を描く。
浄化・抵抗・守護・安寧。更なる術式をも織り上げて、それはより高い次元の御業として魔女の内側より柔らかい光となる。
ロブエルは苦痛の泣き声を上げた。動かせるはずのない体が波打つ。全身より蒸気が立ち上り、痙攣は激しさを増す。
「逝かせないわ。生きなさいロブエル。あなたの考える程度の幸せがどれだけ些末なものか思い知らせてあげる!」
魔術の詠唱はない。魔女が紡ぐのは誰かへの想い。
当然のことだ。彼女の術式は、この世のどこにも存在しない。眼前に横たわり苦しむ者にのみ向けた祈りの言葉なのだ。
「賢人フィロソムが唯一の弟子。コーディニアス・ヴァイフェディアンの真名と命に懸けて、わたしの前で生死の自由なんてない渡しはしないわ!」
放散した柔らかな粒子たちが魔女の右手に纏わりつく。無機質ながら、生体的な濃密な気配を漂わせる淡い木漏れ日。それは手であり、爪であり、籠手でもあり、なにかが憑依した姿のようだった。物質と魔力の混合領域を侵す得体の知れない奇跡の具現装具。
類似する存在はあれど、これほどに神々しく、禍禍しいものはない。
この“爪指掌腕”であるならば、聖龍には届かずとも精霊くらいならば掴むことができよう。
故に、魔女はこの術式をこう名付けた。
「精霊義手」
八つの異なる術式が、互いを補い、混ざり合い、時には分離して別の式と混ざる。如何な微細な変化も“精霊義手”の前では意味を成さない。
ロブエルを汚染し、身を侵す聖水の成分など問題にならない。汚染を退け、侵食を修復する。
高位にして高度な術式は難解な制御と多大な精神疲労により魔女の心魂を削り取る。
被術者にしても生身で血管臓器を置き換えられるほどの傷みに体力を奪われる危険な術技。
魔女も夢魔も耐えた。
言葉ではない。目にも見えないが、確かにある信頼関係が二人を同じ気持ちで結びつけている。
玉の汗が瞼の上を、頬を伝う。
集中は途切れない。途切れるときは、高難度の術式行使を見誤る時だと自覚している。
闘うのは己が精神力。打ち勝つべくは常に自分自身。
紅く歪む視界を捨てる。
骨は掴んだ。
唇を強く噛みしめて意識を保つ。
指先が震え出すも、自然と笑みが浮かんでいた。
(どうして?)
魔女は心の中で理由を思索した。
思い浮かんだのは師が問いかけた問答だ。
始まりの獣は大河を渡って、二人の番人を越え、女神の待つ天秤には何を捧げるのか、と。
「わたしは知識を捧げます」
それは何故か? と師が問救うこ問いかけるようだ。
「身と尊厳がなければ、この娘を救うこと叶わないからです!」
感情と願いの込められた強い言葉はまさに詠唱に匹敵する。
完成された術式が滑らかにロブエルの体に浸透し、彼女の存在証明に巣食う総ての“澱”を退去させる。
力を使い果たした魔女は満足そうに瞼を閉じた。
心地い疲労感。子供らしい清々しい笑顔で、天井を仰いだ。冷たい石床が火照った体に冷静をもたらそうとするが、しばらくは無理そうだ。
眠気が襲う。熟睡へと誘う類ではなく、きっと僅かな休息のための小さく短い安らぎだ。目覚めれば力は巡り、また立ち上がることができるだろう。
その際は、きっと彼女も目覚めていて、再び言葉を交わすこともできる。
内容の如何は問わない。他愛のない話でも、今度はも少し穏やかに言葉を交わす。
賢才なる魔女が抱いた、些細な願いだった。
お待たせいたしました(;>_<;)
インスタにて色々な企画しています!
次回も一週間後を予定していますので、どうぞよろしくお願いいたします( ≧∀≦)ノ




