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てのひら無双 ~精霊に愛された人形師ときゃわわぬいぐるみ~  作者: 鮪野登呂介
王都アルヴェリア編

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前夜

前夜、というタイトルで、ほぼまるごと仕込み回です。しろが名前を呼ぶシーンを書けて、作者が一番ほっとしました。

 しろが、朝からずっとそわそわしていた。


 懐の中からときおり顔だけ出して、部屋の中の何かを確かめるようにあたりを見回す。それだけで特に何をするわけでもなく、また懐の中に引っ込む。そしてしばらくするとまた顔を出す。

 それを、朝食のときから繰り返している。


「……しろ、なんか落ち着かない感じがするんだけど」


 カエデが作業台の上に布を広げながら言うと、しろはちらりとこちらを見た。


「……そうか」

「そうかじゃなくて」


 返事にならない返事を受け取りながら、カエデは手元に視線を戻した。今日中に仕上げなければならないものが、二つある。


 一つは、しろとぽぽの体を縫い直してあげること。


タウルから分けてもらった特殊素材——魔力を帯びた繊維と、精霊親和性の高い鉱石を砕いて粉末にしたもの——を使って、ぬいぐるみの内部を縫い直す作業だ。

外から見た目は変わらないけど中身が変わる。精霊が宿っている以上、体のつくりが強くなれば、それだけ力を引き出しやすくなるんだそうだ。


 二つ目は、リオネルへの依頼品。


明日の王位継承の儀に合わせて作ってほしいと頼まれていたものだ。正式な注文ではなく「もしよければ」という形での依頼だったが、カエデにとってはその方がやりやすかった。形式に縛られると、手が止まる。


 ぽぽは、珍しく静かだった。

 いつもならカエデが作業を始めると寄ってきて「見る!」とでも言いたそうにちょこちょこ動き回るのに、今日は窓の桟の上で体を丸めて外を眺めている。


「ぽぽも、そわそわしてる」

「……ぽっ」


 返ってきたのは、いつもより短い音だった。

 カエデは少しの間それを見てから、また手元に集中することにした。考えても仕方ない。今日やるべきことをやる。それだけだ。


 午後の光が傾いてくるころ、素体強化が完成した。

 しろを縫い直すのに二時間、ぽぽに一時間半。どちらも、縫い目一つひとつに気持ちを込めた。込めた、というより、気づいたら込まっていた。針を通すたびに「ちゃんと戻ってきてね」と思っていたから、それが糸に乗ったのかもしれない。


 縫い直し終えたしろを手に取ると、ほんの少しだけ——ほんの少しだけ——温かかった。


「……あれ」


 しろをじっと見る。変わっていない。いつもと同じ、白い小さな狼のぬいぐるみ。でも確かに、手のひらに伝わる温度が違う。


「これで少しは楽になる、はずだから」


 カエデがそう言うと、しろはしばらく無言だった。

 それからぽぽを見た。ぽぽも素体強化が終わったあと、少しだけ表面が温かくなっていた。ぽぽ自身は「なんか変な感じ……でも嫌じゃない」という顔をして、しきりに自分の前足を見ていた。


 リオネルへのぬいぐるみは、夕方に仕上げた。小さな熊の形。素朴だけれど、手触りがいい。精霊は宿っていないけれど、丁寧に作ったものは違う。これはこれで、本物だと思う。



 夜になって、カエデはガルドへ手紙を書いた。

 短い手紙だった。


「明日、少し大変なことがあるかもしれません。でも大丈夫です。つきをよろしくお願いします」


 それだけ書いて、封をした。追伸を書こうとして、やめた。追伸を書くと、なんだか不安を認めてしまう気がしたから。

 部屋の灯りが揺れた。

 しろが、また懐から顔を出した。


「カエデ」


 呼ばれた。

 名前で。

 しろが自分の名前を呼ぶのを、カエデは聞いたことがなかった。いつも何も言わずに行動することが多いしろが名前を呼ぶのはなんだか新鮮だった。だから一瞬、聞き違いかと思って固まった。


「……なに」


 カエデが応えると、しろはまっすぐにこちらを見た。


「明日、カエデには新しく見えるものがあるかもしれない」

「見えるもの?」

「怖くない。ただ、私たちを信じてほしい」

 それだけ言って、しろは目を閉じた。


「……何が見えるの」


 答えはなかった。

 ぽぽが、窓の桟から降りてきて、しろの隣に座った。いつものようにちょっかいを出すわけでも、しろを見てにやにやするわけでもなく、ただ、隣にいた。


 カエデはしばらく二匹を見ていた。

 明日、何かある。しろは「ある」と言った。「戦いになるかもしれない」とも言っていた。教団が動くなら、継承の儀の場は標的になりえる。それはわかっていた。


 でも今は、それ以上考えなかった。

 信じろ、としろは言った。

 カエデは針を持つのが得意だ。縫うのが好きだ。それだけは、どこに転生しても変わらなかった。

 灯りを落として、横になった。

 しろの体は、まだ少しだけ温かかった。

しろが「カエデ」って呼ぶシーン、書きながら震えました。ここだけで今章書いてよかったと思った。明日が来ます。

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