花屋の危機
カエデさんが怒りました。普段怒らない人が怒ると、こわい。書いていて、そう思いました。ぽぽが動いた理由は、第19話まで遡ります。あのとき認めたから、この話がある。
その日の午後、ルーチェは花の仕入れで街の外れまで出かけていた。
カエデは留守番だった。仕事の依頼が三件積まれていて、そのどれかを片付けようと思っていた。ぽぽはどこかに飛んでいった。理由を聞いたら「王都の空を見学をするのだ!」と言っていた。
やっぱりぽぽの行動はわからない。それが可愛いんだけどね!
しろは相変わらず懐の中にいて、ホークは窓際にいた。
三人と一体、それぞれが静かな午後だった。
その静けさが崩れたのは、ホークが羽を一枚、ぴんと立てた瞬間だった。
「……ぽぽの気配が、動いています」
「どういう意味?」
「急に、です。位置は——街の南側。ここからそう遠くないですわ」
カエデは針を置いた。
懐の中でしろが、既に顔を出していた。南の方角を向いている。目が、細い。
「……早く言ったほうがいいんじゃないか。いやなものが見える」
短い言葉だった。しろがそう言うのは初めてだった。カエデは既に立ち上がっていた。
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着いた時、ルーチェは路地の壁際に立っていた。
男が二人、ルーチェの前に立っていた。体格がいい。商人の格好をしているが、商人の目ではない。カエデにはわかった。茶会の庭で見た目と、同じ種類だった。
カエデたちがついたとき、丁度ぽぽも現場に到着したようだ。
ルーチェは怪我をしていなかった。でも、壁と男たちの間に挟まれて、逃げ場がない状態だった。
「人形師の居場所を教えろ。私たちもそこまで暇なわけじゃない。君も頭がいいんだから断ったらどうなるか…わかるだろう?」
聞くのはおそらく三回目か四回目だろう、という口調だった。
ルーチェは壁を背にした肩が、少し強張っていた。
「あんたたち誰なのよ…!人様に迷惑をかけちゃならないのよ!」
「精一杯の強がりだとは思うがなかなか気が座っているな」
それを見たときカエデの中で何かが、胸の奥で音を立てた。
「怒り」という言葉が正確かどうかわからない。前の世界でも今の世界でも、怒りというものをカエデはあまり感じてこなかった。波風を立てるのが苦手で、理不尽には黙って頭を下げることが多かった。感情を燃やすより、やり過ごす方が得意だった。
でも、今。
ルーチェが壁を背に立っていて、声を揺らさずに「知りません」と言い続けている。その光景を見て、胸の中に何かが燃えた。
「その人から離れてください」
自分の声が、思ったより低かった。
男たちが振り返った。カエデを見て、一瞬だけ何かを判断するような目をした。小柄な人形師、精霊ぬいぐるみの持ち主——そういう計算が走ったのかもしれない。
その計算が終わる前に、ぽぽが男の腕から飛び上がり、炎を解き放った。
「これでもくらっとけぃ!!」
地面が弾けた。男の足元が爆ぜて、男が後ろに吹っ飛んだ。壁に背中をぶつけて崩れ落ちる。もう一人が身構えた瞬間、しろが懐から滑り出ていた。
音はなかった。
ただ、男は次の瞬間、石畳の上に横たわっていた。しろはカエデの腕の中にいた。何をしたのか、見えなかった。もういつものことだった。
ルーチェが、壁から離れた。
「……よかったぁ。来てくれて」
「ぽぽが教えてくれた」
「ぽぽちゃんが?」
ぽぽが「ぽっぽん!」と胸を張った。仕事をした顔だった。それはそうだ、とカエデは思った。あの日、ルーチェを認めると決めたのがぽぽだ。認めると決めたなら、守ると決めたということだ。言葉にしなくても、ぽぽにとってはたぶん、最初からそういうことだったんだろう。
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侯爵邸に戻ってから、ルーチェが事の経緯を話した。
仕入れ先の帰り道、路地に引き込まれた。最初は財布目的かと思ったが、「人形師の居場所を教えろ」と言われた。知らないと言ったら、脅してきた。
話しながらルーチェは、特に震えていなかった。声も安定していた。ルーチェはそういう人間だ、とカエデは知っている。怖かったとしても、後で平然と話せてしまう。それがルーチェの強さであり、カエデには時々ずるいと思う部分でもある。
でも話し終えた後、ルーチェは「……怖かった、ちょっと」とだけ言った。声が、少しだけ低かった。
「当たり前じゃん」とカエデは返した。「怖くて当然だよ」
「カエデ、なんか顔が怖い」
「……怒ってる」
「私のために?」
「当たり前じゃん」
ルーチェが少し黙った。それから「ありがとう」と言った。ぶっきらぼうな声だったが、ちゃんと届いていた。
セレナがその場にいて、静かに一部始終を聞いていた。リオネルへの報告が必要だと判断したのだろう、クロードに何かを耳打ちして、クロードが頷いた。
カエデはぽぽを見た。
「ぽぽ、ありがとう」
「ぽっ!」
「ルーチェを守ってくれて」
ぽぽがルーチェの頭の上に乗った。ルーチェが「重い」と言いながら、でも払いのけなかった。その重さが、今日は少しだけありがたかったのかもしれない。
しろが懐の中で、短く言った。
「……当然だ」
ホークが「ぽぽ様も、なかなかやりますわ」と窓から言った。ぽぽが「なかなかじゃない、ばっちりだ!」と言い返した。いつもの二体だった。でもカエデには、ホークの声が今日は少し柔らかかった気がした。気のせいかもしれない。気のせいではないと、思った。
ぽぽが動いた理由は第19話からです。あの時認めたから、この話がある。カエデさんが怒るシーン、書いていてすっきりしました。怒っていい。当たり前じゃん。それだけです。




