包囲
ハカーマニシュ王国のハマト遠征軍は、惨憺たる状況にあった。当初18万を数えた軍勢は今、6万にまで減少していた。その6万も餓えと渇き、暑さ、負傷に苦しみ、満身創痍の状態だった。脱走兵も数多く、将校や士官にも逃げ出す者が出始めていた。将軍の一人アフシンまでもが姿を消した。
軍勢を率いるキールスの表情もまた、固い。豪傑肌で常には豪快な彼も、さすがに状況を楽観視することはできないようだ。伸び放題となった髭の下のやつれた顔が痛々しい。
(やれやれ、総司令閣下はまだか)
先行したイスファーンら6000もまた、消息不明だ。艦隊や援軍など、影すら見えない。
その時、前方から砂塵があがるのが見えた。
(あれは騎兵だな)
どこの騎兵であろうか。イスファーン率いる先行隊だろうか。
(それとも…)
ハマト軍か。可能性は十分あった。というよりも、そちらの可能性の方が高かった。
「重装歩兵、方陣を組め!その他の兵は内側に入れ!」
だが、ハカーマニシュ軍の動きは鈍い。訓練に訓練を重ね、実戦で鍛え上げられた精鋭ではあるが、今は動くだけで精一杯だったのだ。
砂塵はみるみる近づいてくる。方陣は未だ完成していない。遂に敵の姿が見えた。黒や灰色の布で全身を覆い、弓を持った騎兵部隊。ハマト軍の砂漠の民だった。
先頭を走る男が手を振ると、一斉に矢が放たれた。未だ陣形の整わぬハカーマニシュ軍兵士がばたばたと倒れていく。第二射、第三射と繰り返され、その度にハカーマニシュ兵が朱に染まっていく。さらに男が手を振ると、騎兵隊は二手に分かれた。ハカーマニシュ軍の左右を、ハマト兵が駆けていく。その間にも、騎射は止まらない。
「重装歩兵!円陣を組め!」
敵が包囲を狙っているのは明らかだ。ならば円陣を組んで盾の壁を作り、耐え忍んで敵の矢が尽きるのを待つしかない。
包囲はすぐに完成した。矢は四方八方から飛来し、将兵は次々と倒れていく。
(ええい、くそ!一向に矢が尽きる気配がないではないか!)
騎兵が持ち運び可能な矢は限られており、もう尽きていてもおかしくはない頃だった。しかし、矢は相変わらずハカーマニシュ軍を襲い続けている。キールスは決断を下した。
「ギーヴに伝令を出せ!騎兵をかき集めて敵に突っ込ませろ!」
突撃を敢行すれば、多くの騎兵が死ぬだろう。しかし、このまま座して待てば、全滅の危険性がある。どちらがより犠牲が少ないか。言い換えれば、どちらがより効率的に味方を殺すことになるか。非情と言えば非情な決断だ。だが、下さねばならない決断でもある。
ギーヴの動きは迅速だった。残り僅かな騎兵の中から動ける者を集め、部隊を編制した。その数500ほど。多いとは言いがたいが、この際贅沢は言っていられない。ギーヴはキールスの指示の下、右側の敵に突撃していった。
槍を構えたハカーマニシュ騎兵の突撃に、ハマトの弓騎兵たちは浮き足だったようだ。たちまち陣形を乱し、逃走していく。ギーヴは深追いせず、すぐに次の敵に襲いかかった。
「よし、あそこに突撃だ!」
キールスは全軍に指示を出した。兵士たちは直ちに動き出した。騎兵が切り開いた穴を歩兵が広げる。定石とも言える戦術であり、またそこまで走れば生き延びることができる。兵士たちは死に物狂いで走った。陣形は乱れに乱れたが、今は勢いが重要だ。突然のハカーマニシュ軍の攻勢に、ハマト軍は虚を突かれた形となった。蜘蛛の子を散らすように、左右に分かれていく。
(罠かもしれんな)
だが、突撃を止めるわけにはいかない。後ろからは矢が飛来している。背中から貫かれ、次々と兵が倒れていく。それでも兵士たちは突撃をやめない。むしろ、矢から逃れるために走り続けた。
やがて、4分の3ほどの兵士が突破に成功した。だがキールスは背筋の毛が逆立つのを感じた。振り向くと、そこにはハマト兵が再び集結していた。
(しまった…!)
ハマト兵の向こう側には、4分の1の兵が取り残されている。救いたい。だが、今戻ったところで再び包囲されるのが落ちだ。それに兵士たちは逃げるために驚異的な突撃を見せたのだ。今さら死地に戻れと言ったところで、従いはしないだろう。遅れた兵士たちは、見捨てるしかない。半分ならともかく、4分の1の兵を救うために残る兵を危険に晒すわけにはいかない。むしろ敵が少数の獲物に夢中になっている間に、少しでも遠くに逃げるべきだ。ハマト軍もそれを狙っていたのだろう。
背後から、断末魔の叫びが聞こえる。豪快なキールスにして、耳を塞ぎ唇を噛み締めなければ耐えることができなかった。
この日の戦いで、ハカーマニシュ軍は2万もの兵を失った。全滅を免れただけましという、痛ましい結果であった。




