決戦(2)
遡ること数時間前。ダーラー率いるトゥーラーン軍別動隊は西に向かって行軍していた。絶えず後方の本隊の様子を気にしつつの行軍ではあったが、意外にも進みは早かった。指揮官のダーラーが急がせたからである。
ダーラーは補給拠点の情報を頭から信じ込んでいた。信じようとしていた、というべきかもしれない。ダーラーはバムシャードやアーブティンとほぼ同世代であるが、他の二人ほどの武功は立てておらず、名声も小さい。手柄を欲し、同僚に追い付こうと焦っているような節があった。彼にとって、今回の補給拠点襲撃部隊の指揮官の地位を手にすることができたのは天の助けとも思えた。なんとしてでも手柄を立ててみせる。その執念が、補給拠点の情報を盲信することにつながっていた。少しでも早く辿り着くためには、将兵の疲労などかまっていられなかった。歩みも早く、休息時間も惜しむ、まさに強行軍だった。
(やれやれ。これでは敵と戦う前に兵士たちが参ってしまうではないか)
アフシンは内心で愚痴をこぼした。指揮官の名誉欲に巻き込まれるなど、従う将兵にとってはたまったものではない。
(拠点に着く前に休息するというが、あやしいものだ。そもそも、これではー)
アフシンの思いは途中で遮られた。南の方に、砂塵が舞い上がるのが見えたのである。
(どこの軍勢だ?)
トゥーラーン軍のアーブティン隊やペルディッカス隊がようやくたどり着いたのだろうか?それにしては方角がおかしい。では、地元の領主の軍か?だが、砂塵の数から推測するに、現地領主が用意できるような数ではない。
(まさか…)
イスファーン軍の追撃部隊か?だが、それならばバムシャード隊が黙ってはいないはずである。もしや、バムシャード隊は既に敗れたというのだろうか?
(いや、いくらなんでもそう容易く敗れるはずはない)
残留部隊には3万5000の兵を残してある。イスファーン軍に比べれば5000ほども少ないが、全体の数からすれば大差というほどではない。それにバムシャードは猛将ではあっても決して愚将ではない。そう簡単に敗れはしないはずだ。
(だが相手は名将イスファーンだ)
何が起こってもおかしくはない。そのように考えておかねばならない、手強い相手だった。
アフシンが思考を巡らせている間にも、砂塵は近づいてきた。トゥーラーン軍全体にも動揺が広がっている。
遂に相手の姿が見える距離にまで近づいた。
(覆面に、襤褸のような服。そして革鎧…)
アフシンが相手の正体に気づくより早く、多数の矢が放たれた。矢の雨が弧を描き、トゥーラーン軍に降り注ぐ。トゥーラーン軍兵士が血にまみれていく。
(あれは…)
アフシンは驚愕に目を見開いた。何故奴らがここにいる?百歩譲ってここにいるのは理解できるとしても、なぜトゥーラーン軍を攻撃するのか?
「ハマト軍だ!砂漠の民だ!」
「ナスリーン女王陛下のために!」
口々に叫びながら、ハマト軍は矢を射てきた。エリマイス兵は盾を並べ、長槍を前に突き出して迎撃の構えをとった。
「ナスリーン女王陛下のために!」
突如、その声が後ろから聞こえてきた。
(まさか後ろにも敵が…)
そこまで考えて、アフシンは愕然とした。声はどこから聞こえた?後ろだ。では、どれほどの距離から?
反射的にアフシンは身をよじった。槍が先ほどまでアフシンの背中があった虚空を貫く。アフシンは剣を抜き、振り向きざまに斬りつけた。確かな手応えがあり、鮮血が宙に舞った。後に残ったのは、ハカーマニシュ兵の、アフシンの部下の死体だった。
「この不埒…」
「ナスリーン女王陛下のために!」
アフシンの声は怒号にかき消された。今やアフシンの部下のほとんどが、槍を、剣を、弓をアフシンに向けていた。
(まずい…!)
アフシンは駆け出した。頭上を矢がかすめていく。アフシンは夢中で馬にしがみついた。
「アフシン!貴様裏切ったか!」
前方からダーラーの怒声が聞こえた。
「何を言って…」
言いかけ、アフシンは絶句した。アフシンの後ろには、武器を持って反乱を起こした多数のハカーマニシュ兵がいる。アフシンはハカーマニシュ将だ。嘗ての部下に追われるアフシンだが、見ようによっては先頭を切ってエリマイス軍に殴り込もうとしているともとれる。
「違う!誤解だ!俺は裏切ってなど…」
柄にもなく弁解の言葉を叫んでいたアフシンの声は半ばで途切れた。エリマイス軍から放たれた矢が馬に命中し、アフシンは倒れる馬から投げ出されたのだ。
(こんなところで…)
地に頭を打ち付け、アフシンは意識を失った。
「僭王の犬どもを殺せ!」
マシニッサは大声を張り上げた。もっとも、部下たちは言われるまでもなく、狂ったようにエリマイス兵を狩りたてていた。
(それにしても、妙なものだな)
ハマト軍がここにいるのは、偶然でも何でもない。彼らはイスファーンの要請に応え、遥々砂漠を越えてやってきたのだ。
イスファーンとハマトとは、つい先日まで争いあっていた仇敵同士ではないのか?両者が手を結び、なおかつ一方の危機を救うために駆けつけるなど、あり得るのだろうか?恨みや憎しみを乗り越えてまで手を組むような理由あるいは共通の目的があるのだろうか?
それが、あったのだ。正当なハカーマニシュ王、すなわちナスリーン女王を守るという目的が。
ハカーマニシュ王国には現在、二人の王が並び立っている。ナスリーンとカユーマルスだ。このうち、ハカーマニシュ貴族、少なくとも王都スーサの貴族たちの支持を得ているのはカユーマルスである。しかしその血統がハカーマニシュ王家に相応しいとする根拠は今一つ説得力に乏しい。また、これまでの王であるナスリーンの権威や影響力も侮ることはできない。現にハマトは明確にナスリーン女王を支持しているし、イスファーン軍もまたナスリーン女王派と言えた。ハマトもイスファーンも前回のトゥーラーン戦役でカユーマルスを大いに苦しめており、彼の政権下では浮かばれないどころの話ではないことは火を見るより明らかである。
イスファーンはこれに一縷の望みをかけ、ラルサのシャープールに使者を送った。使者は上記の理論に加え、あの手この手でシャープールの説得を試みた。
「ナスリーン女王陛下を二度に渡って保護された陛下とハマトを、カユーマルスは決して許さないでしょう」
「陛下の兄上シャーカーム殿はカユーマルス政権下において宰相に任じられたとか。カユーマルスは自派のシャーカーム殿をハマト王にしようとするでしょう」
「確かに砂漠を盾とすれば、カユーマルス軍の攻撃を防ぎきることはできましょう。しかし陛下、それでは砂漠から出られないということになってしまいます。大望を抱かれる陛下は、それに耐えられましょうか?」
「カユーマルスは卑劣な男です。ハマトを武力で征服できぬとなれば、どんな手を使うか知れたものではありません。ハマトが疲弊するまでハカーマニシュ兵を送り込み続けるかもしれませんし、貿易を阻害してハマトを破綻させようとするかもしれません」
時に脅迫紛いの言葉を、時にシャープールの野心を刺激し名誉欲をくすぐるような言葉を。あらゆる言葉を尽くし、使者はシャープールに訴えかけた。ナスリーンとシャープールの結婚及びシャープールのハカーマニシュ王への即位を匂わせるような発言すらした。結論から言えば、使者の説得は成功した。シャープールはイスファーンの苦境を救うため、ハマト軍を送り込むことを決断したのである。
軍勢はただちに編制された。マシニッサ将軍を総司令官とし、多数の砂漠の民を召集した。総数1万5000。3分の2までが騎兵である。歩兵もまた移動には馬を用いており、機動性に優れた軍勢だった。
編制が終わるとすぐに出発したハマト軍は、一路ハカーマニシュ軍の補給拠点を目指した。補給拠点は本当に存在したのだ。ただし、アータシュが得た情報とは位置が違っており、またラガシュに通ずる地下道などはなかった。ともかくも、そこでハマト軍は武装を整えた。機動力を優先し、最低限の装備しか持ってきていなかったのである。準備の整ったハマト軍は多数の斥候を出し、トゥーラーン軍の動きを探った。そして別動隊の動きを察知すると、ただちにそれを追ったのである。
(それにしても、あのお方の人気はすごいもんだな)
マシニッサがあのお方と呼ぶのは、ナスリーンのことである。ナスリーンのためにいがみ合っていた勢力が手を組み、多数のハカーマニシュ兵が寝返った。実際にはそこまで単純な話ではないのだが、ナスリーンにはたしかに人望あるいは権威というものが未だに備わっていたとも言える。
(もっとも、本人が望んでいるかどうかは別問題だがな)
マシニッサは肩をすくめた。
その間にも、戦いは続いていた。ハマト兵とハカーマニシュ兵により、エリマイス兵は分断され、包囲され、1人また1人と討たれていく。
「これは勝ったな」
マシニッサは誰にともなく呟いた。
マシニッサの鋭い目が、北の方角にかすかな砂煙を捉えたのはその時だった。




