第二十八話 観測されていない少女
暗闇の世界。
そこには何もなかった。
空も。
風も。
音も。
時間さえも停止している。
その中心で。
神崎結衣だけが立っていた。
悠真は動けない。
心臓の音だけがやけに大きい。
「……結衣」
結衣は静かに笑う。
だが今までの結衣とは違った。
“揺らいでいない”。
観測によるノイズがない。
分岐も。
消失も。
不安定さもない。
そこにいる彼女は、“完全に固定されていた”。
先行保持者が低く呟く。
「やっぱり残ってたか……」
悠真は振り返る。
「どういうことだ」
先行保持者の表情が僅かに曇る。
「あれが、本来の神崎結衣だ」
その言葉に、空気が凍る。
「本来……?」
「お前が今まで見てきた結衣は、“観測世界側に発生した残像”だ」
悠真の理解が追いつかない。
結衣は静かにこちらを見ている。
「兄貴」
その声だけで分かった。
今までの誰よりも。
この結衣が“本物”だ。
観測装置が激しく警告音を鳴らしている。
【禁則対象 接触継続中】
【観測整合率:急低下】
【管理領域侵食】
先行保持者が舌打ちする。
「時間がない」
だが悠真は動けない。
視線を外せない。
結衣が一歩近づく。
暗闇なのに、その足音だけが響く。
「兄貴、思い出した?」
悠真の頭に断片が走る。
病室。
幼い結衣。
笑っている母親。
そして。
“事故”。
世界が白く染まる。
悠真の呼吸が止まる。
記憶が繋がる。
神崎結衣は。
“最初の世界で既に死んでいた”。
「……え」
声が出ない。
先行保持者が目を閉じる。
「本来、お前の妹は存在しない」
その瞬間。
観測装置全体が激しく震える。
【最深禁則情報への到達】
【記録保持者 汚染率上昇】
悠真は結衣を見る。
結衣は悲しそうに笑った。
「ごめんね」
「兄貴が、忘れられなかったから」
先行保持者が続ける。
「結衣が死んだあと、お前は壊れた」
「“結衣が生きている世界”を望み続けた」
その結果。
観測装置が“誤作動”を起こした。
悠真の記憶が戻る。
幼い自分。
泣き叫ぶ自分。
「嫌だ」
「結衣を消すな」
その願い。
その感情。
それが。
“存在しないはずの結衣”を、観測世界へ発生させた。
観測装置が警告を続ける。
【異常発生源 特定】
【神崎悠真】
【観測汚染因子】
悠真は震える。
つまり。
全部、自分が始めた。
結衣が毎回消えるのも。
世界が壊れるのも。
繰り返し続けるのも。
全部。
自分が“忘れられなかった”せいだ。
結衣が悠真へ近づく。
「でもね」
優しい声。
「私は嬉しかったよ」
悠真の目から涙が落ちる。
「兄貴が、何回世界が終わっても」
「私を探してくれたから」
その瞬間。
暗黒世界そのものが揺れ始める。
観測装置が限界を迎えていた。
【禁則対象 固定不能】
【強制削除プロセス開始】
先行保持者が叫ぶ。
「離れろ!!」
だが悠真は動かない。
結衣が微笑む。
「もう大丈夫」
そして。
彼女の身体が、光へ変わり始める。
今までとは違う。
“観測による消失”ではない。
自ら消えようとしている。
悠真が叫ぶ。
「やめろ!!」
その瞬間。
結衣が初めて、泣いた。
「ごめんね、兄貴」
「今度こそ、終わらせて」
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