第二十一声「当然ですわ、王女でしたので!」
総ては力によりて生ずる、とはデモナリア魔王国建国以来に敷かれた唯一の国是であり真理でもあった。
「前王が魔王国としての初めての元首で、力を信奉する方だったと聞いております。エクスゴートという名の王で、豪漢や英傑と謳われるのが相応しい人物です」
「でもコーディニアスさん、その御方がおられたのはもう二百年は前になるのでは?」
「実際に我々を見て、もう一度同じことが言えますか?」
「見た目通りではないと?」
魔女は静かに頷いた。
「この世界に我々のような魔物が誕生したのは数百年もの過去。未だ世界の中心には、天高くそびえる塔があった時代です」
懐より取り出したのは今にも朽ちそうな写本。過ぎたる年月が革の表紙を指型に剥がし落としている。魔女は丁寧に開くが、数枚の古びた頁紙はこぼれ落ちそうになる。
真っ先に目に入ったのは「聖龍の巫女の福音」という部分だった。
「聖書ですか? しかもかなり古い」
「これは聖典の原書の写本。師より譲り受けた品です。清浄協会ができる以前の“聖龍教団”が記したとされる教えです」
失礼いたしますね。聖書を手に取るとルインは丁寧に、だが素早く目を通していった。
「魔物とは、塔から溢れた呪いを浴びて変化した人間です。時間と共に呪いが馴染んで安定し、更なる力を持つに至ったのが」
「デモナリア国民の皆様なのですね」
創世記だけを紐解いても、清浄協会版とは差異が大き過ぎた。魔女の持つ聖書は聖龍フラウバルクリムを間近で見知った者の主観記録なのだ。
「当時の、聖龍の巫女様が記した手記のようですね。随分と傾倒されている辺りが不安ですが」
「最初の巫女は聖龍と共に呪いを封印するために身を挺したと聞きました。手記の筆者はその下の世代の信仰者なのでしょう」
それにしても、とルインは母国のばあやの言動を思い出さずにはいられなかった。創世記は比較的客観的に描写されていたものが、突然主観と願望を剥き出しにした内容に変わっている。
「最初の巫女様が描き始めた記録をどなたかが、時代の巫女候補者らが引き継いだのでしょうか?」
「可能性はあります。教えはより過激に、一面的へと。想いはより重く、奉仕を義務へ、そして強制へと捻じ曲げる」
「なるほど。そう繰り返している内に急進派・穏健派へ分離。袂を分かちて、晴れて清浄協会の誕生ということですか」
「穏健派……源流の聖龍教団はもう現存しないでしょう。協会の連中が武力で以て焼き尽くしたのですから!」
ぎりと、奥歯を噛みしめる魔女を横目にルインは頁をめくり続ける。頁が進むにつれて、現在の聖書との差異は溝を埋めはじめる。後半が出来上がってから、それに合わせて前半を書き直したものこそが聖書の正体だ。
「天上の国とやらから溢れ出た呪いを浴びて変質した人々を、聖龍に仇成す存在として一方的にとは穏やかではありませんね」
「わたしは、協会を絶対に許さない!」
眼は怒りと憎しみを孕む。業火の如く燃え上がる情念を鎮めるための言葉はない。ルインの言葉など魔女には届くはずもないだろう。
「わたくしもコーディニアスさんに同感ですね。ある程度事が済み次第、協会に乗り込んで教皇様に会談を申し入れなければなりませんね」
「会談? すでに一国の王女ですらないあなたの要請に応じる道理などないでしょう」
「そこそほら、わたくし一応協会指定の勇者の母ですし、特典のひとつくらいは付くのではないですか?」
「馬鹿馬鹿しい! 勇者など紛い物です! その手記にも勇者などという記述は一切ありません! 協会が魔物を敵役として、自らを正当化するために用いた喧伝文句!」
「それだけとも限らないような気がするんですけどね。どうも協会側の思想と行動に一貫性がないというか、場当たり的というか」
「組織として大きくなれば有り得ることです。現に世界は聖龍信仰一色。他が入り込む余地など全くないのですから!」
そうですね。ルインは興奮し、激高する魔女に同意するように気勢を落とす。まだ結論を急ぐ段階でもないし、とりあえずは目の前のことを片付ける必要もあった。
「正しき力の儀というのは一体?」
「もう! あなたの頭の中には蜂蜜でも詰まっているの!?」魔女が地団駄を踏むのを見て。ルインは初めて苦笑を浮かべながら、魔女の感情が鎮まるのを見守っていた。
※
「正しき力の儀とは、前王エクスゴートが武勇を競うために作られた闘いの儀式です」顔を赤くしたままで魔女は咳払いを打つ。
「元より戦いがお好きな前王だったので、家臣や国民の諍いを認めるとその者らを闘技場に連れ込み、戦いあわせたのです」
「結構なご趣味ですわね」ルインの皮肉に、魔女も同意する。
「ですが馬鹿にもできないのが、真剣勝負を強いても、殺し合いはさせなかったのです。争いや諍いは蟠りによって生ずるが故に、その蟠りを取り除く手段としての闘技企画として用いたのです」
どことなく誰かさんに通じるものがあるという視線は送ってみる魔女。対して誰かさんも「それは面白そうだ!」という表情を浮かべていた。
「無論、中には血みどろの闘いとなる場合もありました。取り返しのつかない程の傷を負うことも。闘技は苛烈さを増し、闘いや争いを目的とするものに変容を遂げました。前王も元来、戦いを好む方。それらを楽しむのに抵抗などありません」
「人が辿るべき、当然の歴史というわけですね」
「一方、前王が暴君とも言い切れないのは、呪いに侵された人々を無制限に国内に受け入れたのです。自らと同じ境遇であるというだけで」
「エクスゴート様も呪いに苛まれておられたのですね」
「呪いは魂を蝕み、浸食し尽くした結果として肉体を変貌させます。ジェオンやロブエルの姿のように。魔物と称されようとも意思があるのは救いです。意思も記憶も失った果てに怪物と蔑まれて葬られた者はとても憐れですよ」
魔女ははっと我に返る。
どうもこの王女と話し込んだ挙句に脱線してしまう自身を戒める。
別にわたしはこの娘の家庭教師でも友達でもないのだから、と。
「闘技は続き、終には前王が自ら武舞台に立ちました。挑む者など誰一人いません。前王は武によってデモナリアを二百余年守り抜いてきた王に対して、真っ当な臣民は挑めるわけもありません」
「現在の魔王様が挑まれた。そして勝利されたのですね」
「その通りです」
現魔王様は圧倒的でした。魔女は噛みしめるように呟いた。
「以降の数十年、正しき力の儀は行われておりません。世界情勢が変化したこともありますが、それ以上に」
「前王様はどうされたのですか?」
「略式で王位を引き継がれて、自身の剣で胸を貫かれました」
「最期は王ではなく武人として逝かれたわけですか。殿方の浪漫とは血生臭いものですね」
「概ねにおいて同意しますが、お分かりですか? 明日はあなたがその血生臭い武舞台へと上がることになるのですよ?」
「てへ、そうでしたわね!」
瞼はパチクリ、舌先もペロリ。
呆れるという感情そのものが呆れていた。
「ジェオンは魔王様のように手加減などしませんよ?」
「そうでなくては面白くありませんわ!」
「おもしろ……あなたは確実に明日、あの獣人に嬲られながら殺されます。自殺願望でもあるのですか!?」
「そんな願望有りませんよ。でも、わたくし負けませんので」
「負けませんのでって」
「勝敗は時の運。わたくし運はこの世で一番持っている方だと自負しておりますので」
「屁理屈にもなっていない! あなたの言う事にはいかほどの確証もないではないか!?」
「それはそうですよ。確証なんてどこにもありませんもの。そうではなくてですよコーディニアスさん!」
べったりと蜂蜜塗れのパンの、最後の一欠片を口に詰め込まれる。魔女はうっかりと咀嚼して、その硬さと甘さに顔をしかめる。
「闘いとは常に自分と行うものなのです。理想と現状をせめぎ合せて、勝った方向へと一歩進む。そういった遊戯なんですよ」
もぐもぐもぐもぐ。
そんなことは詭弁以下だ!
机上にすら上がらない空理空論。
命懸けの武舞台を前に、どうしてそこまで自分の命にまで冷酷にいられるのか? 魔女は睨み付けた。
「お熱い視線も嫌いではありませんが、できれば明日はニッコリと優しい笑顔でお見送りをお願いしたいですね」
もぐもぐもぐもぐ。
誰がそんな真似してたまりますか!?
「照れなくても全部わかっていますよ。コーディニアスさんがお優しいことは。もう少しわかり易くされると国中で評判になりますのに」
もぐもぐもぐもぐ。
そんな風聞、立てられて堪るものですか!
「だってロブエルちゃんには優しいのでしょう? なら同じです。怖い顔をしているよりも、笑顔の方が皆は嬉しいのです!」
「勝手なことを!」
ようやく飲み込めた魔女の怒声にも、王女はへらへらとするばかり。
「当然ですわ、王女でしたので!」
席を立つなりルインは軽やかなステップを踏んで魔女を翻弄しつつ、厨房を後にする。外で待機していた白角種の背に飛び乗った。
「さぁホーンちゃん出発しますよ! 昨日の続きです。国境に向かってどこまでいけるのか!」
グルル。
勇ましく喉を鳴らした白虎。その疾走を止められる者はいなかった。
「もう……あの王女、ほんとにキライ」魔女は唇の蜂蜜を舌で舐めとりながら、魔王への報告問答を想定していた。
2021年内に、もう1話くらい投稿したいですね(^ー^)




