第16話 水の神殿
いざ湖の中に飛び込んでみると、そこは蒼に染まる世界だった。
陽射しの入るプールの中にいるように視界が開け、対岸にある岩壁もハッキリと見える。
よく見えすぎる水に魚や水生植物がいない事に気がつくと、やはりこの湖は作られた場所なのだと確信した。
ボーっとその景色を見ていたが、今が戦いの真っ最中だということを思い出し、雄也は両手で大きく水を掻いた。
「────!?」
だが、身の回りを包む水はまるで空を切るように何の手応えもなく、指の間から水がスルリと逃げていく。
何度水を掻こうとも身体は一向に浮き上がらず、事態を把握した雄也の頭の中で警鐘が鳴り始めた。
慌てて身に着けている甲冑を外していく雄也。浮力を持たない甲冑は、そのまま静かに湖の底へと沈んでいく。だが、甲冑を外して身軽になってもなお、雄也が水面に戻れる気配がない。
「────!!」
叫ぼうとしても、水の中でそれは伝わらず、手足をバタつかせて少しでも浮上しようともがくが、雄也の必死の行動を嘲笑うように、とうとう身体がゆっくりと沈み始めた。
「────ガァバァボバッブ!!」
散々暴れた挙句に、とうとう息を吐き出してしまった雄也は、死の迫る予感に鼓動が早まり、薄くなっていく意識の中で、自分が選択した浅はかな行動に憤りを覚えた。
◇ ◇
「『ロックランス!』」
耕介が高らかに唱えると、高く上げた手の上に全長2メートルを超える石槍が出現した。
今使える魔法の中でも、一番大きいサイズのそれを、大きく振りかぶって放つと、一直線に敵の背後を目指して疾走していく。
高らかに魔法の名前を宣言した時、雄也がこちらを確認していたので、耕介のやろうとしている事に気が付いたのだろう。機転を利かせて上手く湖の方へと逃げていた。
雄也が石槍を避けたことで耕介は、したり顔で頭に描いた作戦に変更がないと判断する。
一歩を踏み出したと同時に少しだけ身体の鈍さを感じたが、運動した時のような疲労感に似ていた為、大して気にも留めずに走り出した。
律儀に雄也を追い回していた水狼達は、次々と背後から襲いかかる魔法に為す術もなく、その体を散らしていく。
5匹程撃ち漏らしたが耕介は目をくれず、右手を湖へと向けると、大きく左へと薙ぎながら次なる魔法を唱えた。
「『アクアウェーブ!』」
すると湖から2メートルほどの水柱が立ち昇り、耕介の右手に従うように、陸の方へと倒れ込んだ。
そして水狼を構成していた水たまりと、反転して耕介へと襲いかかろうとしていた水狼を瞬く間にして飲み込む。
その瞬間を待ち望んでいた耕介は、口元に笑みを浮かべて、トドメだと言わんばかりに高らかに言葉を紡いだ。
「『────凍てつけ!!』」
左手を突き出して力強くそう言い放つと、水を飲み込んだ波は耕介の言葉通り、外側から徐々に凍りついていく。
そして数秒もしない内に、向こう20メートルほどがアイスバーンとなり、所々には水狼の氷彫刻があり、吐く息が白い結晶となる、緑やすらぐのどかな空間にあるこの四方20メートル程の場所だけが、氷の世界となった。
「成功した……か?」
これ以上、水狼が出る様子もないが、息を切らせながらも耕介は得意とする重力魔法をいつでも放てる様に構えながら、周囲の様子を窺う。
そして時が経つこと1分。
耕介は見開いた目を緊張と共に緩ませて、大きく息を吐いて座り込んだ。
「すっっっげー!」
興奮した様子で背後から駆け寄ってきたのは、もちろん見守っていた勇者の大樹。
目の前に出来た一面の氷を足で恐る恐るつつき、害がないと判断するや否や、まるでスケートリンクで遊ぶ子供のように、その上を滑った。
「まったく……のんきだな。大塚君は」
「だってなんか目の前に氷があると、上滑ってみたくなりません!?」
「ならない」
テンションの上がっている大樹の言葉を一刀のもとに切り捨て、自分の成果を改めて確認する。
水を飛び散らせ、湖の水で一つの水たまりにしてからの、氷への変化。
自分の意志で水が召喚できない事と、動きが速過ぎる水狼を一つの水に巻き込む事がネックだったが、雄也のおかげで水狼が一列になった事で勝算が見え、即座に計画を実行に移した。
水狼が身体を再構成する僅か数秒で、自分の支配下においた水で巻き込み、凍らせれば身動きが取れなくなるだろうという計画。
途中、魔法で飛び散らなかった水狼は、どうにかして凍らせようと考えていたが、耕介を狙って踵を返してきた事で、まんまと波に飲まれたので相手にする手間が省けた。
「…………うん。自分で言うのもなんだが、中々いい仕事したな」
自分の描いた作戦が想像以上に上手くハマったことで、耕介は満足気に頷く。
そして辺りを見回すが、魔物の形をしたモノは一つなく、もしかするとこれで試練が終わりなのかもしれないと考える。
しかしその瞬間、氷の世界に異変が起きた。
目の前に突如と現れた真っ白な世界。
全てが白く包まれ、まるで煙の中にいるような感覚。
耕介はこれが水蒸気であると判断するが、突然湧いた目の前の光景に目を見張る。
「これは──」
「いてっ!」
耕介が立ち上がるのと同時、水蒸気の霧の中、アイスバーンを滑っているはずの大樹の声が聞こえた。
恐らく滑るための氷がなくなり、つんのめって転げたのだろう。
仕方ない、と呟きながら耕介は、目を閉じて想像する。
誰にも習った事のない、この世界にある魔法か分からないが、今自分が必要としている適切な魔法を頭の中で描く。
そして紡いだ。
「『ゲイルウィンド!』」
すると、一陣の風が耕介を中心に吹き荒れ、一瞬にして目の前に広がった霧を吹き飛ばした。
湿っていた空気が霧散し、煙のように辺りに漂っていた水蒸気が完全になくなると、その中から完全に乾いた地面と、転んだであろう大樹の姿が顕になる。
僅かな間に起こった出来事に、耕介は顎に手を当て、今の現象が意味するところを吟味する。
「…………考えてみれば、水の大精霊がいる場所だしな。私の魔法なんて簡単に打ち消すというか、こと水関係においては絶対的な強制権を持っててもおかしくないな────って、あ!」
完全に忘れていた事柄を思い出し、慌てて湖の畔を確認する。
だが先程、警戒して見回した通り、そこには獣の影がなかった。
次に、雄也が飛び込んだであろう水面を確認する。
すでに5分以上経ったであろう湖は、波紋一つ起こることなく不気味な静寂を保っている。
ダメ元で飛び込んだであろう場所を覗いてみるが、透き通るような水なのが幸か不幸か、雄也の姿は確認できなかった。
このまま飛び込んでいいか耕介は考える。
「雄也どこ行っちゃんったんだろう? さっきの水狼のボスと水中戦とかやってたりして」
大樹の言葉を聞いて、ふと考える。
重要なイベントの場面で分断されるパーティー。
明らかに殺す気のない攻撃。
水狼が再び襲ってこない理由。
耕介は心当たりのある、その可能性に賭ける事にした。
◇ ◇
生まれてこの方味わったことのない不思議な感覚に、雄也は閉じていた目をゆっくりと開けた。
視界に広がるのは、まるで海の中にいるような蒼の世界。
雄也は未だ覚醒のしていない頭で辺りを見回すと、段々と自分の置かれた状況を認識するや否や、息を呑んで目を見開いた。
踏みしめる地面も、吸い込まれるような空も、頬を撫でる風も、先ほどまで沈んでいた水もない、真っさらな蒼。
(ここは……?)
微睡む意識の中で浮かんだ疑問に答える声はなく、ただ静かな世界が広がっているだけ。
だがそれも束の間。果たしてこれからどうなるのだろう、と雄也の心に不安が過ぎった瞬間、突然目の前に無数の泡が出現した。
まるでシャボン玉のように大小様々な大きさに、虹のような色合いを纏って泡立つその光景は、目を離せないほど幻想的であり、雄也の思考を奪う。
そんな中、一つの大きな泡が雄也の鼻先で弾けた。
思わず目を瞑る雄也。恐る恐る目を開くと、そこに中学生の制服を着た自分と昌人がいた。
姿形こそ当時のままだが、色素は薄く、まるで今にも消えそうな幻のよう。
だが、その幻が映し出す光景に見覚えがあった。
それは、兄と呼び親しんでいる昌人との出会い。
中学に入ってすぐの時にあった、不良に絡まれ、楽しみにしていたゲームを奪われ、そして奪え返した過去の記憶。
その時の光景が断片的に再現され、やがて余韻を残しながら2人とも消えていった。
再び泡が湧き立ち弾けると、今度は違う人が出現する。
それは、大樹と仲良くなった時の光景。
高校入学前に、ひょんな事から意気投合し、進学した高校が同じという事で更に仲が深まった記憶。
それが消えていくと、再び新たな泡が弾ける。
それは、イベントを楽しんでいる自分の姿。
昌人に教わるがままにオタクになった雄也。初めは右往左往していた雄也も、いつの間にかイベントを取り仕切るスタッフをやるほどまでになり、昌人にからかわれたりしていた。
次々と現れる、全てが懐かしい、楽しかった日々の幻影。
そんな前の世界での何気ない日々が、雄也の目の前で映っては消えて行く。
これまでに出会った大切な仲間達との思い出。
様々な過去を思い出し、雄也の口元が緩んでいたが、次に沸き立った映像を見て、その緩みも消える。
映し出されたのは、この世界で何よりも一番雄也の心に影を落とした、サリアーラでの出来事。
変わらないと信じていた平和は、この世界に飛ばされたことで狂い始めた。
兄と呼ぶ昌人の行方が分からない。
ムードメーカーである健治の行方も掴めない。
そんな自分の力の無さを痛感して、力を欲するようになった。
友人が傷つかないようにと、強くなることを望んだ。
(そうだ……)
そして直前までの自分を思い出し、微睡みから覚醒した雄也は死の間際にいた事を悟る。
(ここは死後の世界か? それとも走馬灯の一部なのか?)
結局何も出来なかったという、自責の念に囚われながらも、これからどうなるんだろうという得体の知れない不安が雄也に襲いかかる。
口に出すと実現してしまいそうで、『それ』を噛み潰すように歯を食いしばる。
だが、頭に浮かんでしまう『それ』は、止められなかった。
(死ぬ……のか?)
『それ』を意識した途端、雄也は自分を抱きしめ、頭を振る。
一気に身体が冷えたような感覚が全身を駆け抜け、雄也の思考をバラバラに散らしていく。
(嫌だ……死にたくない。何も出来ないのは嫌だ! 死ぬのは嫌だ!! こんな所にいるのは……嫌だ────)
まるで呪詛を呟くように、頭の中で様々なものを否定する。
不安に取り憑かれ、死というものから背を向けるように。
──なぜ、死にたくない?
ふと、頭の中で声が聞こえた。
混乱している雄也は、どうやって声が聞こえたのかも、誰の声なのかも疑問にすら思わないまま、誰に向けるわけでもなく叫ぶ。
『誰だって死ぬのは怖いだろう! 好き好んで死ぬ奴なんているもんか!』
──なら、お前は何のために生きる?
『……みんなを…………友達を守る為だ! だからこんな所で死にたくない!』
『────なるほど。お前という人間が少し分かった気がする』
その声を聞いた瞬間、唐突に発生した大量の泡に包まれた雄也は、その勢いに耐えられなくなり再び目を閉じた。
────────
────
──
ゆっくりと目を開けると、見たことのない場所に雄也は立っていた。
先程までの溺れていた感覚がまるで夢だったかのように消え失せ、湖に沈んでいたはずの身体は毛先ほども濡れていない。
何か夢を見ていた気がするが、それを思い出す事はできず、不思議な違和感だけが心のどこかに引っかかる。
雄也はそれ以上自分の中を探るのは諦め、自分の身体を一通り確認した後、周囲を見回した。
一面が石畳で出来た、50メートル四方の地面。
そこから天を貫かんと伸びる、ギリシアの遺跡にありそうな白くくすんだ、均等に並ぶ4つの柱。それは遥か上方まで伸びているようで、その終わりは目視できない。
四方の地面は途中で終わっていて、下を覗けば底のない暗闇が広がっていた。
顔を上げた遥か向こうには、どこから流れているのか見えない大きな滝があり、大量の水が絶え間なく、静かに落ちていく。
雄也が目を覚ました場所は、まるで世界から隔絶されたように存在する、四角い浮島だった。
その中心に、見たことのあるモノが鎮座しているのを目にする。
「玉座……」
蒼く、荘厳な雰囲気を漂わせた座具。
雄也はそれに一歩ずつ近付いていく。
恐らく、この場所に水の大精霊がいる。
直感的にそう思ってしまうのは、この場所が『雄也の想像する、とある場所ににている』からだろうか。
「そう。ここはお前が頭の中に描いた、水の神殿だよ」
「誰だ!?」
突然響いたその声に、雄也は警戒心を最大にして周辺を見回す。
しかし、その声の主は雄也の行動を嘲笑うかのように、声高で凛とした声を響かせた。
その喋り方は、まるで気高い女王のようなイメージで、一度聞いたら忘れることはないだろうという程に印象深いのに、どこかで聞き覚えがあるような声でしかない。
まるで頭にモヤがかかったようにハッキリとは思い出せず、雄也は歯がゆい思いをしながらも辺りを見回す。
「どこを向いているのかな? ここだよ。こ、こ」
今度はハッキリと聞こえ、その声の発信源である正面へと顔を向ける。
まるで最初からそこにいたように、『それ』は玉座に悠々と腰を落ち着けていた。
「ようこそ。『水の神殿、最深部』へ。かな?」
玉座に腰を落ち着け、不敵に笑う主を一目見て、それが水の大精霊だと直感的に分かった。
大きくウェーブがかかった、深い蒼色をしている腰程にまで伸びた髪。
決して不健康には見えない青肌。だが、見慣れない肌のはずなのに、どうしてかその色がしっくり来る。
耳にはヒレが付いていて、何かを感じ取っているのか、時折それが前後に動いている。
額には深い濃紺の水晶のようなものがあり、整った鼻と、切れ長の目がバランスよく配置されている。
黄金に輝く目には黒い瞳が縦長に置かれ、まるで獲物を狙う獣のように雄也の姿をジッと捉えて離さない。
薄い水色をした羽衣がボリューム感のある胸と、しなやかに縊れているであろう腰に巻き付いている。
右手に持つのは、なるほどゲーム中に出てくる水の精霊にはお馴染みの武器。神話の世界ではポセイドンが持っていたと言われている三叉の槍。
そして、何よりも彼女が人間ではない証が、その下半身にあった。
空想上の生き物、人魚と同じようにヘソから下が蒼い鱗で覆われ、二又に別れた尾ひれが先端についている。
しかしそのきらびやかな鱗は、エメラルド色を放つ水晶のように輝き、女性ならば思わずその輝きに一時は心を奪われてしまうだろう魅力があった。
「ふふっ。驚きで声も出ないかな?」
再び発せられた、高くよく通る凛とした声。
雄也はほんの少しの警戒心を持って、質問を投げた。
「あなたが……水の大精霊ですか?」
知らず声が震え、口の中が乾いていることに気が付く。
ゲームなら単なるイベントの一つにしか過ぎないのに、いざ現実で大精霊となるものと相対してみると、思ってた以上の存在感と圧迫感に気後れしてしまう。
「そう。私がこの大陸の守護精霊。ウンディーネだ」
その言葉を聞いて、少しだけ緊張が緩んだ。
今回の目的である、大精霊。それがやっと目の前に現れたのだから。
「水の大精霊ウンディーネ。世界を救うために、あなたの力を借りたい。協力してもらえないだろうか?」
雄也の言葉に、ウンディーネの視線が品定めするように雄也の全身を見やり、やがてふーんと独りごちると、玉座から腰を上げた。
「協力してあげないこともない────────ただし」
右に手にしていた三叉の槍を二回転、三回転させてから雄也へ向けて構え、
「私に勝ったら、な」
ウンディーネは子供のような無邪気な笑みを浮かべた。
◇ ◇
「ノエルさん」
「んー? なんだい?」
「あの3人……というか、勇者は無事に精霊と契約できると思います?」
お昼のピークを過ぎた頃。
知枝は食器を洗いながら、夜の仕込みをしているノエルに対して疑問を投げかけた。
「チエちゃんの友達なんだろ? 大丈夫じゃないのかい?」
「んーなんか嫌な予感がするんですよね。何となく……なんですけど」
「なんだい? 虫の知らせって奴かい?」
ノエルの言葉に、ふと皿洗いの手が止まる。
振り返り、仕込みで忙しそうにしているノエルの背中を見やると、自然と言葉が口をついた。
「この世界でもそういう言葉あるんだ……」
「なんだい!? 良く聞こえなかったよ!!」
「あ、いえ! 何でもないです!」
ノエルの言葉に慌てて自分の仕事に戻る知枝。
すると今度はノエルが知枝の方へと振り向き、食器を洗う背中を見つめた。
「チエ!」
「はい! もうすぐ終わります!」
「……そうかい。それじゃ、それが終わったら、こっちの料理、チエがやってみな!」
「あ……はい!」
任されたものは、3日前に火の扱いが上手くいかず焦がしてしまった料理。
つまりは、そのリベンジをここで果たすようにということなのだろう。
洗い物を済ませた知枝は、近くにかかっていたタオルで手を拭くと、すぐさまノエルの隣に立つ。
「今度こそ上手く焼いて見せますよー!」
そう言うと、知枝は気合いを入れて、集中しようと目を閉じた。
◇ ◇
「うわっ!」
「どうしたの? 逃げてるだけじゃ私に勝てない────ぞ!?」
次々と繰り出される突きや薙ぎ攻撃を、雄也は体を捻り、時には剣で受け、ギリギリの所でかわしていく。
元々薙刀の試合経験があり、長ものを使う対戦にはある程度慣れていたのも要因の一つだが、何よりウンディーネが明らかに手加減して遊んでいるのが雄也には分かっていた。
その表情は楽しんでいるようにも見え、そして余裕に満ちている。
「攻撃してこなれないんじゃ、世界を救うとか仲間を守るとか大口叩けないんじゃないのか?」
挑発してくるウンディーネに、雄也は黙って攻撃を受け続ける。
ゲームの中では攻撃ボタンを押せば剣を振るい、魔法攻撃を指示すれば魔法で敵を打ち据えるのだが、同じように幾度も魔物を切ってきた雄也は、目の前の大精霊に対してゲームキャラと同じような行動が取れない。
緊張はすでに最初の一撃を避けた時に解けていて、今では攻撃を読める程度には、冷静になっている。
「ほら、考え事なんてしてる余裕あるのかー?」
ウンディーネの突き攻撃を紙一重でかわし、右へと転がりながら雄也は何度目かの距離を取る。
雄也が転がった方へと振り向くウンディーネ。
同じ事の繰り返しで、その目に飽きが見え始めていた。
ウンディーネの言う通り、余裕はないに等しい。自分の力量を計るための戦いなのは、重々分かっている。
だが、『魔物ではないモノ』と戦う事を、本当の意味で理解していなかった。
これは訓練ではない。相手も殺傷能力のある武器を持っているし、自分も手にしている。
相手は精霊。生身の人間ではない。それは分かっている。
それでも人型をしているモノに対して、本気で剣を向ける事を考えると、どうしても躊躇いが生じる。
だから雄也が右手に握っている剣がウンディーネを捉える事はなかった。
「ふぅ。臆病もここまで来ると重症だな」
やがてウンディーネからの好戦的な気配が止み、呆れたように溜息を吐いた。
「お前は、人一倍臆病なのだな。人目を気にして、顔色を伺って生きてきた、そのせいかな。
自分を殺して、誰かの役に立つことで自分の価値を見い出している。お前はそんな歪な人間だ。
だが、今のお前は私の力が必要じゃないのか? その為の行動をなぜ選択しない?」
「……お前におれの何が──」
「分かるさ。お前の過去を、生きてきた軌跡を色々と見せてもらったんだから。良い友人達じゃないか。守りたいんだろう? だが、守れるかな? 私とも剣を交えられないお前が」
痛い所を突かれた雄也は、反論する言葉が見つからず、ただ唇を噛み締めてウンディーネを見やる。
「兄貴分を亡くして、友人達を守ると誓ったのだろう? その為の力が欲しいのだろう? ならば、なぜこの場面で躊躇う必要がある?」
「……」
「もしかして、お前はまだ心のどこかで思ってるんじゃないか? 『おれ以外の誰かが、何とかしてくる』って」
「そんな事…………あるわけないだろう! だって、おれは──」
「そうだな。ボロボロになるような訓練、修行をこなしてきたのだから、私の言葉を否定もしたくなるだろう。だがこのザマはどうだ? 訓練と実戦は違うぞ? 実戦で使えない訓練なんてお遊びだからな。
今、この場は私が相手だからまだ良いが……これが現実の世界で、人間と敵対していたら……お前は今頃どうなっているかな?」
「──ッ!?」
「一方的に人間にやられて、そのまま死ぬだろう。友人は守れず無念の内に、な」
目を見開いて大精霊睨みつけるが、その黄金に輝く瞳に迷いを見透かされているような気がして、すぐに目を逸らす。
そして雄也はありえない、と言ったように頭を振って否定した。
「人間と敵対って……するわけがないだろう? おれ達は世界を救うために呼ばれたんだぞ? そんな訳──」
「お前達の行動によって、誰かが何かしらの不利益を被る可能性もある。それによって恨まれないと、どうして言い切れる?」
雄也が主張した否定の言葉を、ウンディーネはバッサリと切り捨てた。
息を呑んで黙り込んでしまう雄也。
それは、勘違いや誤解ですれ違い、仲違いして敵対することはもちろん、理不尽に敵意を向けられて略奪されることもあると身を持って知っていたから。
ましてや日々命のやり取りがあり、物理的に危害を加えることに何ら躊躇などしない殺伐としているこの世界だ。気に喰わないと言うだけで剣を振り、命を絶とうとする人もいるだろう。
一方的にやられることは、それはすなわちウンディーネの言う通り死を意味すると思っていいだろう。
盗賊や窃盗団なんてものを退治してくださいという依頼もギルド商会で見た覚えがある。
『和解』なんて言葉は、きっとこの世界でも存在しないのだろうと雄也は思う。
そんな自問自答する雄也を尻目に、ウンディーネは這いずるように移動し、玉座へと器用に座り直す。
そして、槍を立てかけ肘をつき、金色の瞳をまっすぐに雄也へと向けると、雄也へと問いかけを投げた。
「今一度、問おう。私の力を欲しているのは、世界を救うためか?」
「……そうだ」
「違うだろう。世界を救うために勇者になってしまった友人を守る為に、だろう?」
「……大して違わないだろう」
「大きく違うな。世界を救うためなら、世界を滅ぼすもの全てが敵になる。友人を守るためなら、自分達に仇なす全てが敵になる。そうだろう?」
「……何が言いたい?」
ウンディーネはまだ分からないのか、と言いたげな嘲笑を口元に浮かべる。
「いや、それとも目を逸らして、見ないようにしているのかな? まぁいい。何が言いたいか……か。私が言いたいのは、覚悟を決めろ、ということだ。
魔物でも人でも、立ちはだかるものは全て斬り伏せ、前に進んでいく強さと、自分の目的のために非情になる強さを持ってもらいたいと思っている」
ウンディーネの言葉が指す意味には十分な棘があった。思わず雄也は顔をしかめてウンディーネから視線を逸らす。
「お前はまだまだ非情になれていない。それは弱さだ。その弱さはいずれ命取りになる。
世界を救うという勇者なら、これから敵味方問わず多くの人と接触し、関わっていくだろう。それがどういう事か分かるかな? もう異世界の住人であるという考えは、弱さと共に捨てた方がいい。
でなければ……この先、お前の大事な友人達が死ぬことになる」
それがこの世界での生き方だ、とウンディーネは続けた。
考えていないわけではなかった。むしろ考えていたからこそ、気付いていたからこそ、それを見ぬふりしていた。
相手の身体を斬りつけ、その身体に剣を突きつけ、傷つける覚悟。
それはつまり────────人を殺すということ。
改めてそれを認識すると、背中を嫌な寒気が駆け上がり、自然と体に力が入る。
そのせいで剣を力強く握ったことを認識すると、反射的に剣を落とす。まるで衝動的に人を殺した後、こんな筈ではなかったと現実を受け止められずに苦悩する人のように。
雄也の反応を見たウンディーネは、腰を上げると雄也の元へと近付いていく。
「お前達について行ったにも関わらず、無様に死なれたりされるのは非常にいけ好かない。
『敵』と戦えない戦士がいるような輩に私は同行しない。将来的には、今より遥かに強くなってもらわねばならん。あいつらを倒し、世界を平和にするなら、な」
ぶっきらぼうに言い放った言葉だったが、その真意を汲み取れるくらいには雄也は馬鹿ではない。
つまり、いるのだ。勇者に敵対し、世界の平和を害する人間が。
ウンディーネは雄也の傍らに転がった剣に手を伸ばして拾い上げると、それを雄也の手に再び握らせた。
「別に人間全員が敵だという訳ではない。だが、敵だと認識したものは排除しなければ、お前の友人が更なる危険に晒される、ということを心に刻んでおいた方がいい」
人を斬るという可能性。それに背を向け続ける事はもう出来ないと諦めるしか無いのか。
果たして、人間に刃を向けられて、敵対するものを斬る事が出来るのだろうか。
元の世界の倫理観と、この世界での秩序が、雄也の頭の中で綯い交ぜになる。
「全ては選ばれ、そして動き出した。この宿命は勇者に選ばれた以上、誰にも止めることが出来ない。だから選択するんだ。敵を殺して生き残るか、死んで楽になるか」
「おれは……」
「別に快楽殺人者になれと言っているわけではない。だが魔物が相手でも、人間が相手でも、殺らねば殺られる。ここはそういう世界だということだ。それはこの先、嫌というほど思い知ることになるがな」
「それは……どうしても、やらなきゃいけない事なのか?」
「お前が生きたいと、そう思うなら……な」
互いに手の届く距離で視線を交わす2人。
ウンディーネは雄也の決意を。
雄也はウンディーネの真意を。
相手の心裡を探りながら見つめ合う。
やがて真意を図りかねた雄也は、ウンディーネから視線を逸らして、握らされている剣へと落とす。
鈍く光るその剣の向こうに、自分の意思やこの先の未来を探すように。
自分の望み。それは友人を守り抜き、この世界を脱すること。
この世界の理。それは邪魔になる敵は殺してでも排除しなければならないこと。
やるべきことは決まっている。やらねばならないことも決まっている。
あとは十年以上生きてきた自分の倫理観を捨て、この世界に生きる1人の人間として、生きる決意をするだけ。
それはつまり────。
決意を決めかねているウンディーネは、雄也の握っている剣に再び手を伸ばし、剣先を自分の胸に当て、深呼吸を一つする。
「何を──」
「大丈夫です。私はあなた方に協力します。元よりそう決まっていますから」
先程までの気高き女王のような口調ではなく、慈愛に溢れた聖女のような声。
まるで怖がっている子供の警戒心を解こうと、手を差し伸べているようなその声色に、雄也は思わずウンディーネの顔を見つめた。
「平和な世界から来たあなたには、人を斬ることはきっと怖いことだと思います。
未だ非情になれないあなたは、それをしてしまった時、罪悪感に苛まれるかもしれません。
ですが、あなたが本気で友人を守りたいと心に誓ったのなら、その道すがらでこの世界を救おうとするなら、その恐怖を、その重さを、その罪を背負って……乗り越えてください。
友人のために。世界のために。そして何より──あなたのために」
ウンディーネが優しく告げると、剣を持つ手に力を込める。
「私も手伝います。傍らで支えます。だから恐れないで────────」
雄也は導かれるがままに、ウンディーネが重ねた右手に力を込めて剣の柄を握ると、目を瞑って様々なきっかけになったサリアーラでの出来事を思い出す。
焦げた肉の臭い。
荒れ果てた町。
見るのもおぞましい魔物たち。
槍に刺さり、はためいていた昌人の学生服。
そして何より、何も出来なかった無力な自分。
ウンディーネに言われたような覚悟は未だに出来ていない。
そんな、言われてすぐに出来るものではない。
だが、やるしかないのもまた事実。
────あの時のような無力さを思い知らされるくらいなら!
もとより選択肢はなく、進むべき道は一つしか無いのだ。
雄也がゆっくりと目を開けると、目の前にいるウンディーネと目が合った。
一つ頷いて見せると、ウンディーネも同じように首肯してそれに応える。
そして雄也は、ウンディーネと共に持つ鉄の塊を、ウンディーネの胸へと押し沈めていった。




