第十五声「わたくしの流儀は、やられたら倍返しですわ」
古今東西の衣類がごった返している。
上流貴族の正装から、下働きの一枚着まで。衣装殿とは名目上のことで、ここはただの物置だ。衣類が雑多に詰め込まれているだけの大きな納戸、または倉庫。
「デモナリアとは国交もありませんでしたし、まともな外交に応じる国などない故にこの扱いですか」ようやく着丈が合致しそうなドレスを見つけたが虫食いが酷い。修繕をしたいが技術がない。針に糸は通せても、果たして縫い方に心当たりはない。服の意匠が好みなだけに、下手に手を加えるのも躊躇われる。
「まあ、出来ないことを嘆くよりは、行動することこそ美徳! 誰かに教われば良いですね!」
ルインネイスは破れ果てた母国のドレスをさっさと脱いで、楽なお仕着せを適当に着込む。罅の入った姿見で確認するも、どこにでも居そうな下働きの娘の姿だ。ただ、銀の髪色だけが目立つ。
「えっと……確かアサンはこんな風に」平時は両側で三つ編みにしている髪を一纏めに編みこんで、ぐるぐると頭頂部に巻き込んだ。それを粗末な頭布をほっかむりで目元まで収めれば、もう誰も元王女などとは思うまいて。
「これはこれは! どこからどう見ても王城仕えの下働き娘ではありませんか!」
クルクルと回るが質素で重いスカートはドレスほどに舞わない。それでもルインネイスは歓喜に満ちていた。
「ばあやはお仕着せなど許してはくれませんでしたしね」ペロリと舌を出す。背丈よりも長い箒をクルリと取り回す。その様は熟練の棒術使いであるが、衣装殿の汚れはルインネイスの棒術を以てしても手強い。高いところの埃を落として、水拭きと乾拭きで仕上げていく。箪笥や棚はそれでよかったが床にこびり付いたような汚れやシミは掃こうが拭こうが微動だにしない。
「ここは熟練者に教わるしかありませんね!」
教わるだけでなら他者の業務圧迫もない。箒と雑巾と手桶を装備したままで下働きのルインネイスは軽やかに駆け出す。
王城内を駆け回る下働きなど存在しない。巡回兵や文官相当の魔物らと幾度も邂逅するも、彼らは面食らい箒や手桶から廊下の端へと身を躱す。
「ごめんあそばせ~!」とスカートの裾を持ち上げたままでも足を止めない小娘を、目を丸くして見送るに留まる。
「魔物だなんて、よくもまあ」幼い頃より聞かされてきた清浄協会の伝話や聖書を思い返す。角の生えた者。涸れた翼を持つ者。獣のような風貌の者。手が長く脚が短い者。耳が長く尖っている者。異常に大柄な者。深い体毛を持つ者。鋭い爪牙を持つ者。しわがれた声音の者。恐ろしい顔付きの者。確かに姿形はルインネイスが知る人間とは異なっていた。
それとて見かけだけのことだ。
白銀の髪と白い肌、アイセンブルグ王家特有の蒼眼。それらは親友のアサンと異なっている。アサンの黒い瞳と髪。南の国特有の褐色の肌。さらに挙げるなら言葉や文化、思想に趣向、生い立ち。なにひとつとっても違う。
現に王族のルインネイスは自身と同じく人間に属する者達に命を脅かされた事の方が多い。外見などいくらでも取り繕えるのだ。
魔王の真意は別にしても、客分とは体の良い言葉。王城の大半がルインネイスは人質か、外交の道具だと考えているのだろう。そんな元王女が好き勝手にしていても誰も諌めようとしない。
「実際にコーディニアスさんに叱られはしましたが」
牢に閉じ込められるくらいは覚悟していたのに、拍子抜けだ。
もしも、アイセンブルグに魔物の国の王女が連れてこられたとして、王女は恐ろしい姿をしていたとして。今のルインのように城内を好き勝手に奔走していたなら、衛兵は恐れながらも迷わず槍を突き刺しているだろう。王女の風貌が恐れるに値しないという問題はあった。
「これでも勇者の母となるらしい身の上なんですがね」自身でさえも信じていない滑稽な予言を笑い飛ばした。
王城の中庭を下へ下へと向かい、石段を跳ね降り、時には手すりを滑り降りた。満点の着地。眼前には城門。王城壁の内側だ。薄着で外壁の補修をしている者が多く目立つ。木材を運び込む者や、それらを加工する者。
万年雪氷のアイセンブルグとは違い、デモナリア魔王国はやや蒸し暑い。うっかり雑巾で汗を拭いながら、ルインは唖然とする場内の下働きらを前に、手桶の上に立つ。
「どなたか床の汚れをとる達人はいらっしゃいませんか? わたくし、アイセンブルグより参りました第一王女ルインネイス。ただいま衣装殿の大大大掃除の任を果たすべく、先達の貴重なご意見を賜りたいと存じます!」
よく通る高い声と独特の言い回しに、足を止めて振り返るものは多い。奇異な視線を向ける、ひそひそと囁き合うものも。
「皆さまのその技術を、魔王様のために役立てましょう! 時は今をおいて他には無し!」
人だかりが遠巻きになる。仕事に戻ろうとする者も。
「デモナリア王国臣民の皆さん、わたくしと共に大事を成しましょう!」
「おい仕事の邪魔だぞチビ! 演説ごっこがしたいなら国境でして来な!」
応じたのは外壁で大石を積み上げていた、これまた屈強な大男。肌は焼け爛れたように赤く、ところどころ紫だ。外側へゆったり屈曲しながら天を指す角は鋭く、角先までを数えるとちょうど王女三人分の背丈だ。
「まさにオレらは国の大事に備えてるんだ。外壁を積み上げて、大木杭を数百削り上げる。昼も夜もねぇ! どこの誰かは知らんがチビ、仕事の邪魔をするってんなら叩き出すぞ!?」
上半身を裸で、それでも汗だくの大男。暴力的な筋肉の隆起は丸太数本を抱えてもびくともしないだろう。
「なんだチビ? 威勢の良いのはもう終いかよ?」
「あ、いえ。気勢が削がれたわけではないのですが、おじ様のご立派な肉体美に見惚れておりました」
「あ?」
「素晴らしい肉付き! それほどの肉体を得るに至るまでには相応以上の過酷な訓練試練を乗り越えられたことでしょう!」
「あ、ああ。まあな。ガキの頃から力仕事ばっかでよ、気が付きゃ自然とこんなガタイよ」
「ご両親、、、お父上様かお母上様も大柄なのでは?」
「おおう! うちは親父がチビだったけどお袋がでかくてな。ガキの頃はよくどやされたもんだぜ」
「お母上様の血でしたか。お父上様が小柄だというのは意外ですね! どうです、わたくしよりも小柄でしたか?」 突拍子のない問いに大角男は声を上げて吹き出した。
「バカ言ってんなよ! そこまでチビなわけねぇって! 俺の頭ひとつ小さいくらいだ!」
「ですわね! わたくしも背丈が小さいことに劣等感をもっておりますので、大きくなれるための助言などありましたらご教授頂けますか?」
「俺くらいまででっかくなりたいってか、嬢ちゃん?」
「はい!」
大角男が、そして現場の作業員たちが野太い大笑いを上げる。
「俺くらいデカくなったら嫁の貰い手がねぇって! なぁ?」
大角男に同調するように作業員たちが手を叩いて、または腹を捩る。
「あの見かけで親方くらいデカいとか……くく!」
「なんの冗談だよ!」
「いひひひ、腹痛いっ!」
「デッカくて寸胴な小娘!」
笑い転げる作業員の誰かにルインは頬を膨らませる。
「背が大きくなれば自然にお胸も大きくなるんです! それが自然の摂理なんです!」
笑いの業火に、再び燃料が投下されるの如く。
「いやいやわからんぞ嬢ちゃん! 背だけ伸びても小さいままの女なんざ大勢いるって! ウチの嫁もそうだ」
「ウチもウチも!」
「おれのとこは巨乳だぜ!」
「おまえの女房が大きいのは胸だけじゃねえだろ!」
わいわい、がやがや。
「筋肉が素敵な親方様はご結婚されていたのですね。残念ですわ」
「はは。そういうこった。嬢ちゃんにも貧乳好きのいい相手ができるといいな!」
「わたくしには溢れる希望の未来が詰まっているんです! すぐにコーディニアスさんやロブエルちゃんを超えるんです!」
「よりによって魔女様を超えるってか!」
「ロブエルだって相当な茨の道だぞ!」
作業員たちが好みの女性談議に花を咲かせる。手を止めるわけではなく、殺伐とした空気は緩慢へと。いつ以来だろうか? 誰とはなしに自分に問いかけていた。仕事終わりに酒を飲み騒ぐことも少なくなった。
大陸東端の蒸し暑い気候は今より数か月のみ。それより先はぐっと冷え込む寒気に支配されるのだ。気温だけのことではなく、魔王国の向かう先にも寒気が訪れるのかもと、内心で感じている。
「嬢ちゃん、さっきコーディニアス“さん”って言ったか?」
「ええ、コーディニアス“さん”ですよ。それがどうしましたか?」
大角男だけが顔から笑みが消える。
「魔女様を“さん”付けで呼ぶような奴は魔王国にはいねぇ。魔王様は元より、四大幹部も基本は同格扱い。お前一体?」
「それも先ほど名乗りましたよ親方さん」
手桶を降りて、ほっかむりを無造作に剥いだ。
ルインネイスが髪を振りほどくと美しい銀色の髪が自由を得る。白雪の頬にうっすらと赤みがさす。ゆっくりと持ち上がる瞼の下には、万年氷の蒼き双球。
「わたくしはルインネイス。雪と氷の小国アイセンブルグが第一王女。昨夜よりここデモナリア魔王国にてお世話になっておりますわ」
今度は丁寧にスカートの端をつまんで僅かに膝を折る。目にしたことがなくとも、その動作が一朝一夕に身につくものではないと大角の親方も作業員たちも固唾を飲んで、目を見開いていた。
何人かの作業員が地に膝を着き、頭を下げる。
ざわつき、どよめきが起こる。
小煩くはしゃいでいた妙な小娘はそこにはいない。
あたかも魔王国の元首がいるかのような圧倒的な存在感。凍りつくような空気。魔物だ怪物だと怖れられ、迫害されてきた彼らでさえも竦んでしまう蒼眼。目が合うと、肉体自慢の大角男でさえ膝を折ろうとしてしまう。
幹部に対しても仕方なく臣下の礼を表わすための、見かけ上膝を着く。大角男が魔王国で唯一認めるのが国家元首の魔王のみ。眼前の小さな自称王女は、それと同等以上の存在感を放っていた。
「嬢ちゃんが、さらわれて来たっていう異国の姫か?」
「はい! わたくしが雪国からさらわれた姫です!」凍てついた空気は立ち消えて、先ほどのような緩くて和むように王女はけらけらと笑った。
「ですが、現在は姫をしている場合ではありません! わたくしは王城の衣装殿の清掃を一任されました! 言わば清掃担当大臣のようなものです!」
小さな拳を振り回して、頭の悪い力説に作業員たちは安堵の息をした。
「わたくしは慈悲深いコーディニアスさんと約束しました。必ずや衣装殿の全清掃と衣類の洗濯をすると、わたくし一人の手で成し遂げると!」
抜群の平衡感覚で再度、手桶に上がる。
「その大事ってのが掃除と洗濯か、嬢ちゃん?」
「如何にもです!」
薄い胸を張る王女に、大角男は苦笑いを浮かべる。
「一人でやるって言ってたが、何が望みだ? 俺らだって仕事がある。それに王城の衣装殿までは入れねぇ」
「皆さんの中に、石床の酷い汚れを取る方法をご存知の方はいらっしゃいますか? あとドレスの洗濯方法とかも?」
「なんにも知らねぇで引き受けたのかよ?」大角男は呆れるが、当の王女は猫のような口を作って笑みを浮かべた。
「知らないからやるんですよ。やりたいからやるんです! 知っていることは知っているからやりません」
「ハチャメチャなこったな、まったくよ」
「姫ですからね!」
大角男も王族と相見えたのは魔王以外なら、眼前の自称王女が初めてだ。
姫だからで済むのか?とは突っ込まないことにした。
要するに“この姫だから”が正解なのだ。
「石床なら通常は研磨……削る、磨くで汚れはなくなる。表面だけじゃなくて中に染み込んでいるのなら、交換した方がいい場合もあるがな」道具なら予備のが自宅にあると大角男は呟いた。
「ドレスの洗濯はよく知らないが、ウチの嫁はキレイ好きだ。自分で洗剤の調合なんかもやってるみたいだから、ついでに話を聞いてくればいい」
王城の門を下り、広がる深緑の森の一角を指さした先に川があり、そこに集落がある。大角男は後頭部を掻きながら教える。
「親方、ありがとうございます! このご恩は必ずやさせて頂きます!」
「いらんいらん」王女を邪険に払い除けようとする姿を、作業員たちは生暖かく見守る。
「そうは参りません! わたくしの流儀は、やられたら倍返しですわ」
「そうかい。せいぜい正しい力であることを祈るぜ、姫嬢ちゃん」
「はい! 行って参ります!」
ルインネイスは親指と人差し指で作った輪っかを頬張り、高音域の調べを奏でる。
疾駆する白い猛威。外見上は頑健な巨虎。碧眼と突き出た長剣の刃渡りに相当する衝角。大角男にさえ匹敵する体躯の四足歩行獣が地鳴りを伴い参じては、遥かに小さな王女にその衝角に触れることを許していた。ただ現れただけの衝撃で作業員は吹き飛ばされて、または逃げ惑う。
「虎獣魔! しかも希少種の白角種かよ!?」
「ガイコツオジ様も仰っていましたね。珍しい猫ちゃんなんですってね」
「猫ちゃん?」これが?
グルルルルルルゥゥッ!
喉を鳴らすだけで恐怖を呼び起こすような猛獣を指しているのか?とは言うまい。まったくもって、この小娘は色々と珍妙だ。虎獣魔などよりも遥かに希少種のようだ。
「では親方、また」
「お、おおう!気をつけてな」
正規軍の中隊に匹敵する猛獣の背に跨る王女に対して、何に気をつけるのか? 大角男は笑うしかなかった。
「嵐みたいな小娘だったな」
間が抜けているようで、度胸も胆力もあって、愛嬌もあるし、なにより底が知れない。背筋が凍るような蒼を宿した、さらわれた雪国の王女。
「親方、いいんですかい?」
「良いも悪いもねぇよ。あの姫嬢ちゃんは、もうデモナリアに来ちまってるんだからな」
「じゃなくて……」
あん?
あの姫嬢ちゃんがこの魔王国を引っ掻き回していく将来のことではないのか?
「なんだよ、他に何かあんのかよ?」
「親方の集落に、虎獣魔が強襲するようなもんですぜ?」
…………、…………!!?
ルインネイスには届く由もないが、大角男の魂も抜ける超絶叫がこだました。 そして、大角男の集落においても、阿鼻叫喚の悲鳴が上がることとなる。
夜勤挟んでペース乱れています(;>_<;)
がんばりますね!




