濁流の賭け
貧民街は金の無い人が集まる場所であると同時に、金持ちが寄りつかない場所でもある。わざわざ狭い道を通って何かをしようとする人がいないから、こういった溜まり場が出来上がって行く。故にギンゼのような奴がこういった道に詳しく、ヴァルネアのような人が狙われるのだ。祭りに沸き立つ大通りから離れ、どうせ濁流に流されるなら馬車など不要、と言うヴァルネアとともに俺たちは貧民街へ向けて歩いていた。どう見ても待ち構えているのがバレバレのはずだが、ギンゼ側からしたらチャンスは今しか無い。それに、濁流にかなりの自信を持っているはずだ。恐らく仕掛けてくる。
「来たぞ!」
いち早く気づいたシェルドの声に連なるように、水の流れる轟音が聞こえてくる。
「ヴァルネアさん!」
「出したよ!」
カイルとカイエルがヴァルネアの箱を掴んだ時には、既に全員が沼に沈み始めていた。
「急げ!」
半分ほど箱を壁に向かって斜めに押し込んだ後、体重でさらに沈めるように勢いよく全員が箱に入っていく。蓋を持った俺は最後に飛び込んだ。
「シェルド!」
「解いた!後は祈ろう!」
言葉尻を掻き消すように、轟音がすぐ近くを通り始めた。蓋から衝撃が伝わり、俺の手に水が滴るのがわかる。
「ヤバイ、漏れてる!ミシミシいってる!」
「気合いで塞げ!」
「呼吸を整えろ!最悪流されるぞ!」
「フフッ。」
ヴァルネアは何故か笑っている。どういう神経してんだこの人。しばらく暗闇で耐え忍ぶと、音が徐々に落ち着いて来た。
「…そろそろいいか?」
「シェルドの合図で一気に開けよう。手早くやらないと全員沼に沈む。」
「よし、いくぞ。…今だ!」
シェルドの魔法の発動に合わせ、俺とカイルが力を込めて蓋を押し出す。
「ぶっ!ゲホッ!」
「汚ね!外で咳しろ!」
蓋が開いた瞬間、顔に降り落ちて来た泥がすぐに土に変わる。光が見えるということは、何とか成功したようだ。顔を拭って、先にシェルドを外に押し出す。
「…見える位置には誰もいない。今のうちに体勢を整えるぞ!」
「よし!」
出口に近い俺から外に這い出る。カイルとカイエルが押し出そうとしてくれたが、出てくるだけなら1人でも出来そうだ。見えた地面には完全にひしゃげた蓋が転がっている。なんとかなって本当に良かった。
「ふー。よし、カイル。」
俺が引っ張り上げようと箱に手を伸ばすと、突然、シェルドに肩を蹴り飛ばされた。
「ぐっ!」
倒れ込んですぐに視線を向けると、シェルドのローブに緑の液体が付着していた。
(例の樹液か!)
樹液は箱の出口の前にばら撒かれ、足止めになってしまっている。俺が見上げると、道を挟んだ壁の上から1人の男がこちらを見下ろしていた。手に持っているのは、バケツ?ひとまず起きあがろうとしたところで、地面とくっついているのに気づく。先ほど、樹液の一部が服についていたらしい。俺が無理に体を起こそうとするより早く、地面が沼になった。俺が立ち上がり、箱の前の樹液が呑まれると、地面は元に戻った。想像以上に、シェルドの存在がありがたい。壁の上の男の手元が光る。あれは、バケツを再召喚したのか?見ると、シェルドのローブに付いていた樹液は綺麗さっぱり無くなっている。
「なるほどな!妙な液体の入ったバケツを召喚する魔法ってわけだ!再召喚すると液体ごとリセットされるみてーだな!」
全員に聞かせるように声を上げる。早々に樹液男の詳細がわかるのはありがたい。
「死にたく無かったら当たり券を寄越せ!」
真剣に当たり券を要求されるとなんか面白い。目の端でカイルが出て来るのを見ながら会話を続ける。
「おもしれー魔法じゃねーか!こんなことしなくても、まともに稼げるんじゃねーの!?」
「チマチマ稼いでも抜け出せねぇ!どうせ命張るならこっちの方が割りが良い!」
「そりゃ残念だ!他の仲間の考えも同じなのか!?」
「渡す気は無ぇみてぇだな!」
短いかと思ったが、無事カイエルも這い出ている。ヴァルネアは下手に出るより良いだろう。
「シェルド!」
「任せろ!」
樹液男の下に駆け出したシェルドの頭上に樹液が降り注ぐ。―だが、当たらない。範囲内に侵入したシェルドの魔法によって、岩の壁は半円で削り取るように沼となって流れ落ちる。
「うぉっ!」
樹液男は体勢を崩しながら俺たちと同じ高さへ徐々に流れて来る。ここだ。俺は微光を纏う左手をかざす。しかし、俺が光を放つ前に空気が抜けるような音と共に白い煙が広がる。樹液男では無い。タイミングから見て、樹液男の仲間の仕業だろう。煙は道を埋め尽くしてもまだ広がっている。どうする。明らかに音はしているが、見えない相手に撃ち込むのはリスクが高い。煙を晴らせる保証も無いまま手の内を晒すのは避けたいが、ぐずぐずしているとまた濁流が来る可能性もある。
「リオス、カイル!2人で濁流を止めに行け!煙を出したってことは決め手に欠けるはずだ!ここは俺とシェルドで食い止める!」
「…行くぞ!リオス!」
「死ぬなよ2人とも!」
音のする方へ身構える2人の背に声をかけて、カイエルの策に乗った俺とカイルは膠着を生み出した煙を抜け出し、先ほど濁流の流れて来た貧民街へ向かって走り出した。
道の先にあったのは、薄いピンク色の大きな膜のようなものだった。道に居座るように押し込まれた風船のように見える。近づくと、中で2人の人間が水に浮かんでいるのが見える。水を、溜めてるのか?
「なんだあれ!?」
「わからねー!取り敢えず撃つぞ!」
俺は一度足を止め、地面と壁の角を狙うように呪文を唱える。
「デヤル!」
放たれた光は膜の近くで破裂し、全体に衝撃を伝えて揺れる。しかし、膜が壊れる様子は無い。衝撃を伝える俺の呪文とは相性が悪そうだ。
「切れ!カイル!」
「任せろ!」
先を行くカイルは剣を手に真っ直ぐ距離を詰めていく。後を追いながら、膜の色が濃くなっていくのに気づく。それだけでは無い。徐々に萎んでいる…?中にいるうちの1人が水に潜ると、水嵩が増していく。潜って水を出しているのがギンゼだとしたら、水から顔を出している男は膜を出している方だろう。赤に染まる頃には濁流が来そうだ。近づいている俺たちにとっては既に危険なレベルに溜まっている気がするが、未完成なまま破裂させなければカイエルたちがやられる。膜の赤みが増しているが、カイルとの距離がまだある。間に合わないか?そう思った時、先ほど光を撃ち込んだ辺りが濡れているのに気づく。光そのものはダメでも、弾かれた石か何かで傷が付いたのかも知れない。俺は再び足を止め、同じ箇所を狙い撃つ。
「デヤル!」
膜が破れ水が漏れ出す。全体から見れば微々たるものだが、水嵩は増えていないように見える。潜っていた男が水面に顔を出すと、水嵩は少し減ったように見えた。水を溜めるには潜る必要があるのか?とにかく時間は稼げているはずだ。再び男が潜るのと、カイルが膜に到達するのはほぼ同時だった。中の様子が見えづらくなる程赤くなった膜が切り裂かれる。押し出されるように裂け目を広げながら水が勢い良く放出される。カイルが見えなくなるのと同時に俺は壁に身を這わせたが、すぐに押し流される。泥で視界を奪われながらしばらく転がったが、息が切れる前に勢いが収まり立ち上がることが出来た。拭った顔を上げると、誰もいない、と思ったらすぐ後ろからカイルのえずきが聞こえた。
「ゲホッ!くっそ!」
水はカイエルたちの方まで届く勢いでは無かった。10cm程の水が辺りを満たしているが、すぐに引いていくだろう。カイルの奥から武器を構えた2人がゆっくり近づいて来るのが見えるが、俺は無理に仕掛けない。カイルの体勢が整っていないのもそうだが、急ぐほどの脅威がもう無い。水のギンゼはこの隘路でも単独では無力な上、膜男の詳細は不明だが、剣で切れる以上、単純なぶつかり合いで役に立つとは思えなかった。
「もう濁流は作れないだろ!諦めて捕まったらどうだ!?」
「ククッ…ハハハッ!捕まるだと!?この国で、捕まると殺されるの違いがどこにあるってんだ!?」
予想はしていた。この国の大半を占める何も持たない貧民と、護衛を雇う金持ち。どちらも共通して自分の身は自分で守っており、治安維持組織の力が弱い。捕まえても放り込む場所が無く、結局死体になる。お互い、やり切るしか無い。
「逃げる気もねーみてーだな!」
「俺らは人生を変えるんだ!邪魔、すんなよ…」
落ちた声が、場をひりつかせる。最初に動いたのはカイルだった。盾を構え、そのまま突進する。膜男も同様に盾を構え体をぶつける、と思いきや重心をずらし、カイルのバランスを崩す。槍を持ったギンゼと膜男の剣が同時にカイルを捉えかける。だが、この流れは俺たちにとってはいつものパターンだった。
「デヤル!」
3人の足元に撃ち込まれた光はそれぞれを弾き飛ばした。カイルとギンゼはそれぞれ背中から壁にぶつかったが、カイルはすぐに立ち上がり、ギンゼは座り込んだように動かなかった。俺と反対側の道に転がった膜男はゆっくりと立ち上がる。持っていた盾のおかげでダメージが少ないのかも知れない。
「クソッ!クソがぁ!」
吹き飛ばされた盾を拾いに行くことも無く、膜男はカイルに斬りかかる。それを盾で弾き体勢を崩すと、カイルは腹を剣で一突きにした。くずおれる体に合わせるように剣が引き抜かれ、血と泥水が混ざる。決着が着いたのを見て、俺はギンゼに向き直る。
「言い残すことはあるか?」
「…無ぇ、よ。」
まだ息があったようだ。咳き込んで、血が吐き出される。もう長く無いだろう。
「こんなやり方じゃ無くても稼ぐ方法はあっただろ。なんで1等を狙ったんだ?」
「期待、してたからだよ。あいつが、1等がありゃ変わるって…クソ溜めで見た、夢の末路がこれだ。」
「誰かの指示なのか?お前がリーダーじゃ無いのか?」
「俺が、乗ると、決めた…ガ、イリ、に…」
ガイリ?最近聞いた名前だ。そうだ。ここへ来た時にシェルドと話していた男も同じ名前だった。
「おい、それってどんなやつだった?おい…」
もう、言葉は返ってこなかった。
俺たちが急いで戻る途中で、こちらに向かっていたシェルドと合流した。コイツは本気で走る時、四つん這いになるし姿が若干ズレるしでかなりシュールだ。
「シェルド!勝ったのか!」
「ああ!そっちもか!」
「2人始末した!そっちも決着ついたんだな!」
「煙男はずっとシューシューいってたからな!」
せっかく視界を奪えるのに音消せないんだな、煙男。カイエルの元に向かいながらギンゼの話をしてみる。
「ガイリ?あのガイリか?」
「わかんねーけど気になるだろ?ヴァルネアさんがまた狙われるかも知れねーし。」
「後で考えよーぜ。まだ危ないなら急いで戻った方が良いだろ?」
その後、ヴァルネア、カイエルと合流した俺たちは修理店に戻り、簡単にお互いの出来事とギンゼの脅威が去ったことを確認してゆっくりと過ごした。




