決戦(1)
トゥーラーン軍の半数が動いた。イスファーンが期待した以上の結果だった。
「トゥーラーンの別動隊が十分に離れたら、一気に攻勢をかけるぞ」
別動隊が動いた時、イスファーンは7000の追撃隊を出した。同時に多数の斥候を放った。むしろ、斥候を放つことが主目的とも言えた。いわば、7000の兵は陽動だった。その斥候が、トゥーラーン軍はラガシュから半日の距離にいると伝えてきた。イスファーンは決断を下した。
「出陣だ!」
引き絞られた弓から矢が放たれたように、イスファーン軍はバムシャード軍に突撃した。これあるを予期して、というよりもこれを狙っていたバムシャードは慌てず迎撃を命じた。
「ナスリーン女王のために!」
「僭王カユーマルスに死を!」
「ハカーマニシュ王国万歳!ナスリーン女王陛下万歳!」
イスファーン軍は口々に叫んでいる。
「馬鹿げたことを」
バムシャードは嘲笑した。何が「ナスリーン女王のために」か。そのナスリーン女王はどこにいる。ハマトではないか。そしてハカーマニシュ軍はハマトに敗れた。今日イスファーンとその軍勢が苦しんでいるのは、ハマト、ひいてはナスリーンのせいとも言えるのだ。
「ナスリーン女王のために!」
相も変わらず、イスファーン軍は叫んでいる。だがその時、バムシャードは強い違和感に襲われた。違和感の原因を理解した時、バムシャードは背筋に冷や汗が流れるのを感じた。
(まさか…。何故後ろから声が聞こえる…)
ナスリーン女王のために。それはイスファーン軍のみが叫んでいるのではなかった。トゥーラーン陣営内からも掛け声が聞こえた。それも1ヵ所ではない。あちらこちらで多数の兵が叫んでいる。叫ぶだけでなく、ハカーマニシュからの降伏兵達がエリマイス兵の戦列に斬り込んできた。
(何故だ…。ハカーマニシュ兵どもに、反乱の気配などなかったはずだ…)
バムシャードとて、降伏したハカーマニシュ兵たちを無条件に信用していたわけではない。エリマイス兵を使い、反乱の計画が持ち上がっていないか、煽動する者がいないか、厳しく見張らせていた。それでも反乱が起こる気配はなかったために、バムシャードもつい気を緩めてしまったのだ。
だが、現実に反乱は起きている。斬り込まれたエリマイス兵たちは大混乱に陥った。その間にも、イスファーン軍は迫ってくる。
「ええい!馬を引け!」
バムシャードは吼えた。弾かれたように従者が駆け出していく。
「狼狽えるな!よく見ろ、裏切者は少数だぞ!」
バムシャードの言葉は嘘ではなかった。トゥーラーン軍に属する全てのハカーマニシュ将兵が反乱を起こしたわけではなく、大部分はどうしていいかもわからずに呆然と立ち尽くしている。
だが反乱の規模は次第に大きくなっていた。ハカーマニシュ兵の多くはやむなくトゥーラーン軍に降ったのであり、本心から投降した者はほとんどいない。それが今、同じハカーマニシュ軍がナスリーン女王の名を叫び向かってくる。そんなイスファーン軍に向ける槍を、ハカーマニシュ兵たちは持っていなかった。隊長たちの中にも反旗を翻す者が現れるにいたり、エリマイス軍に弓を引く兵は増える一方だった。
さらに意外な者たちも反乱に加わった。アレイヴァ出身の兵士たちである。前回のトゥーラーン戦役以来、エリマイスによるアレイヴァ支配は続いていた。当初は散発的な暴動などもあったものの、年月が経つにつれて同化は進んでいった。少なくともエリマイス人はそう考えていた。しかし、被支配層たるアレイヴァ人はそうは考えていなかった。彼らもまたハカーマニシュ王国の属国の民であり、エリマイス人を蛮族と蔑んでいた。それはエリマイスの武力に膝を屈した後も変わらなかった。いや、膝を屈したからこそ傷つけられた誇りは静かな炎となり反エリマイスに燃え上がっていた。また、カユーマルスの命令によりハマトに侵攻させられたアレイヴァ軍が全滅したことも、アレイヴァ人は忘れていなかった。生きるためにエリマイス軍に加わったアレイヴァ人も多かったが、彼らも反エリマイスの心は少なからず抱いていた。それが今、爆発したのである。
やがてイスファーン軍がトゥーラーン軍の戦列にたどり着いた。エリマイス兵は前後左右から攻撃を受け、抵抗もままならず殺されていった。
「持ちこたえよ!別動隊がすぐに戻ってくる!それまでの辛抱だ!」
将校や士官が必死に叫ぶが、恐慌に陥った兵たちには届かない。それどころか、兵に逃げられ孤立した士官たちが次々と討たれる羽目に陥った。
イスファーン軍もまた、士官や将校を狙い撃ちにしていた。中下級指揮官とは軍隊の背骨である。彼らを失えば軍は数ほどの力を発揮することができない。総数で劣るイスファーン軍は、局地的な優勢を得た今、少しでもトゥーラーン軍の力を弱めようとしているのだ。
バムシャードの周りにも、多数のハカーマニシュ兵が群がっていた。今やイスファーン軍は本陣にまで達しているのだ。猛将バムシャードは自ら槍を振るい、襲いくる敵を倒していかねばならなかった。
「ダーラーはまだか!」
バムシャードは吼えた。既に合図の狼煙は上げた。だが別動隊は今、歩いて半日ほどの距離にいる。イスファーン軍とトゥーラーン軍本隊は本来それほど数に差があるわけでもなく、半日程度ならば十分に持ちこたえられると想定していた。しかしハカーマニシュ兵の反乱により、作戦は根底から覆された。
「閣下!ここは退くべきです!」
「悔しいですが、犠牲は抑えるべきかと!」
幕僚たちが口々に叫ぶ。バムシャードはぎりぎりと歯を食い縛った。戦況が不利であれば、将としては犠牲を可能な限り抑えなくてはならない。それはわかっている。しかし、頭で理解できるのと感情が納得するのは別物だ。
「退け!下がるぞ!」
バムシャードは血が滲むほど唇を噛みしめ、絞り出すように叫んだ。圧倒的に有利な状況にありながら、自軍の状況も把握しないままに戦力分散の愚を犯してしまった。将としてこれほど屈辱的なことはない。
「退け!退け!」
幕僚や将校たちが叫んでいる。しかし乱戦の中、その声は兵たちに届かない。
(まるでパライタケネだ…)
7年前のパライタケネの戦いでも、バムシャード隊は似たような状況に陥った。あの時は辛くも囲みを切り抜けたが、今回はうまくいくだろうか。
「うおおおおお!」
バムシャードは馬に拍車をくれ、吼えながら突撃を敢行した。
(逃がしはしない)
イスファーンは手負いの獣のように荒れ狂う敵将を遠くに見ていた。既に包囲は完成している。トゥーラーン軍に対し反乱を起こしたハカーマニシュ兵たちと、イスファーン軍による挟撃。未だ窮鼠にもなりきれぬトゥーラーン軍は個々に囲まれ、殺されていった。
ハカーマニシュ兵の反乱を煽動したのはイスファーンの手の者だ。といっても、組織的な反乱は事前に露見する恐れがある。今回の反乱は驚くべきことに、ほとんどの兵が事前の申し合わせなく参加したのだ。
無論、幾人かの隊長には計画を明かしていた。トゥーラーン軍に紛れ込んだイスファーンの斥候たちが「ナスリーン女王の勅命」として極秘の文書をハカーマニシュ人の隊長たちに見せたのである。隊長たちは目を疑ったが、文書には女王の印が押されている。結局、計画を明かされた全ての隊長が反乱に同意した。後はイスファーン軍出撃の際に紛れ込んだ斥候や隊長たちが大声でナスリーンの名を叫び、先頭に立ってエリマイス軍に斬り込むだけだ。隊長たちの部下や周りにいた兵士が続き、全体の流れを形成したのである。
この作戦が成功したのは、ハカーマニシュ人の王家に対する忠誠心によるところが大きい。いや忠誠心などという曖昧なものですらない。ハカーマニシュ人にとって、ハカーマニシュ国王とは神にも等しい存在であり、従うのが当然という意識が骨肉にまで刻み込まれているのだ。故に、イスファーンに敵対することはできてもナスリーンの名を出されると心が揺らいだのである。そこを、イスファーンは突いた。
今やほぼ全てのハカーマニシュ兵が反乱に加わっている。傭兵たちもまた、槍の向きを変えてエリマイス兵に襲いかかった。多くはアレイヴァ出身者であったが、エリマイス兵の中にも寝返る者が現れた。朱に染まり地に倒れ伏すエリマイス兵が増えていき、戦局はイスファーン軍に大きく傾いた。
そして。西の方角で、砂塵が舞い上がった。砂塵は徐々に戦場に近づいてくる。
「来たか」
「やっと来た…」
イスファーンとバムシャードはほぼ同時に呟いた。
「勝ったな」
「勝ったぞ」
二言目もまた、同じであった。




