教団
視点が変わります。カエデたちの話ではありません。でも、この話が必要だと思っています。悪役にも論理がある。それを書かないと、後の話が薄くなる。ただし、読んでいて嫌な気持ちにならないように、気をつけて書きました。たぶん。
王都の外れに、古い集会所がある。
石造りの建物で、表向きは慈善団体の拠点ということになっている。実際に食料の配給も行っているし、近隣の住民に評判が悪いわけでもない。ただ、地下に続く階段があることを知っている者は、ほとんどいない。
夜になると、その階段を下りていく人間が何人かいた。
部屋は広くない。長方形のテーブルが一つと、椅子が六脚。燭台が三本。窓はない。
すでに着席していた男が、入ってきた男を見て立ち上がりかけた。
「お座りください」
穏やかな声だった。
制止した男は、テーブルの奥の席にいた。年のころは五十前後。白髪交じりの髪を丁寧に整え、着ているものは質素だが清潔だ。眼鏡はかけていない。目は淡い灰色で、どこか遠いものを見ているような、そういう目をしていた。
「ご苦労でした、イデル」
「はっ」
イデルと呼ばれた男は、四十がらみで体格がいい。王都の商人として潜入しているはずだが、その体つきは商人というよりも、長く野外で鍛えてきた人間のそれだった。報告書を取り出して、テーブルに置く。
「ヴァルク殿下への工作は、順調に進んでおります。先月の段階で、われわれの術式の一端をお見せしました。疑念はあるようですが、関心も確かにある。もう少し時間をいただければ」
「もう少し、とはどのくらいでしょう」
「二月……いえ、一月半あれば」
男は頷いた。急かしもしない。責めもしない。ただ静かに聞いていた。
その穏やかさが、イデルには時々、恐ろしかった。
「王位継承の儀まで、三月ほどあります。間に合うでしょう」
男はそう言ってから、薄く笑った。笑い方も穏やかだった。目の色だけが、少し変わった。
「エルミナの件は、想定通りでした。あれは小式です。術式の動作確認と、精霊の反応を見るための試験でしかなかった。結果は上々でしたね」
「はっ。ただ——」
イデルが、わずかに間を置いた。
「儀式を邪魔した人間が、います」
沈黙があった。
短い沈黙だったが、部屋の温度が少し下がったような気がした。燭台の炎が、揺れた。
「存じています」と男は言った。「王都に来ているそうですね」
「はい。アルウィン侯爵の令嬢と親しいようで、そちらを通じて——」
「精霊が三体、おりますね」
「……はい」
「エルミナで使った呼び込み術式が、機能しなかった原因はそこにあります」
男はテーブルの上で両手を組んだ。動作は丁寧で、急いでいない。
「精霊親和を持つ人間がいる場所では、精霊への干渉が著しく困難になる。精霊たちが、その人間の側に集まろうとするから。術式の出力を上げることは可能ですが、それは大式の前に余計な労力を使うことになる」
「では」
「その人形師を、排除する必要がありますね」
静かな声だった。怒っていない。焦っていない。ただ、解決すべき課題を口にするような、そういう淡々とした言い方だった。
イデルは「はっ」と答えながら、この男に従うことを決めたあの日のことを思い出した。論理的だった。感情的ではなかった。自分たちの目的のために必要なことを、必要な順序で実行していく。それだけの人間だった。それだけの人間であることが、恐ろしく、そして信頼に足ると思った。
「ただし」と男は続けた。「乱暴なことはしないように。王都で騒ぎを起こすのは、継承の儀の前には得策ではない。脅しでいい。遠ざければそれで十分です」
「……人形師は、アルウィン侯爵家の庇護下にあります。手を出すのは」
「難しいですね」
男は少し考えた。考えながら、右手の袖を少し引き下げた。無意識の動作のようだった。
一瞬だけ、袖の下が見えた。
イデルは目を逸らした。見てはいけないと、経験で知っていた。
「周辺から、です」と男は言った。「本人ではなく、周囲の人間に揺さぶりをかける。人形師は穏やかな気質の人間らしい。大切なものを守るために、自分から距離を置くかもしれない」
「……なるほど」
「やりすぎないように。あくまでも、遠ざけるだけでいい。傷つければ精霊が動く。それは逆効果です」
イデルは報告書をテーブルから取り戻した。追記が必要だった。
立ち上がりかけたとき、男がもう一度口を開いた。
「人形師の名前は」
「カエデ、と」
「そうですか」
男は目を細めた。それだけだった。感想も、評価も、何もない。ただ名前を聞いて、頷いた。
燭台の炎が、また揺れた。
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会合が終わって、イデルが階段を上がると、夜の王都の空気があった。石畳の匂いと、どこかの酒場から漏れてくる喧騒と、遠くの噴水の音。
普通の夜だった。
普通の夜の中で、イデルは報告書に一行追記した。
排除対象:人形師、カエデ。
インクが乾くのを待ちながら、イデルはこの仕事に慣れてしまった自分のことを、どこかぼんやりと考えた。考えて、それからやめた。考えても、どうにもならないことだった。
教祖の名前、まだ出していません。出すタイミングがあると思うので、それまでは「男」で通します。穏やかな人が一番怖い、というのは本当にそうだと思っています。袖の下については、山場でちゃんと書きます。




