第二王子
視点が変わります。ヴァルクという人間を、できるだけ丁寧に書きました。悪役として書きたくなかった。弱い人間として書きたかった。弱い人間が間違えるとき、それは責めるより先に、少し哀しい。そういう回にしました。
酒は、もう三杯目だった。
部屋に人はいない。扉の外に衛兵は立っているが、中には誰も入れていない。灯台の火が一本、机の端で揺れている。窓の向こうは夜で、王都の灯りが遠く散らばっている。
ヴァルクは杯を置いた。
まだ飲めた。飲もうと思えば、夜明けまで飲める。ただ、酔えない夜というのがある。今夜がそれだった。
壁に、肖像画が掛かっている。
亡き父王ではなく、現王のものだ。威厳のある顔立ちで、視線はまっすぐ前を向いている。その絵を見るたびに、ヴァルクは決まって同じことを思う。
リオネルは、あの目に似ている。
長兄のことを考えると、胃の底が重くなる。怒りとも嫉妬とも違う。もっと古い、子どものころから染みついた何かだ。名前をつけることを、ずっとしてこなかった。名前をつけると、それが本物になる気がして。
リオネルは、何でも正しくやる。
剣の稽古でも、学問でも、臣下への接し方でも。手を抜かない。怠けない。笑うときも泣くときも、どこか計算があるように見えて——でも、そうではないことも、ヴァルクには分かっていた。本当に、そういう人間なのだ。生まれながらに、そういう人間として作られたのだ。
それが、ずっと、腹立たしかった。
努力をしていないわけではない。ヴァルク自身も、誰かに認めてもらいたくて、剣を振った。書物を読んだ。臣下の顔と名前を覚えた。だが何をしても、評価は決まってこう締まくくられる。
「さすがは、第二王子殿下」
第二、という言葉が、ついてくる。
杯を持ち上げて、また置いた。酒ではなく、水が飲みたかった。でも水を頼むために人を呼ぶのが、今夜は面倒だった。
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教団の男と初めて会ったのは、半年前のことだ。
公式の場ではなかった。狩りの帰り道、道に迷ったふりをして近づいてきた男だった。身なりは質素で、商人のように見えた。ただ、目が違った。商人の目ではなかった。何かを長く見続けてきた人間の目だった。
最初の話は、ただの世間話に過ぎなかった。
王都の情勢のこと。王位継承の儀が近づいていること。第一王子への民衆の期待が高いこと。ヴァルクが答えるたびに、男は丁寧に頷いた。否定も、追従もせず、ただ聞いた。
二度目に会ったとき、男は少し踏み込んだ。
「殿下は、この国をどうしたいとお考えですか」
その問いが、ヴァルクの胸に刺さった。
誰も、そんなことを聞かなかった。臣下たちはヴァルクが何かを成したときだけ近づいてきて、失敗したときは距離を置いた。長兄の話をするときだけ、目が輝いた。父王ですら、ヴァルクを見るときはどこか申し訳なさそうな目をした。お前は、生まれる順番が悪かった——そう言いたそうな目を。
だが、あの男は違った。
ヴァルクの言葉を、最後まで聞いた。
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三度目に会ったとき、男は仲間を連れてきた。
小さな石を、見せた。
小さなものだった。ただ——その瞬間に、ヴァルクは分かった。これは、普通の魔法使いの技ではない。何か別の力だ。底が見えない、深いところから引き出された何かだ。
「信じていただけましたか」と男は言った。
ヴァルクは頷いた。頷かざるを得なかった。
あなたを王にする、という話が出たのは、それから少し後だった。
最初は、比喩だと思った。大きな力を表す言葉だと思った。だが、男たちが話す内容は具体的で、儀式の手順があり、必要な道具があり、場所があり、触媒があった。比喩ではなかった。本当に、そういうことをしようとしていた。
そのとき、引き返すべきだった。
ヴァルクは、それを分かっていた。分かっていて、引き返さなかった。
王になれるなら、という言葉が、頭の中にあった。長兄を追い越せるなら、という言葉が。誰かに「殿下が一番です」と言わせることができるなら、という、子どもじみた願いが。
杯を持ち上げる。今度は、飲んだ。
喉を過ぎる感覚が、ひどく遠かった。
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あの男の目が、最近、少し変わった気がする。
いつも穏やかで、いつも丁寧で、いつもヴァルクの言葉を最後まで聞く。それは変わらない。だが何か、ずれてきた感覚がある。最初のころは、ヴァルクが主で、男たちが協力者だという感覚があった。今は——どちらが、主なのか。
うまく言えない。うまく言えないから、考えるのをやめていた。
窓の外で、風が動いた。
灯台の火が揺れて、肖像画の影が伸びた。現王の顔が、一瞬、歪んで見えた。
ヴァルクは目を逸らした。
リオネルが王になっても、何も変わらない、とずっと思っていた。自分は二番目のまま、誰かの影に入るだけだと思っていた。それが耐えられなかった。信じたかった——自分にも、何かできると。
信じたかっただけだった。
机の上に、男から渡された小さな石が置いてある。術式の一部だと言われた。捨てようと思ったことが、何度かある。捨てられなかった。捨てたら、後戻りできないことを認めることになる気がして。
捨てなかった、ということは、もう後戻りできないということだ。
それは分かっている。分かっているが、石を見る目が、今夜は少しだけ、違った。
恐ろしい、という感情が、小さく、確かに、あった。
酒を飲み干した。もう一杯つごうとして、瓶が空になっていることに気づいた。
人を呼ぼうと思って、やめた。
部屋に一人でいる方が、今夜は、よかった。
ヴァルクのことを、嫌いになってほしくなかった。間違えた人間として書きました。次に出てくるときも、同じように書くつもりです。あの石が、次の話でどう動くか。楽しみにしていてください。




