第十八声「オレは態度がちょっと良くないだけの、ただのしがない獣人だ」
王城の水浴み処は頑丈な石造りで、天井もそれなりに高い。さすがに利用率が高い場所だからか、手入れは行き届いている。水車で汲み上げた地下水をある程度濾過したものを注ぎ口から流すありふれた造りで、溜め置くこともできる。
湯船にひたひたに溜めてから飛び込みたい衝動を抑えつつ、ルインは灰汁を水で薄めて雪のような銀髪の汚れを丁寧に洗い流す。灰汁だけでは物足りないと、野山で見つけた何らかの果実の皮を一緒に漬けこんでいる。実はもちろん美味しくいただいた後だ。
甘い香りの割には酸味が多いばかりの果実を三つばかり平らげるとお腹は満たされる。あまり好きではないが、王宮の焼き林檎が少し懐かしい。日に五度は飲んでいた紅茶の芳香を浴びたい。
「むしろ紅茶を浴びたい気分ですね」ずっと侍女らに体を洗ってもらっていた王女が自身を洗うことに抵抗はない。絹製の浴布が、汚れた質素な布に変わっただけだ。体は柔らかい方で、両腕共に背中に回るので手の届かないところもない。
寸胴で細っこく、女性的な丸みの一切ない体。
洗いやすいが、先刻まで傍にいた夢魔ロブエルと比べると言葉は失せる。
アサンも細かったから気にせずにいられたが、身近に爆裂肉感の若い女性がいると羨ましくて仕方がない。温暖湿地な気候の所為か、薄着な者が多く露出も高い。
「アイセンブルグは寒い国なのですね」よくよく思い起こすと、身の回りの侍女たちもお仕着せの内側に大いなる神秘を秘匿していたに違いない。
「そういえば、ばあやも結構ありましたね」
今更ながら聖龍を信仰して女らしい体に育つのならばとくだらない考えを抱く。それならば勇者の母たるルイン自身にももっと存在してもよいのではないか。
「フラウバルクリムのけち」ざばーっと手桶から水を被る。髪の間も綺麗に流す。出来得る限りの最善の身だしなみはできよう。
しかし体を拭くのはあまり清潔とは呼べない布きれ。拭いては水気を絞りを繰り返す。袖を通すのは昨日でボロボロになったお仕着せ。替えの服が見つかり次第に洗濯しなければと、愛着も沸く。
髪を乾かす時間はないので、結びも編みもせずに解いたままで彼女は浴室を出た。
時刻はまだ早朝。空はやや青みがかっているが陽はまだ低い。
本格活動していないデモナリアの王城を探検する時間だ。
「まずは魔王様との対談と行きますか」
ととと。軽やかな足取りで濡れた髪をなびかせ、下働き風の王女は執務室へと駆けだす。王城の構造は既に把握。階段は一段飛ばし。軽快にして疾風怒濤。思考と体はワクワクで満たされている。
が、急に足が止まった。
遠くの声を耳が拾う。
どうやら早朝から穏やかならざる雰囲気だ。
野次馬などとは品がないと心中で熟考するも、それも刹那。王女は踵を返して階下へと駆けおり始めた。
予感がする。
きっと良くない類の予感だ。
※
「ジェオン、貴様これを一体どう説明するつもりだ!?」
「説明も何もよ、差し出すってんだから貰ってやっただけじゃねーか。一々腹立てなきゃ挨拶もできねーのかよ魔女様よ!」
コーディニアスは感情を抑えようともせずに、ありのままの怒りを獣人ジェオンへと叩きつけた。視線の先には獣人と、その取り巻きらが運ぶ荷車。下ろされた少なくない木箱と水瓶。食料や水、酒にその他の嗜好品などが見受けられる。それに手足を縛られた女が一人。猿ぐつわの所為か、はたまた恐怖の為か声は発さないが怯えた様子で体を震わせている。
「イグリアとの境界を侵して略奪を行ったとしか考えられない有様だ。釈明の余地など微塵もないが、念のために訊ねてやる。答えろジェオン!」
「これだから頭でっかちのカッチカチ女は嫌んなるぜ。基本平和主義者で専守防衛のオレがエンド様の命もなしに勝手するわけねぇだろうが?」
「平和主義者? どの口が言う!」
「オレは態度がちょっと良くないだけの、ただのしがない獣人だ。この国で最速の脚を持つ。そんなおっかない顔で睨まれると怖くてしょうがねぁな」
オレまで震えちまうぜ! 拘束された女の顎先を弄びながらジェオンは肩を大きく揺らせていた。取り巻きらは喉を鳴らして笑う。明らかに魔女など怖れていないように。小馬鹿にでもするように。
「嘘なんて吐いてないぜコーディニアス。こいつらは無断でデモナリアの国境を侵犯しやがった。聖龍教団の奉仕団体だ。どうやって侵入したのかまでは知らねぇが、問題はそこじゃねぇ! 侵犯だ。なぁ女ぁ!?」猿ぐつわを引き下げられて、女は小さな悲鳴を上げた。
「聖龍フラウバルクリム様の加護も恵みもない卑しき魔物たちにも救いがあっても良いと、我々、清浄協会は考えています! だから、かどわかしたアイセンブルグのルインネイス王女を国へとお返しなさい! ここにある物は総てお渡しします! 聖龍の深い加護を浴びた我が身を引き換えに……っ」
「お前を引き換えに、どうしたって?」
「ひぃ! アイセンブルグの王女を……」
「お前があの娘の代わりに八つ裂きになってくれるってかい?」
「あ、ぁぁぁああ、フラウバルクリム様、どうか哀れなわたしに大いなるご加護を!」
女は顔をひきつらせたままで、胸の聖印を強く抱いた。
「こんな調子でよ? 優しいオレとしては処分に困ってねぇ。置いとく訳にも、お帰り願う訳にもいかねぇだろ?」
清浄協会に属する慈善団体。魔女にもいくつかの心当たりはあった。
「この娘が一人でとも思えない。他には?」
「全員ヤッた」獣人は血に汚れた聖印を五個、放り投げる。清浄協会に属する者なら誰もが持つ木彫りの丸い聖印。
「殺める必要があったのか!?」
「バカ言うなよ? 国同士の取り決めさえもわかってねぇ下っ端がオレらの鼻先庭先をうろつこうなんざ、それだけで充分大罪だ! それにこいつ以外は生粋の協会騎士級だ。モタモタしてっとこっちがヤラれる」
獣人の言が本当であれば撃滅は妥当だ。
協会騎士級の腕前は、世界連合の精鋭にも劣らないと聞く。特に【樹】と【花】を冠する称号を持つ幾人は世界屈指の使い手であるとも噂されるほどに。
「魔女コーディニアスさんよぉ、他に質問はあるかい?」獣人はわざと屈んで魔女を覗き込むように舌を出した。
「ご苦労だった。現場と遺留品、持ち込まれた品はわたしが見聞する。そちらの娘の身柄も預ろう」
「はぁ!?」獣人ジェオンの表情が一気に険しくなる。
「オレの手柄を独り占めってか?」
「協会より持ち込まれた物など、なにが含まれているかわかったものではないだろう!?」
「オレの鼻に賭けて毒なんて一切ない。これはオレたちの正当な取り分だ! エンド様だって認めている!」
「協会の目的を探る必要はある!」
「だったらお前が他の慈善団体でも狩って調べろよ? こちとら命懸けの任務でクタクタなんだよ! これ以上ツマらない御託並べるんだったら本気で八つ裂きにするぞ」
爪が小剣程に伸び上る。ただの爪ではなく、呪いの影響でより硬くなった獣人の凶器。戦闘の後というのは真実なのか、獅子の貌は平時とは比べ物にならない殺気を宿す。
「わかった。荷は好きにするといい。だが娘は置いていけ。聞くことがある」
「お前の趣味も大概にしろよクソ魔女。コレもオレ達の戦利品だって言ったろ? 言ったよな? じゃあそー言うコトになるだろ!?」獣の鋭爪が娘の長衣を引き裂く。未だに成長半ばの、若い肌が露わになる。
「この協会の雌犬はな、さっきのオレとの戦いに巻き込まれてとっくに死んでんだ。だから何をしても関係ねぇし、どうなろうが構いやしない。使えるんならこの城で夢魔として沈んでもらう。お前がご執心のロブエル同様な!」
剣の爪が娘の柔肌に食い込んでいく。獣人が僅かでも指先に意識を向けるだけで、鮮血が撒き散らされるであろうことは必至。
魔女は合理的な解答を見いだせない。
娘を殺させたくない。情報が得られなくなる。
果たして、この娘から有益な情報など引き出せるのか?
その後は? 母国へ送還する? 無理だ。
国土侵犯者とは言え、隊は壊滅。それこそ戦端が開かれる理由にされるだけだ。
魔王に伺を立てる? 無意味だ。あの御方であれば様子見のために娘をしばらく城内に軟禁するを選ぶはず。
かと言って、捕虜に夢魔(つまりは娼婦)の真似事をさせる道義的問題。
憎い清浄協会の信徒。どうなろうと構わない?
まだ年若い娘。怯えきって心が擦り減っている。
この娘を夢魔として飼えば、ロブエルの枠が埋まり、彼女を解放できる?
馬鹿な考えだ!
「話は終わったなコーディニアス」
「あまり手荒には扱うな。聞くことは山ほどあるのだから」
魔女の呟きに、応じる者はいなかった。
「ちょぉぉぉぉぉっとお待ち下さいなぁぁぁぁぁっ!」
螺旋階段を二段飛ばしで駆け降り、勢いを活かして壁面を蹴る。反動で手すりを、そして壁面へを繰り返す。
最終的には硬い石床をゴロゴロと前転の連続で総ての衝撃を殺しきる。
両手を高く掲げた立位での制止に、魔女も獣人も取り巻きも、協会の娘も、さらに遠巻きの城仕えらも視線を奪われる。
「お話はおおよそ聞かせて頂きました」銀扇が開かれて、アイセンブルグ王家の象徴が露わになる。
「獅子顔のジェオンさんですね。ひとつ、わたくしと決闘を致しましょう!」
「なっ!?」
「はぁっ!?」
面食らう二幹部を前にルインは不敵に姫微笑を浮かべる。
「公明正大、公平かつ確実に決着がつく方法で!」




