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イスファンディヤール戦記  作者: 北の旅人
凋落編
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ハカーマニシュの降将

夜。トゥーラーン軍陣地にあるアフシンの天幕は騒ぎに包まれていた。ラガシュからの脱走者が捕らわれ、連行されてきたのである。捕虜は「アフシン将軍に会わせてほしい」と訴えているというのだ。


(ラガシュにはアータシュがいたな)


アータシュとはアフシンの従弟である。昔からアフシンを実の兄のように慕い、どこへ行くにもついて回っていた。今は南部方面軍に配属されており、アフシンは彼にも連絡を取ろうと考えていたところであった。


「兄上!」


連行されてきた捕虜はやはりアータシュだった。実際は従弟だったが、アータシュはアフシンを兄と呼ぶ。


「アータシュか。久しいな」


「兄上!至急、お耳に入れたきことが!」


アフシンはアータシュを見下ろした。周囲の兵はどうすべきか計りかね、動きを止めている。


「よし。アータシュを天幕に入れろ。お主らは呼べばすぐに来られる位置につけ」


命じると、兵たちはすぐに行動した。天幕に入ったアータシュに一杯の水をやり、一先ず落ち着かせた。


「兄上。私の投降をお許しください。今まで、心ならずも兄上と敵の陣営におりましたが、今日は手土産を持って参りました」


「手土産、と?」


「はい。偶然、ラガシュ軍の生命線とも言える場所の情報を手に入れたのです」


「ほう。聞かせてもらおうか」


アータシュのもたらした情報。それは、イスファーン軍が秘密裏に設けている補給拠点だという。そこは元々ラガシュが万一の事態になった時のために物資を蓄えている場所であり、地下道でラガシュ城内につながっているというのだ。しかも、警備の兵はごく僅かだという。


「お前はどうやってその情報を手にしたのだ?ごく限られた者しか知らぬような話ではないのか?」


「はい。それが私の脱出につながるのでございます」


数日前、アータシュは何人かの将校仲間と酒を酌み交わしていた。その時、酒癖の悪い一人の将校がうっかり機密情報である補給拠点のことを口走った。翌日、その将校は行方不明となった。それから、その場にいた者たちが次々と姿を消した。残った将校の一人がアータシュに身の危険を告げた。行方知れずになった将校たちは、秘密裏に処刑されているということだった。遂にはその将校も消された。このままでは自分も殺されると悟ったアータシュは脱走を決意した。折よく、その夜の警備隊長はアータシュの友人であり、彼は最初は渋ったものの最終的には協力を承諾してくれた。密かに城門を出たアータシュは、すぐさまトゥーラーン陣営に駆け込み、アフシンの名を告げたのだという。


(罠だな)


アフシンは直感した。機密の情報が漏れたのなら、アフシンの従弟であるアータシュは真っ先に拘禁され、脱走など思いもよらないだろう。関係者が時間差で姿を消すなどおかしいし、そもそも将の不足しているイスファーン軍がその程度のことで何人もの将校を殺すとは考えがたかった。


(だが、罠だとすれば何を狙ったものだろうか)


トゥーラーン軍を欺くための罠にしてはお粗末すぎる。こんな穴だらけの罠でトゥーラーン軍が慌てて補給拠点に向かうと考えているのだとすれば、随分と見くびられたものだ。


(あるいは、アータシュが間諜なのだろうか?)


表面的な罠をあえて見抜かせて安心させ、アータシュを使ってトゥーラーン陣営内部で活動させる。ありそうな策だが、それにしては見せかけの罠が見え透いていすぎる。また、アータシュとは従兄弟として長いつきあいがあるが、その経験からも彼が嘘を言っているようには思えない。


(もしや、救国の英雄イスファンディヤールも、衰えたということか?)


ここまで危機的状況に陥れば、イスファーンといえど平静ではいられないのかもしれない。アータシュの脱走も、もしかすると策でもなんでもないのではないか。


(いや、だが。あの男がその程度であるはずがない)


仮にもこの俺の上に立っていた男だ。その程度だったとするなら、興醒めもいいところだ。


その時、アフシンは気がついた。イスファーンの思惑が何であれ、トゥーラーン軍が取るべき行動は一つであることに。


(そうだ。我らは動けばいいのだ)


軍勢の一部、いや半分ほども動かして、ともかくもその補給拠点に向かうのだ。そうすれば、イスファーン軍は何らかの行動を起こすだろう。どんなものであれ、アータシュあるいはその情報が罠であれば、分散したトゥーラーン軍を攻撃してくる。故意ではなく、本当に情報が漏洩したのなら、補給拠点を奪われまいと慌てて出撃してくる。どちらにせよ、イスファーン軍が出てくればしばらくは残した軍勢で支え、補給拠点を攻撃する隊を反転させて挟撃すればいいのだ。仮に動きを見せなくても、トゥーラーン軍の不利にはならない。補給拠点の情報が本当であればイスファーン軍の物資を奪い取れるし、嘘であれば情報が偽りであることが確認できる。


(さて。では明日の軍議で報告するとしよう)


翌朝。アフシンは部下をバムシャードの天幕に走らせた。すぐにトゥーラーン軍の主だった将が召集された。


「アフシン将軍。先ほどの報告は真か?」


「情報の真偽は図りかねます。しかし、ラガシュからの情報であることは確かです」


アフシンはアータシュからの情報とそれがもたらされた経緯を話した。


「なるほど。だが、信じられる情報なのか?」


「いや、怪しいな」


「イスファーンめの策ではないのか?」


「あり得るな。迂闊に動かん方がいいだろう」


「いや。動いても損はないだろう。奴らが我々の分断を狙っているのなら、それを逆手にとることもできる」


「なるほど。二手に分かれたと見せかけて反転し、挟撃という手が使えるな」


活発な議論がなされたが、最終的にはアフシンと同じ結論に至った。次には誰がそれぞれの部隊を指揮するかの議論が始まった。当初、バムシャードが補給拠点襲撃部隊の指揮を取ろうとしたが、司令官が動くのはわざとらしく思われる可能性があるとして反対が続出した。もっともこれには、バムシャードに全ての手柄を奪われてはたまらないという諸将の思惑が働いていた。情報が真であれば別動隊の物資を奪うことができ、かつ抜け穴を用いてラガシュ城内に乱入できる。偽りであっても一見無駄足に思えるが、反転してイスファーン軍の側面または背後を突くという華々しい働きをできる可能性がある。いずれにせよ、別動隊の指揮官は旨味が多い。諸将は争って何故自分が行くべきかを主張した。


議論は数時間続いたが、結局はエリマイス人のダーラー将軍が指揮を取り、副将としてアフシンがつくこととなった。これは、手柄はエリマイス人に与えたいが、ハカーマニシュ兵への降伏勧告はハカーマニシュ貴族であるアフシンの方がうまくいくであろうとの意見の折衷案と言えた。


別動隊の人数は3万。エリマイス兵が半数を占め、残りは傭兵やハカーマニシュからの降伏兵である。この3万という数は、これ以上少なければ策を見抜かれる危険があり、かといってこれ以上多ければ残留部隊がイスファーン軍の攻勢を支えきれないかもしれないという、微妙な調整の結果だった。編制が済むと、すぐに別動隊は出発した。イスファーン軍に見せつけるために、わざと派手に出発していった。


すぐにイスファーン軍から兵が飛び出し、別動隊を追おうとした。バムシャード隊がそれに対応して動くと突破を試みたが、直に諦めて城内に引き返した。


「どうやら情報は本当のようだな」


ダーラーが言った。馬を並べて歩くアフシンは内心首を傾げた。


(それにしては、突破を諦めるのが少し早くはないだろうか?)


直後に本隊から伝令が来た。イスファーン軍は何やら工事を始めたようだと言うのだ。


「なるほど。抜け穴を埋めるか何かして、対応しようと言うのだな」


アフシンは案内役として同行しているアータシュに言った。


「それに、城内に引き上げるのが早かったのは、兵力を温存して本隊に攻勢をかけるつもりかもしれません」


「なるほどな。その可能性もあるな」


なんとなく引っかかるものを感じながらも、アフシンは一応納得した。


(それに情報の真偽はどうあれ、反転して攻勢をかけるという策に支障はないからな)


イスファーン軍出撃を知らせる伝令が来れば一気に引き返し、本隊と共に挟撃する。それ以上戦力のないイスファーン軍は壊滅するだろう。トゥーラーン軍必勝の策である。


(だが本当にそうなら興醒めもいいところだ)


アフシンとしては、かつての上官たるイスファーンにもう少し粘ってほしいという思いもあった。トゥーラーン軍に属する将として、これは妙ではあったがどうすることもできなかった。


(俺が仕え、俺が背いた男だ。俺を失望させてくれるなよ)


アフシンはトゥーラーン軍と共に進む。戦いの行方がどうなるかなど、神ならぬ人の身には知り得るはずもなかった。

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