第18話 水の大精霊2
突然現れた水柱を、2人は呆然と見上げていた。
五階建てのビル位だろうか。水飛沫を上げながら高く昇っている水柱は、まるで有名な滝を逆再生で見ているようだった。
空に打ち上げられ、行き場の無くなった水分達は細かな霧となって周辺に拡散していく。
髪が濡れ、頬に落ちてきた雫がきっかけで我に返った耕介。
周囲を見渡し、まずは現状の確認をと目を細め、それと同時に何が起きてるのかと考えを巡らせた。
一体、この水柱は何なのか。
これから何が起こるのか。
しかし、その疑問に答える声はなく、それどころかそんな耕介を惑わすように静かに、だがゆっくりと霧雨のような水飛沫が周囲の湿度を上げていく。
そんな中、耕介は水柱の中にある影に気が付いた。
「大塚君、見ろ。何かいるぞ」
「え? ほんとだ! ……雄也かな?」
大樹の言葉通りであればいいと思ったが、すぐに人影ではない判断すると、耕介は身構えた。
普通であれば、人影であれば縦に長く影ができるはず。
しかし、今眼前に浮かぶそれは、まるでやじろべーのように左右に影が突出している。
水狼に続く次なる試練、という可能性が頭の片隅を過ぎり、緊張を高めていく耕介と反比例して、水柱はようやくその勢いを衰えさせていく。
段々と濃くなっていく影。
次第にその輪郭を見せ始める。
耕介は試練だった場合を想定して数通りの対処を頭に描き、大樹はアトラクションが終わってしまった子供のように残念そうにため息を漏らす。
そして噴水のように立ち上る水がその高さを縮め、影が顕になった瞬間────その正体に2人は目を凝らした。
影の中から姿を現したのは2人の人間。
1人は見たことのない女性。
そして、その女性に横抱きにされた人間の横顔を認めると、2人は思わず息を呑んだ。
それは先程まで共にこの場所に来て、湖に飛び込んでから姿を見せずにいた雄也。
耕介はその光景から最悪を想像し、顔面を青くさせた。
片や、大樹は目の前の光景について理解が追い付けないようで、驚いた様子で固まっている。
そんな2人の反応を見ながら、女性は湖の上にゆったりとした様子で立っていた。
「小室君を……助けてくれたのか!?」
「ゆ、雄也!?」
大樹は心配の声を上げるように名前を呼ぶが、返事がない。
同じように、耕介の質問に女性は答えないが、ゆっくりと視線を雄也に向けた。
その女性の視線につられてよくよく雄也の体を見てみると、微かに胸が上下しているのが確認できた。
最悪の事態にはなっていないと耕介は安堵の息を吐く。
それを横で見ていた大樹も同じく、体の力を抜いたようだった。
しかし気を緩めてはいけないと、耕介は問い掛けに反応を見せない湖の上に立つ女性へと視線を向けた。
敵対する存在である事を想定し、頭を走る鈍い痛みに耐えながらも、自分の背後に岩槍を作成して待機させる。
大樹は雄也の安否を近くで確認しようと、湖の縁ギリギリまで駆け寄っていった。
すると、ゆっくりと湖に立つ女性が一歩踏み出した。
あまりにも自然に歩き出したその姿にギクリ、と身を強ばらせる2人。
それは警戒をしていたからというだけでなく、この世のものとは思えないほどに美しく、目を奪われるようなオーラを放っていたからだった。
歩く度に揺れる髪は、腰まで伸びたストレート。透き通る水晶のような深い蒼をした髪がキラキラと輝いているように見える。
シルクのような柔らかい素材で出来ているであろう真っ白なローブをまとっていても分かるその体つきは、ため息が出るほどに女性らしさを強調していて、まるで神話やお伽話に出てくるような女神のよう。
簡単に体に巻いたであろうローブから覗く足は、肉感がありつつも均衡のとれたプロポーションを見せつけるようにスラリと伸び、神威的な雰囲気を持ちつつもどこか目を引く魅力的な女性という色香を漂わせている。
2次元に嫁がいると豪語している2人も、優雅に歩くその姿に目が釘付けになっているのがその女性の魅力を如実に物語っていた。
一歩、一歩と近付いてくる女性から弾けるようにして逃げてくる大樹は、耕介の元まで走ってくると耕介の後ろへ回り込んで隠れ、近付いてくる女性の様子を覗いている。
女性は真っ直ぐに2人の元へと向かってきているようで、それを耕介は固唾を飲んで見守る。
それは緊張でなのか、雰囲気に圧倒されているのか判断出来ないが、凝視している内に何かに気付きいた耕介は、背後にいる大樹に注意を促した。
「大塚君、気をつけろ。小室君はどうやら生きているようだが……おかしい。確か小室君は────」
「はい。そうですね」
耕介の言いたい事に気が付いたのか、大樹は耕介の言葉途中で深く、神妙に頷いた。
「気を失う程に、女の人が苦手だったなんて……」
「は?」
「え?」
背後から頓珍漢な答えが返って来て、耕介は思わず振り返り、真顔で大樹の顔を凝視した。
さすがにこれくらいの事には気付くか、と感心ほどまで行かずとも少しだけ考えを改めようかと思っていたが、それは間違いだったと耕介はすぐに反省のため息を付く。
対して、大樹は違うのかと言わんばかりに、素っ頓狂な声で耕介に視線を向けている。
交わる視線。
説明を求めるような大樹の視線に負け、耕介は自分が気が付いた違和感を説明した。
「小室君は身長180センチをゆうに超える背の高さだ。体重もそれなりにある。なのにその重さを苦にすることなく運んでいるように見える。これがどういう事か君に分かるか?」
「…………なるほど。力持ちということですね?」
「もういい」
大樹の言葉に辟易したように再び歩いてくる女性へと視線を向ける耕介。
馬鹿なやり取りをしているうちに、女性はすでに畔に辿り着いていたようで、2人のすぐ側まで来ていた。
女性は耕介達まであと5メートルという所で立ち止まると、雄也の身体を優しく横たえた。
その流れるような動作は優雅の一言に尽き、思わずため息が出てしまう程。
耕介は顔を横に振ってすぐに自身を取り戻すと同時に身構えた。
これが水狼の次に当たる敵だとしたら、本当に自分達に倒せるのかと思案しながら、その一方で都合のいい可能性も考える。
だが、それでは気を失っているであろう雄也の説明がつかない。
耕介は少し迷ってからすぐにどう戦うかという方向に考えをシフトさせた。
そんな時、背後の大樹から声がかけられる。
「というか、今気が付いたんですけど……」
「なんだ?」
何か見落としていたことでもあるのだろうか。
それとも目の前の女性を負かすような良いアイデアでも浮かんだのだろうか。
耕介は藁にも縋る思いで大樹に続きを促した。
「あの人……水の上を歩いていましたね」
「もう君は喋るな。本当に」
そんなやりとりをしていると、目の前の女性は不敵に微笑み、礼儀正しく腰を折った。
蒼い髪がまるで柳のように枝垂れ、両手を揃えて頭を下げたその姿は、和服を着ていれば現在の日本では絶滅危惧種となっている大和撫子のよう。
男性の理想像と言っても過言ではない動作に耕介は三度感心し、大樹は混乱の末か思わず同じように頭を下げていた。
ややあって、頭を垂れた女性はその面を上げる。
先程は細部までハッキリと見ていなかったが、その顔立ちはまるで漫画の世界にいる登場人物ではないのではないかという程に整っていた。
自然に整えられた細い眉に、彫刻のようなスラっとした輪郭線と艶やかな唇。
見とれてしまうような色の深い蒼の髪と、その存在感にも負けないように際立つ黄金の瞳。
だが、何より耕介と大樹の目を引いたのは、瑞々しく見える薄い水色の肌と放射状に広がる耳だった。
耕介はギルド商会にいた、様々な種族を思い出す。
犬族や猫族、狼族といった獣人族や鳥人種というオーソドックスな種族もいれば、肌が鱗に覆われた竜人族や背の低いドワーフ族もいた。
様々な種族が存在するファンタジーを思わせるようなこの世界。そこに現れた耳ヒレがついた女性。
そこから導き出した答えは一つだった。
「人魚族……なのか?」
敵意を感じず、少なくても突然襲い掛かってくることもないだろうと判断した耕介は、目の前で佇む女性に問いかける。
だが、それは不正解だと言わんばかりに不敵に笑い返す女性。
これは正答するまで反応がないなと判断すると、耕介は再び全身を観察するように視線を巡らせた。
先程の印象と別段変わったところはなく、やはり黙っている佇まいは、清廉で高潔という言葉が似合っていた。
だが、よくよく観察してみると、どこか似たような風貌をした女性を見たことがあるような気になってくる。
そしてそれ気付いた時には、先ほど考えてはすぐに候補から除外した都合のいい考えを口にしていた。
「もしや……水の大精霊」
「はい。その通りです」
口元に柔和な笑みを見せ、初めて発せられたその言葉に、2人はまるで時が止まったかのように固まった。
それは目の前に立った美しい女性が笑みを綻ばせたからではない。
確実に、間違いなく、聞き覚えがある声色で女性が喋ったからだ。
柔らかく包み込むような、それでいて癖になる、ある意味精神安定剤のような声。
それはもう聞けなくなったと思っていた、すでに懐かしく感じつつある声。
それが耳に届き、時が動き出した2人は目を見開きながら思わず顔を見合わせた。
そしてどちらからともなく頷き合うと、大樹が徐に口を開いた。
「あの……一つお願いがあるんですが……」
「なんでしょう?」
「了承って言ってもらえませんか? 出来れば手の平を頬に当てて」
「…………はい?」
大樹の発言に思わず疑問で返す女性。
イマイチ真意が分からない大樹の言葉に、女性は訝しげに視線を向けるが、隣の耕介も一緒になって何かを期待しているようなキラキラした目をしていた。
女性は仕方ないといったように軽く咳払いをしてから自分の手を頬に当て、大樹の要望を叶える。
「了承」
「……すみません、もう少し声を高くしてお願いします!」
「え? えっと……了承」
「もう少しですね……相手を許すような感じでお願いします!」
「……了承」
「なんというか……気品さがあるんですよね……もう少し柔らかくお淑やかに。例えばなんですけど、自分の子供と同じ年齢でもはや自分の子供同然である親戚の子がいるとします。その子が見知らぬ友達を連れてきました。その子は実家はもちろん、年齢も素性も何もかもが不明な子です。その子を家に泊めてあげたいと言われました。その時に、仕方ないなぁと思うように苦笑しながらも相手のことを包み込む優しさを見せるようにお願いします!」
「いや、素性が知れない人を家にまず上げないでしょ」
そんな至極尤もな女性のツッコミを耳に入れず、大樹はそこを何とかと懇願する。
なぜ、この一つの単語に異常な執念を見せるのかが気になるところだが、恐らくこの願いを聞き入れないと話が進まないだろうと予感している。
ただ言えばいいだけだと思っていた女性はほろ苦い笑い顔を作り、言われた通りのニュアンスを想像した。
そしてふと思い付く。この難癖のような注文ばかりつける今、この男を許すようにすればいいのか、と。
そうなれば話は早い。目の前にいる我侭な男を『仕方ない』といったように許すように、母なる海よりも深い慈悲で、女性は頼まれたその言葉を口にした。
「────了承」
再び固まる2人。
次の瞬間、大樹が弾けるように駆け寄って女性の手を握った。
「この世界でこれができるなんて思わなかった! ありがとう、大精霊様」
「なんか大切なものを思い出した気がする! ありがとう、大精霊様!」
「え……えっと? どういたしまして?」
感情を前面に出して大いに喜ぶ2人。
耕介にいたっては先程まで緊張していたことを忘れているように、感動をしているのか胸に手を当てて頷いている。
それほどまでに彼女の『声』は2人にとって衝撃的なものだった。
一方の女性は戸惑い、そして足元に転がっている雄也を見やる。
一頻り手を上下に振っていた大樹はフッと我に返り、耕介もすぐに落ち着きを取り戻したようで近くまで歩を進めると、頭を下げた。
「この度は私達のワガママに応えてもらいありがとうございます。さて、この場に現れた大精霊様の用件は……もちろん契約についてですよね?」
「はい。いかにも、その通りです」
「……ッ! ッ!!」
「あの……」
「あーあそこのアホは気にしないでください」
未だに彼女が発する声に耐性が出来ていない大樹は、声こそ出さないがクネクネ身体を捻りながら自分の膝に攻撃を加えるほどに悶絶している。
耕介の言葉通り、視界に入れないよう努める女性は、仕切り直しの意味を込めて咳払いをすると、自身を紹介するように片手を胸に当てた。
「改めまして、私は水の大精霊、ウンディーネです。よろしくお見知りおきを」
「私は榊耕介と言います」
「えぇ。存じています。そちらの方、大塚大樹が勇者だという事も」
ウンディーネの言葉を聞いて、大樹が固まる。
「なるほど。いきなりで恐縮ですが、この古室君はどうしたのでしょうか?」
「ユウヤは急激な体力の消耗のために気を失っている状態です」
「えっと……やはり戦闘などを行ったのでしょうか?」
「…………えぇ。まぁ、少しばかり」
ウンディーネは気まずげに、耕介の視線から逃れるようにして雄也を見下ろす。
その様子を見た耕介は、気を失うほどに体力を消耗させたウンディーネとの壮絶なる戦いを想像して、それが少しばかりの戦闘だと言い放ったこの大精霊に畏怖の念を覚えた。
「ウンディーネ様が仰られた通り、大塚君を筆頭にして私たちは世界を救わねばなりません。その為にウンディーネ様の力をお貸し願えませんでしょうか?」
「よろしく……お願いします!」
仰々しく頭を下げる耕介。
オタクとして一頻り騒いだ直後でも事の重大さを忘れていない耕介に続く形で頭を下げる大樹。
2人とも頭を下げているため、その表情は窺い知れないが、揃って意味合いの違う不安な顔をしていた。
「結論から先に言いますと、力を貸します」
「……何か問題でも?」
ハッキリと結論を出しているが、どこか含みを持たせた物言いが気になり、耕介はウンディーネを窺い見る。
「問題という訳ではありませんが……そうですね、精霊について少し話しましょう。この世界には魔力素というものがあるのだとご存知かと思います」
「はい。それを利用して、私達の心臓が魔法を発現する為の変換器を担っているというのも知っています」
「……なるほど。人間はそういう理解の仕方をしているのですね。この魔力素は私達、精霊を構成する大切な要素です。当然、魔力素を認識できない人には、魔力素で構成されている精霊を視認することも出来ません」
「……はい」
「私達精霊は、この魔力素がないと生きていくことができません。それは大精霊である私も同様です。しかし、姿形が見えなくても魔力素がある所に精霊は必ず存在して、様々な生物の役に立っています……と、話が逸れるのでこの話は今度にしましょう」
「はい」
回りくどい説明だなと思うも、それをおくびにも出さずウンディーネの言わんとする事を考える耕介。
「今回、私は大精霊としてではなく、一人の生物としてこの世界に顕現しました。
なぜなら、精霊としての私はこの場所……魔力素が濃密に漂う水の神殿から出ては身体が保てなくなるからです。
精霊である私たちは、自分の意志でこの世界に顕界する事は出来ません。よしんば出来たとしても、すぐに身体を維持できなくなります」
「ならどうやって…………あ────契約!」
ウンディーネの話の途中から、眉を顰めつつ軽く握った手を顎に当てながら考えていた耕介は、弾けるように自分が投げた疑問の答えを口にした。
「その通りです。精霊であるものがこの世界に顕界するには、多大な魔力量とそれを維持する為の供給があって初めて出来るものです。そしてこの度それを行うことになったのが……」
「古室君、と」
「はい」
「えっと? つまり、どういう事だってばよ?」
「サーヴァントが顕界するにはマスターが必要という事だ。これなら分かるだろ? 魔力は魔力素だ。古室君がマスターになり、ウンディーネ様がサーヴァントになったという事だ」
「なーるほど! さっすがこーすけ先輩! わっかりやっすーい!」
親指を立てながら感心する大樹を尻目に、耕介は更に考えを巡らせる。
「さーばと?」
「あ、気にしないでください。現状を纏めると、古室君とウンディーネ様は戦って、その力を認められて契約をした。この世界に顕現したウンディーネ様は、世界を救う為の旅に同行してもらえる、そういう認識で合っていますか?」
「……そうですね……概ね間違っていません」
力を認めたの下りについてウンディーネは意図的に説明を省いた。
耕介もそれ以上追求する事はない。
ここで重要なのはウンディーネの協力が得られるという一点のみ。それを阻むような事をしても余計な誤解を生むだけといえよう。
「なるほど……分かりました」
一通り質問を終えて満足したのか、緊張を解いた耕介は憑き物が落ちたような顔で大樹へと向けると、その肩を軽く叩いた。
「よし。任務完了だ。とりあえず帰るとしようか」
「そうですね! …………って、え!?」
「なんだ?」
「いや、えっと……」
「ん? あぁ、古室君の事なら”契約者”であるウンディーネ様が運んで下さるだろう」
耕介がウンディーネの方へと視線を向けると、すでに雄也を抱き上げていたウンディーネと目が合った。
ほらな、と言わんばかりに耕介が大樹へと向き直ると、納得をしていない顔の大樹は歯切れの悪い言葉を並び立てる。
「いや、でも……」
「なんだ? ハッキリ言ってくれないか?」
「えっと、ですね? その、ウンディーネ様と僕は契約しなくていいんですか? っていう事を聞きたくてですね」
「何で? 古室君がもうしたんだからいいんじゃないか?」
「いや、だって契約するのは勇者ですよね? ほら、僕勇者ですし、このまま放置というのは……」
「なら、すればいいんじゃないか?」
「……えぇーそんな投げやりなー」
異世界に来てから鳴りを潜めていた、興味があるもの以外は一切関心を持たないという耕介の性格がここに来て顕著になりつつあった。
この世界に慣れたということもあるだろうが、大樹の煮え切らない態度にも少なからず原因があるのだが、もちろんそれを敢えて口に出すことはしない。
「本人がいるんだから聞けばいいじゃないか」
「えー、こーすけ先輩が聞いてくださいよー」
「何で私が。自分の事は自分で聞くんだ」
「あの、申し訳ありません」
ウンディーネを前にして本人を話題にしているのだから嫌でも話の内容が聞こえるだろう。
おずおずといった様に言葉を挟んだウンディーネ。その表情からは申し訳なさが読み取れた。
「顕現するに当たって、ユウヤと強固な契約を結んでしまったので、他の人に力を分け与える契約は出来なくなりました。申し訳ありません」
その言葉に首をかしげたのは耕介。
「それって──」
嫌な予感が過り、それを確認しようと続きを口にしようとした時、呻く様なくぐもった声がウンディーネの腕の中から聞こえた。
「雄也!」
「目を覚ましたか」
「そのようですね」
ウンディーネがゆっくりと雄也の体を下ろすと、起きて未だ意識がハッキリしていない雄也は呟く様に感謝の言葉を口にする。
軽い貧血を起こしているのだろうか。頭を押さえながらゆっくりと頭を振る雄也に誰も声をかけず、その時を待つ。
大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出すこと2回。いよいよ雄也は周りの状況に目を向けた。
「えっと、ここは……?」
「水の神殿の中だ。水狼と戦った場所だ」
「あぁ。見覚えある気がしていたからそれで……で、こちらの綺麗な方は?」
「何を言ってるんだ小室君。ウンディーネ様だろう? 君が契約した」
「俺が? 契約?」
不思議に首を傾げる雄也。そして考えが逡巡した後、その顔を引き攣らせた。
まるで、記憶から消し去りたい出来事を今まで忘れていて、それを今思い出したかのように。
「…………えっと、本当に?」
「思い出しましたか? ユウヤ」
確認を取る雄也に、上品に笑いかけながらウンディーネは問いかけ返す。
事情を知らない2人からしてみれば、綺麗なお姉さんに笑いかけて貰えるような羨まけしからん光景にしか見えない。
だが、雄也にとってはこの言葉と笑みが、遥か時空の彼方に葬り去りたい記憶を蘇らせていった。
見間違えようもない、プレッシャーを撒き散らしながら迫ってくる顔。動かない身体。そして温かく触れた唇。
「う──」
「う?」
「うわああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
そこまでを思い出すと、座ったまま手を後ろに回し足を動かし器用に後方へと距離を取る雄也。
まるで恐怖の象徴に出会い、命からがら逃げおおせたと言わんばかりの絶望と、現実を否定するような驚愕の表情を見せている。
「ユウヤ」
「ヒィッ!?」
「一体どうしたというんだ? ウンディーネ様と戦ったのがそんなにトラウマになっているのか?」
「…………は? ウン……ディー……ネ?」
「はい」
「ちょっと大丈夫? 雄也」
ウンディーネの問い掛けに答えず黙り込み、突然想いを馳せる様に遠くを見つめた雄也に大樹が声をかける。
耕介はそれほどまでに壮絶な戦いだったのかと雄也の心情を慮り、この世界が如何に厳しい世界なのか認識を改める必要があると考えた。
大精霊との契約なんて考えてみれば普通の人には出来ない大仕事。それが簡単に出来るはずもない。
耕介は心の中で頑張ったであろう後輩に敬意を払った。
「この声……おれの知ってるウンディーネ様と違う……」
「え?」
「はい。ユウヤと契約した時、この世界に顕現する為、外見情報をユウヤの記憶から読み取り、雄也の理想とされる人物像で顕現しました」
「…………なるほど」
「いやいやいやいや。何をこーすけ先輩は納得してるんですか?」
「だが、このウンディーネ様の姿を見ろ。どう見てもテイールシリーズの水の精霊じゃないか」
「いや、まぁ、そう言われればそうなんですけど」
「その上、エターニティで「いけるいける♪」が口癖のフィラ、さらに言えば雪名の親である冬子さんの声優と全く同じ、腹違いの双子レベルの声をしているんだぞ!? これが古室君の理想でなければなんなのだ!!」
握り拳を突き上げ、力説する耕介。
その様子に雄也も徐々に落ち着きを取り戻し始めていた。
「本当に……あのウンディーネ様ですか?」
「えぇ、そうですよ?」
「……くっ……」
「やっぱりそうだよな!? 私たちが悶えるほどだ! 古室君にしたら世界が終わる前に食べたいディナーのメインディッシュになるくらいのご馳走だよな!」
「記憶を読み取るっていう方が大事なんじゃ……」
「そんな取るに足らない細かい事を気にしていては世界を救えないぞ! 大塚君!」
「本当に……さっきまでの事は夢……じゃないの……か」
「そうだ。君は契約をした。ウンディーネ様とだ! これは現実だ!」
耕介にあっけらかんと言い切られると、雄也は湖の遥か向こうへ目をむけ、憧憬した画面の向こうの世界にいる歴代ヒロイン達に、自分が汚れてしまった事を心の中で詫びた。
「なんだか雄也の背中に哀愁が漂っているよ……」
「大精霊と契約して、綺麗で馴染みのある姿な上、理想の声をしている仲間が増えたのに何が不満なんだ……」
そんな2人を置いて雄也の元へと歩みをすすめるウンディーネ。
雄也はビクッと肩を震わせ、ウンディーネの方へと恐る恐る目を向ける。
片や楽しそうに目尻と口元を下げ、片や何をされるか分からない恐怖に顔を引き攣らせ、互いの視線がぶつかった。
もう2歩近付けば手の届くという距離で、ウンディーネは立ち止まり雄也に微笑む。
「これから末永くよろしくお願い致しますね? ユウヤ」
もし、このウンディーネが元の世界にいたら、世界的アイドルになれるだろう笑み。
女性が苦手とはいえ、女嫌いではない雄也は、客観的にそういう評価ができる。
しかし、評価できることと享受することは別物で……。
そんな普通の男性なら喜んだり、恥ずかしがったりする笑顔を受けて雄也は────
「…………はい」
もう逃げられないんだな、と胸中でさめざめと涙を流した。




