決戦(3)
「味方だ!」
「別動隊が戻ってきたぞ!」
バムシャード軍の将校や士官が嬉々として叫ぶ。エリマイス兵たちは最初、ぽかんと口を開けていた。言葉の意味を飲み込むにつれ、兵士たちの顔に生気が甦り、歓声を上げた。反対にハカーマニシュ兵の顔は青ざめる。
「狼狽えるな!」
イスファーンが叫んだ。
「あれは我々の味方だ!」
士官たちがイスファーンの言葉を復唱する。今度は反対に、ハカーマニシュ兵の顔に血の気が戻った。
「本当だ…!」
「あれは…味方だ!」
「味方の援軍が来たぞ!」
「味方だ!」
兵士たちが歓声を上げた。
(勝ったな)
イスファーンは額の汗をそっと拭った。
作戦は諸々の不安定な要素の上に成り立っていた。事前に必勝の体制を整えてから戦いに臨むという常のイスファーンからは考えられないような戦い方であり、この一事だけでも彼がいかに追い詰められていたかが推し測れようというものである。
ハマトから援軍の約束を取り付けると、イスファーンはすぐに行動を開始した。多数の間諜をトゥーラーン軍のハカーマニシュ人部隊に放ったのである。これらの間諜にはナスリーン女王の勅命が書かれた文書を持たせ、特に忠誠心が強く口が固いと見込んだ士官たちに接近させた。結果として彼らの反乱は戦況を大きく変えたが、イスファーンとしては敵陣営を撹乱する程度の働きをしてくれれば十分と考えていた。この点、イスファーンもハカーマニシュ人の王家に対する忠誠心を甘く見ていたと言える。
ハマト軍が十分に近づいてきたことを確認すると、密かに使者を送って連絡を取り合った。そしてトゥーラーン軍を分散させるため、アータシュに偽の情報を掴ませて故意にラガシュから脱出させた。無論、「うっかり酒に酔って情報を漏らした将校」も「城門を警備していたアータシュの友人」もイスファーンの命令で動いたのであり、実際に処罰された者は1人もいなかった。
トゥーラーン軍が分散するかどうか。イスファーンは、トゥーラーン軍は動くと考えていた。一つには、アフシンの存在がある。アフシンならば情報が偽のものであることを見抜くだろう。アフシンは有能な男であり、彼自身それを自覚している。ならば、色々と深読みした末にイスファーンの策を逆手に取ろうと考えるのではないか。どう転んでも損はなく、うまくいけば多大な利を得られる作戦。自己顕示欲の強いアフシンがこの作戦に心を動かさないとは思えなかった。
結果、トゥーラーン軍は2つに分散した。イスファーンはバムシャード隊に突撃を敢行するとともに、狼煙を上げた。ハマト軍に対する合図である。反乱を起こしたハカーマニシュ兵を加えて数を増した軍勢でトゥーラーン軍本隊を叩き潰し、別動隊はハマト軍が奇襲する。さらに、ハマト軍が早い段階で別動隊を壊滅させればただちにラガシュに向かい、バムシャード隊の背後を突いて退路を断つ。これがイスファーンの秘策だった。一部の信頼できる将にしか明かしていない、秘策中の秘策である。
(ここでトゥーラーン軍、特にエリマイス兵を削れるだけ削り、さらにバムシャードやアフシンら主要な将を皆殺しにしてやる)
局地戦でトゥーラーン軍の力を弱め、さらに華々しく勝利することによりイスファーンの武威が未だ健在であることを敵味方に知らしめる。そして最後にはカユーマルスを討ち、再び救国の英雄となるのだ。既に敵対者の炙り出しは済んでいる。戦後、イスファーンの権力及び権威は磐石となるだろう。
「シャープール殿はどうするのですか?」
傍らのオミードが問いかけた。
「シャープールか。奴など、どうにでもなる」
ナスリーンを奉じてスーサに入る。それはシャープールがハマトの砂漠から離れることを意味する。ハマト兵は砂漠にいるからこそ手強い。逆に言えば、砂漠から引き離してしまえば打つ手はいくらでもある。イスファーンはそう考えている。
(誰が奴をハカーマニシュ王になどしてやるものか)
今回援軍を送ってもらったことは、恩になど思っていなかった。今日の苦境があるのはシャープールのせいだ。シャープールがいなければ、18万もの軍勢を失うことはなかった。キールスも、フィルーズも、カムランも、ギーヴも、ファルロフも、シェルヴィーンも生きてイスファーンを大いに助けてくれただろう。いやそもそもシャープールが余計なことをしなければイスファーンがハマトに攻め入る必要などなく、トゥーラーン軍の侵攻を招く事態にはなっていなかった。そうすればオーランが死ぬことも、ミラードやアフシンが裏切ることもなかったかもしれない。
(奴だけは許さん)
トゥーラーン軍を打ち破れば、次はシャープールとハマトを叩き潰してやる。イスファーンは密かに憎しみの炎を燃やしていた。
だが、今それを悟られる訳にはいかない。トゥーラーン軍を打倒するまでは、ナスリーン女王派として共闘しなければならないのだ。
戦場では、イスファーン軍兵士たちが喜びの声を上げていた。反対にエリマイス兵に広がる絶望は、目に見えるかのようだった。武器を落とし、地面に膝をついてしまう兵まで現れる始末だった。イスファーン軍はそのようなエリマイス兵にも慈悲を見せることはなく殺して回った。
「援軍だ!」
「我々は勝ったんだ!」
「パルティアの騎兵が来たぞ!」
イスファーンは己の耳を疑った。
(今…今なんと言った…?)
パルティアの騎兵。確かにそう聞こえた。来るのはハマト兵のはずではないのか?
(どこからパルティア兵が来たのだ?)
もしや、本国から呼び寄せた軍勢が間に合ったのだろうか?トゥーラーン軍の妨害をかわして、王の危機に駆けつけてきたのだろうか。
やがて近づいてくる騎兵の姿が見えてきた。それを見て、イスファーンは目を見開いた。
(たしかにパルティア兵もいる…。だが、あれは…)
軍勢を構成するのは、パルティア兵だけではなかった。ヒュルカニア兵や、オイラート兵までいた。
(それに…)
パルティア兵の先頭に立つ男。それはイスファーンがよく見知った顔だった。
イスファーン麾下の若手筆頭とも見なされた、パルティアの若き勇将。舅の仇を取るため、傷つけられた名誉を回復するため、あえて主君を裏切り今はカユーマルスに仕える男。
(ミラード…)
ヒュルカニア兵やオイラート兵とともに近づいてくるパルティア兵たちは、ミラードの一族の旗を掲げていた。イスファーンの瞳に驚愕と絶望の影がさした。爪が食い込むほどに拳を握り、血が滲むほどに唇を噛む。
「あれは…敵だ…!」




