第十三声「はい。あたしにはコレしかできませんから」
「コーディニアス様……」
夢魔のロブエルが恐る恐る口を開くが、魔女は振り返らないし応えない。カツカツと、高靴が石床を鳴らすだけだ。消沈したまま夢魔は上官の後ろを黙したまま早歩きで付き従った。 魔女は王城の中核部ではなく、居住区の方へと歩みを進める。時折、城兵たる魔物らと鉢合わせるが、不機嫌そうな魔女を見るなり最敬礼を取り道を空ける。魔女よりも遥かに屈強で大柄な男兵でさえ同様に。
このデモナリア魔王国で魔女コーディニアスを軽んじる者はいない。最年少で女性の幹部として並び立つ本物の賢者なのだ。外様ながら才を買われてデモナリアに籍を置いたことは夢魔にも記憶に新しい。年頃の近い、才能ある女性が出世していく様をずっと見てきたのだ。
居住区のさらに離れ。常駐兵が酒や賭博を楽しむ社交場を抜け、一層暗い地下の小部屋が幾つか。途中で管理人たる翼人の女が座している。
「コーディニアス様! どうしてこのような場所へ!?」
「この娘の部屋は?」
「一番奥です」ロブエルは恐る恐る答えた。
「少し話がある。鍵を開けて」
翼人は乱れた衣装を正しながら鍵束を掴み、急いで魔女の命に従った。
「偉大なる魔女様、ロブエルがなにか粗相でも!?」
「話がしたいだけ。ここの客どもと一緒にしないで」
翼人は深く頭を下げて、心配そうに夢魔を見つめた。
「それと」魔女は一層冷たい声音で「隠し立てる必要もないけど、わざわざ口外もしないで。ジェオンあたりが喜んで足元を掬いにくるでしょうからね。わかった?」純度の高い赤鉱石を翼人に握らせる。 翼人は大きくはっきりと頷く。扉が開き、二人は中に入る。本来の用途とは異なるが、防音効果が高いので密談などには打ってつけとも言える。
翼人は夢魔が罰せられたりはしないかだけを心配して、奥の部屋扉をじっと見つめていた。
※
手狭な室内に強い香料の匂いが充満していた。
石壁に粘性の泥を塗り固めて防音性を高めてある。
ロブエルは魔女の意図がわからないままに、手慣れた様子で洋灯に火を入れた。部屋には小さな棚と寝台があるだけだ。棚には細々としたものが詰め込まれていた。引き出しを開けると、ロープや拘束具のようなものも多数ある。
魔女がよくよく鼻を効かせると、香料に交じって酒の匂いと、獣臭に生臭さ。
魔女は顔をしかめて、引き出しを閉めた。
「コーディニアス様。あたし同性の経験はあまりなくて粗相をしてしまうかもしれませんが、一生懸命しますから」ただでさえ薄着の夢魔が上着に手をかけたところで、
「聞いていなかったの? わたしは話があると言ったはずよ」
「あ」間の抜けた顔をして、夢魔は上着を戻した。
「ここは嫌な場所ね。部屋というよりは小屋みたい。綺麗にしてあるけど酷い臭い」
「お客様はあまり気にされません。シーツも毎回交換できるとも限りませんし」
「初耳だけど、女性も利用するものなのね」
「ほとんどはさっきのウィンダさんをご指名で、あたしは三回くらいしか」
「そう」
興味もない話をするために、こんな場所まで出向いたわけではないとコーディニアスは従順に立ち尽くす夢魔の全身に視線を巡らせる。やや身長は高くても細身。それでいて女の柔らかさや丸み、くびれのめりはりがある。黒い髪も、不充分ながら毎日手入れされている。浅黒い肌は呪いによる変質でどうにもならないが、同じ境遇の魔物たちからしたら気にはならないだろう。この獣小屋の小部屋で、洋灯二つが照らす中ではそれさえも扇情的に映るのかもしれないと、魔女は脳内で完結する。
「これがあなたの仕事よね?」
「はい。あたしにはコレしかできませんから」
「書類整理や簡単な掃除よりもコレの方が向いている?」
「あたし不器用で、頭も悪いから、字もなんとなくしか読めません。数字と名前くらいしか書けません。鈍くさいからすぐに物も壊すし、コレがなくなったら、多分生きていけません」
自嘲気味に視線を落とす夢魔を見ていると、魔女は再び怒りが込み上げてきた。それが元王女に対しての感情とは違うことだけはしっかり理解していた。
「なんの覚悟もなく努力もしない負け犬ではそうでしょうね」
「はい。あたしは昔からお荷物だって言われてきましたから」
「だから闘わないで、その意思も捨てて男に縋り付くの? こんな豚小屋の中で囲われるの!?」
「生きていくためですから。生きていれば、いつかまた家族と会えるかもしれませんし」
「自分をお荷物だと嘲るような家族と再会したい? どこまでも愛玩動物ね、あなたは?」
夢魔は無邪気に笑った。
「本当にそうなんですよ。あたし、何の取り柄もなくて迷惑ばっかりかけて。でもコレだけはできたから。みんな気持ちいいって言ってくれるし、あたしも誰かといる方が好きだし、合ってるのかなって」
イラ!
こき下ろすために、認めさせるために吐いたわけではない。
それ以前に論点がずれたと、魔女は本題を切り出した。
「それで今度はあの小娘に取り入るの? どんな手を使ったのか知らないけど。ああ、あの小娘もそういう趣味でもあるのかしらね」
雪国訪問時に侍女を治療したことを思い耽る。
大切な存在を救うためとは言え、突然の訪問者に総てを任せるほどの大事を即決したほどの度胸。
卑しい趣味など持ち合わせないことは明白だと、魔女は思考の中でそれを否定した。
「姫様のご趣味まではわかりませんが、あの方はすごく優しくて、あたしは姫様のこと好きです」
「あの小娘はただの人質。もう姫でも何でもない」
「人質なんですか? そっか。じゃあ、なんかすごい人ですよね」
「はぁ?」
「だって、昨晩この国に着いたばかりで、あんなにお元気にされているなんて。あ、巨鳥の上で眠られたと仰っていましたっけ?」
「魔王様の巨鳥で眠れるなんて異常です」
「ですよね」
ふふ。ロブエルは嬉しげな声を上げた。
「あの、コーディニアス様。お話というのは?」
きょとんと幼子のような表情を向ける夢魔に、ため息が漏れる。
「あなたの主君はあくまで魔王エンドレイ様で、あのお転婆娘ではありません。そしてあなたの本分はあの娘の侍女ではなく、この部屋の中だということを覚えておきなさい」
夢魔は首をかしげる。
「覚悟も努力もなく、中途半端に逃げ続けたあなたの現状がこの部屋そのもの。相応です」
「あの、ごめんなさい。あたし頭悪くて、えっとつまりどういう?」
「あの小娘に必要以上に付きまとって調子に乗せることのないようにと言うことです! わかりましたか?」
夢魔は悲しそうに俯いた。
僅かな罪悪感を覚えつつ、コーディニアスは取っ手を回した。
「なにをしているの、早く来なさい。わたしの部屋の資料整理を手伝いなさい。あの奔放小娘の件で備えることが多いのです。猫の手であっても要りようなのですから」
「あ、はい! でも、あたし、字が……」
「字くらいいくらでも教えます。ただし厳しいですよ。恨むのなら、これまで努力を怠ってきたあなた自身を恨みなさい」
「はいっ、ありがとうございます!」
にっこりと幼子が笑顔を零すように、ロブエルは飛び跳ねた。
「姫様の言う通りに、コーディニアス様はお優しい方です!」
「わたしの優しさをじっくり教えてあげないといけないわね」
いつの間にか緩んだ表情を引き締めて、魔女は澱の溜まった小部屋を出た。




