第十九声「国家元首命令だ。親交を深めろ。以上だ」
濡れた髪、汚れた下働きお仕着せのままルインネイスは宣言する。掲げた銀扇を獣人ジェオンへと突きつけて、はっきりと。
「どうですかジェオンさん。この決闘お受け下さいますか?」
魔女は現状に頭が追いつかずに口をパクパクさせるのみ。何がどうなれば決闘? 脈絡もない。今の今までこの場にいなかった、しかも魔王国とは関係ない小国の王女が飛び入って最初に言うことが決闘!?
「有り得ない……」終には思いが口から漏れる。
「ホントによ、ありえねぇな」意外にも同意したのは獣人幹部の方だった。魔女をわざと煽っていた歪んだ表情は険しい形相へと移り変わる。
「本気でもないエンド様とイイトコ闘り合えたんで勘違いしちまったか小娘? それとも調子乗ったか?」協会の娘を突き飛ばすと、獣人は剛腕を振り抜いた。鋭爪はルインに届くほどには伸びている。
ルインは一歩も引かなかった。
微かな変化すらも蒼眼には宿らない。
恐怖など微塵も感じてはいない。
勢いは五振りの戦斧、風を切り、衝撃を伴う。大木であっても半ばまでを削り切られる必殺の一撃。巻き起こる瞬間的な突風は質素ないお仕着せをはためかせ、銀髪をなびかせるが小さな王女には傷ひとつなかった。
「へぇ。オレが攻撃しないと読んだのかよガキィ?」
「読むまでもなく、あなたが仰ったではありませんか。平和主義者で専守防衛なのでしょう?」
「んなのテキトーかましただけだ。オレの気まぐれでお前は床の染みと肉塊に変わってたぜ」
「でもなりませんでした。その事実が総てですわ、ジェオンさん」
獣人の煽りに真っ向から煽り返す王女。魔女のように熱くなった頭を無理に冷やすのとはワケが違う。彼女は最初から冷酷で冷徹だった。
「あなたのような方は一見粗暴を演じられますが、至って怜悧な思考を放棄なさいません。ご自身の得意な戦場と戦術を用いて相手をじわじわ追いつめて、戦意を奪い去るが常套手段」
ピクり、獅子の片瞼が跳ねた。
「わたくしと同じ系統です。光栄ですわ」
「はぁっ! 冗談はよしなってガキィ! このオレがお前と同類なんざ吐き気がする!」
「まあまあ、照れられるお気持ちはよっく理解できますわ。こぉ~んな美王女と性格指向がピッタリだなんて、まるで天にも昇る夢見心地ですわよね」
「減らず口は命を縮めるぜ」
「あら、それは大変ですね! すぐにおしゃべりで愛らしいお口を縫い付けませんとね。あらあら、でも針も糸もここにはないのですね。残念ですわ」
「なるほどな。お前がムカつくわけだぜコーディニアス。神経逆なでするのが得意な小娘なんざよ!」
吐き捨てるように呟く。言葉には誰も応じない。
魔女でさえ、獣人をここまで手玉に取ったことはない。
平時はいつも煽られて、いつの間にか退路を断たれて、自分が折れては合理的な理由づけをする。
それがどうだ。小国の王女は、ほんの少し言葉のやり取りをしただけで、あの獣人ジェオンを苛立たせるに至る。
「まことに遺憾ではありますが、コーディニアスさんとの相性が悪いのは道理ですね。わたくしやジェオンさんのような系統は悪戯に波紋を拡げるだけですからね」
「方法論や美学やこだわり、何の足しにもならねぇな。だが今はいい。どうだってあしらえる。お前は違うなガキィ。真剣にブッ殺しとかないといけない手合いだ」
「それも残念ですわね。わたくし、ジェオンさんとならもっと愉快なことができるかもと考じておりましたのに」
「諦めな。お前はデモナリアには一切不要だ! エンド様がどう思うがな!」
「決闘をお受け頂けると思って良いのですね!」
「今死ね」
ジェオンは四足歩行の姿勢を取る。体骨格が著しく変動して肉体が変質。
ルインも銀扇を閉じて、体勢を低くとる。仄かに灯る黄金の粒子。蒼い双眼が一層深みを増した。
防衛本能と闘争本能による相乗作用。開かれる凶暴性と原初の理。それらは罅のように、傷のようにとめどなく塗り替える。
同時に石床を蹴ると突風が巻き起こった。肉体が常よりも強靭化された魔物が見てさえも追いきれない、人外以上の加速と爆発のような轟音。両者がぶつかりあった衝撃音と衝撃波は円周上に拡散されて、魔女らは立っていることさえもできない。
最初にそれを目撃したの魔女であった。
五つの鋭爪と銀扇の交錯などは存在せずに、代わりに受け止めたのが漆黒の美丈夫と黒い刀身だ。
「双方ともそこまでだ」
獣人の爪は黒剣で、王女の口には硬めのパンが突き刺されている。
「エンド様っ!」
「はおおはは!」
「決闘の件は了承した。エンドレイの名において明日、地下の円形闘技場にて執り行うこととする。双方とも各々の正しき力を示すことを望む」
儀礼としての決闘。
しかも国家元首の認可と名の下。獣人は爪を納めて、膝を着いた。
「エンド様のご采配に最大の感謝を! 正しき力は我らと共に!」
「期待しているぞジェオン。お前の真の力を存分に示せ」
「はっ!」
畏まるとも違う。なし崩しに戦闘突入したときとも異なる、戦士の貌。ジェオンは戦利品や協会の娘に目もくれずに、足早に何処かへと去っていく。
「物資は好きにしていい。ただ客の相手は俺がしよう」
構わないな? 魔王がジェオンの取り巻きに言葉をかけると、彼らはへこへこと荷をまとめて獣人の後を追った。
「大事はないかコーディニアス?」立ち上がると魔女は恭しく礼をした。
「わたしはなんとも……それよりも」
魔女は口にパンを詰められたままの王女に目をやる。戦意が嘘のように失せて、硬いパンを啄むように味わっていた。
「正しき力の儀を?」
「問題はあるまい。この場で二人に本気でぶつかられる方が被害は大きい。ジェオンには立場もあることだしな」
魔王は剣を何処かへと仕舞うと、王女の頭をわしわしと撫でまわした。
「それに勇者の力とやらを目覚めさせる方法には、闘争がもっとも有効だろう」
「如何な勇者と言えどジェオンが相手では……その」
「お前は姫君が心配か?」
本人が居る前で、面と向かって訊ねられると反発したくなる。
「外交上、コレは切り札になり得ます。下手に傷でもついたら」
「その時はお前が治してくれるのだろう?」
「お、お師匠様に治してもらいます!」
「無駄だよ。お前の治癒を受けるまで、何度だって傷を作ってくるさ。この姫君はな」魔王はルインの頭を撫でることを止めて、踵を返した。
「協会の娘は牢へ。暴行も尋問もしばらくはなしだ。最低限の生活はさせておいてやれ」兵士は深礼にて応じる。
「コーディニアスは姫君を頼む。明日の儀のことを教えてやってくれ」
「わ、わたしがですか!?」
「国家元首命令だ。親交を深めろ。以上だ」
「ま、魔王様!」
国家元首は振り向かない。悠然と執務室へと向かい、消えていった。
取り残された魔女。
パンを二割ほど啄み終えた王女はニッコリと頬を持ち上げる。
「コーディニアスさん、柑橘のジャムとかがあると、嬉しいのですが?」
なんなんだ、この娘は!?
魔女は深く溜息を吐いて、トボトボと厨房へと爪先を向ける。




