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第6話 迫り来る現実

それは世界を救う勇者として、大樹が召喚された次の日の夜にあった出来事。


「ここ……どこ?」


神近知枝が目を覚ますと、暗闇の中にいた。

すぐに知覚できるのは、頬と手で感じる冷たく固い土の感触だけ。

知枝はうつ伏せに倒れていた状態から、手をついて上体を起こす。

少しだけ目が暗闇に慣れた頃気が付いたのは、自分は何もない────正確には人気のない、木々が鬱蒼と覆い茂る森の中で倒れていたという事だった。


見上げた木々の隙間から見えるのは、都会では絶対に見たことのない満天の星空。

まるでお伽話のように光る星々の煌きが、今のこの状況をさらに薄気味悪い場所だと感じさせる。

そよぐ風はヒンヤリと冷たく、知枝は自分の両腕を掴んでその場で蹲った。

そして耳にする。風のそよぎの中に微かに聞こえる、獣の唸り声を。


「やだ────怖いよ。みんなどこに行ったの……」


視聴覚室で眩い光に包まれ、その先の事は記憶が定かではない。

先ほどまで一緒にいた面々の顔が頭を過ぎる。


1年生の2人組。どこか抜けてる大樹と、寡黙なスポーツ少年の雄也。

同じ年で、トラブルメーカーであるお調子者の昌人。

一つ上の先輩である、一番オタクらしい耕介と全員をまとめるリーダーのような健治。


人においそれと言えない趣味だと、表向きは優等生の仮面を被ってきた知枝が、本来の自分を出して楽しめた唯一の空間。

性別は関係ない。誰もが純粋に趣味についてのみ語り合い、賛同し、ぶつかり合い、楽しく語れる居場所。

そんな安らぎの場所から一転し、一人で放り出されてしまった。

心細さで押し潰されそうな見知らぬ森の中で、知枝は嘆く。


夢であって欲しい、夢なら早く覚めて欲しい、そう願うも、肌寒くなる風が心と体を冷やしていく。

とにかくここにいてはダメだ、そう思っても、立ち上がることすらできない自分の体。

そんな知枝の恐怖心を煽るように、近くの茂みがガサガサッと揺れた。


「だれ?」


知枝の問いかけに答える声はなく、ただ左右に揺れる茂み。


「だれかいるの? 冗談ならやめて? ね?」


口の中を乾かしながら、声を震わせながら、精一杯の勇気を振り絞って声をかける知枝。

そしてピタリ、と茂みが動かなくなると、不気味な静寂が訪れた。

風では決して起こりえない動きをした茂みの一部。

それがどういう意味を示すのか分かっているからこそ、その場所から視線を外せない。

一体どうしてこんな目に合わねばならないのか。理不尽と恐怖心で泣き出してしまいたい衝動に駆られる。

だが、今ここで泣いても状況が良くならないと、目の前で起こる出来事から視線を逸らしてはいけないと、本能が告げていた。

知枝は気付けば荒くなっていた呼吸を抑えて、小さく喉を鳴らす。

そして震える体を抑え、静かに立ち上がると、近くの木を背にしようと一歩足を出す────その時。

突然、茂みの中から、素早い何かが飛び出し、知枝の数メートル前を横切った。


「いやっ!!」


その瞬間、抑えていた不安が一気に溢れ出し、知枝は踵を返して脇目もふらず、森の中を駆け出した。


「なんなの? 嫌だよもう…………助けてよっ!」


どこに行けばいいのか分からない暗い森の中を、知枝はひたすら突き進む。

完全な闇ではなく、所々木々の隙間から照らす星達の明かりが今は頼りになる。

先程感じていた薄気味悪さなど、今し方見た正体不明の影と比べたら何とも優しいものか。

剥き出しになった樹の枝で頬を切り、足を縺れさせながらも、なりふり構わず知枝は足を動かす。

そして暫くもしない内に、木々の終わりが前方に見えた。

このまま運良く森を出られるかもしれない。そう思った知枝は足に一層の力を込めて駆け抜けた。

そして────。


「あ…………」


目先の光景に、絶句した。

森の終わりだと思っていた知枝の眼下には、薄暗い闇の世界が広がっていたのだ。

昼間であれば見晴らしのいい場所なのだろうが、今は明かりもない夜。遠くを見えども灯りはなく、足元には先に続く道がない。

走った事で上下する胸に手を当てながらも、息を呑む知枝。

そして、追い詰めたと言わんばかりに、3匹の獣が知枝の背後に姿を現した。

大型犬くらいはある体、その毛並みは濃い青と白が混ざりあっていて、何かの模様とは例えがたい。そんな獣を見てすぐに目に入ったのは、知枝を射ぬくように見つめる深紅の瞳と、口から覗く鋭い白牙。

4本足で立っているそれらは、まるで知枝を値踏みするかのよう見つめていた。

何をするでもなく、ただジッと知枝に視線を向ける。

動かないがゆえに、その様子はより一層の恐怖を駆り立てた。


知枝は、背後の崖から飛び降りるかと思案する。

数メートル下はすでに闇に消え、無事に下に着く保証はない。かといって、目の前に迫る見てからに獰猛な獣を相手にする事も出来るわけがない。

眼前の獣、後背の崖。

知枝はここで死んでしまうのかと悟ると、頭が真っ白になり過去の思い出が頭を過ぎった。


初めて出会った漫画や楽しくて何度も見直したアニメの数々。

誰とも趣味を共有すること無く、絵を描き続けた中学時代。

共に集まってドラマCDや同人誌を作ったりした高校に上がってから出来たオタクの友人。

生きてきた中で一番充実していたであろう時間が、走馬灯のように過ぎては消えていく。


「たす……けて……よ」


気付けば人語が分からないであろう目の前の生き物相手に、搾り出すように呟いていた。

だが、放たれた言葉が通じるわけもなく、獣達は一歩前足を出して距離を縮め始める。


「いや」


唇を震わせ、ゆっくりと頭を振る知枝。だが、視線は眼前にいる獣から逸らすことはできない。

獣がまた一歩距離を詰める。


「いや……」


目に溜まる涙を拭うことも出来ず、ただその場にへたり込んでしまう。

それを待っていたかのように、3匹の獣が我先にと知枝を目掛けて走りだした。


「いやーーーっ!!」


咄嗟に頭を守るように両手で抱え、小さくなった知枝の目一杯の叫びが暗い夜の森に響いた────その瞬間。


まるで行く手を阻むように、黒く、高い壁のようなものが知枝と獣達の間に出現した。

得体の知れないその壁に、2匹の獣はその足を止める。

しかし、残りの1匹はお構いなしに疾走し、壁など最初から無かったかのように、知枝へと飛びかった。

知枝は目を瞑り、息を飲む。

だが次の瞬間、ジュッと物を焼くような音と、キャンッと獣の弱々しく鳴いた声が知枝の耳に届いた。


「え?」


知枝が恐る恐る目を開けると、一匹の獣が壁の向こうで横たわっている。

透明ではないが、まるでサングラスをかけたような色合いで向こう側を観察できた。

5メートルはありそうな、薄い膜のような壁の中には、透明な煙がまるで生きているように渦巻いていて、知枝はその壁にも得体の知れない不安を覚える。

一方で、地面に叩きつけられたであろう獣は、小さく呻くとその場から足早に離脱していった。

それに倣うように、他の2匹も追随すると、その場所に静寂が訪れた。

すると、役目を果たしたと言わんばかりに、結構な厚さを持った壁も音もなくゆっくりと消えていった。


絶体絶命の危機を生き残った知枝は、ボーッと放心状態で何かが出現した地面を見つめる。

目の前で起こった理解出来ない事象が、まるで夢のようで信じられない。

そして、今更になって頬に出来た傷が痛み出す。

それが夢ではないと知枝に語りかけ、現実を見ろと強制する。

ひとまず今理解できることは、何か壁のようなものに自分が助けられたという事だけだった。



        ◇        ◇



「その数分後に、たまたまその森に来ていて、わたしの悲鳴を聞きつけたラルディーさんに助けられたの。その後何も出来ずに部屋に篭っていたんだけど、ラルディーさんが良くしてくれて……。わたしも何か手伝いたいと思って、今日からここで働き始めたの」


一体どうしてここに、と3人から執拗に聞かれた知枝は少しの休憩を貰うと、4人用のテーブルに1つ椅子を追加して席につき、今までの出来事を語った。

各々の前に温かいスープと小皿に盛られたサラダとパン。そして、中心にはピラフのような料理が大皿で置かれていたが、誰もそれに手を付けず静かに知枝の話を聞いていたのだった。


「かなり危ない目にあってたんだ」

「無事でよかったよ~」

「確かに……そうだな」


男3人は神妙な顔でそう呟く。

未だ実戦経験がない3人には、異世界に飛ばされ、一人見知らぬ場所で魔物に襲われた知枝の感じた恐怖や絶望感を想像できない。

ともあれ、無事であった事に全員が安堵の声を漏らした。


「誰が助けてくれたんだろう?」

「それは分からないの。怖くて動けなかったし……」

「知枝先輩が魔法を使ったとか?」

「え?」

「いや、それは無理だろう」

「そんな事より、ほら。冷めちゃうからさ、食べて食べて? えっと、ノーレさんでしたっけ? すみません、こんな話に巻き込んじゃいまして」

「え? あ、いえ」


その沈黙をよしとしなかった知枝は、唯一の女子であるエレアに声をかける。

そこで耕介は疑問を口にした。


「さっきも思ったんだが、ノーレって──」

「さぁ皆さん! 冷めない内に頂きましょうか!!」


明らかに不自然な態度を取るエレア。

何かしらの事情──と言っても、城を抜け出してこんな場所で偽名を使う理由など1つしか思い浮かばない。耕介は、口に出しかけた言葉を飲み込み、エレアの誘導に乗る。


「とりあえず、この場に兄者か松永さんがいなくて良かったな」

「確かに」


今のような時に、ワザと空気を読まずに煽るような意地の悪い根性をした2人を思い出し、雄也と耕介は苦笑する。


「昌人君と健治先輩もこっちに来てるの? っていうか、そっちは今何してるの?」

「大樹の言い分ではあの時、視聴覚室にいて光に手をかざした人はみんなこっちに来たって言ってます」

「何それ? なんで大樹君にそれが分かるの?」

「いやー話せば長くなるんですが……」

「そうそう、神近君にはまだ言ってなかったね。何を隠そう、この大塚大樹君は……勇者になったそうだよ」

「………………は?」


突然の前ふりもなく言われた耕介の言葉に、知枝は素っ頓狂な声を出して固まった。



        ◇        ◇



「そんな事が……」


次に大樹が勇者になった事と、その使命。その後から行われている、訓練と魔法の勉強をしていると聞いて、知枝は全員の顔を見やる。

今し方説明されたからだろうか、着ている服のせいか。

3人とも心なしかみんな少し筋肉が付いているように見えてくる。雄也だけは元より運動部なので、そこまで劇的に変わってはいないが、大樹と耕介は肩幅が少し広がったようにも思えた。

話しながらも、空腹を満たすよう自由に料理を味わっていたので、すでに8割方料理がなくなっていた。


「他の2人は大丈夫なのかな?」

「あの2人ならきっと大丈夫だと思いますよ。いつもトラブル起こしても、反省しない顔で笑ってますし」


雄也のその言葉に、いつもなら確かにと笑う知枝だったが、その面持ちは険しい。


「本当に……旅をするの?」

「多分、悪の大元をどうにかしないと、元の世界に帰れないと思うんですよね」

「そんな……」

「まーでも、魔法使えたり悪いことばっかじゃないと思うぞ?」

「榊先輩がこんなに饒舌になるなんて初めて知りました」

「そうなんですよねー。おれ達もちょっとビックリしたんですよ」

「普段から3次元がつまらないと言っていたじゃないか。この状況を楽しめよ」

「流石に、わたしはそこまで図太い精神を持っていません」

「「え?」」

「なんで驚いたのかな? 後輩2人組? ん?」


コスプレしていたのに、という言葉を飲み込むように、少しだけ微温くなったスープを飲み干す2人。


「神近先輩も一緒に旅に行きませんか? みんなで一緒にいた方が何かと都合がいいと思うんですが」


あからさまに話題を逸らすよう、雄也が提案する。


「そうですよ! みんなで一緒にいましょう!」

「魔法とか覚えられるしな」


元々こちらの世界の人間ではない者同士、しかも仲良く影で集まってオタク文化を堪能している友人同士、仲良くして一緒にいるのがいいと便乗する2人。だが、知枝はその表情を曇らせた。


「わたしは……ごめん。ちょっと考えさせてくれるかな」


そう言って立ち上がると、休憩もう終わりだからと言ってカウンターの奥へと引っ込んでいった。

急な出来事にキョトンとする3人。エレアは気の毒そうに、彼女の胸の内を代弁した。


「丸腰で魔物に襲われたのです。街から出るのが怖くても無理ありませんわ」

「「「あ……」」」


今でこそ何でもなかったように、気丈に振舞ってはいるが、知枝も女性。

画面の向こうの女性の機微が分かろうとも、実際の女の子が相手では3人共旗色が悪かった。


「さて。少しの間、席を外しますわ。その間、この店の雰囲気を楽しんで下さいませ。すぐ戻りますので」


エレアは立ち上がると、カウンターの奥へと姿を消す。


「どうしたんだろ?」

「トイレだろ」

「なるほどねー」


大樹の疑問に耕介は投げやりに答え、雄也は残りそうな料理を黙々と消化していた。



        ◇        ◇



「いやー美味しかった!」

「エレアさん、ご馳走様です!」

「ご馳走様です」


店を出て地下の暗さから健全な夜の暗さに戻ると、耕介は満足そうに、大樹は嬉しそうに、雄也はぶっきらぼうに、エレアに感謝の言葉を口にした。


「気に入っていただけでとても光栄です。それに、ご友人様も見つかって……本当に良かったです」

「一石二鳥ってやつだね!」

「いっせきにちょう……ですか?」

「そう。1つの事で2つの成果を上げることだ」


大樹の言葉に疑問を持ったエレアだったが、すかさず耕介が意味を説明して感心するエレア。

そんな雑談を交えながら、川のせせらぎがBGMになった夜の街を歩く。


「それにしても、まさかこんな近くに神近先輩がいたなんて思わなかったなー」

「調査隊の人に頼んでから一週間近くになるけど、こんな近くにいた知枝先輩も見つけられなかったってどうなんだろう?」

「人手が足りないか、手を抜いていた……か?」

「いえ……そういう訳ではないのですが……」


耕介の言葉に悪意を感じたのか、エレアは顔を強張らせて耕介の言葉を否定する。

ただの冗談だ、と言おうとして、耕介はその言葉を飲み込んだ。

どうにもエレアの歯切れの悪い返答だと思っていたら、顔色が目に見えて悪くなっていた。

それは先程カウンターの奥へと引っ込んでからなのは明らかだったが、おいそれと何があったか聞けるような雰囲気ではなかったので、雄也もさすがの耕介も何があったのか聞くのは躊躇われた。


「そういえば、エレアさんは世を忍ぶ姿になってまで、あの店で何をしていたんです?」


だが、まるで2人の考えている事が分かったのか、ピンポイントな質問をぶつけたのは大樹だった。

2人とは別枠の存在。図太い神経は持ち合わせていないが、素っ裸に素足で地雷原を突っ切るような天然男子、大塚大樹。

大樹は2人が空気を読んで触れなかった部分に、とうとう思い切り頭を突っ込んのだった。


「え? いえ、特に何も……」

「席を外してから帰ってきた時、結構浮かない顔をしていましたよね?」


ついに、4人の足が止まった。

どうやらその内容に強い興味を耕介も持っていたようで、大樹に便乗して問いかける。

対してエレアは唐突な会話の流れに、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした後、バツの悪そうな顔で応えた。


「よく見ておられるのですね」

「趣味人間観察ですから」

「こーすけ先輩、いい加減捕まりますよー」

「で、どうなんだ? 私たちに関係があるのか?」


大樹の追求をあっさりと無視し、耕介はエレアを見る。逃がすつもりはない、とその瞳は語っていた。

少しだけエレアは思案した後、納得するように一つ頷いて、一歩先へ進み出る。

そして、振り返ると3人の顔を一人一人見る。

疑問を投げかける瞳を受けて、エレアは真剣な顔付きでその口を開く。


「私が正体を隠して通っていたあの場所は…………ヴェネラル王国の各種情報を取り扱っている情報屋なのです」

「「は?」」


雄也と大樹が目を丸くしている中、耕介はある程度予測していたのか、なるほどと頷いていた。

だが、そんな平和なリアクションをしている3人は、エレアの苦虫を噛み潰したような顔を見るや否やこれはゲームでもファンタジーでもない現実なのだと気を引き締める。


「表向きは知られていません。ですので、皆さんのご友人の調査をする為に城から派遣した騎士程度ではあの店に辿り着かないでしょう。事実、ここ数日だけでは有力な情報もそこまでありませんでした。私としても、久しく行っていなかった事もあり、今回ご同行をお願いしたのです」


騙したような形になって申し訳ありません、と頭を下げるエレア。

だが、3人にとっては頭を下げられた所で、美味しい料理を御馳走され、友人の居場所まで分かったのだから結果オーライ、むしろお釣りが出るくらいだ、と思っていた。


「神近君が見つかったんだ。残りの2人もすぐ見つかるだろう」


耕介のフォローにも、エレアは表情を曇らせたままでいた。

そして耕介は思い出す。

まだ内容を聞いていない、と。

戻ってきた時から表情を曇らせている、その理由を彼女の口から聞いていないと。

だが、その内容も彼女の顔を見ればある程度の予測がつく。

少なくても良い事ではない情報を、彼女は耳にしたのだ。


「もしかして……かなり良くない知らせでも受けたの?」

「…………」

「私たちに何かできるような事があるなら、教えて欲しい」


耕介の言葉にエレアは意を決して口を開いた。


「ダイキ様……そしてユウヤ様にコウスケ様。明日の実地訓練の結果如何で、お伝えしようと思っていましたが、事態は思ったより悪い方へと転がっているようです」



その内容を聞いて、3人は表情を凍らせた。



そして痛感する。



この世界は、今まで暮らしていた平和な世界とは違うのだと────。


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